第百二話 ギラル死す……

「予想以上に遅くなったな……」


 ノートルムの兄貴に昼飯を奢って貰ってから、俺は他の店で戦闘以外に必要な物を揃えたり、一応ギルドに顔を出したりしていたらいつの間にか日はすっかり西側に傾いていた。

 昇格試験と一口に言っても試験内容は毎回同じってワケじゃない。

 冒険者としてのルールやマナーを確認する筆記試験は大体一緒だけど、実地試験は当日知らされるシステムになっている。

 時にはそのまま訓練場に直行して上位冒険者との戦闘であったり、通常の依頼を試験に利用する場合もあるのだが、直前まで知る事が出来ないから準備はどんな状況にも対応できる事が前提になる。

 このシステムも暗黙の了解で不正が認められている『裏試験』があったりもするから、中々に質が悪い。

 裏から情報を手に入れたつもりの冒険者が当日試験に臨んだら戦闘ではなく数日は掛かる材料採取の依頼で準備に手間取り出遅れたり、その逆で戦闘の準備を怠って試験に落ちたという例もある。

 師匠曰く、その辺の裏の機微すらも情報を精査出来てこそ上級冒険者になり得るという事らしいがな。

 試験前のギルド職員の意図的な不正、誘導を見抜けない内はルーキーと言いたいのだろうけど、結局は普通に真面目に試験を受けるのが最も近道なんだよな~。


「さ~って……もう二人とも帰ってるかな?」


 俺はそう呟きつつ夕日に染まる街並みを歩いていて、ふっと自分が帰る家で誰かが待っているという事が相当に久しぶりな事に気が付いた。

 冒険者なんて人種は定住場所を持っている方が稀な職業だし、定宿にしている場所はあっても本当に仲間たちと一つの場所に居住するのは初めての事。

 そう考えるとちょっとフワフワした気分になる。

 俺は今から待っている人がいる家に帰って、ただいまって言えるんだよな……と。

 ……それは久しく自分が言う事が無かった魔法の言葉だ。

 思い返してみれば俺が最後にその言葉を口にしたのは5年以上前……トネリコ村で惨劇が起こる前日の事だ。

 何も考えず、決して裕福では無かったものの温かく穏やかな日々が続くんだと、明日もまた同じ日が来るのだと根拠も無しに思っていたガキの頃。

 友達と泥だらけになって遊んで日暮れと共に言った“ただいま”に汚れた俺を困った顔で“おかえり”と言ってくれた両親の姿……。

 思えばあの日から言ってなかったんだよな。

 トネリコ村の事は今でも忘れる事の無い出来事だが凄惨なシーンばかりが焼き付いていて、そんな温かい想い出を思い返す事は久しくなかったな……そう言えば。


 一度あの場所を訪ねてみるのも良いのかも……そんな考えが過る。

 今まで避けていたつもりはなかったけど、俺自身考えないようにしていたのは……やっぱり避けていたって事なんだろう。

 何にも残ってない只の焼け跡しか無いのだろうけど、それでも野盗の根城になるよりははるかにマシだったはずだしな……。


 そう考えれば『預言書』では雑魚敵でしかないハズの俺なんぞがよくもまあ、色々とやらかして来たもんだ。

 そのやらかしの結果が『預言書』では『外道聖騎士』とまで言われて誰からも憎まれる存在だったはずの人にこれから“おかえり”を言って貰うのを楽しみにしている現状だなんて……。

 今となっては妙なもんだが、俺は『預言書』の後半辺りからの人物に関わっていたような気がする。今更ながら……俺はガキの頃に神様に見せて貰った『預言書』を最初から思い返してみた。


 正直最初となると、真っ先に自分が死ぬんだから良い気分ではないけど、その辺の感情は置いとくとして……重要なのは召喚されて現れる『勇者』だ。

 勇者が召喚されるのがオウン山脈の向こう、隣国の『ブルーガ』なのだが、数年前にザッカール王国を支配した『邪神軍』から逃れる為に亡命した民の中に六大精霊とは違う特殊な精霊の寵愛を受けた聖女がいた。

