第百九十五話 クエン酸を欲する朝(笑)
翌日、ブルーガ王国では一つの話題で持ちきりだった。
『伝説の剣』を第一王子ニクシムと第二王子ニクロムが引き抜き、悪漢を撃退して見せたというセンセーショナルなニュースは分かりやすく貴族平民問わず、『勇者伝説』を色濃く残すブルーガ王国内に広がって行った。
しかし両王子がその剣を振るえたのは悪漢を撃退して女性を助け出した只の一度のみであり、本人たちからも『あの場は剣が力を貸してくれたに過ぎない』と公言していた。
この事件は『純粋に誰かを助けたいと思った時だけ勇者の剣は答えてくれる』という新たなる価値観をブルーガ王国民に植え付ける事になった。
実にシンプルに分かりやすい正義の味方、男の子の憧れのヒーローには誰もが資格を持っているとでも言うような、実に清々しい『勇者の剣』の新たなる逸話の影で、『異界の勇者』という分かりにくい逸話の印象が薄れ始めている事には誰も気が付かず……。
しかし、情報には誰よりも耳聡く無ければいけない盗賊である俺が、そんな風に昨晩の件が広まっているのを知ったのは、既に正午を回った辺りの時間。
昨晩の連戦で精魂尽き果てた俺は、宿に帰り着くと同時に体を拭う事もしないで泥のように眠りについて……先ほどようやく目が覚めたところだった。
「グギ!?」
覚醒と同時に全身に走ったのは筋肉が軋み悲鳴を上げる、耐え難いほどの筋肉痛だった。
「うぎぎ……動けなくなるほどの筋肉痛なんて何年振りだろ? か……肩が上がらん」
と言うか肩どころか動くたびに激痛が走らない場所がない。
手を付けば二の腕が、起きようとすれば腹筋が、立ち上がろうとすればモモから尻に掛けて……一々悲鳴を上げそうになる。
こうなった原因は分かり切ってはいるがな。
「昨日は散々筋肉を酷使したからな……連戦で相手した連中が全部バカ力の脳筋ばっかり、筋肉痛で済めば安いものか」
『なんだなんだ情けない、鍛え方が足りんからそうなるのだ。我も昨夜は飛び回り動きっぱなしであったが、筋肉痛など欠片もアリはせんぞ?』
「あってたまるか! 筋肉どころか肉そのものが無い骨だけ野郎に!!」
テーブルの上で俺が痛がる様子を愉快そうに見ているドラスケ。
アンデッドには筋肉痛も何もないのだろうから、ヤツが完全な突っ込み待ちで言っている事も腹が立つ。
『カカカ! まあまあ、起きたのなら都合を見て食堂まで降りて来るようにとリリーに伝言頼まれておる。ゆ~っくり来るが良いぞ』
そんな事を言って器用に飛びながらしっかりとドアから出て行くドラスケの言葉でハタと気が付く。
今現在俺たちが宿泊していた場所が宿の二階である事を。
「う……下の食堂……か」
自慢じゃ無いが、普段の俺だったら2階の上り下りなど一瞬で飛び上がれるという自sんがあるけど、今の俺は一歩一歩階段を下るだけのハズの作業を考えるだけで……冷や汗が噴き出して来る。
「ゆっくりと…………ね」
立ち上がるだけでも一苦労、一歩踏みしめるだけでも激痛の走る全身に課するには余りにも重労働……果てしない道のりに思えてしまう。
しかしまあ……行かねばならんのも事実なワケで……。
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「お……おまたせ…………いてて……」
「お、きたきた。アハハ、さすがのアンタもガタガタだね。錆びた機械みたいよ?」
ゆっくりゆっくり、なるべく衝撃を与えないように歩みを進めて何とか食堂まで階段を降りきった俺を出迎えたのはテーブルに座って軽食をつっつく今日も元気なリリーさんと、対照的にテーブルに突っ伏して何時もの覇気の見えないカチーナさんだった。
「おはようございます……。ハハ、ちょっと安心しましたよギラル君、君が私と同じ状況でいてくれたのが」
「わ~い、仲間仲間」
同じ苦しみを分かち合える仲間が出迎えてくれたのが妙に嬉しい。
いつも共に鍛錬を重ねていると言うのに、昨日の過剰な運動量で片方が平気な顔をしていたら俺もショックだったろうな。
フラフラギシギシと同じ席に着いた俺は、特に断りも入れずにテーブルの軽食、先に先に頼んでいたであろうオレンジに齧り付いた。
「うおおお……柑橘系の酸味が全身に染みわたる」
「まだあまり食欲が湧いてこないですけど、酸味を体が欲しますね……水分もしっかり取った方が良いですよ?」
「あ……サンキューッス」
カチーナさんはそう言ってコップに水を注いでくれた。
栄養、水分補給に十分な休養……今の俺たちに必要なのには何はともあれソレに尽きる。
俺はコップの水を一気に飲み干して、ようやく人心地ついた気になる。
