第百二十二話 我は地縛霊

 そうこうしている内に日はすっかり西へと沈んで行き、結局昼に潰れてしまったカチーナさんは目覚める事も無く夢の中。

 やっている事は昼から酒に酔ったダメ人間のようで、それをやったのが仲間内で最も育ちが良く普段は真面目ちゃんな彼女である事に笑えて来る。

 明日の朝必要以上に落ち込んでなければいいけど……。

 付き添いで残る事にしたリリーさんの「気を付けてね~」という軽い応援を受けて、俺は港町からちょい高台に位置するロコモティ伯爵の屋敷へと向かった。

 しかし近くに到着してから『気配察知』でおおよその人員やら屋敷の構造やらを把握しようとして見たものの、思いのほか屋敷の敷地は広いようで……俺の索敵範囲では収まりきらない。

 そこで同行して来た小さな相棒ドラスケが上空から屋敷を偵察してくれる事になり、数分間夜空を音も無く滑空してから俺が潜んでいる岩陰へと降り立った。


「……どんなもんだった?」

『ふむ、屋敷の外観は典型的なもんであるな。コの字型の3階建て、両サイドに物見塔があって監視しやすいようになっとる。丘の上から港町はよ~く見えるだろうな』


 その辺はハッキリ言えば予想通り、ここから見た限り外観でも判断が付く。

 ただドラスケの勿体ぶった言い方に別の問題点がある事が予想できた。

 コイツ自身生前は戦士だっただけに戦闘における陣形やら要塞やらの見識は高く、こういう侵入とか疚しい行動の時には重宝する。

 あくまでも戦場で暴れる為に突っ込むための見識だった事で、生前は出世に響き司令官などの立場になる事は無かったらしいがな。


「んで、ドラスケさんや。仕事に問題ありそうなのは何だ?」

『まず単純に広さが問題だな。都市部の貴族は、田舎は土地が豊富とか馬鹿にしたがるだろうが、少なくとも直径で1キロはあるな。お前さんの索敵範囲を優位に超えるのう』


 1キロ……王宮よりは小さいけど屋敷の範囲としては王都のどの屋敷よりもデカい。


『それで大半の敷地を占める庭だが、大半が畑であった。ここの家主は相当に戦慣れしているのであろうか?』

「畑か……他には?」

『一応雑木林と庭園が囲んでいるが中心部はほぼ畑、そして屋敷を囲む数十メートルは石畳と芝生である』


 元武人のドラスケは感心したように言いやがるが、俺は正直頬が引きつるのを止められない。

 貴族の庭園というのは自身の権力を象徴し、戦闘から縁遠く権力欲と虚栄心を満たしたいだけの貴族であれば、それこそ豪華で美しい外観を重視しがちなものだが……庭園の本来の目的は防犯、もっと言えば奇襲をかけやすくするための生垣。

 王宮なんかは正に代表的で庭園の各所、侵入者から見えにくい場所に兵士が隠れ潜んでいたものだ。

 そして畑……何にも分からない平和ボケな貴族なら、田舎臭いだの美醜も知らないだのバカにしそうだが、敷地内に食料を育てられるとういうのは単純にいつでも籠城出来るという事になる。

 そして聞く限り畑は人の背丈より低く等間隔で育てられていて、非常に庭園を抜けた侵入者は身を顰めにくく、そこを抜けても屋敷までの間はほぼ何もない芝生……何とかそこまでたどり着けても屋敷の上からでも見えやすく狙いやすい。

 明らかに侵入者を殺せる布陣……いつでも戦争が出来る構えを敷いているという事になるのだ。


「長年お隣のグレゴリールと喧嘩してるとは聞いてたが、ここまで用意周到に準備されてんのかよ」

『屋敷に結界が無い場合での模範的な防犯体制であるな。侵入される事まで織り込み済みで最初から警戒する』


 結界が無い。

 それは侵入する側にとって利点のようでもあるが、個人的にはそうでもない。

 属性に準じた結界を扱える魔導師は高位の貴族たちに召し抱えられる事が多く、王宮なんかはその最たるものだし、ファークス家みたいに有事に際に教会に献金して臨時で強力な結界を張って貰う例もある。

