第百四十九話 千年の進化と千年の停滞

“汚らわしい! 貴様など私の子ではない!!”

“お前など、生まれなければ良かったのに!!”

“うわ、こっちに来るな! 忌み子がうつる!!”


『く……さっきから何だこの記憶は? クソ……まるで“自分の記憶”のように……』


 ロコモティ領、港町『ツー・チザキ』からほど近く。

 海にそそぐライシネル大河に隣接する森林の中、それは存在が消えかかるように明暗を繰り返し、フラフラと彷徨っていた。

 それは魔導霊王と名乗っていた時に比べると圧倒的に弱弱しく、最早魔導霊リッチどころか死霊レイスとしての力すら持ち合わせていない脆弱な存在であった。

 アクロウと名乗っていた記憶を何とか保とうとするたびに、根幹にある千年の月日で“忘れた気になっていた”記憶がよみがえりかかる事からアクロウは必至で目を逸らしていた。


『なんなのだ……魔導霊王の我よりも強大な邪気。我のほぼ全て、9割9分を犠牲にせねば逃げる事すら敵わなかった……』


 魔力体を破壊された霊体は、この世で存在出来る依り代を失う事になる。

 それはゾンビやスケルトンが肉体を失うのと同じような事なのだが、アクロウはカチーナに消される寸前にほんのわずかな分体を逃がしていたのだった。

 しかし、邪気も魔力もカス程度しか残っていない存在となってしまったアクロウだったが、まだ彼には奥の手が残っていたのだった。


『ライシネル上流に召喚した『グリモワル』、奴らがここまで到達すれば……もしかすればあの娘の力すら手に入れる事が出来るやも……』


 アクロウの邪気によって召喚された『グリモワル』たちは、いわばアクロウの眷属。

 本来はロコモティ、グレゴリールの領を滅ぼす為と、ドラスケを含む連中を陽動する為に召喚したのだが、その辺は怪我の功名とアクロウは考えていた。

 眷属のアンデッドの邪気や魔力を流用して魔導霊王としての力を取り戻す。

 そして再び人々の幸せを、絆を人知れず壊してほくそ笑む……“手に入らないモノ”を壊す快楽を求める日々に戻れる。

 そんな、都合の良い事を考えていた。

 だが、彼は知らない。

 コレから自分は、自分だけは絶望してしまう、最後の断罪が待っている事など……。


               *


 グロガエル共の大群とやり合う事数時間……。

 基本的にやる事と言えば襲い掛かって来るグロガエル共を俺がデーモンスパイダーの糸で捕縛するか、もしくは鎖鎌やダガーで斬り落とし、その後はシャイナスの即席魔法で速攻乾燥をする、の繰り返し。

