第九十五話 ノートルム最大の試練

 結界の一時的な消失が起こってからしばらくして、その件は本日の結界担当の魔導士が職務中に飲酒をした事での意識消失であり代わりの者が担当し問題無し。

 大事なパーティーで失態を演じた爵位持ちの魔導士は後日処分する旨を伝えられ、パーティーは再び再開される事になっていた。

 再びパーティーに興じ始める来賓客たちを前に、笑顔を浮かべつつ王妃ヴィクトリアは内心では非常に厭らしい笑顔を浮かべてバカにし見下していた。


「フフ……平和ボケした連中は今起こっている事態に気付く事も無いでしょうね。まったく実戦とか何とかたわ言を口にするワリに何ともお粗末な……所詮どれほど鍛えようと宮廷という魔窟で鍛え上げられた私のような才人に敵うモノではないようですね」


 自分は守られ崇められ支配するのが当然、自分のような高貴な人物の采配に誰もが敵うはずもない。

 扇の向こうでそんな妄想を繰り広げる王妃はこれから起こる事を全て知っているつもりでいた。

 しかしこれから起こる不測の事態が“侵入したゴブリン”の事であるとしか考えていない王妃は控えめに言っても才人とは程遠かった。

 ゴブリン相手なら不測の事態にも対処できるように王国軍を会場周りに配備している自身も手伝って、本当の不測の事態など起こるなど欠片も考えていなかったのだ。


 その異変に気が付く事が出来た者は会場内にチラホラ存在した。

 実際の戦場を渡り歩き、本物の死闘を経験した軍属の貴族たちには感じる事が出来た。

『気配察知』のように五感を鋭く感じ取る索敵能力とは少し違う、戦場や死合いの場において敵から受ける強烈な感情の息吹。

 武芸の達人であればあるほど理屈も無しに感じる事がある殺意の塊……所謂『殺気』。

 そして真っ先にその異変と危うさに気が付いたこの場においても上位の実力者である聖女と聖騎士がアイコンタクトも無しに大声を張り上げた。


「……!? 全員伏せろおおおお!! 頭を低く!!」

「窓際から離れてください!!」


 突如騒ぎ始めた聖女エルシエルと聖騎士ノートルムの声に『何言ってんの?』と嘲笑交じりの視線を送る貴族たちは多かったが、正しく反応できた軍属たちもいてそう言った連中をほぼ無理やり身を屈めさせた。

 中には下位貴族に無理やりというパターンもあった様で露骨に抗議の声を上げようとするボンクラも存在したのだが……次の瞬間には抗議の言葉は一切なくなった。

 パーティー会場の窓からオーガを超える巨体の人影が突っ込んで来た事によって……。


ドガアアアアアアアア!!

「キャアアアアアア!?」

「なななな何だコレ!? 何が起こった!?」

「く……光の大楯我が前に! 光域盾レイ・シールド!!」


 突然の黒い巨体の出現と破壊にパーティー会場は一気に混乱に陥る。

 今まで威張り散らして御家自慢や太鼓持ちに興じていた上位貴族たちが叫び立ちすくむか腰を抜かす中、聖女エルシエルは会場の燭台を棍の代わりに手に取り咄嗟に広範囲の光の盾を展開した。

 その光の盾のお陰で破壊により瓦礫などの被害は最小限で防がれる……が、追撃の2発目、巨人の拳が間髪入れずに放たれる。


パキイイイイイイイン……

「きゃ!?」

「シエル!?」


 それだけで瓦礫をも防いだ光の盾はアッサリと砕け散り、シエルは後方へと吹っ飛ばされた。

 慌てて受け止めたノートルムのお陰で壁への激突は防ぐ事が出来たが……シエルは自分の防壁がこうもアッサリ砕かれた事に衝撃を受ける。


「ごほ……な、なんて威力でしょう。練り込みの時間は足りませんでしたが私の精霊魔法をこうもアッサリ破るとは……」


 驚愕するシエルを尻目に会場内の貴族たちは阿鼻叫喚……予期せぬ招待客の出現に我先に黒い巨体とは反対方向に逃げ始めが、職務に忠実な王国軍兵士や戦闘経験豊富な軍属の貴族はこんな緊急事態においても冷静に黒い巨人と対峙、もしくは避難誘導に当たり始めている。

