第八十五話 脳筋聖女の記憶方式
煌びやかなシャンデリアにオーケストラが奏でる会話の邪魔にならないくらいのBGM。
そしてビュッフェ形式の色とりどりな料理が並び、その内容も豪華かつ美味である事は間違いないと言うのに、その数々の食材は多く残っている……というかあまり手は付けられていない。
それもそのはず、会場に集まったスーツを着た男性も、紅かなドレスをまとった女性も
“そんなものに”興味も無いとばかりに笑顔を浮かべながら……笑っていない。
貴族たちは紳士淑女とは名ばかりの戦場……言葉一つ間違っただけで自身の地位すら危うくする魑魅魍魎共が集うその場所で“楽しめる”強者はそうそういるハズも無い。
「皆の者、本日は我の生誕の宴に集まって貰い大義である。本日は堅苦しい事は抜きにして盛大に飲み食い、楽しもうでは無いか」
ステージ上でそんな当たり障りのない開催の挨拶をしたのはザッカール王国現国王ロドリゲスであるが、盛大な拍手とは裏腹に誰もが国王を祝福しているようには思えない。
それは開催の挨拶の後、特に会場に残って歓談するワケでも無く姿を消した国王自身が一番思っている事かもしれないが……。
「……隊の連中のバカ話しかない飲み会の方がよっぽどパーティーって言えるよな。自分の誕生日をダシに会合を開かれるってのも何だかな~」
男爵家三男であるノートルム氏は俯瞰で見ていて、自分には到底渡り歩く事の出来ない世界である事を肌で感じていた。
彼の実家であるブロッサム男爵領は王国でも端の方にあり、本来こういったパーティーなどには当主である父か、もしくは長男である兄が参加するのが普通だが……招待状が届いた身内は王国にいる聖騎士団所属のノートルムに丸投げしてくる悪癖があった。
遠方で来るのが難しいという尤もらしい事を宣いつつ、その実ブロッサム家の連中は総じてこのような会合が嫌いなのだった。
これで顔つなぎをして領地経営の役に立つなど利点があるなら嫌々でも腰をあげそうなものだが、生憎王国は上層部の腐敗のせいでこういった会合もマウントの取り合い、おべっか合戦でしか無く実りのあるやり取りは存在しない。
王都から離れれば離れるほど上層部との繋がりよりも周辺の男爵、子爵たちとの繋がりを持った方が利点がある。
残念な事に、それはギラルの村を滅ぼした悪政を敷いた男爵と独自に善政を敷くのも方向性としては同じ事。
それであればワザワザ時間の無駄遣いをせずとも近くにいる三男にブロッサム家代表をしてもらおう……というのだ。
ノートルムとてそう言った貴族的な腹の探り合いは自分には向いてないと聖騎士団に入ったと言うのに、実家の連中にそういった事を頼まれる事は大いに不満だった。
別に実家と仲が悪いワケでも無く、ブロッサム家の為になるなら仕方ないって考えも無いでも無いが、嫌なモノは嫌なのだ。
ただ……今回に限ってノートルム氏は実家の丸投げ招待状に感謝していた。
「おや? これはこれは隊長殿……いやここでは男爵家令息としてお呼びするべきでしょうか?」
彼が実家について思いを馳せていると、不意に背後から聞きなれた、明らかに見下したような鼻に付く声が聞えて来た。
「モログ殿……お好きにお呼び下さい」
振り返って予想通りに聖騎士団では副隊長、自分の部下に当たる人物が厭らしい目で立っているのを見て……ノートルムは顔には出さず『面倒なのと会った』と心の中で愚痴る。
教会所属である聖騎士団は本来王国軍とは別の組織であり、貴族的な爵位は無関係な組織なのだが……その辺を理解しない人物は貴族にも、そして教会にも一定数存在する。
そう言う連中が上に立つと碌な事にならないのは王国軍でも同じだが、聖騎士団はその辺の教会の威光がグチャグチャな為、実力ある者と実家の爵位が高い者が混同される事がある。