『預言書』ではその精霊は『精霊神』であるとされていたのだが……先日精霊神=邪神の正体を知ってしまった俺としてはこの辺も疑わしい。

『預言書』はあくまでも起こる事を物語として見せていただけで、答えを教えてくれたという事ではないからな。

 神様はどんな意図で俺にそんなのを見せたのかは分からんが……。

 件の聖女がブルーガ王国の魔導士総勢千人の魔力を集結した魔法陣でようやく呼び出す事が出来たのが勇者……俺を面白く殺す予定の男だ。

 しかし当初のブルーガ王国の首脳陣はザッカールに負けず劣らず無能、無責任の巣窟だったらしく、邪神軍に対抗できる都合の良い戦力としか考えずに召喚された勇者を敵地であるザッカール王国領へと送り出したのだ。

 まあお陰で最初の内は邪神軍から逃れて細々と生活していた南方領の人々を食い物にしようとするどっかの野盗おれをブチ殺す事が出来たのだが……当然勇者と言えど一人の戦力には限界がある。

 この時もう少し考えろと思わなくもないが、とにかく早く元の世界に帰りたい勇者は無謀な攻勢に出ようとして……邪神軍でも最も卑怯で残虐である『聖騎士』の策略にハマり、何とか生き残っていた南方の町や村を犠牲にして逃亡する事になる。

 結果邪神軍の侵攻を許してしまい、その事を大いに悔いた勇者は力を付ける為に、そして邪神軍に対抗できる伝説の武具を手に入れる為に大陸の西側諸国をめぐる事になる。 

 その中で頼りになる仲間と出会ったり、暗躍する邪神軍の連中と戦ったりすると『預言書』の前半部分はほとんど他国の出来事なのだ。

 そしてその旅の中で最初から最後まで勇者に付き従い、個人的には最後まで報われる事無かったのが件の聖女だった。

 想いを寄せる勇者と長い時間を共にし、そして何度も死線すら潜り抜けて尚、死の直前に至ってすら己を女性として見て貰えない悲劇の聖女。

 最後まで自分を見てくれない男性の遺体を、唯一の想い人の元へと送り返すというのはどんな心境だったのか…………あれ?

 その時俺は今まで失念していた結構重要な事に気が付いた。


「あ……そうだ。あの聖女はシエルさんから棍を受け継いだ後輩だったっけ?」


 知っていたハズの物凄く当たり前な情報なのだが、時系列的に今現在もシエルさんの可愛い後輩ちゃんでなければならない。

 今はトロイメアの事変があった後なんだから『預言書』で示した俺がちょっかい掛ける以前の未来ではとっくにリリーさんは毒殺されシエルさんは闇落ちしている頃合い……そこから目を掛けて引導すら請け負おうとするほどの関係が構築できるとは思えん。

 要するに件の聖女は既にエレメンタル教会の関係者……もっと言えば親友のリリーさんも知らないハズは無いだろうし……。

 あかん……情報の精査、そこから導かれる情報の確認何て盗賊としての必死事項なのに、こういうところが師匠にまだまだ及ばない所なんだと痛感する。


「……帰ったらリリーさんに聞いてみよう」


 自分に対する呆れ混じりの呟きが日が落ち暗くなり出す街並みに響きもしないで消えて行く。

 俺の『預言書』の話からシエルさんが可愛がっていた後輩に最後は敗れる件は話しているから……おそらくあの狙撃手の事だ、俺の話の断片からある程度の予想はしているだろうとは思うしな。

 最終的に親友を殺す人物を決めつけたくは無いって想いもあるんだろうから、多分俺から聞いて来るタイミングを待っているんだろう。

 確か名前は…………。


 そんな事を考えて昼間と違い暗くなり出した街並みを歩いていたのだが、まだ一泊もしていない家の前に辿り着き、俺が帰宅していなくても灯の付いている事実にちょっとテンションが上がった。