 妙な話、腐敗の進んだ王国であっても全てが腐敗しているワケでは無い事を確認したような気分にシエルはなっていた。

 そして自分たちだけが黒い巨人の最前線にいる事を確認して、シエルは燭台を握りなおし、簡易的に光の魔力を通す。


「マズいですよ~。今の私は愛用の棍を持ってませんから……鉄製の燭台ではいつもの半分も威力は出せませんのに、このゲストの方……間違いなく私たちより強いです」

「そう言うなら嬉しそうな顔をしないで下さい。こんな時でも強敵が登場すると貴女はほんとにもう……」


 ノートルムはこんな状況においても高揚した笑みを浮かべるパートナーに苦笑する……そんな様を見ても少しも幻滅する事の無い自分は相当にやられているのだと。


「動きを一時的に封じます! 光の鎖よ邪なるモノ捉え封じよ“聖光縛鎖ホーリーチェーン”!!」


 そしてシエルは別の光魔法を発動。

 黒い巨人を包み込むように地面に現れた光から大量の光の鎖が出現して、ジャラジャラとその巨体へと絡み付いて行く。


『……ガ!?』

「ぐ……余り長くはもちそうにないですね。王国軍の方々! まずは会場の避難誘導を今の内に!!」


 絡み付く光の鎖で動きを封じられた黒い巨人……しかし捕縛に成功したかに見えても術者のシエルは警戒を緩めず言う。

 その言葉でハッとなった王国軍兵士達は未だに腰を抜かしたり叫び声を上げる来賓客たちの避難誘導へと回り、戦闘員として留まる兵士たちが徐々に集まり始める。


「聖騎士殿! コイツを使ってくれ!!」


 そして聖女と共に並び立ったノートルムに慌てて黒い巨人を取り囲み始めた兵士の一人が鞘ごと一振りの剣を投げ寄越した。

 偶然にもそれはさっき部下の副隊長が武器を渡すように詰め寄っていた兵士だった。

 何気に辺りを見渡すと件の副隊長の姿は影も形も無い。

 詰め寄られても剣を貸さなかった兵士の、自身の剣を預けられるか否かの判断はすこぶる正しいという証明でもあった。


「!? ありがたい!!」

『………………』


 ノートルムはさっそく剣、ロングソードを鞘から抜いて黒い巨人に向かって構えた。

 強敵に向かう聖騎士と聖女の二人は凛々しく闘志に溢れていて、まさに威風堂々という表現がふさわしい気合に満ちていて……溢れんばかりの殺気をまき散らし、光の鎖から逃れようと暴れていた黒い巨人の動きが一瞬止まった。

 その間にもこの場に留まった王国軍の兵士たちが斧槍ハルバードを手に取り囲み始め、軍属貴族の中でも最も爵位の高そうな年嵩を重ねた老紳士が指示を飛ばす。


「全員聞け! 至近距離での戦闘は極力避けよ! 聖騎士と聖女の邪魔にしかならん!! 魔法か遠距離武器の類で牽制する事を主軸に展開せよ!!」

「「「「「了解!!」」」」」


 その自分達王国軍が立った二人の戦力に劣ると言われたのに等しい命令だと言うのに、誰一人不平不満を述べる事無く忠実に行動する。

 それはこの場においての最大戦力が何者かを兵士たちが分かるほどの実力者である事もそうだったが、命令を出した人間が王国軍において最高位の人物であったからだった。


「良いんですか元帥閣下がこんな所に……それに聖騎士と聖女に守られたとか王国軍においては失態ではないのですか?」

「仕方あるまいよ若き聖騎士よ。この緊急事態にお飾りの軍属は我先に逃げおったからな……せめて使える人間を正確に采配せんと、それこそ後々の責任問題だからな!」


 ノートルムの苦言に笑いながら答えたのは現王国軍の最高位、ジントリック元帥。

 地位とか何とか嘯いてはいるものの、この場に残った……残る事が出来た者たちの目的は立場も爵位も関係ない……同士となる。

 腐敗著しい王国の、王国軍であっても全てが腐敗しているワケではなく、トップですらこういう時に他者を生かす為にこの場に留まれる魂を持つ者もいる。

 己の命を盾として非戦闘員が避難するまでの時間稼ぎをする事が今の自分たちの指名だと意思確認も無しに選択できる戦士であると……。

 シエルとノートルムは顔を見合わせ思わず笑ってしまう。

 