聖騎士団第五隊に関しては実力を評価されて隊長に任命されたノートルムであったが、その辺が実家の威光で副隊長に任命されたモログは大いに不満だったのだ。
男爵家風情が伯爵家である自分の上司であるのは不敬であると……聖騎士団に入隊した以上職務上実家の階級など関係ないと思えない貴族での者は多いのだが、モログはその筆頭とも言えた。
そんなモログは一人でいるノートルムをニヤニヤと笑いつつ、無駄に露出が多く化粧が濃い女性を侍らせていた。
ノートルム氏はその女性がモログの婚約者である事を思い出すと、女性はモログという男と実にお似合いなニヤニヤ笑いを浮かべる。
「モログ様~? そのような男爵風情の事などどうでも宜しいではないですか。身の程もわきまえずに貴方のような優秀な強者である聖騎士を差し置き隊長を名乗るような男」
「こらこら~いかんぞ~? そのような事を口に出しては失礼であろう……喩え本当の事であったとしてもな~」
……何ともお似合いな二人だ。
優秀で強者……先日聖女がその気であれば10回は天に召される事が出来たのに、その事実に一切気が付く事無かった事を思い出してノートルムは呆れの溜息を必死に飲み込む。
「それにしてもお一人なのですか? 本日はパートナーが必須の会であったはずなのに……貴方はお一人のようで……」
「ホホホ……貴方も失礼ですよモログ様。男爵家如きが用意できる女など高が知れています。精々同列の田舎臭い男爵令嬢か、もしくは平民か……そのような地位の者がこのような格式高い会場に入れるはずが……」
「すみませんノートルムさん……少々遅れました」
しかしモログたちが尚も蔑もうとした時、突然輝く水色の髪と落ち着いたブルーのマーメイドドレスをまとった、まさに『聖女』と呼ぶべき美しくかつ清楚な雰囲気の女性が現れた。
その普段の清楚な修道服とは違う美しさ……普段鍛え上げている彼女のくびれはコルセットの人工物でない事は誰の目にも明らか、そんな普段は隠されている色気を醸し出すその女性に周囲の貴族たちは一気に目を引かれ……そしてその女性が本当に『聖女』であるエルシエルであると気が付く連中いた。
そして当然ながら聖騎士団であるモログも気が付いたワケだが……。
「普段お目にかかれないお料理に目移りしてしまいました」
「いや、構わないけど……良いのかい? 普段はあれ程動きが鈍ると過食は控えているというのに」
「意地悪な事言わないで下さいな……美味しく食べないとお料理に失礼ですよ? 皆さん余り手をお付けにならないですし」
その会話内容の親しげな様子でノートルムのパートナーが誰であるかは明白であった。
確かにモログの婚約者が口にしていたように元々孤児出身の平民である女性だが、その美しさはこの会場の誰よりも精練されていて、しかも精霊の寵愛を受ける『聖女』という存在は爵位云々を挟めない特別な地位にある。
「せせせ聖女様!? 何故貴女がここに!?」
「ええ聖女!? この女……いえこの方がまさかエレメンタル教会の光の聖女様!?」
「何故って……ノートルムさんのパートナーとして来たのですが……え~~っと……」
驚愕する二人を他所にキョトンとした目になった光の聖女エルシエルは小首を傾げた。
そして難しい顔になって「う~~ん」と悩みだしたのを見て、ノートルムはシエルが何を考えているのかピンと来た。
彼はそっとシエルの耳に口を寄せて彼女が必死に“思い出そうと”している事を教える。
「……ほら副隊長の」
「あ!? そうです思い出しました! 5番隊の副隊長のモラルさん!!」
「……モログです聖女様」
しかしノートルム氏のヒントも失敗に終わる。
ようやく思い出せたと思ったのに間違えてしまった事にシエルは真っ赤になって慌てて頭を下げた。
