閑話 聖王の左腕

 数十分後、呼吸も荒く全身から汗を流しつつアンジェラとヴァリスは後宮では最も頑丈そうな扉に守られた一室『王妃の部屋』に身を隠して、申し訳程度に調度品や洋服ダンスなどで扉が開かないよう簡易的なバリケードを作って籠城をしていた。

 状況的に援軍が来るとも思えない状況で本当は籠城はしたく無かったアンジェラだが、田舎出身の自分はともかく主の体力が持たない事を察した事でやむなく……という状況であった。

 そして女性の細腕で重たい家具類を動かした後にアンジェラは座り込んでしまった。


「だ、大丈夫!? アンジェラ……」

「……大丈夫です、田舎娘の体力を甘く見てはいけません。とは言え……少し疲れました」


 息を整えつつアンジェラは現在の状況を鑑みて、主人の前だと言うのに舌打ちしたくなった。

 普段なら後宮でも最上級である王妃の部屋に自分たちが籠城できる事自体がおかしい。

 王子と認められない国王の庶子には田舎侍女一人しか付けなかったクセに、自分は不必要な数の侍女を専属で持っている王妃が不在だからって留守を守る侍女一人もいない状況が既におかしい。

 何も無ければパーティーの日に残されたヴァリスに対する当てつけかと思っていたのだが、事ここに至れば後宮が空になっていた理由もハッキリする。


「最初からこの為に…………なんとまあ手の込んだ暗殺なんだか……臆病者共め」


 主犯が現在籠城しているこの部屋の主である事に思い至ったアンジェラは思わず本音を漏らしていた。

 邪魔だと思った相手であっても自分の手を汚す事はしない、高飛車な態度で人を見下し誰もが自分に従うのが当然と考え唯一人を傷つけられるのは言葉でのみ……。

 元より爵位に興味も敬意もなく、ただ主を守る事だけのアンジェラにはそんな後宮でマウントを取り合うようなやり取りをいつも冷めた目で見ていた。

 言葉で人を動かし、殺す事が出来るのは実績であるとか爵位であるとか地位を認められた存在のみ。

 実績のない地位しかない者たちにとって『国王の寵愛』『王子の母』というのは最大にして唯一の武器、失う事は自身の発言に実行力を無くすという事……自分では何もできない奴らが人を動かす力を失うという事なのだ。

 その事を一番良く分かっている臆病者が後宮という魔窟で現在最も長い間過ごしている王妃本人であり……周囲を見渡して豪華な装飾に彩られた贅を尽くした実用とは全く関係のないこの部屋がその恐怖心を紛らわす為と思うと……アンジェラはいっそ憐れにすら思えて来た。


「こういう修羅場では言葉は物理的に守りも殺しもしてくれはしないですからね。殺しに来る相手がこっちの話を聞いてくれるワケも無い……。ま……王妃様のお部屋に無断侵入してしまった私は修羅場を切り抜けても後日極刑でしょうけど」

「アンジェラ……何を言って……」

「ヴァリス様……バリケードを作ってから一度強く扉を叩く音がしましたが、その後から反応がありません。おそらく別のルートからか、さもなくば数分後にはバリケード事破砕する手段を準備しているかのどちらかでしょう」

「そんな……それじゃもう……」


 不安そうに、心配そうに涙目になる小さな主にアンジェラはクスリと笑いかけた。

 ある種の覚悟を決めて……。


「ヴァリス様、扉にしろ他のルートにしろ……奴らが姿を見せたなら、貴方は窓から外に脱出してください。屋外にいるゴブリンにはさっきやった方法で、なるべく人気のある方角へ……本日ならパーティー会場まで着けば生き残れるはずです」

「そ……それって…………アンジェラはどうするの?」

「私なら大丈夫です。こう見えても強いんですよ?」


 明るく笑い力こぶを作って見せようとするその様が、自分を助ける為に自ら囮になろうとしているのだと察せない程ヴァリスも幼くは無かった。

 焦燥感に駆られたヴァリスは慌ててアンジェラに抱き着いてた。


「嫌だ! アンジェラを置いて行くなんて!!」

「ヴァリス様…………ダメですよ? 上に立つ王族はどんな時にも生き延びねばなりません。まして貴方は国王の実子なのですよ? 下位貴族の娘の命なんて捨て置けるくらいでなくては……」

