第百二十七話 それは中洲に引っかかったゴミのように
それから結局、しっかりと朝食をとる事になったカチーナさんであったが、自戒を自ら破る罪悪感と食欲の間で揺れ動き、しかし結局欲望に身を委ねてしまった自分にぜつぼうしつつ……しかし背徳に堕ちて行くみたいな。
飯食ってるだけなのに妙なエロさを発揮する表情に、しばらく観察していたい衝動に駆られたりもしたが……割愛。
俺たちは今度はグレゴリール領の領主屋敷へ
お目当ての場所はここから一山超えたくらいにあるらしく、そこに件の『太古の遺跡』とやらもあるらしい。
「しかし仲違いしている貴族の領地だって言うのに、領主の館が互いに近すぎませんか? 防衛の観点から考えても山一つしかない距離に拠点を構えるなど……」
「それについては同感だ。喧嘩や小競り合いどころか、過去には戦争すら起こしてんのに互いにこんな場所に拠点を構えている意味が分からん」
元本職のカチーナさんが疑問を抱くのは当然だが、軍略なんて知りもしない俺だって最も簡単な防衛の方法が距離だって事くらい分かる。
昨夜忍び込んだロコモティの屋敷は相当に防衛に力を入れていて、いつでも臨戦態勢を取っていた。
これが戦時中であり、どちらが落ちても不思議ではない総力戦であるとかなら分からなくも無いが、歴史書曰く両家の仲違いは300年は続いている。
歩いて精々一日くらいの距離らしいが、それにしたって不可解な……。
「最初のうちは家ぐるみで仲良しだったからじゃないの? それこそ日常的に交流もあっただろうし。仲違いが始まってからは逆に“先に住処を変えた方が負け”とか思って意地になっているとか?」
「んな子供のケンカじゃあるまいに……」
リリーさんの見解に、俺はさすがに苦笑してしまう。
だが港町の大通りに差し掛かった辺りで聞えて来た声に……俺は言葉を失う。
「あらあら、相変わらずみすぼらしい格好ですのね? 学園の制服の方がまだ見れる姿でしたのに。それともグレゴリール家の方には服装のセンスが無いのでしょうか?」
「は! 貴様こそ地元に帰ると本来の趣味の悪さが露見するものだ。校則に守られていた方が髪型も服装も貴族としての礼節が保てるというのに」
「何ですって!? どうやらお家が貧しいと礼儀作法まで貧しくなるのですのね!!」
「貴様! 成り上がりの親の七光りで勘違いしているだけの、悪趣味の分際で!!」
港町の大通り、人々の行き交う往来で、ほとんど昨日と同じような絵面で罵り合う両家のご子息ご令嬢……。
一応両家の未来を担うはずの二人がやっているのは誰がどう見ても子供のケンカでしか無かった。
う~む、アレを見る限りじゃ300年間の間領地を変えていないのも意地の張り合い、子供のケンカの延長なのかもとか思ってしまう。
しかし道行く人々が二人の罵り合いを温い目で流していく中、不意にナターシャが言葉を切ると懐から一通の封筒を取り出し、ジャイロ《シャイナス》へと投げつけた。
器用にフワリと飛ばした封筒はジャイロの足元に落ちる。
あ、あれはまさか……。
「このまま言い合いしていても埒が明きませんわ! 決戦の日をその便せんにしたためましたから、その日取り、その場所において我らの長年の諍いに決着を付けると致しましょう!」
「ナターシャ嬢……君は本気で言っているのか?」
「ふん、学園では学年トップの魔力であるなどと威張り散らしておいて、まさか私のような婦女子の挑戦を受けれないとでも?」
「……貴様」
手紙を拾い上げて睨みつける男と視線を外さない女。
そんな場面なのに流れているのは甘さなど全くない、血潮滾る炎が如き対決の闘志。
あの手紙の中身が昨日彼女が書庫でブツブツと書きしたためていたモノだとするなら、アレは暑中見舞いではないし、ましてや恋文である事もあり得ない。
言葉の意味、内容の大半は理解不能だったがただ一つハッキリしていたのは明確な敵意。
「果たし状ってヤツなのか?」
「「は、果たし状!?」」
俺の呟きにカチーナさんもリリーさんも驚愕の表情を浮かべる。
まあそりゃそうだろう、性格や行動はともかくとして、ナターシャ本人は典型的な貴族令嬢にしか見えない。
曲がりなりにも『黒鎧河馬』を爆発させるほどの魔法を使えるシャイナスに比べるべくもなく勝負になるとは思えない。
もしかしたら膨大な魔力でもあるんじゃ? そう思ってリリーさんに視線を投げると彼女はこっちの意図を察して首を横に振る。