「た……ただ、いま~~」


 そして扉を開きつつ口から出た言葉が意図せずぎこちなく、久々に本当に久しぶりに言う“ただいま”の言葉が上手く出てこない自分に笑いそうになる。

 そんな俺を扉からすぐ、キッチンに備え付けられた椅子に立ち膝を付いて座るリリーさんとテーブルに腰掛けたドラスケが出迎えてくれた。


「お、おかえり~。結構遅かったね」

『おかえり……なんだ? そんなに仕事道具のメンテナンスが厄介だったのか?』

「あ~……確かに大分痛んでいたけど、明日までには何とかしてもらえるみたいだ」


 ランプのオレンジ色に照らされて何でもない事のように言って来る二人に俺は何とも言えない安心感を覚える。

 予想していた人たちが予想通り、いつも通りに迎えてくれる……それがどんなに奇跡的な事なのか。

 そして…………


「あ、お帰りなさいギラル君……」

「あ、ただいまカチーナさ…………」


 俺は本日この瞬間、最も期待していた人からの“おかえり”の言葉に喜び…………見た瞬間に息が止まった。

 何かいた…………そう思った瞬間息どころか思考も止まったのだろう。

 自分の意志とは関係なく体が更新するが如くそのままの流れで動いて、リビングをスルーしてしまう。


「あれ? ギラル君?」

「…………」


 そして心配の言葉も聞こえているのに無視してそのまま自室に……扉の閉まる音も聞こえたというのに行進を止める事は出来ず、壁に激突する事でようやく止まった。


 ナンデ……カチーナサン……メイドフク……?


 しかしその衝撃でようやく正気に返った俺だったが、今見た信じられない光景に再び混乱が襲って来る。


「な!? はあ!? 何だ今の!? なっんだ今の!? 何でカチーナさん!?」


 カチーナさんの普段着は師匠のおさがりって事もあって露出が高いのが多く、ハッキリって目のやり場に困るものばかり……どうしても、ど~しても見てしまう事への罪悪感が特に最近は拭えずにいたのだが……コレはないだろ!?

 ノートルム兄貴の助言でそういう感情になってしまうのは罪ではないと励ましてもらい、幾らかは気が楽になっていたというのに!?

 いや……何というか“そういう意味”ではあの格好は露出が少なくビシッとしているし、動きやすくも貞淑な雰囲気のロングスカートに髪をしっかりと三つ編みに整えた姿は清楚さを前面にした姿とも言える、一見すれば“出来るメイド”という感じである

 しかし露出を少なくした清楚な格好が、返って“女性らしさ”を強調しているのも事実で……一目見た瞬間から心臓の高鳴りが止まらん!!

 ヤバイヤバイヤバイ! 似合い過ぎる!! 


「ふふふ……どうやらお気に召したようね」

「!?」


 俺が混乱し頭を掻きむしっているといつの間に部屋に入って来たのかリリーさんが壁に背を預けて不敵な笑みを浮かべていた。


「コンセプトは貴族令嬢専属メイド。キリッとして仕事の出来る凛として美しい雰囲気は正にカチーナには打って付けのベストマッチ。この場合はむしろ露出は必要ない……他人なら何も思わないだろうが普段目にしている君にとっては隠された事で女性らしさと共に背徳感が増大される……まさに劇薬!」

「ぐ!?」


 まさにその通り……何時もとは違うカチーナさんの姿は普段とのギャップが凄まじく、暴力的なまでに俺の目に焼き付いてしまったのだ!

 あの、たった、一瞬で!!


「な……何が目的だリリーさん。俺にあのような神秘の世界を見せつけて……俺をどうしようと!?」

「ぶえっつに~~? とびっきりの素材がいるのにいじらないのも勿体ないな~って思っただけよ~。二次的にムッツリが反応するかも~とは思ったけどね~」


 どうやら俺の反応はリリーさんにとって期待通りだったようで……ニマニマとした顔が非常にイラっとする。

 要するに遊ばれているという事か!?


