閑話 恋敵《じゃしん》を待つ敗者《せいじょ》

 精霊神教の最高峰、総本山、聖地として長年君臨して来た『オリジン大神殿』の最奥。

 そこは代々精霊神教の最高位である大僧正でしか立ち入りを許されない禁書庫だった。

 無論一般人の閲覧は元より関係者ですらその存在をする事も難しく、入室する為には屈強な護衛の聖騎士団を超え、幾重にも張りめぐらされた侵入者用の罠を解除しなくてはならず、常時であるならそこに至る事は誰にも不可能な禁忌の場所。

 しかしそんな所に、『聖女』という称号はあれど元々は平民出身で、結局は血筋がモノを言う精霊神教の中では出世は見込めないはずの女性が、二人の弟子と共に足を踏み入れていた。

 何故ならこの場所に至るまでに警護するはずの聖騎士も、不法侵入を咎めるべき立場の上層部も誰一人いなかったから……侵入者を排除するための罠を破壊して進む事を止める者もおらず、一直線にここまで至る事が出来たのだった。


「あれ程に精霊神を崇めよ、オリジン大神殿の意志は精霊神様の意志とか言っていた連中なのに、禁書庫をそのまま放置して逃げ去るとは……」

「精霊神教の上層部、最も敬虔な信者であると自称していても、所詮は人であったという事なのでしょう。他者には『身を捧げろ』『命をかけろ』と平気で宣うのに、いざ自分の番となれば信仰の対象であったはずの『聖典』すらも投げ捨て逃げ出すのですから」

「死を恐怖するのは人として当然の感情。その恐怖を乗り越え、こうしてこの場に残り私に付き合ってくれている貴方たちが尊い人物であるだけの事です」


 明らかに上層部を軽蔑する二人の弟子に、最後の聖女イリス・クロノスは静かにそう言った。

 邪神の復活……いや『誕生』したのが約2年ほど前の事。

 元王国にして邪神軍の拠点と成り果てた『ザッカール』に突如出現した巨大な黒い“ソレ”は瞬く間にザッカールを滅ぼしたのだった。

 国が滅んだ、という事ではなく文字通りに跡形も無く消し去るという意味で……。

 それから世界は不可逆的に滅亡へと進む事になって行く。

 凶悪な軍団であっても、まだ戦闘行為を行う事が出来た邪神軍など生やさしいと思えるくらいに、『邪神』という存在は容赦なく、区別も無く全てを滅して行くのだ。

 それは押し寄せる津波の如く、避けようのない深い霧の如く、それが進むだけで何もかもが黒く、チリと化して行く。

 数年前に勇者の尊い犠牲により邪神復活を企む邪神軍を倒し、ようやく平和が訪れたかに思われた人々は、新たなる圧倒的な脅威になすすべなく消し去られて行くことになった。

 とうとうここ『オリジン大神殿』にも『邪神』が近付きつつあるという時になり、大僧正を始めとした精霊神教の上層部は配下の聖騎士や信者たちに『今こそ我らの信仰を示す時である』と徹底抗戦を唱えて置いて、自分達はさっさと逃げだしたのだった。

 それは明らかに信者たちを盾に自分たちが逃走する為の時間稼ぎであり、信者たちがその事実を知ったのは……すでに顔面の原型を留めていない大僧正だった者を大衆の前でつるし上げて真実を語って聞かせた一人の格闘僧がいたからであった。

 信仰に裏切られた二人の友への償いである……そう語る格闘僧は、それから自らを『最後の大僧正』と名乗り『オリジン大神殿』を含む聖都からすべての人々を率いて避難させた。

 最早この地に守るべき神はいないのだ……そう寂し気に呟いて。


「もしもあの方がもっと早くに大僧正となっていれば、精霊神教も変わる事が出来たのでしょうか……」

「どうでしょうね? あの方こそ前線で戦いたい質の御仁でしたから。今回だって人命優先でなければこの場に残りたかった事でしょう。らしくない事をする事になったモノです、あの方も、私も……」


 あまり『最後の大僧正』について知らない弟子は、この緊急時において人命救助の為に力を振るう彼の姿に願望を抱いているようなのだが、イリスは平時で会った時に彼の御仁がトップとして君臨する姿が一切想像できなかった。