 とにかく優先するのはこいつ等の足止めと、あわよくば駆除だったのだが……色々と予想外があった事で、何とか目途が付いたのはついさっき。

 気が付くと随分と下流、ほとんど港町まで近くまで到達していて、日もすっかり西へと落ちかけていた。

 と……その辺りでこれまで共に奮闘して来たシャイナスは「約束の時間!?」と慌てた様子で飛び去って行ったのだ。

 ……ま、正直もうやる事は少々の“ゴミ掃除”くらいなモンだが。


「うえ~~疲れた。もうこれ以上は働きたくねぇ……、糸は在庫切れだし」

「これ以上何かしろって言っても無茶だぜ兄ちゃん。俺の船もこれで完全にオシャカだぜ……チクショウ、ローンも残ってんのに」


“カラカラに乾いた真っ黒い足”を何となく手に取り甲板に座り込む俺の呟きに、煙を吹いているエンジンに溜息を吐きながらオッサンが答えた。

 元々調子が悪かったのに、あのグロガエル共から逃げ切るのに限界を越えちまったらしいな。

 俺は世話になった船に向かって、神様直伝の合掌をして冥福を祈った。

 しかしまあ……オッサンには気の毒だが、今回のは正に命あっての物種……何だかんだで悪運が強かったと思った方が精神衛生上良いと思う。


「まあまあ、若くて美人の嫁さん貰った代償がこのくらいだと思えば安いもんじゃ……」


 しかし、俺が努めて明るく励まそうとすると、オッサンはまたもや問題発言を口にしやがった。


「あ~も~、背に腹は代えられん。あんまり世話になりたくなかったが、嫁さんの実家トルバドゥール商会に頭を下げて……」

「ちょっと待とうかオッサン。何か今、王都でも大商人として有名なトルバドゥールの名前が聞えたんだが? まさかオッサン、嫁さんがそこのお嬢様でしたなんて事は……」

「そうだけど? 分不相応なのは分かっちゃいるんだがよ、アイツがどうしても俺と一緒になるって言って……大商人の末娘がこんな個人経営の船乗りなんぞに嫁いで来てよう」

「…………」

「嫁の実家もどういうワケか気に入ってくれて“いつでも援助してやる”とは言ってくれてんだが、端から嫁の実家に頼るもの格好が付かねぇと思っちゃいたが…………どうした?」


 最早何度目か分からないオッサンの問題発言に、俺は遠い目をして言う。

 最後のアドバイスとして。


「オッサン、死ぬんじゃねぇぞ……」

「何が!? 何でそんな不吉な事を言いよる!?」


 ギョッとして文句を言うオッサンだが、俺の予想じゃまだまだ色々なところから嫉妬と言うなの負の感情、邪気を貰っていると見た。 

 ……と、そんな益体も無い事を考えていると、不意に川べりに人影が見えた。

 いや? 人影と言うには余りに存在感が薄く、何よりも人が動くような音が聞こえてこない……アレって。

 俺は反射的に船から川岸に降り立ち、背後から聞こえるオッサンの声を無視して、その人影を追いかける。

 フラフラと、もしも予想通りのヤツなのだとしたら余りに無防備でらしくも無い様子なのが気になるのだが……。

 死霊よりも遥かに魔物としての凄みを感じない、存在感すら希薄……それは修練した者が隠形しているのとは断じて違い……。


「おい、待てよ……お前はもしかして?」

『!? き、きさ……ま、あの娘の……!?』


 死霊の背後を取るとか、随分とレアな体験だとは思いつつ声をかけてみると……希薄な存在感だというのにビクつきながら、昨夜は大言壮語を振りまいていた魔導霊王アクロウはこっちを振り返った。

 邪気も魔力も感じる事の無い俺だけど、昨夜はあれだけ感じていた威圧感も憎たらしさも感じない……しいて言うなら小物感?

 それだけで、こいつが何やら大変な目に合って命からがら逃げだして、現在出がらし状態に陥っている事は察せられた。


「その様子じゃ、どうやらドラスケの宅配は間に合ったみたいだな。ったく、盗賊にお宝を届けさせるとか……持ち主ならちゃんと管理しとけよな~。千年分の追加料金を頂きたいところだが、そこはサービスにしといてやるよ」

『き……貴様、貴様なのか!? 我が封じていた罪人共の魂を唆して連れ出すなど、余計な事を画策したのは!?』


 俺が親切にそう言ってやったと言いうのに、何故か目の前の死霊は呆気にとられた顔になったかと思えば、怒りの形相に変化する。

 が……妙なもんだが、死霊……幽霊とか死者に準ずる者には恐怖を抱くのが普通なのに、どれほど鬼の形相で怒り狂うおうとも、コレに対しては全く恐怖心が湧かない。


「唆す? 俺は本当の事を通訳ドラスケ経由で教えてやったにすぎねぇ。てめぇが千年も根暗に意地汚く陰湿にやって来た全ての事のツケが帰って来ただけだろうが。全部お前がやった事……俺は何も悪くねぇ」

『な……!?』


 ふてぶてしく嗤い、奴が好んでいたハズの事を逆に言ってやる。

 千年間、他人に自分の罪を擦り付ける外道を繰り返して来たクズ野郎が最も言われたくないであろう言葉を。

 ……しかし、言っておいてなんだが、コレのどこが快感なんだろうか?