「く……確かにあの姿は暴力的……しかしリリーさん、これだけは言わせてもらうぞ」

「ん~何かな?」

「何ゆえに眼鏡まで実装したのだ!?」


 それはカチーナ+メイド服の攻撃力を更に倍加させるブースター、視力が悪いなどという事の無いカチーナさんなのだからアレは間違いなく伊達眼鏡。

 実用ではない装飾なのだとすれば、綺麗な服を着てみたいとは思っても“着飾る”という感覚がまだ乏しいカチーナさんが進んで装着するハズはなく……間違いなく犯人は目の前にいる!


「くくく……そりゃあ二次的に反応したムッツリで私が楽しむ為に決まっておろう」

「な、なにい!?」


 しかしその予想はズバリ的中していたようだが、犯人リリーさんは更に邪悪な笑みを浮かべて見せるだけ……それどころか大仰に手の平で顔を覆い邪悪な笑い声まで上げ始める。

 いつの間にかドラスケがリリーさんの肩にいて、その佇まいは悪事の成功を喜ぶ物語の魔族の如き禍々しさが……。


「雑な推察ではあるが、ギラル……君は若干体つきの幼い私にはそういった反応は無いから年下属性は無いのだと確信していた。ちょ~~っと私にとってはイラっとするけど、似たようなシュチュエーションでカチーナにはキッチリ反応するのにね」

「あ……それは何かすんません」

「いいよ、謝んなくて……私もさすがにその手の評価は飽き飽きしてるから……」


 年齢の割には成長の乏しい彼女だが、今までは隣に成長著しい親友がいたからな……そう言う彼女からは一種の諦念が感じられる。


「だが単純に年上、姉属性かと思えばそれも違う……何故なら君はあのスタイル抜群、お色気満載なミリア先輩やスレイヤさんと長年共に生活していたのにそういう目で見られたことが無いのは実地調査済みなんでね」

「はあ!?」


 得意げにそんな事を宣言されて、思わずズッコケそうになった。

 この人、いつの間に俺の師匠連中にコンタクト取ってイラン情報を収集してんだよ!?

 だが呆れかけた次の瞬間、リリーさんの言葉に俺は衝撃を受けた。


「あの二人から考えれば母性豊かな情愛溢れる、もしくはざっくばらんに何時も接してくるタイプはギラルにとって安心を覚える家族枠であるけどそれ以上のモノではない……」

「な……何が言いたいんだよ」

「いや……その分析から個人的に君が欲情を抱くタイプは“普段は真面目で清楚、でも自分の前だけはラフになる”そんなタイプのお姉さんが好みなんじゃないかな~って」

「!!?」


 言葉を失う……今までの人生でそんな瞬間は多々あったが、自分の自覚していなかった女性の好みを言い当てられてというのは始めての経験だった。


「もっと言えば貴様のタイプは日常ではクールで冷静であるのに自分にだけは甘えてくれる、ともすれば自分にだけが可愛くエッチな姿を知っているという……所謂クーデレ系のお姉さま属性だな!!」

「ぎゃああああああああ!!」


 止めの一撃を喰らった俺は断末魔の叫びを上げるしかなかった。

 ここに至って昼にノートルムの兄貴に煩悩を肯定して貰って、欲情する事への罪悪感が軽くなった事が仇にもなった。

 仲間になってから日常の生活の中でチラチラと垣間見えるカチーナさんのお色気シーンを全て記憶し、他の男共はこんな彼女の姿を知らないのだと心の奥底では優越感に浸っていた自分もいた事を否定する材料が一つも浮かばなくて……。


「そしてカチーナへの視線の行方を鑑みて…………貴様のフェチは脚だな!!」

「ぐはあ!?」


 更なる追撃に…………俺の中の何かが、この日死んだ。



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