「ああ! すみませんすみません!! 私は“一度でも手合わせした方の名前”は決して忘れないのですが、それ以外の方はどうしても印象に薄くて……」
「な!?」
「ブフ……」
シエルの謝罪の言葉に噴き出したのはノートルム氏でも、ましてやモログでもない……会場にいる赤の他人の誰かであった。
光の聖女エルシエルが格闘をこなせる人物である事を知っている人は知っている。
だからこそ聖騎士団という環境において聖女エルシエルに名を覚えられていないという事は“手合わせを逃げている”事に直結するのだ。
新人ならまだしも、副隊長の地位に至っても……となるとそれは完全なる臆病者の証であった。
おそらくその人物はシエルが言った言葉の裏の意味を知っていたのだろう……瞬く間に知っている者から知らない者へと噂は伝播していき、途端にモログに対しての視線が多くなり始める。
無論嘲りの色を濃くして……。
自分に集まる視線の意味を理解したモログは真っ赤になって激高した。
「ノ、ノートルム殿……いや隊長殿! せ、聖騎士団としましては『教義順守』と反する『証明派』の聖女様と親し気にするのは感心いたしませんな!! コレは教会へ厳重に抗議するべき事ですぞ!!」
自分への嘲りを回避させたいのか露骨に教会の派閥争いを盾にし始めるモログ……さっきはマウントを取りたいからと聖騎士隊長、副隊長を外していたと言うのに、その様は見苦しいものであり……益々嘲笑を誘ってしまう。
ノートルムはそんな状況に置かれたモログがいっそ哀れに思えてきていた。
「確かに教会内で意見を二分する派閥争いは無視できない事ですが、表立って仲よくしてはいけないとも言われてません。私は私がパートナーとして願った女性に同行を了承して貰えただけ……それだけの男ですよ」
「!?」
翻ってノートルムの発言に周囲から“ほう”と言った警戒心交じりの感心した言葉が聞える。
表立って敵対していなくてもモログの言う通り派閥争いは貴族にとっても教会にとっても厄介な事であるのは変わらない。
ノートルムの発言はそれを分かった上で『惚れた女の為なら派閥なんか知った事か』と言ったようなものだ。
敵味方どちらになるとしても覚悟を決めた一人の男として、この場で実家の爵位が上である自分よりもノートルムの方が格が上であると見られた事を肌で感じ取ったモログはしばらく呻き声を上げていたが、そのうち居た堪れなくなったようで「失礼する!」とだけ残して去って行った。
置き去りにされた婚約者が慌てて追いかける形で……。
「やれやれ……聖騎士にまで教義の解釈で派閥を求めないで欲しいもんだがなぁ……」
「……ノートルム様?」
思わず本音を漏らすノートルムの腕をシエルはクイクイと軽く引っ張られ……そして彼は今まさに中々な爆弾発言をしていた事を思い出した。
勢いで『派閥よりも惚れた女』と暗に言ってしまったワケだから、ノートルムは途端に顔を真っ赤にしてシエルへ向き直る。
「あ、いや……シエル殿……今のは…………」
「もう……ダメじゃないですか。ああいう情熱的な事を“間に合わせのパートナー”の時に言ってしまっては」
「…………え?」
しかしノートルム氏の想いとは裏腹に聖女エルシエルは顔を赤らめるでもなく、まるで弟に諭すように優しく微笑んでいた。
「ああいう言葉はしっかりと本命の女性の時に言わないと………………あ、あれ? どうかなさいましたか!? そのように力なく膝を着いて……どこかお加減でも?」
その言葉は聖騎士隊長ノートルムから気力をすべて持って行くには十分すぎる威力……どんな地獄の訓練よりも彼の肉体を脱力させてしまった。
そんな光景に……先ほどまでは表情には出さずに警戒し始めた貴族の魑魅魍魎たちですらノートルムに同情の視線を送っていたのは余談である。
*