「教会もそうですけど貴族も軍も、全てが等しく悪人であれば私も見切りを付けれるというモノですが……困ったものですよ」

「ははは確かに。横暴で傲慢な軍人どもだったら速攻で嫌いになれるんですがね」


 王国、教会と最近後ろ暗い事ばかりが続いていたシエルはこの場に留まった王国軍の同士たちに少し救われた気分になっていた。


「ところですみません……さっきの衝撃でお借りしていたドレスが……」

「ん? ああ……」


 燭台を手に構えたままシエルは申し訳なさそうに謝罪する。

 どうやらさっき吹っ飛ばされた衝撃で青いドレスの一部が既に敗れていたのだった。

 最も当然ながら本日“シエルの為だけに”あつらえたノートルムがそんな事を気にするはずは無く……二ッと笑う。


「問題ない。確かにドレスの君は本当に綺麗だったが、やはり君が最も美しく輝くのは戦っている姿ですからね……」

「!? も、も~~う、そう言う事をサラッと私なんかに言っちゃダメですよ。惚れちゃったらどうするんですか……」


 中々キザで、万人が聞いても“そう言う意味にしか聞こえない”言い回しにこの言い草・……端から聞いていた元帥を始め王国軍の面々もそんなほぼ直球を見逃す聖女の答えに同情の念を送る。

 しかしノートルム本人は意外と前向きだった。


『ほ、惚れちゃったら!? つまり脈ありって考えて良いのか!?』


 本日まで脳筋で鈍感な聖女から自然と出た“もしかしたら”発言に本当に初めて手ごたえとも言えない何かが指先に触れたようにノートルムは思った。

 結構いい歳であるのに一途でピュアな彼にとってはそんな僅かな変化でさえも一喜一憂の出来事……そしてそんな彼だからこそのご褒美も突然舞い降りる。


「ノートルムさん、もうドレスは買い取る前提で改造しちゃって良いです? このままでは動きづらいですので……」

「いや……弁償とかは考えなくて良いし、最早破損しているから好きにしてくれて構わないぞ」


 タイトにシエルの肢体をクッキリ表すマーメイドドレスは彼女に似合ってはいるのだが、戦闘をするには当然向いていない。

 特に武術において最重要な足さばきが制限されてしまうのだから戦いやすいようにするのは当たり前の行為。

 ワザワザそれを自分に確認するシエルにノートルムはこんな状況だと言うのに微笑ましく思ったのだが……彼女の次の発言で思考が停止する。


「ではノートルムさん……スカートを切って貰えます? スリットを入れる感じで」

「……………………は?」

「私は聖光縛鎖で手が離せません……敵の動きを止めている今のうちに…………」

「は? ……はあ!?」


 それはこの状況がもたらした余りにも偶然の過ぎる緊急事態……ノートルムは今この場で言われた意味が分かっていると言うのに、お願いされた意味も確実に理解していると言うのに……全身から火が噴き出す勢いで興奮、戦闘時よりも遥かに心臓の鼓動が早くなる。

 お目当ての女性の服を本人の同意で切る…………違うのは分かっているのにどうしてもノートルムには違う意味に捕らえようとしてしまうのだ。


「ス、ス、スカートを切ってしまうのでありますか!?」

「く……早くお願いします! 捕縛の魔法もそろそろ限界…………くううう!」


 お願いしつつ漏れる苦悶の声……こんな状況だと言うのにノートルムにはどうしても違う方向に聞こえてしまう。


『ば、バカモノ! ふ、不謹慎であるぞ自分!! コレは緊急的な処置であり特殊な性癖とかそう言う事では無いのだ!! そうだ必要だからこそ私はシエルさんのスカートを……スススススカートを…………』


 聖女のスカートを切る為に超躊躇いながらしゃがみ込む聖騎士ノートルム。

 その瞬間、唐突に妙な時間が生まれていた。


「ノートルムさん、もっと上まで遠慮なくお願いします」

「こここここここれ以上!? これ以上は見えてしまい………………あ」


 その所要時間は結構長く……取り囲む王国軍を始め、光の鎖に囚われているハズの黒い巨人ですらもこの時だけは何故か大人しく見守っていた。

 いい歳した孫もいる元帥すら顔を赤らめて……。


「……あの聖女、ワザとやっとらんか?」

「どうっすかね……でも悪い女なのは確かっス」



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