 確かに結界というのは侵入するのを困難にする安全装置ではあるが、逆に言えば守る側に油断を誘う原因にもなる。

 破られた場合は術者に知覚されてしまう事から、気が付かれずに侵入を許してしまっても“結界が破れていないなら大丈夫”と思ってしまうからな。 

 だから、最初からそんなものに頼る気も無い連中の場合は警戒心のレベルが違う。

『気配察知』で確認できた屋敷の周辺を巡回していた兵士の数は3人まで……全体を把握できなかったからその数は最低でも倍はあると踏んでいたが、俺が最も警戒するのは。


「兵士の練度はどんなもん?」

『上空から見付けた兵は5人ほどだったが、ほぼ音を立てていないはずの我の気配に気付きそうになった者が2~3人はおったな。中々に鍛錬を積んでおる』

「……厄介な」


 諜報の為の侵入で最も大事なのは当たり前だが見つからない事、それについては兵士の強弱はあまり関係ない。

 喩えその兵士が弱く倒せたとしても、別の兵士に見つかって警戒でもされたら意味がないからな。

 盗みの為に混乱に乗じたいならやぶさかでは無いが、諜報の場合は向こうに日常を崩して貰っては困るのだ。


『どうするギラル、屋敷外で騒ぎでも起こして陽動でも仕掛けるか? それとも本日は諦めて別の策でも練るか?』

「む……」


 陽動か……ザックにはいつもの『煙幕』もあるし、確かにソレも一つの手だが……逃走ではなく今それを使うのは気分じゃないな。

 結界のすり抜けとかじゃなく単純な技量による侵入……そんなシュチュエーションは結構久々である。

 ちょ~っとテンションが上がっても良いんじゃないかな~。


「かくれんぼは盗賊にとって技量の一つ……ここは正面からお邪魔するのが礼儀だと思うんだが?」

『……ヤレヤレ、そういう姿勢はお前らワースト・デッド共通の良くも悪くもある気質よな。嫌いではないがの』


 ニヤ付く俺に呆れ気味なドラスケだったが、止める気も無いようだ。

 月光に照らされた岩場には風と虫の声以外聞える音は無い。

 俺はゆっくりした足取りでロコモティ伯爵の屋敷の正門へと向かった。


 ……門番は一人、動きやすい鎧を着た壮年の男で手には槍斧ハルバードを持っている常時緊張感を持っているワケでもないけど油断しているワケでもないナチュラルな姿勢で立っている。