「一晩走り続けて王国の兵士どもに、聖女二人にテンソの召喚師、最後にAクラス冒険者の連戦だったからな~。全部攻撃は直撃は受けてないで避けるか流したハズなのに、この体たらく……直撃だったらと思うとゾッとする」
「元々私らはそういう正面からの戦いには不向きだからねぇ。ギラルとしては自分が前衛になるのは不本意だったでしょうけど、あの娘たちをあしらえる技術を持っているのは君しかいなかったのも事実だから」
「……その内訳がアンタの大親友と妹ちゃんだからタチが悪いってんだが」
正直に言えば昨晩の聖女二人との戦いは不本意でありイレギュラー。
事前に“この二人と戦う事があれば”とカチーナさんと話していた事もあって、即興で何とか撃退できたけど、本気で次の機会はゴメン被りたい。
それほどあの二人は強敵なのだから。
「今更だけどシエルさんは本当に光属性魔法の回復役が本職なのか? 今回初めて面と向かって対戦したけど、全てが一撃で“持って行かれそうな”威力の攻撃だし、反射速度も棍捌きも凄まじいし防御の技術も高い。そしてその上で回復魔法だからアンデッドよりもタチが悪いぞ」
今回はその反射速度を逆手に取り、さらに新人バディのイリスの迷いに付け込む形で何とかなったけど、本当に紙一重の攻防だった。
本気でカチーナさんがいなかったら逃げるしか無かったと思う。
「あは! 不思議なもんだね。普通の女友達だったら完全な悪口にしかならないのに、あの娘の評価だと褒めているようにしか聞こえないんだから。本人が聞いても喜びそうなのがまた……」
「褒めてねーよ、怖がってんだ」
カラカラと笑うリリーさんに俺は思わず本音をこぼす。
美人の聖女が笑顔で、こちらの攻撃も物ともせずに迫って来る。
昨晩の体験は下手なアンデッドとのバトルより遥かに恐怖を誘うものだった。
カチーナさんとの挟撃が不発だったらと考えると背筋が寒くなる。
「私は昨晩の戦いではイリスさんとの攻防が最もきつかったです。実力が上でもグランダル殿はあくまで予想通りの動きの力押し、前もってギラル君と示し合わせた通りでしたから。そっちが楽だったと言う事は全くありませんがね」
カチーナさんは椅子の背もたれに乗っかかり体を伸ばすと、軽くポキッと音がして苦痛に顔を歪めた。
「予想外のスピード、特に急激な緩急の連続に無理やりついて行くのは至難の技でした」
「カチーナさんの反射速度でもそんな感じだったんだ」
「君がイリスさんと対峙するなら“一秒先に来ると思え”って言ってくれたから何とか反応出来ましたが、次があったとしたら、もう素直に一直線で向かってきてはくれないでしょうから、対処できるかどうかわかりません」
彼女のいわゆる間合いでのスピードは無駄を省くという事に特化した達人の域。
単純な足や軽業で速く見せる盗賊のワザとは違う剣士としての速さと強さを持つ彼女にそこまで言わせるとは……。
余裕で捌いているように見えていたけど、実際はカチーナさんも紙一重だったんだな。
「アンタ等二人にそこまで評価してもらえるのは姉としちゃ誇らしいけど、評価基準を聞いてると、魔導師としては不安にしかならないね」
「ですね……あのスピードは常人であれば下手をすれば緩急の激しさに体が耐えられないように思える程異常でした。それこそギラル君が言ったように時間に干渉できるなにかが無ければ説明できないほどに」
「……やっぱ、そう思うか」
俺もカチーナさんも修練の結果身に着けた体術には自信があるが、イリスの戦い方は経験は少ないのに達人の速さとは違う、それこそ一瞬彼女の時間だけが加速でもしたかのようなズレがあるのだ。
とりわけそれが顕著なのは彼女が踏み込んだ瞬間、敵の間合いに潜り込む一瞬である事が多いのだが、これがもしも無意識であり、その上で彼女が自由自在にその技、もしくは魔法を操れるようになるとするなら……。
「オリジン大神殿に行く前にこの国で妹ちゃんに再会できたのは幸運だったのか、それとも凶運だったのか?」
「幸運だった事にしときましょう。少なくとも二人の少女が同じ男にフラれる未来は回避できたんだからさ。それにこれからあの娘たちがより強くなれば、『予言書』の裏側で暗躍する黒幕共への対抗処置にもなるかもだし!」
「今のところはその強さが全部『ワースト・デッド』に向きかねないという事から目をそらさないで貰いたいんだが……お姉ちゃん」
ポジティブな事を口にするワリに愚痴る俺と目を合わそうとしないリリーさんである。
脳筋共のバトルジャンキーぶりに長年突っ込んで来た彼女には、これからその矛先が自分達に向けられる苦労が現実的に予想出来るだろうに。
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