 酸いも甘いも苦楽も全て自分の責で行い結果を受け止める、稼ぎも損失も命の有無ですら自己責任の冒険者おれたちにとてはクソほど気持ち悪い。

 そんな事を考えつつ、俺は何となく持っていた黒い棒……乾き切ったグロガエルの足を弄んでいたのだが、何やらショックを受けていた様子のアクロウがそれに気が付いた。


『そ、それは……もしやグリモワルの足? 何故そのような……』


 そう言いつつアクロウはライシネル大河に視線を投げて、舌打ちをした。

 グリモワル……それがあのグロガエルの本名らしい。


『なるほど……いつまでもグリモワルの大群が来ないと思えば、またもや貴様が余計な手出しをしていたというワケか』

「ん~~? まあ俺がって言うか漆黒の戦士がっていうか……色々あって大量に干物を作るしか無かったけどよ?」

『クク……下等な生き物が知恵を働かせて乾燥させる事に行き付いたのは誉めてやろう。実際千年前のエルフ共ですら森林を燃やして強制的に乾燥させる事しか出来なかったのだからな』


 毒素をバラまくから下手にバラせない、魔力を吸収して回復増殖しやがるから下手に魔法も使えない。

 やむなく足止めに周りの空気を利用して強制乾燥するしか無かったワケだが……。

 しかしアクロウは俺が乾いた足を持っている事に、何やら笑い始めた。


『しかし甘い……あれらは我が邪気から召喚したアンデッド生物。一端乾燥したところで乾眠に入るのみで水分を取り戻せば数日で復活する! バラせばバラしただけの数がそこから分裂増殖を始める! 我が召喚したグリモワルが簡単に消え去る事は無い、千年前の悲劇が再びこの地に訪れるのは確定で……』

「ふ~ん……千年前に巨大な湖があっという間に汚染されたのは、圧倒的な魔力の吸収と回復、それに伴う増殖なのは予想していたけど……そうか、千切れたか所から分裂もするのか。そりゃ厄介だな~」


 だが、予想に反して俺が全く動じないどころかバカにしたような……ってか、まるっきりバカにした態度で返した事でアクロウは再び黙った。


『……予想していた……だと?』

「ああ、正直今日に限っては下流に至るまでの足止めがメインだったから、干物になったのも川に捨て置くしか無くてよ。あの回復力なら黙ってたら復活するだろうな~って心配はしてたんだが……」


 俺はそこまで言うと、手に持っていたグロガエル……グリモワルの足をそのままライシネルの川へと放り投げた。

 そして枯れ木が着水するような音が聞えたかと思うと、次の瞬間には高速で現れた黒鎧河馬が大量の水と一緒に飲み込んでしまう。


『……は?』


 あまりに唐突な出来事にアクロウは呆気にとられたようだが、グリモワルの足を飲み込んだ黒鎧河馬に変化が……その巨体を覆う黒い鎧、外殻の部分がわずかに肥大し強固になったのだ。

 それが何を意味するのか……アクロウは信じたくないと言った様子で呟く。


『まさか……グリモワルの毒素を取り込み、外殻として強化した?』

「いやいや、凄いもんだな。まさに大自然の驚異! 道理でライシネル大河の魔物は凶暴なハズだよ。まさか浄化処理を担っていたなんてな」

『な、何故だ!? 千年前にはあのような生物はいなかったハズなのに……』

「逆に千年もあったから、じゃねぇの?」


 水を汚染し木々を枯らし生物を死に至らしめる毒素。

 千年前、湖を失う事にはなったが、その名残がこのライシネル大河。

 さっきのヤツの話じゃ、あのグルモワルとやらは相当にしつこいらしいから一度では処理しきれなかったのだろう。

 だが千年も時があれば、自然がその異物に対して対処……いや適応しないワケがない。


「本当にお前って千年以上もここら辺にいたのか? 近くで進化を遂げる奴らがいるってのに、他人を妬んでな~んもしね~でよ」

『お、おの……おのれ……おのれえええええええ!!』

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