閑話 思春期隊長と無自覚悪女

 王宮を外敵から守る為の結界が消失した事実はパーティー会場に集まった貴族たちにも当然伝わり……会場では戦いに慣れていないタイプの貴族たちを筆頭に悲鳴を上げてパニックを起こしていた。

 

「どどどどういう事なのだ!? 国内でも最高の防衛体制を敷いているハズの王宮でこのような……。だからこそ安心して武器を預けたと言うのに!?」

「落ち着いてください。防衛は私どもに任せて……」

「そうだ! せめて貴様の武装を寄越せ!! 私は聖騎士団副団長であるぞ!!」


 そしてそんなパニックを起こす貴族たちの中には怯えた表情を隠そうともせずに会場の警備兵に詰め寄るどこぞの聖騎士隊の副隊長の姿が見えた。

 その姿を結界の消失に欠片も動揺せずに、本日はパートナーとフードファイトに興じる事に決めたノートルム氏はローストビーフを片手に呆れ顔で見ていた。 


「自分も手を貸すとかならまだしも、自分の身の危険の不安を和らげる為に武装を寄越せとか、おまけに別組織の聖騎士団を名乗りやがるとは……あのボンクラ」

「いけませんね~、要人警護となると武器携帯を認められない状況は発生しやすい。特に上役に上がれば上がるほど、要人を守る為に無手で自身の身を犠牲にしてでも戦う必要があるのが職業戦士ですのに……武器が無いと戦えないと口にしてしまうとは」


 シエルも優雅に皿に盛った色とりどりの料理を堪能しつつ、取り乱す聖騎士隊副隊長の醜態を眺めていた。

 こういうイベントの場合招待客として要人の護衛に回る場合、特に王宮などでは特別な許可が下りた者以外は帯剣を許可されないのは当たり前な事。

 ゲスト側での護衛という立場ならシエルの言うように武器によらない戦い方の方が重要になって来るのだが……。


「碌に訓練もしないで聖騎士では本来関係ない爵位を笠に着て、たまに剣術ごっこに興じる程度のボンボンですからね。その剣の腕前も“振る”じゃなく“振り回される”感じですから」

「あら……という事は走り込みは?」

「無論大っ嫌いで下半身の安定など望むべくも無い……これで指揮の能力でもあれば良いのですが、彼の得意技は無抵抗な相手を一方的にいたぶり捕縛する事ですのでね」

「それは……実に頼もしい……」


 パニックを起こす者と落ち着いて状況を把握する者……会場内では露骨にそんな対比が繰り広げられていたが、その中においても、何なら“ライバル減ってラッキー”ってくらいに美食に興じるこの聖騎士と聖女の存在は異質ですらあった。

 ノートルムは結界が防衛手段の一つでしかなく王国軍の警備体制も万全である事を把握していたし、聖女に至っては結界を破壊される状況など日常でしかないからなのだが。

 腕っぷしに自信のある二人だからこそ『今は自分たちの出る幕ではない』と判断しての落ち着きであった。

 しかし不安に思う貴族たちが騒ぎ立てる中、一人の女性の声が会場に響き渡った。


「皆さん、どうかお静まり下さい! たった今王宮全体を包む防護結界が一時的に消失いたしました。これは本日結界担当していた魔導師が持病のため倒れたのが原因ですが、ご心配には及びません。すぐに代わりの者が防護結界を再度発動いたします!!」


 そう言ったのは王妃ヴィクトリア……。

 そして彼女が言った言葉に追従するように窓の会場の窓から見える屋外に再び光のドームが発生していく。

 自分達を外敵から守る防衛結界が再び発動しているのを目にした騒ぎ立てていた貴族たちは一様にホッとしたようで、それまでの自身の失態を忘れたかのように「さすがは王宮、優秀な魔導師を数多く抱えている」「不測の事態にも動揺しないとは、さすがは王妃様」などあからさまなおだて言葉を口にし始める。

 そして一時的な混乱が収まり、再び元のパーティーに戻りつつある空気の中……ノートルムとシエルは逆に緊張感を露に……空にした皿をテーブルに置く。


「……妙、ですね。あの王妃の対応……明らかに動揺からの立ち直りが早すぎません?」

「だな……と言うより王宮の結界が一時的に消失したのにまるで分っていたみたいに一切動揺しなかったように思えますが」

「人を扱う事には慣れていても実戦の策略にはかけては上手では無いのでしょう。そして、そんな演技下手は王妃様だけでは無いようですよ?」


 元よりパーティーでの交流や顔つなぎに興味が無かった事で会場の隅にいた二人は結界消失のパニックから納まるまでをじっくりと観察していたのだが……明らかに動きのおかしい連中がいたのだ。


