第百七話 日本では井の中の蛙……

 隙の無い流れるような所作……幼いながらイリスの所作は精練されていて、まるで良いとこのお嬢様の如く様になっている。

 変な話、今まで出会ったどの『聖女』よりも見習いで幼い彼女の方がよほど聖女らしく感じてしまう。

 まあ今まで見て来た『光の聖女』やら『大聖女』やらがアレだったのが問題なのだし、彼女自身もさっきは率先して元先輩に対して容赦なく関節技を極めるくらいだったから第一印象が連中と同等だっただけにギャップもあったからな……。

 そんな事を考えているとイリスはススッと優雅に、しかし足音も立てずに俺の方へと寄ってきて、今度は明らかに俺個人に対して深々と頭を下げた。


「貴方がギラルさんなんですね? シエル先輩から聞き及んでます。貴方のお陰で先輩も姉様も無事に帰って来る事が出来たのだと…………心からお礼申し上げます」


 その所作は貴族関係の礼節なんぞよく知らない俺であっても美しく、そして固い正式なお礼の言葉って感じで……堅苦しく緊張してしまうほどだ。

 ただ感謝の意はこれでもかと言う程に伝わって来て、彼女にとってシエルさんやリリーさんがどれ程大切な人たちなのかは分かる。

 本当に……トロイメアの村でリリーさんを失わなくて良かったと心から思う。


「いや、まあ気にすんなって。あの時はこっちにとってもあの二人がいね~と生き残れないって状況でもあったし、言うなれば持ちつ持たれつってヤツだったからな。リリーさんが教会にいられなくなったのは残念だったがよ」

「それは……仕方がない事です。個人的には教会上層部に不満しかありませんが、姉様があのまま教会に残っていても良い事は無いと判断した大聖女様のお考えは分かります」


 リリーさんの脱退について話が及ぶとイリスは途端に眉を顰めるものの、理由については納得しているようである。

 ……なんだ、普通に良い娘じゃん。

 

「なら再会の時にゃあ、もうちっと手加減してやりゃ良いのに。回復魔法が必要なくらい締め上げんでも……」

「ソレはソレ、コレはコレ……折ったり落としたりはして無いのですからセーフです。事情は分かりますけど事前も事後も何一つ教えずに姿をくらますのですから! ……私が何もできない事は理解してますけど」


 そう言いプンプンと音が出そうに顔を膨らますイリスは年相応な愛らしさが見え隠れする。リリーさんが説明を怠ったのは面倒とかというより、可愛い妹分に顔を合わせ辛かったってのが本音じゃね~か?

 怠ったって結果については擁護に仕様もね~けどよ……。


「うし……挨拶はその辺にして、イリス……で良いかい?」


 呼び名について確認すると彼女はさっきよりも格段に表情を崩して頷いた。


「君の体術はギルドで軽く見せて貰ったから良いとして……得物は何を使ってんだ?」


 単純に冒険者に限らず旅を主体に動く者で完全な無手というのはあり得ない。

 戦闘においても無手が武器に勝るなど、そうとうな実力差が無ければ不可能な所業なのだから。

 俺にはそれを可能にする化け物が脳裏に二人浮かび上がるけど、アレは本当に例外中の例外……身体強化魔法に優れた大聖女ジャンダルムや光の聖女シエルさんだって普段から武器を携帯している。

 ただ冒険者と違って教会関係者は『聖騎士』以外の刃物を武器とする事を禁じているから基本的に武器はメイスやハンマーなどの打撃主体の鈍器が多くなる。

 まだ魔力のブースターと併用して魔法杖や錫杖を鈍器として扱う連中も多い。

 リリーさんのように特殊な事情で『狙撃杖』という特殊兵器を手にした輩もいるけど、魔力を弾丸として飛ばす辺りえれは魔法杖の類に当たるだろう。

『預言書』では今のシエルさんくらいには成長していたイリスはシエルさんから受け継いだ金属の錫杖を使い、見事な棒術と魔法による補助で勇者たちをサポートしていたはずだ。