「うるさいうるさい僕を王子だなんて認める人は誰もいない!! 最初からいつも一緒にいてくれたのはアンジェラだけだったのにそれ以上に大事なモノは僕には無い!!」

「う……」


 使命感や責任感、王族としての責務を盾に説教説得して脱出させようとしたアンジェラだったが、悪い事にヴァリスの反論の方がよっぽど正論だった。

 今更だが唯一の侍女アンジェラでさえ彼の事を王子として扱っていたワケでは無かったのがここに来て不利に働いていた。

 アンジェラにとっても王宮の後宮なんて魔窟で唯一のよりどころが主であるヴァリスである事は間違いない。

 泣き叫びしがみ付くヴァリスの様にアンジェラは胸がズキズキと痛む……。


「そうだぜ~それにそのガキが逃げだしたら俺たちの仕事に支障が出るからな~」


 しかしそんなやり取りを邪魔するように厭らしい粘つくような男の声が唐突に聞こえて、次の瞬間にはアンジェラは背後からナイフを首元に突きつけられていた。


「な!!? ……一体何処から!?」

「さっき自分で言ったたじゃね~か。ここのお部屋の化粧お化けは普段から公に出来ない色んな輩と密会する事が多いからな~。一番守りが堅いと踏んだみてぇだが俺らみたいな人種はココへの入り方はよ~く知ってんのさ」

「!? ヴァリス様逃げて!!」


 暗がりの中、アンジェラの視界に二人の男が自分を拘束しているのが見えて……突然の事態に固まるヴァリスに声を上げる。

 しかしそんな彼女の献身も虚しく、ヴァリスの背後にもう一人の黒尽くめが現れてヴァリスの腕を掴んでいた。


「ひ!?」

「おおっと、そうは行かないな~お坊ちゃん。依頼主からの要望はお前さんがこの場にいないと完遂は出来ないんだからよ~」

「そうそう……方法は問わないけどガキの目の前で御付きの侍女をなぶり殺しにして自分の立場を後悔と共に認識させろってなぁ~」


 そう嗜虐的に不快な笑い声を漏らすと黒尽くめ達は捉えたアンジェラの服の胸元を一気に引き裂いた。


「!?」

「ア、アンジェラ!?」

「ひひひ……中々に田舎娘にしちゃ良い体してんじゃね~の。ガキに大人の勉強させる為には都合が良いぜ~」

「それな~しかし団長も中々いい趣味してんのな。今後の手駒に使えるかもしれないからトラウマと恐怖心を植え付けたい王妃のゲス具合は分かるが、団長殿からこんな仕事を回されるとはなぁ」


 その言葉でアンジェラは理解する。

 コイツ等の目的は主にとって唯一の存在である自分を目の前で嬲り殺しにしてトラウマと恐怖心を植え付けて操ろうとしている事だと。

 逆らえば親しい人、大事な人に自分のせいで危害があると認識させる為の実に腐った調教の一環なのだと……。


「…………」


 だが衣服を引き裂かれ下卑た笑い顔を浮かべる連中を前にしても……アンジェラは悲鳴一つ上げなかった。

 ただ強い瞳で睨み返すその行動の全ては全て守るべき幼い主の為、自分が泣き叫び憐れな姿を見せる事でヴァリスの心に遺恨を残してはならないという彼女の矜持。

 命どころか女性としての尊厳さえもかけてでも主を最後まで守ろうとする姿だった。

 こんな望んでもいない後宮という魔窟で唯一自分の味方であり続けてくれた侍女が、いつでも笑いかけ時には叱りつけて自分を育ててくれた姉が理不尽に目の前で嬲り殺しにされる。