「魔力の観点からってんなら、あのイタイ男はそれだけならかなりのもんだ。“一般人レベルの魔力しかない”あのお嬢さんじゃ勝負にもなりゃしない」
「歩き方からしても、貴族令嬢特有の礼儀作法は身に着けていますが、戦いに必要な筋力も技術も持ち合わせてないのは……ギラル君も想定しているだろう? 本当に果たし状なんですか?」
武と魔の専門家がそれぞれ戦える実力皆無の太鼓判を押してくれる。
まああ俺もそう思ったし、単純な勝負だったらド素人のあの男が無遠慮に大火力魔法をぶっ放しただけでも勝負は付くだろう。
なのにあんな手紙を叩きつけるとは……。
「何か勝算があるって事なのか? それとも違う意味でもあるんだろうか?」
昨日の文面、ナターシャの独り言を思い返している間にも二人の口論は続いていた。
シャイナスは手にした手紙を一瞥すると、「ふん」と鼻を鳴らしてからしっかりと手紙を畳み直して封筒に入れ直し、懐にしまい込んだ。
もしかしてあの手紙の内容を理解できず、意味不明と嘲笑ったかと思いきや……シャイナスはそのまま指を突きつけて宣言する。
「なるほど、貴様の意図は重々理解した! この場所にこの日、この時間に我らの雌雄を決しようと言うのだな。良いだろう! 受けて立とうではないか!!」
「ふん、下賤な貧乏貴族とは言え、その気概だけは認めましょう。精々その日まで首を洗って待っている事ですわ!!」
そのやり取りに俺は思わずズッコケそうになった。
手紙の内容は確か『我が宿怨の天敵、不俱戴天の怨敵よ。貴様に再び燃え盛る季節が訪れる事は無いと知れ』『熱き海洋の民が最も燃え上る夜、月光降り注ぐ精霊の御座が貴様の最後の地となろう』『我が大いなる光により貴様の邪悪な凍てつく魂は燃やし尽くされる事だろう。我が全てを掛けた最後の聖戦、臆して受けぬ腰抜けでは無い事を願おう』だったか?
この内容をどう聞けば日付どころか時間まで分かるってんだ!?
予言書の未来とか家同士の確執がどうとか以前に、結局通じ合っている気もしてくる。
「やっぱこいつ等、どうやっても相性良いんじゃね~の?」
*
ロコモティ伯爵領の港町『ツー・チザキ』からグレゴリール領の主要地域『レガルヤ』までの道筋は山を一つ越えると言っても一本道。
ただその道も最低限の舗装がされた森林、森の中を行くような感じで、直射日光を浴びずに木陰を行けると思えば聞こえはいいけど、逆に言えば木々に覆われた場所は声が響かず迷いやすく、魔物や野盗なんかの捕食者にしてみれば格好の狩場だ。
無論こういう場所こそ索敵能力を持つ者が重宝されるのだが、俺の『気配察知』にもリリーさんの『魔力感知』にも今のところ引っかかる外敵生物の存在はない。
サワサワと木々を揺らす爽やかな風が心地いい。
今のところは軽いピクニックのような気分で俺たちは歩いていた。
「ふむ、ここまではほとんど水路、船での移動だったから……やはり地に足を付けて歩く方が私には性に合っていますよ」
「カチーナさん、別に船苦手ってワケじゃ無いでしょ?」
「苦手じゃないのと好むかどうかは別問題ですよ。南部領に来るのは王国軍での任務でしたから、少しは堪能したいところですしね」
そう言いつつカチーナさんは「ん~」と軽く伸びをした。
一見気を抜いているようにも見えるが、その実彼女もしっかりと辺りを警戒しつつ歩いている。
その上で体も心もリラックスできるタイミングでは適度に抜く事を心得ているだけだ。
この辺のメリハリを付ける事は実に難しい。
肉体と同様に精神も急激には動かせないし、止められないものだ。
この辺のオンオフを自力で行えるように鍛えるのは王国軍でも冒険者でも変わらないが、冒険者と違って軍は訓練のカリキュラムに採用されているらしい。
平たく言えば軍人として高いレベルにある者には“二度寝の誘惑”も“明日が楽しみで寝られない”という事も無いという事。
「……そんな訓練された人なのに、なんであんなに酒には弱いのかな?」
「……何か言った?」
「いや、何でも」
呟きが聞えたようで、俺はカチーナさんに曖昧な笑顔で返した。
その辺を下手に追及するのは野暮ってものだろう。
色々と役得が無いとは言えないし……。
「へえ、カチーナもこの辺は来た事あったんだ。アタシもシエルとロンメルさんと一緒に異端審問で来た時以来かな?」
そうしていると先行していたリリーさんが振り返って会話に参加して来た。