 信仰に裏切られ、親友を失い『聖魔女』と化した光の聖女……その人を終わらせる役目をイリスに背負わせてしまったという負い目さえ無ければそのような立場に興味も無かっただろうから。

 そんな事を思うイリスの“左手”を弟子は優しく握りゆっくりと歩きだす。


「それでイリス様、ここまで来てまでお調べになりたかった書物はどれなんでしょうか? 私は余り難しい言語は……」

「ある程度で十分ですよ。難しい単語があれば何時ものように手の平に書いてくれれば……」

「……申し訳ありません、勉強不足で」

「卑下する事はありません、平時であるならあまり必要とされなかった言語ですから。この国の識字率を考えれば自国語を理解できるだけでも貴重です」

「はい…………では何を探せば?」

「書庫の中でも取り分け厳重な封を施されている『聖典』をお願いします。新約でも旧約でも構いませんが、なるべくなら人の手が入っていない方が良いですね」


 2年前の邪神軍との戦いの時、許容範囲を超える魔法を行使した事でイリスは目の光を失い、そして利き腕だった右腕を失っていた。

 その為にある程度は動けても、見知らぬ場所を一人で動くのはやはり危険であるし、当然だが書物を読む事も叶わない。

 だから彼女は本を読むときには誰かに読んでもらう必要があった。


「ああ、それともう一つ……第47代目の大僧正が残した手記でもあれば取っていただきたいですね」

「47代目……それって確か」

「歴代最短で襲名後に亡くなられた……」

「はい、襲名後わずか一週間で事故死という体で暗殺されたと噂の、彼の御仁です」


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 既に邪神は『オリジン大神殿』の目と鼻の先、最早一日だって時間があるのかも分からない状況だというのに、それでも最後の聖女イリス・クロノスは最後の望みをかけて情報を手に入れる為にこの地に残っていたのだった。

 自分が果たすべき責任を全うする……ただそれだけの想いで。

 そして『禁書庫』で弟子たちが本を漁り、めくる音だけが聞える中、分からない文章を手の平に書いてイリスが訳し朗読する、そんな時間が何時間も続き……弟子たちはその内容、現在自分たちが直面している邪神の正体、そして邪神を封じる目的とされていた『勇者召喚』の真実を知る事になってしまった。

 

「な、なんという事……!? つまり千年前から邪神は作り上げられていたという事なのか?」

「そして『勇者召喚』は封印では無く誕生のトリガーだったと!? 精霊神教は……邪神をこの世に生み出すための手伝いをしていたというのですか!?」


 驚愕、そしてショックに顔を悲痛にゆがめる弟子たちの顔を見る事は叶わないイリスだが、声色でその絶望のほどは痛いほど伝わってきた。

 自分とて一度は精霊神教と言う宗教に身を置いていたのだ……自分たちが信仰していた神が実は邪神復活の為の装置の一部であったなど言われても信じたくない気持ちは理解できる。

 しかし、イリスは努めて冷静に、冷淡な口調で言う。


「やはり……そういう事でしたか。にも拘わらず、私は彼の国の伝承を信じ『勇者召喚』の片棒を担いでしまった。邪神の誕生もこの世界の終焉も……すべてはそんな愚者が全ての発端だったという事なのです」

「な!? イリス先生……それは……」


 自信を卑下する師匠を何とか否定しようとする弟子に対して、イリスは力なく首を振る。


「異界より世界を超えて召喚させる術を確立するには『時の精霊』の寵愛を受けた聖女が必要不可欠……。この世界において、時の精霊魔法を扱える聖女が他にいますか?」

「……それは」

「良いのです二人とも。コレは私が犯した罪である事は変えようのない事実。あの邪神が、『彼女』が最も憎み、最も殺してやりたい元凶は紛れもなくここにいる聖女を名乗った抜け殻なのですから」