 シエルさんが闇堕ちしておらず、愛用の錫杖を手放していないのだから今は自前の錫杖でも持っているのかと勝手に思っていたのだが……意外な事にその予想は外れていた。

 俺の問いに答えるようにイリスは背中に担いでいた二本の棒状の物を手に取り、構えて見せた。

 両手に持った金属製のT字状の棍棒。

 近接専用の武器だが遠心力を生かして接近しても効率よく打撃を与える凶器。


「トンファーか!」

「あら? ご存じでしたか……王都では結構マイナーな武器に当たるのですが」

「実物は初めて見るけど、師匠が一時期武器に凝ってた頃があってな……小回りと素早さにかけては凄まじいとな。ただ盗賊としては余り接近し過ぎだと断念してたけどな」

「あ~確かにそうですね。足を止めずに動く盗賊には不向きかも……残念ですが」


 俺が武器名を知っていた事にイリスは妙に嬉しそうである。

 自分の主武器に使い手が少ないとなると、ちょっと寂しい気分になるのは……分からんでもない。

 俺もダガーはともかく鎖鎌を活用する連中は盗賊にも少なくて、スレイヤ師匠とよく愚痴っていたもんだ。


「ん? これは……どうやって使う武器なんだ?」


 そうロッツが純粋な疑問を言いつつイリスに近寄ると、彼女は俺に意味ありげな目配せをして来た。

 その目はさっきの聖女らしい所作とはかけ離れた、なんとも“今まで見て来た聖女”と同質な光を帯びていて……やはりこの娘も同じ人種なのかと、若干の諦めを覚えつつ頷いて見せた。

 その瞬間、イリスは何の前触れもなくロッツの懐へと潜り込んでいた。

 やはり速い! 鍛錬した身体能力なのか、それとも強化魔法の類なのかは分からないがそれでもリリーさんに技を掛けた時のスピードが偶然ではない事がハッキリと分かる。

 そして低く構えたトンファーをそのまま下からロッツの顔面へと振り上げた。

 しかし直撃すると思えるほどの見事なスピードであったのに、打撃による音も悲鳴も聞こえる事は無かった。

 何故なら衝撃音すら立てる事も無くロッツは片腕でトンファーの一撃を受け止めていたのだから。


「な~るほど、掴んだ部分を手元で回転させて遠心力をコンパクトに利用して体術に組みこめる武器なワケだ。こりゃ便利だ」

「驚きました、無為詠唱で瞬時に風の防壁を腕に纏わせ受けるとは……やりますね」


 不敵な会話をしつつ互いにフッと笑うと、居住まいを正した二人はそのまま握手を交わした。

 無詠唱の風の防壁……ロッツが単なる遠距離魔法使いとは一線を画す技術の一つ。

 その技法もさることながら、今のイリスのスピードの反応できる動体視力も剣士として十分通用する猛者の証。

 コイツが本気になればカチーナさんの斬撃すら防ぎきるんじゃないか? とすら思える程なのだからな。

 ……取り合えず現状の戦力確認、自己紹介はこの辺で良いかな?

 そう思った時、未だに座り込んだままだったキャナリがさっきよりも青い顔で呻いていた。


「な……何よ……何なのよコイツ等は…………」


                *


 キャナリが所属する『血塗れの剣』は大層なパーティ名とは裏腹に、王都から遠く離れた片田舎の同郷たちで結成された連中の集まりだった。

 彼らは地元では敵なし、自分達が力を合わせれば敵わない魔物はいない、超人とすら言われるAクラスの冒険者だって夢ではない。

 そう思っていた……実際に王都で冒険者になるまでは。

 現実とは残酷な物で、地元の町の周辺に比べて冒険者ギルドでターゲットにされる魔物の強さは段違い、当然そんな魔物を相手にする冒険者たちもそれ相応の力を持っているのは当たり前で……彼らは早々に鼻をへし折られる事になった。