「……不本意ではあるが、うちの副隊長は除外だな。分かりやすく動揺して醜態をさらしてくれたからな」

「この場合は除外できて良かったと思いましょう」


 まずは結界消失にあからさまに恐怖、動揺してパニックを起こした戦い慣れてない連中。

 その者たちは普通に逃げ惑い分かりやすい行動を取っていたからと二人は除外する。


「あとは王国軍の騎士として名が知られた連中とかその奥方とか……さすがにこういう時でも肝が据わってる。状況把握まで微動だにしなかったからな」

「そのようです。むしろいざとなったら壇上の王家を守る為に配置についていたくらいですから」


 次に除外したのは戦い慣れた貴族たちである。

 この手の連中は二人にとっては好感の持てる、腕っぷしを持っているからこそ緊急時に動揺せずむしろ対処しようしていた輩だ。

 あの喧騒の中、要人を無手のまま守ろうと配置につく者すらいたのだから……ノートルムはそんな連中を他所に騒ぎ立てていた副隊長に益々溜息を吐きたくなる。

 そして……二人が最も怪しんでいたのはそのどれにも当てはまらない貴族たち。

『腕っぷしも無いのに命の危険があるかもしれない事態に動揺すらしなかった連中』であった。


「修羅場を潜った事も無い甘ちゃんが実戦に放り込まれて動揺の一つもしないのは違和感以外の何物でも無いからな」

「肉体も精神も、一朝一夕で身に付くほど易くはありません。やはり自身が上で貶める側であると思い込む者には油断があるようで……」


 二人の観察に引っかかった連中は軒並み“実戦に出た事も無いのに偉ぶるタイプの貴族”であり……中に現在の状況にニヤ付く不用意な者もいる。

 どう考えても何かを知っている側なのだろう……そう考えた二人はその手の貴族たちに注目して監察を続けていたが……そんな中、警備兵の姿をした一人の男が“不用意な貴族”に近寄り何かを伝える。

 その姿を“見て”いた『読唇術』を使えるお友達のいる聖女エルシエルはつたないながらも教わった方法で唇を読み始めた。


「ホケン……シッパイ。 ホンメイ、メクラマシ……シンニュウ…………」

「保険? 本命? 何だか物騒な言葉だけど……」


 内容は分からないけど明らかに不審な言葉にノートルムは眉を顰めるが、シエルは構わず読唇を続ける。


「コガネカセギ……ステ、ホンメイユウセン…………シマツ……カクジツ…………始末、確実ですって!?」

「うわっと!? 声が大きい…………」


 慌ててノートルムはシエルの口を塞ぐ。

 

「君たちの主目的が何なのかを追求するつもりは無いけど、公言して良い事でも無いのでしょう? あまり物騒な事は……」

「……は!? す、すみません、拾えた内容が余りに不穏なモノで……つい」


 咄嗟に無理やり口を塞がれた事に抗議しようとしたシエルだったが、自分が迂闊な事を仕出かそうとしていた事実を止めて貰った事に思い至り、小声で謝罪する。


「いや……こんな場所でそんな言葉……驚く気持ちも分からんでは無いけど……」

「む~……やはりリリーのようには行きませんね~。会話内容が分かるほどでは……」


『読唇術』で拾った言葉は単体だけでも物騒なモノで、そんな会話をしていた貴族の男はしばらくすると挨拶を装ったように……王妃へと近づいて行く。

 シエルはそっちの会話も拾おうと目を皿にして眺めるが、残念ながら王妃はしっかりと扇で口元を隠していてそれ以上の情報を探る事が出来ない。

 シエルはそんな現状に歯噛みしていたのだが、本日のパートナーであるノートルム氏は非常手段とは言え想い人の口元に触れた余韻に心を持って行かれていた。


『……柔らかかった……シエル殿の唇……しっとりと柔らかくて…………は!?』


 そして彼は気が付いてしまう。

 自分が彼女の口を塞いだ事で、とんでもない事が自身の体に起こっていた事に。

 いつもはほとんど化粧をしない聖女シエルだが、本日はブロッサム男爵家の使用人たちが腕によりをかけて夜会の為の化粧を施している。

 それはシエルの美貌を生かす為に濃すぎない薄化粧なのだが、それでも薄っすらと紅は引かれていて…………。

 早い話がノートルム氏の右掌には薄っすらと……シエルのキスマークが付けられていたのだった!!


『これは……何という……何と言う神の悪戯!? いや福音なのか!?』


 この瞬間、ノートルム氏は場に似つかわしくない葛藤に苛れる事になった。

 聖騎士として、貴族令息として高潔である事を望む良心はテーブルに設置されたナプキンで拭うべきだと主張する。

 しかし彼の男子の心は……本能は語り掛ける。

 大丈夫……誰もこの事実に気が付いた物はいない……これは事故なのだ。

 偶然という神の悪戯が齎した千載一遇のチャンスなのだ…………と。

 右掌の、どんな恩賞よりノートルムにとって価値ある刻印を眺めていると……彼の感情は段々と本能に引っ張られて行ってしまう。


『そう……だれも……当事者であるシエル殿すらこの事実には気が付いていない。考え込むように、何かのクセのように装ってこの右手をそのまま口元に持って行けば……』


 潔癖な性格を引きずって聖騎士になってから聖女という厄介な女性に初恋を持って行かれた彼の恋愛観は、思春期の辺りで止まっている。

 そう言う辺りは実に初心なのであった。

 しかしその決断は一歩遅かったようで…………あまりに掌をジッと見過ぎていたせいで当の本人気が付かれてしまった。


「あ……すみません、コレって私のお化粧ですよね。先ほどの……」

「あ……」


 彼の細やかな野望は達成される事無く……汚れに気が付いたシエルによってナプキンで拭き取られてしまったのだった。

 その瞬間、彼は己の決断の遅さを激しく後悔する事になった。


『しまったあああああああ!! 躊躇せずに行っていればアアアア!! 我が最高の聖印があああああああ!!』

「? はいこれで綺麗に……どうかしました? そのようなこの世の終わりのようなお顔をなさって……」

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