「「イリス先生…………」」

「それに危険を冒してここまで来た甲斐はありました。まさかそんな抜け殻である私にも、まだわずかに償いの可能性はある事が示されていたのですから」


 そう言ってイリスが手にしていたのは一冊の手帳のようなボロボロの手記。

『禁書庫』の中でも見つかりにくい、本棚の隙間にあったそれは……おそらく持ち主本人に隠されていたのだろうが、当初予定にしていた第47代大僧正ダイモスの物。

 その手記にはダイモス本人が、自分は近いうちに暗殺されるかもしれない事まで書かれており、その理由も事細かにつづられていた。

 精霊神教の生まれた真実、そして邪神という存在がザッカール王国で千年も前から作り続けられているという事を世間に公表しようと画策していた事。

 そしてそれと同時に、万が一にでも『邪神』が誕生してしまった際にとれるかもしれない最後の手段も書き記されていたのだった。

 しかしその手記に希望を見出す師匠に対して弟子たちは難色を示していた。


「先生……確かにその方法は可能性があるのかもしれませんが、どう考えても莫大な魔力を都合する方法がありません」

「貴女が眼の光と利き腕を犠牲にした時よりも遥かに巨大な力が無ければあり得ない術式を実行しようにも、この世界に魔力を行使できる魔導師がどのくらい残っているか……」

「確かに普通の手段で、この世界の力だけで何とかしようと考えるなら不可能でしょう。しかし当てがない事も無いのですよ」


 だが真っ当な意見を述べる弟子たちに対して、イリスは寧ろ楽観的な様子さえ見せてそんな事を言い始める。

 この世界で生き残っている生物がどれほどいるかも分からないというのに、師匠が何を当てにしているのかは全く想像が付かない二人は反射的に問いただそうとする。


ドガアアアアアアアアアアアアアア!!


 しかしその瞬間、『禁書庫』だけでは無く、『オリジン大神殿』のみでもなく、大地そのものが揺れ動くほどの爆音と激震が二人の詰問を強制的に中断した。


「な!? 何だこの振動は……地震、ではない!?」

「ま、まさかもう!? 情報ではまだ少しは余裕があったハズなのに!?」

「…………」


 弟子たちの声色が恐怖に彩られ、同時にイリスも何が起こったのか、何がこの地に降臨したのかを理解した。

 終ぞ感知する事は出来なかった『邪気』だが、そんなモノを感知できなくても、この世界そのモノを憎み、破壊しようとする強烈な意志、『殺気』は肌で感じる事が出来るのだから。


「もういらっしゃいましたか……当然ですね。最も憎い、自分の男を奪った女がここにいるのですから。“遠き友へ時間を超えて届きたもう……時の羽よ……”」

「「え!?」」


 邪神がここまで来た。

 そう判断したイリスは未だ恐慌状態から抜けられない弟子二人に対して、『時の精霊』の寵愛を受け自分のみが行使できる魔法を発動する。

 それはいわゆる瞬間移動の魔法『時のクロック・フェザーであり、幾度も共にこの魔法で移動した事があった弟子たちは、それだけで師匠が何をしようとしているのかを察する。

 慌てて発動した魔法から降りようとしても、一度発動した『時の羽』は結界のように二人の途中下車を阻んだ。


「先生!? いけない、魔法を解除してください!!」

「何をするつもりですか先生!? もうすぐ邪神がここまで来るというのに一人だけで!?」

「お二人とも……申し訳ありませんが、共にできるのもこれまでです。私と言う罪人に未来ある貴方たちが付き合う事はありません。そして……貴方たちは生き残り、この地で知り得た真実を後世まで伝えてください。聖女を騙るイリス・クロノスという大馬鹿者が起こした世界に終焉を招いた唾棄すべき大罪を二度と繰り返してはならないと」

「何を言われるのです先生!?」

「せめて私たちも最後まで一緒に!!」


 悲痛な声で叫ぶ二人にイリスは困った顔で柔らかく笑うと……銀の錫杖で地面をトンと叩き、シャランと音を立てた。


「……クロック、フェザー」

「「先…………」」


 その瞬間、弟子たちの悲痛な声は消え失せて、代わりに訪れた僅かな静寂と共に徐々に徐々にどす黒い気配が濃厚になって行くのが分かる。

 熱気でも悪寒でもない……この世界の全てが憎い、それだけでこの世界の全てを破壊しようとする強大な意志の塊が。

 それがもうすぐ自分の目の前に到達する事を、光を失って久しいイリスにも実感する事が出来た。

 彼女は静かに、確実に忍び寄る邪気の塊である『邪神』に自分が確実に殺されるだろう事を分かった上で、ゆっくりと『禁書庫』の椅子に腰かけた。

 自分が唯一愛した男の、唯一の女性の来訪を待つために……。


「いらっしゃいませ、勇者の唯一のひと。私が最も贖罪すべき、そして最も憎い恋敵」





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