 そして冒険者登録から順調に上がっていたと思っていたクラスもDクラス以降昇格する事も無く停滞する事になったのも彼らの心を腐らせる原因になる。

 ランクの壁……何度挑戦しても上に上がれない、知りたくもない自分たちの限界というモノを現実として突きつけられる。

 毎回違う試験であっても力及ばず、特に上位冒険者たちが試験官を務める際には圧倒的な実力の違いを見せつけられ不合格になる。

 実戦だったら命を落としている……本当はそれが分かっているのにキャナリたちはどうしても納得できなかった。

 しかし彼女が二十歳を迎えた時、信じがたい噂をギルドで聞いたのだ。

 若干15歳の盗賊が単体でオーガを倒したという噂を……。

 オーガは自分たちがパーティ一同一丸となって、満身創痍、魔力も手持ちのアイテムも全て使い切って、一人は全治一月以上は掛かる大怪我すら負って何とか討伐したというのに、そんな魔物をDクラスという自分達と同じクラスのルーキーが倒したという話をキャナリは信じられなかった。

 Aクラスの冒険者パーティに所属しているという話もあり“どうせ止めを先輩に譲ってもらった程度だろう”と一笑し否定したのだった。

 そして試験当日、初めて噂の盗賊ギラルを目にしたキャナリは自分の考えが正しかったのだと勝手に確信していた。


『あんな年端も行かないガキが私たちよりも上であるはずがない!』


 生死を掛ける冒険者のランク昇格に保護者の同伴を心配するような甘ったれた卑怯者などこの場に相応しくない……キャナリはそう思っていたのだが。


「な……何よ……何なのよコイツ等は…………」


 キャナリは自分の口から思わず漏れた感想と共に、自分の故郷に伝わるある格言を思い出していた。


『池の魚は川を知らず、川の魚は海を知らない』

 

 狭い世界しか見ていない物はその中が全ての世界と思いイキっている、自分が大きな世界の中では大した存在である事も知らずに。

 キャナリはこの場所に集合した時に心底面倒と思っていたのだ。

 一番年上の自分がこの即席パーティーのまとめ役をしなくてはいけないのかと、邪魔くさいガキ共はとっととリタイヤさせてしまおうと。

 そんな事を数分前まで考えていたキャナリは、現状自分がこの中で最も力量が下である現実を突きつけられて途端に恥ずかしくなっていた。


『この場で一番雑魚で、ガキなのは……私じゃない!』


 弓使いのキャナリは常人よりも目は良く動体視力も優れているだけに、へたり込んだ今でも目の前で繰り広げられたロッツとイリスのやり取りは確認出来ていた。

 俊足で懐に潜り込み攻撃を仕掛けたイリスもだが、瞬間的に無詠唱魔法と体術を組み合わせて防御したロッツも同じDクラスとは思えない程、自分より高みにいるのが分かってしまう。

 ましてやギラルに至っては全ての動きを見えてすらいないのだ。

 羞恥と自信の喪失……キャナリは座り込んだまま立ち上がる気力すら無くなって行く。


『今日の昇格試験……リタイヤするべきなのは…………』


 しかしキャナリが絶望的な自己判断を下しかけた時、不意に横に立っていたギラルが声を掛けて来た。


「その様子じゃ“今度は”ヤツらが何をやってたか、しっかり見えたようだな……キャナリさん」

「…………え?」

「なんだよ、やっぱ油断さえしなけりゃ良い目してるじゃないか」


 キャナリは一瞬自分が何を言われたのか分からず、自分が認めたくなかった人物が実力不足は露呈させた直後だって言うのに“認める”言葉を口にしている事を認識するのにしばらく時を要した。

 コイツは一体何を言っているんだ? ……と。

 だがギラルはそんなキャナリに構わず話し続ける。


「さっきアンタの背後に回った種明かしをすると、アンタはまず俺の事を格下と思ってたろ? 自分を脅かす事はない戦力外として警戒の意識を外した……俺はその意識の死角を狙って動いたにすぎね~よ。確かに足に自信はあるが、油断さえしなければアンタには十分見える動きだったはずだぜ?」

「……え?」

「油断はするもんじゃなくさせるモノ……師匠の口癖なんだがよ、短時間とは言えパーティ組むんだ。味方に油断してもらうワケにはいかね~からな! まあガキに言われて気に喰わねーかもしんね~けど、一つ宜しく頼むぜ」


 ニカっと年相応なやんちゃ坊主の如く笑い手を差し伸べるギラルに、キャナリは色々な意味で『負けた』思ったのだった。





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