閑話 蝙蝠たちの昼下がり

 ブルーガ王国。

 それは精霊が住まう地ゆえに、多くの聖女が生まれるとされるザッカール王国に至る唯一の道筋にある国であり、天然の城壁ともいえるオウン山脈を避けて両国間を行き来する為には必ず通過する必要のある場所である。

 他国とは鎖国状態であるザッカール王国との間には巨大な大森林が広がっているのだが、両国間を行き来する事で利益を得る者たちにとってブルーガ王国は重要な意味を持つ。

 交易で利益を得る公人、商人たちだけでなく、犯罪を犯した悪人たちが最後の逃亡先として重宝する場所でもあるのだ。

 何せオウン山脈を唯一避ける事が出来る大森林の道筋も多くの魔物が出現して、安易に両国を行き来する事が出来ないので、どっちからでも無事に到着出来れば逃げ切れる可能性があるからだ。

 あくまでも逃げ切る事が出来れば……だが。

 凶悪な魔物が生息する大森林を超える為には相当な戦闘力が必要なのは当然であり、単独の犯罪者が単独で大森林に挑んで魔物や野盗に襲われる危険も高ければ、単純に森自体に迷って餓死する事だってある。

 故に森を抜けるには相応の兵力を持ちうる財力があるか、そうでなければ実力のある冒険者を雇うのが一般的である。

 ザッカール王国から国外に出る為にはCクラス以上の実力が必要になるのだが、その理由は知識や教養、礼節は勿論だが実力が伴わないと単純に死ぬ危険が高いって事もある。

 つまり……この両国間の交易を利用できる悪人は財力のある地位の高い者ばかりであり、その地位にある者が納める国なのだから、どちらも負けず劣らずに腐敗しやすい。

 千年前に精霊神に認められたと吹聴して、実は千年前に亜人種たちを虐殺、土地から追い出して、更には膨大な憎悪の念『邪気』を非人道な手段で封じていたザッカール王国にも負けず劣らずに……。


 ブルーガ王国には昔から伝わる伝承、子供を寝かしつける為の寝物語、定番のヒロイックサーガがある。

 世界に危機が迫る時、異界の地より現れ強大な悪に正義の鉄槌を下し世界を救う救世主が現れるという、『異界の勇者』の物語が。

 まるでザッカールの『精霊神の神話』のように、人間たちにとって都合の良い物語が……。


 そんな登場人物こそ違うものの、本質的にはザッカールと似通ったブルーガ王国の中央広場のカフェテラスに一人の男が座り、、優雅に紅茶を嗜んでいた。

 その所作に特筆するものはなく、通り掛かる人々はその男に注目する事はなく通り過ぎていく。

 しかしその男に何の特徴も無く注目する事が出来ないという事が、特殊である事を気付ける者はいなかった。

 その男がその気になれば、昼の喧騒で賑やかなこの場所が凄惨な殺人現場に変える事すらできるという最凶の暗殺者であるというのに。

 そんな男の丁度背後の席で、明らかに恋人同士と見える二人の男女がイチャイチャと話していたのだが、名残惜しそうに男が席を立つと……残った女性は笑顔を浮かべたまま、互いに背中合わせのままで話始めた。


「……何があった?」

「……『聖典』より指令です、ジルバ団長」

「ミズホよ、私は最早ザッカールの兵では無い。団長はおかしいだろう」

「我ら『テンソ』にとって貴方が団長である事に変わりはありませんから……」

「そうか……」


 元ザッカール王国調査兵団『テンソ』団長ジルバは、国を出奔してからも変わらぬ忠誠を持つ部下の姿に表情を変えず、心の中でため息つく。


「まあいい、それで……『聖典』は何と?」

「ザッカール南方は最早見切って良し、我らが介入する旨味は無くなったとの事です」

「どういう事だ? あそこは魔力溜まりを利用して千年生き残る魔導霊王が住まう地。アレには利用価値があると言っていたのは『聖典』ではないか?」

「それが……その魔導霊王アクロウが消失した、との事です」

「…………」


 ミズホの報告にジルバは一瞬、理解が追い付かなった。

 戦闘の技術的な面や駆け引きなどは魔導霊王という特殊な体質からか、死に対する危機感が無くそれ程脅威とは思わなかったが、『邪気』を操るアンデッドであるという点において、相当な実力者の暗殺者であるジルバであっても倒すには工夫が必要だとは考えていた相手であった。


