第百四十一話 罪深き船乗り

 グレゴリール子爵、シャイナスの親父さんに聞いた千年前にこの地にいたエルフたちが自分達の命の源であった湖を消し去らねばならなかった元凶。

 体液は生物を殺し、水を汚し、大地の木々を枯らす猛毒であり、そして繁殖力が高く何でも食い荒らす水生の魔物。

 名前までは知らないけど、既に川岸で腐り落ちている木々を見る限りソレに間違いない。

 俺は焦る心を何とか落ち着けてライシネル大河の上流、黒く染まった更に先を眺め……ある一定の距離で黒が途切れている、そして広がっているのが主に下流の方向である事に過ごしだけホッとした。


「どうやら無限に召喚する魔法陣とかがあるワケじゃなさそうだ。今出現しているグロガエル共さえ始末出来れば……」


 俺には知りようも無いけどドラスケが巨大な邪気を感知したって事は、これらを召喚するのは膨大な力……邪気が必要なんだろう。

 眼下に広がる魔物は確かに数は多いが、無限に湧き続けさせるだけの邪気を調達するような、王都の精霊神像みたいな仕組みも無さそうだから少なくともあれ以上増える事は無いと思う。

 ……が、ここで少し疑問が浮かぶ。

 千年前にあれらが同じように発生したとして……エルフたちが、人間よりも遥かに魔力に長けて強力な魔法が使えたはずの連中が、何であれらを始末するのに湖を消失させる必要があったのか?

 全部とは言わずとも幾らか保存する事を考えて、各個撃破と言う手段が取れなかったほどに速攻で生息域を広げられたって事なのか?

 自分で自分の首を絞める、自分の大切なモノを壊させる、悪いのはお前だと嘲笑う為に…………そんなクズが呼び出した魔物なら、匹敵する理由があるんじゃないか?


「クソ、あんなのが下流の町まで到達したら祭どころじゃない、どれだけの被害が出る事か! “紅蓮の業火纏いし猛き精霊イフリート、我が手に邪悪なる者を焼き尽くす裁きの炎を分け与えん……」


 そんな風に考えを巡らせていると、不意にシャイナスが呪文の詠唱を始めていた。

 コレは……高位火属性魔法、多分この前レギュレーション違反かました時に黒鎧河馬を吹っ飛ばした魔法、獄炎嵐ヘル・ファイアストーム

 両手に紅く光る魔力を集中させる姿は、何時も詠唱なんぞ無しで魔力をぶっ放すリリーさんと違い、何か新鮮な気分になる。

 普通は魔導師は魔力を魔法として返還する為に呪文を唱える。

 無論詠唱無しで放つ事も可能なのだが、魔法を強力に練り上げたければしっかりと呪文詠唱した方が良いらしく、普通魔導師をパーティーにすると魔導師を大砲として守りつつ戦う布陣をとる。