「数年前の事だったけど結構面倒な輩が多かったのを覚えてるね。単純に精霊神教の教えに疑問を持つくらいなら大目に見てたんだけど、完全にそいつらは野盗とか悪徳領主に繋がって過激な思想を実行しようとしてたからさぁ」
「普通だったら教えに疑問持った事言った時点でアウトじゃね~の? 元聖職者」
「アタシらがそんなに真面目な輩だといつから勘違いしてたのかしら? 3人中2人は説法よりも拳を重視する類なのに」
うん、愚問だな。
リリーさん含めたあの三人は異端審問官にして最強クラスと言っても過言じゃないくらいだけど、そっち方面の成績は教会では相当に悪かったらしいからな。
「アンタ等脳筋3人組が活動するって事は、相当な悪人だったって事だよな」
「ギラルく~ん、今ナチュラルに私も脳筋指定したかな? 言いたい事は分かるけど納得いかない所もあるんだけど~?」
「いてて……痛い痛い」
言いつつリリーさんは狙撃杖のとがった部分で俺の頭をグリグリやり始めた。
別にバカにしたワケじゃないじゃないんだか、あの中では参謀役であった彼女は自身が脳筋ではないという自負があるらしい。
ヤツらを操縦できる時点で十分に……いや、すみません、もういらん事考えないんで更にグリグリするのは止めて……。
「ふん、まあ言う通りよ。精霊神教を語りながら略奪やら密輸やら人身売買やら……悪い事にその時の首謀者が赴任した精霊神教の聖職者だったものだから、シエルがそれはもう荒れて荒れて」
「うわ……」
「殴られて血を吐き出しては回復、足を踏み折られては回復、ろっ骨をへし折られては回復……泣き叫ぶ母子を引き離して奴隷商に売り飛ばそうとしていたヤツだったけど、最終的にはそいつが泣き叫んでたわね“一思いに殺してくれ”って」
思わず想像して、俺は『光の聖女』に折檻されたであろう件の聖職者に悪人とは言え哀れに思った。
俺にとっては母親役で師匠でもあったミリアさんもそうだけど、光属性の回復魔法を使える、しかも格闘技を身に着けた者は性格は別にして実に拷問に向いている。
優しく清らかな外面に騙されてはいけない、むしろ普段優しいからこそ他者を害する悪人に対しては容赦がない。
「しかし考えると以前から南部領での事件の件数は多く思えます。王国軍での出動が多かったのは北より南、しかも魔物でも犯罪者でも目立つと言いますか……」
「オウン山脈に隔てられたザッカールにとっちゃ、南は唯一の陸路の玄関口だ。色んなヤツが集まるって事は色んな悪人にとっても旨味が多いって事なんだろうさ」
その渦中に自分の故郷すら含まれていて、挙句皆殺しにされた俺としては納得できないが、それが表面上の常識的な見解に思えた。
しかし俺がそういうと、今まで黙っていたドラスケが不意に口を開いた。
『それだけではないだろうな。この南方に悪人が集まりやすいのは』
「あん? どういう事だよ」
『お前が言うように様々な他人同士が集まるから悪人も悪事も集まるという考えは一理ある。人が多ければその分だけ邪な感情も集まりやすいからの。だからこそそういうところでは邪気が発生しやすい』
「ん……まあそうか?」
『前にも言ったが、邪気は微弱だと不快感を覚え他者に敵意を持ちやすくなったりする』
邪気……俺も最近になって知った概念だけに警戒はしつつも、どこぞのなんちゃって王子みたいに凝縮、具現化させたもの以外は見る事も出来ない、結局は理解できない力。
聞く限りでは生物が持つ憎悪や恐怖、嫉妬や絶望などの負の感情の塊で、死後強烈な感情が集まるとレイスやゾンビなどのアンデットになってしまう。
ただそんな風に強烈な未練などが無くても邪気は発生し、生者が強烈な邪気に侵されれば邪人、魔物と化してしまうが、微弱な邪気の中では不快感を感じやすくなる。
優秀な意思を持つアンデッドにより教えて貰った知識の一つだ。
『見えないお主らには理解しようも無いだろうが、邪気も空気や水と同じく流れを持つ。ただ特性として邪気は下に滞りやすい性質を持っておるのだ。まるで汚泥のようにの』
「まるで湿気やカビみたいな特性だな」
『言っては何だが、それも間違っておらん。じめじめした暗い場所を好む辺り、我のようなアンデットと親和性が高い』
若干の冗談のつもりだったのに全く否定もしない言葉が返ってきて、むしろ言葉に詰まってしまった。
つまり邪気を溜めない方法はしっかりと掃除して風通しを良くする……って事か?
