第百三話 妄想という猛毒
フェティシズム、通称フェチとは一般的には異性の身体的部位に性的な魅力を感じるなどの個人的な傾向、志向、趣味の総称である。
つまりりりーさんは俺に突きつけたのだ……俺が、この俺がカチーナさんの足に性的魅力を感じる男であると!?
それは正直『クーデレ系姉属性』と言われた事よりもショックを受けた。
足フェチだと己の性癖を断定されたにも関わらず、ある意味失礼なその発言を否定できない自分がいるのだ。
そして考えれば考えるほど……俺はカチーナさんの足に視線が行っていた事に今更ながら気が付いてしまう。
戦闘時でも、部屋着でくつろいでいる時も、転寝している時も、俺はあのスラリとして美しくも艶めかしい脚線美に目を奪われて…………いや、いやいやいや!?
「なななななな何を根拠にそそそそそそんな根も葉もない事を!? 俺がそんな特殊な嗜好でカチーナさんを見つめていただなんて!? ししししし失礼にも程があるでございましょう!? 彼女は脚のみならず全体的に綺麗な女性なワケですし!?」
「そうね~それは確かに。あの娘だってシエルほどじゃなくてもおっぱいあるし、なにより運動量の多い仕事だから無駄なぜい肉も無くスタイルは抜群……体格の全てを総合しての脚線美なワケだからね~」
「そ、そうそう、単体ではあの脚線美は生まれない! 彼女の過酷な鍛錬の果てに生まれた美しさの上に成り立った芸術なワケで、まさにあの足は総合芸術と言っても過言は…………は!?」
「まあ……ギラル君、マニアック♪」
一瞬認めてしまいそうになった俺は慌てて頭を振って何とか否定しようと試みるのだが、リリーさんの的確な誘導に深層に隠していた本音がボロボロとこぼれだし……彼女は邪悪な笑みをさらに深める。
「よ~し、そんな“クーデレ姉の足属性”なギラルにとっておきの情報を伝えてあげよう」
「な、ななな何を……」
「私がコーディネートしたのが上の服のみであると思っているのかね?」
「……え?」
この流れでは俺にとって更なる恥辱に繋がる事にしか思えないのだが……元聖職者のくせに悪魔の如き笑顔で俺に近づいてリリーさんはとんでもない事を耳打ちしたのだった。
それは聞いた瞬間に全身の血液が逆流し脳内が煮えたぎり、張り付いた想像が妄想へと変換されて忘れたくても忘れられなくなる、まさに呪いの言葉だった……。
「え……? …………え? マジで??」
「マジで」
「……………………」
妄想とは質が悪い、特に実在の人物に対しての性的な妄想というのは性的興奮による幸福感と罪悪感がセットである。
その事は重々承知している、承知しているというのに……俺の腐った脳みそは一瞬でカチーナさんのあられもない姿を想像完了してしまう。
その瞬間自分の頭が爆発したような感覚に陥った。
「な、なななななんて事を!? なんて罪深い事を!? 何故にカチーナさんのような真面目な気質の人がそんな最終兵器を!? リリーさん!? アンタは一体あの人に何をしたんだ!?」
「ふふふ……愚問ね。あの娘は着飾る事に興味津々だけど、異性からどう見られるかには極端に鈍い。その辺は生い立ちの面で仕方がないところだけど、だからこそ“見えないところを意識するのも女性の嗜み”と言って誘導するのは簡単であったわ」
そこに魔王がいた。
敬虔な慈愛溢れる聖職者の姿など欠片も見いだせない邪悪な笑みで人間を堕落と欲望のの谷へと言葉巧みに追い落とそうとする恐るべき存在が立っていた。
「さあ想像してご覧……ギラル、君はさる高貴な家の当主様。そしてカチーナはそんな当主に長年仕える冷静沈着、才色兼備のクールなメイド長。家中ではその忠誠の姿勢から真面目な堅物であると評判で、普段共にいても浮いた話一つ聞こえてこない完ぺきな主従関係…………」
「…………は!? や、止めるんだリリーさん!? それ以上は!?」
「しかし仕事がひと段落して休憩時間になった時……二人だけの私室で……」
「や、やめろおおおおお!!」
思春期男子にその手の情報は猛毒足り得る。
一つまみの情報を聞いた程度で勝手に妄想は広がってしまい、こじらせると恋心と性欲が一気に暴走しかねない。
しかしリリーはそんな事を分かった上でギラルに爆弾を投じた。
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世間でも家中でも完璧でドライな主従関係、ビジネスのパートナーと認識される当主ギラルとメイド長カチーナ。
仕事に私情を一切挟む事のない二人は常に表情を動かす事はなく、物事を常に冷静にかつ冷徹に判断する完璧超人であると思われている。
しかしそれは対外的な事に対してである事を知っているのは当の本人たちだけであった。
『旦那様、次のご予定までしばらく時間がございます。少々休憩をされてはいかがでしょうか?』
『そうか……では今日も準備は出来ているのだろうな?』
『は……はい、勿論でございます…………』