「一体何があった? あの化け物が消失するなど」

「それが……『聖典』が言うには邪気に喰われたのでは無いかと」

「喰われた……だと? ヤツはその邪気を操り利用する死霊使いでもあったはずだが?」

「アクロウが消失する前に、南方領のロコモティ伯爵領ツー・チザキにて膨大な邪気が観測されたとの事です。そしてグレゴリール領の遺跡にあったはずの『隠し墓所』を確認したところ、死霊は一体も存在しなかったと」

「…………呪い返しにあった、か」

「おそらくは……『聖典』も同様の見解で“邪闘士の養分として利用できると思っていたが、所詮は千年も引きこもっていじけていた臆病者か”と落胆なさってました」


 邪気を意のままに操り武器とする死霊使いだが、邪気は負の感情の塊であり、ともすればその負の感情が自分自身へと向く危険もある。

 死霊使いはそう言った負の感情の機微を敏感に感じ取って、自分の都合の良い方向に誘導する必要があるのだ。

 千年も魔導霊王として存在し続けていたアクロウは、その辺の誘導を“相手に真実を知られない”という誘導でこなして来たワケなのだが……。


「自らの趣向……いや、自尊心の保全の為に死霊を溜め込むなどするからこういう事になるのだ。愚かな事よ」

「同意です……結果を求めるなら速やかに処理するべきですから」


 調査兵団という結果優先の職場に身を置いていた二人にとって、情報を引き出すなどの理由が無い限り拷問などを与える行為は単なる時間のロスにしか思えない。

 自分よりも幸せそうな人を絶望させ、その上で罪の意識に際悩まれる姿を延々と見ていたいなど、自ら爆薬を溜め込むような愚行でしか無かった。

 何かの切っ掛けで、溜め込んだ死霊たちに真犯人が自分である事を知られてしまった……それがアクロウの最後である事を看破したジルバは瞬時に頭を切り替え、今後の方針を部下へと伝える。


「ザッカール南方領に配備した『テンソ』は全て撤収、ブルーガに一旦集結させよ。『異界召喚の儀』を成功させる為には情報が足りん。場合によっては『オリジン大神殿』への配備も必要だからな」

「了解いたしました団長……」


 そう言いつつ、まるで二人とも全く接点など無かったように女性は席を立とうとする。

 しかし、ジルバは何か心に妙な引っかかりを感じていた。

 魔導霊王アクロウが消失したあのが、自らが趣味として集めていた死霊たちに『呪い返し』を受けたのだという結果は分かるし納得できる。

 だが、何故『呪い返し』が起こったのかを考えると何かしっくり来ないのだった。

 千年もしぶとく存在し続けて『邪気』を操り死霊を弄んで来た魔導霊王アクロウが、そんな簡単に邪気の扱いにしくじるとは思えなかったのだ。

 そして消失した理由は『邪気』を『邪気』によって喰わせるという、言い換えれば『邪気』を逆利用したかのようなもの。

 主である『聖典』や部下のミズホもアクロウが間抜けなミスをしたとしか考えて無いようだったが、ジルバはそんなに楽観視出来なかった。

『邪気』どころではなく、全ての人、者、事象ですら利用して結果を出すという……不気味な存在に、ジルバは覚えがあったから……。


「待てミズホ……。念のために調べて欲しい事がある」

「はい、何でしょうか?」

「ザッカール王国で活動している冒険者、元『酒盛り』現パーティー名『スティール・ワースト』所属、職業盗賊のリーダーギラルの動向を探ってくれ。出来るだけ早くな」

「ギラルとは…………あの雑魚の事ですか?」


 ジルバの指令にミズホは初めて表情を歪めた。

 前回『テンソ』が活動した時に、特に強力な力があるワケでも自分たちに勝る技術があるワケでもないのに、全ての計画を台無しにした男。

 ミズホにとってギラルと言う冒険者の認識はそんなところであった。

 しかしジルバは相変わらず表情も変えずに言う。


「油断するなミズホ。あの男は瞬時に自分の実力がお前より劣る事を見抜くぞ」

「…………そうですか、肝に銘じます」











  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る