『邪気は黙っていても時間が立てば大地に散って行く刹那的な感情の塊。普通であればほおっておいても滞る事は無いが、この国には他とは違う特性があるだろ?』
「普通とは違う邪気の特性って……」
言われて真っ先に思いだすのは、国王が黒い何かに取り込まれて行く悍ましい瞬間。
生ける屍と化してしまったヤツの最後は未だに思い出したくもないが……ドラスケが言いたいこの国の邪気に関する特性と言えばあれしか思いつかなかった。
「邪気吸収装置、エレメンタルの『精霊神像』の事?」
話の中に自分の古巣が出てきてリリーさんが複雑そうな顔を浮かべたが、ドラスケはご名答徒ばかりに頷く。
『その通り。あの『精霊神像』の邪気吸収の力は異常でな、それこそ王都全ての邪気を吸収してしまうくらいにのう。そんな吸収力を持っているのだから、当然周囲の邪気も栓の抜けた風呂釜のようにゆるゆると流され集まって来る』
「言い得て妙な……」
『穴の中心に近いところは当然勢いがあるが、外側になればなるほど勢いは弱くなっていく。そして南は邪気が発生しやすい状況にあるのに、王都との間にアレがある』
「……山?」
ドラスケの白い指が刺した先にあるのは森林生い茂る山々。
実際王都から陸路で来ようと思えばあの山を抜けて来ることになるのだから、中々の労力を要する事になる。
『さっきも言ったが邪気は王都に向けてゆるゆると引っ張られるが、その途中に山があって汚泥の如き邪気は中洲に引っかかったゴミのように溜まって行ってしまうのだ』
「王都に引っ張られるせいで邪気が?」
『犯罪者共の全てがその原因とは言わんがな。邪気は邪な者を誘引しやすく、邪な者は邪気を生み出しやすい。そのせいか邪気が溜まった場所は“邪気溜まり”ともいうべき場所が至る所に出来ておるのだよ』
……より一層嫌な予感がする。
またしても過去の王国、人間が余計な事をしたためのしりぬぐい的な。
「ドラスケ。あんまり聞きたくないんだがよ……その邪気溜まりが、ここいらで一番ひどい箇所は分かるか?」
俺はハッキリ言ってドラスケに否定してもらいたい気持ちを込めて聞いてみた。
しかしドラスケの答えは無情……坂道を超えた時に眼下に見えた“ソレ”を指差してハッキリと言ったのだ。
『あそこだな。町の近くではあるが遺跡のようにも見える……』
歴史書にも記されていた、最も怪しい思っていた場所が特に確認もせずに見つかった事に全く喜びは湧いてこない。
むしろドラスケの解説でその遺跡が意図的に建設されたようにしか思えず……深い、不快溜息が3人同時に漏れた。
「何で両家の諍いの発端が、これみよがしにそんな場所にあるんだよ……」
「今更王国が非道を繰り返して来た歴史は変わらないという事でしょう。生贄を元に邪気を無くす事を考えるなら当然……」
「邪気を利用する事も考えるだろうねぇ~。おまけにあんな風に遺跡が残されている以上、確実に精霊神教も絡んでる事案でしょ、コレ」
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