キリッとした真面目な表情を崩さずに主人の体を気遣い休憩を提案する出来るメイド長……しかし主人の言葉にその真面目な表情が一気に赤く染まる。
その自分だけの知る愛らしい様を当主ギラルは見逃さず、口元をにやけさせる。
『そうか……ではカチーナ、お前の忠誠心を私に見せてくれるか? お前自身の手でな』
『え!?』
『どうした? 私はお前の忠誠心は本物であると信じている。自らその証を証明してはくれないか?』
『そ、それは……』
困った様に俯き真っ赤になるメイド長に羞恥の色はあっても恥辱の色が無い。
理解している当主はメイド長が迷いつつも意を決して、自らの足先まで隠したスカートの両端を掴んでゆっくりと上げて行く様を優雅に待った。
そしてカーテンが上がる如く神秘の世界を露にしようとカチーナは震える声で言う。
『旦那様……私の忠義の証を…………ご覧ください…………』
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「ごふ!?」
唐突に始まったリリーさんの朗読劇で妄想が極まった瞬間、俺の意識は途切れた。
結局妄想の中でも神秘の世界は覗ける事は無く……。
『おあ!? ギ、ギラル? 大丈夫かお前!?』
「あ、あれ!? ちょっとやり過ぎたかな? ギラルーしっかりしろ~! カチーナちょっと来て~~!」
薄れゆく意識の中、遠くでリリーさんとドラスケが慌てふためく声が聞こえる。
ただ俺がこの時思ったのは一つだった。
ヤバイ……このままじゃ俺、今日はやらしい夢を見てしまう……と。
*
結局そのままダウンしてしまったギラルはカチーナと共に二人がかりでベッドに寝かせ、そのまま様子を見る事になった。
図らずも看病するのがメイド服のカチーナという端から見るとご褒美的な状況にも思える図式になっていたのは妙な感じだが……元凶になったリリーはドラスケと共にリビングに待機していた。
『少しいじめ過ぎではないか? 経験も無い純情少年に自覚なきの性癖を婦女子から看破されるのはきつかろう』
若干やりすぎたかな~と反省するリリーにドラスケが呆れたように口を開いた。
生前キッチリ男性であった彼にとってはギラルへの強引すぎる“ご褒美”は少々居た堪れない光景でもあったのだ。
「ふふ、まあ我ながらちょっとばっかやり過ぎかな~とも思わなくもないけど、それなりに理由もあるのよ? 揶揄って楽しんでいるのは否定しないけどさ」
『ふむ……カチーナにあの格好をさせたのもその一環であると?』
「そうよ……だってこのままじゃアイツにとって旨味がなさすぎるじゃん」
しかしリリーはやっている事とは裏腹に、割と真面目な顔で返す。
「出会った時から思っていたけど、アイツは妙なくらい女性に対して性的な思考をしないようにしている潔癖なとこがあるな~って思ってはいたけど……思春期男子特有のものかと思いきや、『預言書』で自分の結末をガキの頃に知った事で自分が性的な思考をする事に罪悪感があったみたい」
『ハーフデッドの由来か……』
「人知れず、誰にも感謝される事も無いのにやろうとしているのは世界を救う偉大な所業……アイツはそんな事を自分がやってもいない犯罪の贖罪、罪悪感からやってるようにしか思えなくてね」
リリーの予想は全くの的外れでもない。
神様の希望、勇者を結ばれるべき者と結ばせる為に召喚勇者を不要にする……ギラルの最終目的は確かにそこなのだが、本来だったら自分が辿ったであろう『野盗ギラル』を否定したいという気持ちがあるのも事実だった。
図らずも同じ日の昼間に性欲=悪ではないと熱く諭した兄貴のお陰で幾分かその辺の心情にも変化があったようだが……リリーはリリーで異性としての立場からギラルの事を心配していたのだった。
「本人は軽く捉えてるけど、本当なら万人が称えるべき偉業なのよ? 自覚は無いだろうけど単純に考えてアイツの行いのお陰でどれほどの命が救われたのか……。せめて救われた事を知っている私くらいはギラルに自分の行いに報いる報酬を考えてやるべきでしょ?」
『……意外と真面目な考えもあったのだな』
「ま、多少の荒療治なのは認めるけど、恋心くらい自覚してもらわないとね……ワーストデッドの運命から盗み出したお姉様を“つまみ食い”するくらいの役得はあってもイイでしょ?」
言っている事は中々にアレな事なのだが、ドラスケもリリーの言葉を否定する気にはなれなかった。
下世話であり、ともすればカチーナをギラルのご褒美に宛がおうという何とも非人道とも取れるのだが……これもリリーなりの感謝の示し方なのは分かったから。
「アイツにロリ属性がありゃ私が報酬になっても良かったんだけどね~。ヤツのお眼鏡にかなうおみ足は持ってなかったからね」
『おいおい仮にも元聖職者が言う言葉ではないぞ?』
「妄想で気絶している内はまだまだかもしれないけどね~」
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