 似たような事は俺達ワースト・デッドもやるし……。


「地獄より舞い上がれ炎の嵐、獄炎「ちょっと待った!」グム!?」


 が、俺は先手必勝とばかりにデカいのを放とうとするシャイナスに向かって蜘蛛の糸を投げつけた。

 口を無理槍塞がれ詠唱を中断されたシャイナスは、魔力の光を霧散させてしまう。


「な、何をするか貴様! あの醜悪な魔物が下流に達する前に一気に殲滅してやろうと言うのに!」

「ちょっと気になる、って言うか嫌な予感がしてな。兄ちゃん、ちょいと高威力じゃない使える中で最も威力の低い魔法をあのグロガエルに放ってみてくれね?」

「は、はあ? 何だってんだよ……」


 口元に巻かれた糸を引きはがすシャイナスは明らかにイラついた様子だったが、俺の様子に同調してくれたのか、今度は指先に小さな火の玉を出現させた。

 下級魔法“焔玉ファイアブリッツ”魔導師で火属性魔法の遣い手が最も最初に覚える攻撃魔法の代表格。

 人間なら精々軽い火傷程度で済む類の魔法なのだが……。

 渋々と言った風に赤い光の玉をシャイナスが放つと、数秒後には川に蠢く一匹のグロガエルの背中に着弾した。

 その瞬間、黒い皮膚に拳大程度の穴が開いたのが上空からでも見える。

 致命傷とまでは行かなくても、普通なら動きに支障が出るような怪我にはなった様に思えて、シャイナスが少し得意げになった。

 が……それもつかの間の事だった。

 ハッキリ言えばこの予想も外れて欲しかった。

 少なくとも太古のエルフたちのように魔法に長けた種族が“直接”攻撃を加えられなかった理由があったとは思いたく無かったのだ。

 だけど、その理由は目の前で、非常に見たく無いほどグロい現象として証明される。

 ジワジワと、開いたはずの背中の穴が塞がって行くのだ。


「な、何だ!? まさか自己再生能力!?」

「いや……ハハハ……違うぜ、正解はもっとヒデェ……」

「何が……ウプ……」


 正直再生能力までは予測していたが、それ以上の嫌な答え……目撃したシャイナスが吐き気を催すが、仕方がないと思う。

 俺だって盛大に吐きそうだ。

 塞がって行く背中の穴から小さいサイズの、同じようなグロい見た目のカエルモドキが這い出してきたのだから……。

 再生に加えて分裂……俺にはそれしか理解できなかったが『魔力感知』を備えたシャイナスには別の事が見えたようで、更に顔を青くする。


「う、ウソだろ? 僕の魔力を吸収した上でそれを利用して自分の肉体を分離、増殖した? な、なんなんだよあの生き物は……」

「魔力を利用した上で増殖…………なるほど、そういう事か」


 逆に俺は妙に納得してしまった。

 千年前エルフたちは、この魔物を駆除しようと考えた際に手っ取り早くシャイナスと同じように広域に効果のある高位魔法を使ったのだろう。

 その結果、さっきの下位魔法とは比べ物にならない量の魔力を逆利用されたのなら……初期段階で取り返しのつかない大増殖が起こっていただろう。

 文字通り、自分で自分を苦しめる結果として……。


「もしも止めて貰わなかったら、僕は取り返しのつかない事を……」


 今になって自分が引き起こしたかもしれない事態に思い至り、シャイナスは素の言葉に戻りガタガタと震えだした。

 まあ無理も無いが、今コイツに落ち込まれても非常に困る!


「やらずに済んだんだ。気にするなとは言わねーけど、ラッキーくらいに思って置けや。それよりシャイナス、真下を見な! あのグロガエルの進行方向に運搬船がいやがる!!」

「う、え!? 運搬船!?」


 流れに沿って下る黒い集団、その途中で明らかにアレ等を発見して慌てて方向転換、逃げようとしている運搬船が眼下に見えた。

 ……って言うか、あの運搬船って。

 上空にも船の船頭が切羽詰まった様子で慌てる声が聞えて来る。


「クソオオオ! 何なんだよあの気持ちわりぃ化物!? 今回は魔物素材どころか積み荷一つ積んでね~のに!!」


 慌てて方向転換して下流に逃げようとしている船、それは先日俺達が護衛に雇われて黒鎧河馬に襲われた運搬船だった。

 見覚えのあるオッサンが慌てふためく中、運搬船に追いついたグロガエルが数匹水面から飛び掛かるのが見えた瞬間、俺はシャイナスの足から手を放し、そのまま運搬船の甲板へと降り立った。

 着地は鳥の如く、羽の如く柔らかく、地面にすら衝撃を感じさせないように出来てこそ一流……甲板に降り立った俺は自重の衝撃で船を揺らさなかった事にホッとしつつ、そのままザックから鎖鎌を取り出して分銅を全身で振り回した。


「ゲボ!?」「ガバ!?」


 回転、遠心力で威力を増した鎖分銅がぶち当たったグロガエル共は悉く川へと転落していく。

 しかし一時的な被害を出さなかった事は良いのだが、俺は分銅が当たった瞬間の手応えに違和感を感じていた。

 普通なら骨折は免れない程の威力のハズなのに、当たった感触は柔らかくブヨッとしていて……手ごたえが余りに無かったのだ。


「やばいぞコレ、絶対ダメージが通っちゃいねぇ……」


 自分の攻撃力が本職近接戦闘よりも低い事は重々承知だが、今の状況は本格的にヤバイ。

 通用する威力を出せるシャイナスの魔法は増殖を促し、俺の攻撃は牽制するくらいが関の山……それは倒せる方法が無いって事なのだ。

 何でもない状況なら速攻でトンズラ決め込む類の魔物だ。


「あ、アンタは、この前の盗賊の兄ちゃん!!」


 どうやら唐突に現れた俺の存在にようやく気が付いたらしいオッサンが、少しだけ希望を見出したような顔になっていたが……こっちとしては反応に困る。

 なんせ勇んで助けに入ったものの、助ける算段が思いつかんのだから……。


「オッサン、アンタまた厄介な魔物に絡まれやがって……何か罰でも当たる事したんか? 星のめぐりが悪過ぎんぞ?」


 俺は焦りを誤魔化す為にそんな事を言ってみたが、オッサンは心外だとばかりに言い返して来た。


「し、失敬な!? 真面目一筋船乗り30年! 悪い事なんぞ何一つせず四十路を超えた今、ようやく最近貰った16歳の嫁さんを可愛がるのが生き甲斐の人生に何の罪があると言うのか!?」

「……ちなみに嫁さんは美人?」

「当たり前だ! ナイスバディで俺っちにベタ惚れで、しかも料理も上手く人当りも良い最高の嫁さんだぞ!! 俺はこんな場所で死ぬワケにはイカン!!」


 髭面で日焼けした40オーバーの筋肉親父が二十歳前の、しかも自分にベタ惚れな可愛いお嫁さんを貰って、帰りを待っている……か。

 うん、コレは……ヤバい……死ぬかも……。


「オッサン、アンタ大罪人だわ……弁護は期待できねぇ」

「どういう事だよ!?」



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