見た目は豪華絢爛で煌びやかなパーティー会場とは別に、招待された貴族たちとは別に従者たちは会場に入る事は無く待機という事になる。
執事役になったカチーナさんは室内の控室で限定主人であるノートルムを待つ事になるのだが、御者役の俺と侍女役のリリーさんは馬車での待機となっていた。
本来、ここで馬車にリリーさんを残して俺は王城内部に侵入を果す予定であったのだが……その予定は大いに崩される事になっていた。
具体的にはリリーさんが元職場の同僚に見つかった時点で作戦は詰んでいたのだった。
「なんと!? ではトロイメアでの事変を解決に導いたのはお主らであったのか! 聖騎士団の連中が我が手柄と騒ぐ者もいれば、逆に何もしていないと口を閉ざす者もいるから妙であるとは思ったが……」
どうもロンメル氏はその時の事件の詳細を知らなかったらしく、リリーさんとの久々の雑談で初めて聞いたようだ。
最初はリリーさんの教会をクビになった経緯話していたようだけど、流れ的にその話になっていたのだ。
その中で冒険者の俺やカチーナさんを妙に持ち上げる話があって、さっきからハゲ親父から喜ばしくない熱視線が飛んでくるのが……何とも。
「大げさっッスよ。俺らは聖女様の依頼について行っただけの単なる一冒険者っスから」
ファークス家でやり合った事もあって、このハゲ親父にはあんまり注目されたくね~んだけど……そう思って謙遜してみるが、あんまり効果は無いようだ。
バトルジャンキー特有の鼻息が荒くなり続けている。
「むむう……このロンメル一生の不覚! そのような血沸き肉躍る戦闘に参じられなかった事も、そして好敵手との邂逅を逃していた事も……」
「自業自得でしょ。調子に乗ってお貴族様の屋敷の屋根をぶっ壊したのは自分でしょうが」
あきれ顔で元同僚と話すリリーさんとの緩いやり取りを見ていて……ぶっちゃけ俺は本日の作戦決行を9割方諦めていた。
別口の貴族から不運にもこのオッサンが来ていて、俺たちに注目してしまった時点でもうここから気配を消して離れる事は出来ない。
コレが知り合いでも一般人であれば問題無いが、不運な事にこのハゲ親父は俺よりは範囲が短くても『気配察知』が使える。
不自然に俺の気配が消えでもしたら速攻で気付かれてしまうだろう。
本人に悪意も邪魔する気も無いだろうが……ハッキリ言って隣にいるだけでどんな輩よりも邪魔であった。
『どうする? 言い出したのは私だけど、コレを前に決行は……』
『運が悪かったって今日は従者に徹するしかねーよ。ノートルムの旦那の恋路の応援に専念しようや……』
『りょ~かい……』
小声で決行の断念を宣言……盗賊稼業何かやっているとこんな事は日常的に起こる。
引き際が肝心なのはどんな業界であっても同じ事……今日は運が悪かったのだ。
「この前貴殿も教会に来ていたらしいでは無いか! 言ってくれれば我も手合わせ願いたかったのに……大聖女が“久々に面白い若造だ”と褒めておったくらいだからのう!!」
「アンタらは本当にそればっかりなのか? あの婆さんと言いアンタと言い……」
*
不測の事態に本日の作戦決行を断念するギラルだったが……運の無さを嘆く彼は気が付く事は無かった。
本日、この王宮に世界を一変するほどの『幸運』が舞い込んでいるという事に……。
それは伝承の勇者のよぅに華々しい偉業でも無ければ、英雄譚のように猛々しい戦史とも違う、一つ一つの地味な積み重ね。
人より優れた力も無ければ人を動かす権力もない、ただ不幸な生い立ちの男の子がある出会いを境に少しずつ始めた積み重ね……。
魑魅魍魎と称される権力者たちはその積み重ねられた事実が着実に自分たちの足元を“削って”いる事には気が付かないでいた。
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