 今のところ俺の存在に気が付いた様子はないけど一目で手練れである事は分かる。

 重い鎧や武器を自然体で使いこなせるというのはそれだけでも大きなアドバンテージだ。

 正直直接の戦闘は避けないと今後に差し支える。

 そう思いつつ門から一番近い木の陰にしばらく潜んでいると、門の内側からもう一人同じような格好をした兵士が現れ、件の男に声をかけて来た。


「オッス、お疲れ。異常ないか?」

「お、ようやく交代の時間か……今のところは何にもないな。猫のケンカすら見かけない。そっちはどうだ?」

「庭園の連中が物音聞いたって言ってたけど、なんか大きめの蝙蝠らしいな。屋根から飛び立つシルエットを見たとか何とか……」

「はは、蝙蝠でも逐一報告とか仕事熱心なヤツらだな。あのお嬢様の手前やり過ぎとも言えないけどな」

「警戒自体は間違っちゃいない……けどお嬢様の要求はある意味王国軍並みだよな~」

「ちげぇねぇ。腕っぷしも学園にいる間にすっかり上げちまって……ケンカ相手には不自由して無くて何よりだが」


 大きめの蝙蝠ってのはドラスケの事だな。骨組みでスカスカなアイツは羽ばたきの音すらしないのに気が付かれている。

 そしてお屋敷の令嬢と思しき人物の評価に、これまたシャイナスの時と同じような違和感があった。

 シャイナスの大切な人だったナターシャ嬢は予言書ではお淑やかな、平民であるのに深窓の令嬢って言葉が似合いそうな女性だったのに。

 昼間の態度と言い兵士たちの評判と言い……どちらかと言えば俺の良く知る女性たちに似通った気質を持っているようにも思える。

 となると、ここから最も警戒すべきは……。


「それじゃあよろしく頼むぜ。夜勤が明けたら何時もの店で一杯やろうや」

「お、いいねぇ。他の連中にも伝えといてくれよ」



 おっと、考え事をしている場合じゃない。

 俺は軽口を叩き合い兵士たちが交代の為に門を開いた一瞬を付いて、交代して敷地内にある休憩所に戻ろうとする兵士の背後に張り付いた。

 隠形の究極でもある気配を極限まで希薄にして相手に見えているのに、そこにいるかどうかすら“意識させない”技法。

 意識の外を狙って動くのはスレイヤ師匠に叩き込まれて来たが、この技法は調査兵団団長ホロウの得意技……俺は分かりやすく『蜻蛉かげろう』と呼んでいる。

 感情を瞬時に押し殺し、気配を極限まで絞り自らの存在感を希薄にして行く。

 盗賊にとって身に着けるべき基本の技術だが、この時だけは魔法を行使できない俺でも魔力を多少操る事になる。

 それは別に魔法を使えるとかではなく、魔力すらも小さく矮小に思わせるほどに気配と共に絞り込む事だ。

 どんな生物でも小さくても魔力は存在するから、リリーさんみたいに『魔力感知』を使える者には気配を断っただけでは気が付かれてしまう。

 魔法を使えるようになれなくても魔力を大きくする事は出来なくとも、魔力を小さく絞り込む事だったら不可能じゃない!

 ただ不可能じゃないけど、俺がこれを実行できる時間は精々数秒間……常時行っているホロウ団長はやはり化け物なのだ。

 気が付かれても人間ではない、小さな羽虫程度に思われる程気にされないほど存在感を希薄にする事が肝心なのだ。

 俺は石ころ……俺は羽虫……俺は幽霊……。

 あらゆる気にされない存在になり切る気分で気配を殺し、俺は兵士と一緒に門の中へと入り込んだ。

 その間10秒足らずではあったが、確実に兵士たちの目に移ったハズなのに全く気が付かれなかった事に軽く高揚感を感じて……慌てて心を静める。

 ……イカン、感情を押さえろ……喜怒哀楽など羽虫には存在しない。

 本番はもっと先なんだからな。


「…………」


 コツコツと石畳の上を歩く兵士の背後、月光に照らされた男の影に潜みながら男と同じ歩幅で気配を殺しつつ歩く。

 隠形にもレベルがあり、さっきのような『蜻蛉』程では無いが盗賊の基本である『猫足』で足音をほぼゼロにして誰よりも兵士の男に気が付かれないように。

 何故こんな危険極まるストーキングをするかというと、庭園を抜けて、菜園を抜けて……屋敷の周辺の芝生地帯に至った時、そこが一番侵入の鬼門になる。

 単純な話で、そこには“何もない”からだ。

 どんなに隠形に長けていても、意識出来ないほど気配がつかめなくても、物体がそこにある限りは影は出来てしまう。

 それだけは光がある限りはどうしようもない事実だ。

 今日が新月や曇りなら他の手も考えたけど、残念ながら今日は満月……夜でも影くらい余裕で出来る灯がある。

 だからこそ、敷地内を歩いても問題ない彼の影に隠れさせてもらうしかないのだ。

 ……神様が俺の今の姿を見たら何て言うかね?

 一度灯も付けずに部屋にいて驚かれてしまった時に『驚かすな! 地縛霊かお前!?』などと言っていたのをふと思い出した。

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