『自分に力が無いから……守ってもらうだけのお荷物だから…………』




グシャ……


「…………え?」


 そんな自虐の想いがヴァリスの心に芽生えた瞬間だった。

 今まさに一番近しい侍女の残酷なショーを見せつけようとニヤニヤとヴァリスを押さえつけていた黒尽くめの男の右腕が鈍い音を立てたのは……。

 何が起こったのか黒尽くめは理解できなかったのだが、自分の右腕があらぬ方向にひん曲がっているのを確認して……理解と共に激痛が走った。

 何か“黒く鎧のような腕に”自分の右腕が握りつぶされていたのだから。


「ギャアアアアアアアア!? な、なんなんだコレ!? 腕!? 俺の腕があああ!?」

「何だどうし…………」

「おい……何だよソレ……」


 下卑た笑い顔で鬼畜の所業を堪能しようとしていた二人も仲間の悲鳴に、その異様な光景を目にして青ざめる。

 さっきまでただの子供だったはずのヴァリスの左の腕が、まるで大男のフルプレートのような巨大な腕となっていたのだから。

 そして黒い巨大な腕は男の腕を掴んだまま振り回して未だにアンジェラを組み敷いている二人の黒尽くめに向かって放り投げた。


「アンジェラから……離れろオオオオオオオ!!」

「「ぶがああああ!?」」


 まさか自分たちの仲間が飛び道具のように飛ばされる何て想定もしていなかった男たちは直撃を喰らい、3人そろって壁に激突した。

 それで気を失う事は無かったものの、更なる激痛と“大量の出血”を目の当たりにして一人の黒尽くめは認めたくな事実と直面する事になった。

 自分を放り投げた“黒い腕”が未だに“自分の右腕を掴んでる”という事実と……。


「ウギャアアアアアアア!? 腕が!? 俺の腕がアアアアアア!!」


 のたうち回る同僚の叫びに黒尽くめたちの今までの興奮が一気に冷める……楽に殺人と性欲の両方を楽しめると楽観していたと言うのに、唐突に命の危機に瀕しているのだから。

 目の前にいる存在が何者なのかは分からない……。

 しかしその存在が明らかに自分たちに敵意と殺意を持って、今は実行可能な戦力を手にした……自分たちがヴァリスを怒らせた事によって。

 言い知れぬ恐怖に震えている間にもヴァリスはゴミでも捨てるように持ったままだった右腕を投げ捨てて黒尽くめたちに歩み寄り始める。


「許さない…………アンジェラを……虐めるヤツは誰であっても……」


 そして体に似合わない巨大な腕を引きずるように歩むヴァリスの瞳は憎悪に満ちていて、恐怖に駆られた男たちは反射的に行動を起こしていた。


「ば、化け物め!! 寄るんじゃねぇ!!」


 咄嗟に放たれたのは無数の投げナイフ……恐怖に駆らたゲス連中でも腐っても調査兵団の一員である男たちの投擲は正確で、しっかりとヴァリスの急所目掛けて飛んでいく。

 幾ら謎の黒い巨大な手があるとしても、そのままでは確実にヴァリス王子が死ぬ……。


「ヴァリス危ない!!」


 そう判断したアンジェラが咄嗟に射線上に体を割り込ませるのは……必然であった。

 この瞬間、ヴァリスの目には全てがスローモーションのように映っていた。


「あ……」


 自分が守ろうとした瞬間にまたもや守られてしまう。


「あああ…………」


 自分に当たるハズだった凶器が一番大切な人の体へと吸い込まれて行く……。


「ああああああああああああああああああ!!」


 自分にとって唯一の大切な存在、守りたい姉、愛しい人が自分を守る為に、自分のせいで命を散らす……その瞬間を前に動こうとしても追い付かない。

 自分の幼い足も、突如現れた謎の左腕もスローモーションな景色よりも更に遅い……ヴァリスはいつの間にか叫び声を上げていた。

 蔑まれるばかりで誰も与えてくれなかった日々の中、唯一自分にとって大切な人を理不尽に奪っていく現状に……運命を定めた何者かに恨みの呪詛を込めて。





「させるかあああああああ!投網術、目玉蜘蛛おおおおおおおお!!」




 しかし……その呪詛は何者かによって止められた。

 定められた運命に抗う、最悪な死に方をするはずだった男が直撃寸前のナイフをかすめ取った事によって…………。

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