閑話 廃棄宮専属侍女の憂鬱

 王宮の中でも後宮と呼ばれる場所は一括りに“王の身内が住んでいる場所”と認識されている。

 直訳すれば正しいのかもしれないが一般的な社会で考える身内とは違い、王妃を筆頭にして後宮に住まう第二婦人、側室などが取り仕切るその場所は“家庭”などと温かなイメージとはかけ離れたドロドロとした策謀の渦巻く魔窟のようなモノ。

 なにしろ後宮に住まう女たちの目的は如何に国王から寵愛を受け、授かった自分の子供が次期国王、または要職に就かせる事に尽きる。

 当然足の引っ張り合い、愚痴や陰口など日常にあり……そんな親たちの陰湿なやり取りを目の当たりにする王子王女たちも影響を受けて行く。

 選民思想が高まり、他者を蹴落とそうとする為に暗殺や毒殺など命の危険がある事すら珍しい事では無かった。

 そんな魔窟である後宮は現在『火の宮』『地の宮』など精霊の名を冠する6つの宮に分かれているのだが、それらには入らない後宮の更に奥に一際小さな宮がある。

 その存在を皆が忘れているワケではなく、宮に名前すら付いていない事から勝手に『廃棄宮』と嘲笑を込めて後宮の誰もが呼んでいた。

 そこに誰がいるのかも知った上で、まるで自分よりも下の立場の者がいる事で安心するかのように……。

 一人の男子、王の御落胤であると誰もが知っているのに王子と認められていないヴァリスがいる事を分かった上でだ。


 無論そんな後々覚えを良くしていても出世に繋がる気配すらないヴァリスの宮に積極的に仕えたい者はおらず、ヴァリスにとって唯一あてがわれた侍女はたった一人。

 専属と言えば聞こえはいいけど、それは名もなき宮に務めるたった一人の侍女という事になり……下位貴族の末娘で王宮に奉公に出されたアンジェラであった。

 彼女も当初は“王子として認められていない庶子”に仕える事に不満があったのだが……残念な事に彼女は普通の両親に普通に育てられた常識人であった。

 そんな常識人がヴァリスの現状を見て何も思わないでいられるワケも無かった。

 まず御年10歳のヴァリスは未だに実の両親の顔を知らない。

 爵位の低いメイドに産ませた庶子であるから下手に後宮の王妃や側室、異母兄弟たちの刺激になってはいけないから、母は名乗らず国王である父親も会いに来るワケには行かない……アンジェラは一応そう言う風に聞いている。

 まるで親は陰ながら無償の愛を注いでいると“本人に”言い聞かせるかのように。

 今日もたった一人『廃棄宮』と揶揄される宮の前を掃除しつつ、無駄に大きく見える6つの後宮が目に入ったアンジェラは淑女にあるまじき舌打ちをしてしまう。


「そうやって伝えていれば私がヴァリス様をそう諭すと思っているのかしら? いえ、むしろ“諭せ”という命令何でしょうね」


 父も母もあくまでも息子を守る為にあえて名乗らず顔も出さない……そう言えば外聞は良く聞こえる。

 しかし一般的常識人であるアンジェラの考え方は辛らつに現実的だ。


「だったら最初から王宮になど入れなければ良い……後宮が魔窟である事など最初から分かっている事でしょうに……」


 苛立ち紛れにホウキを動かすアンジェラはもう何度目になるのか分からない愚痴を零していた。

 王子として認めないのであれば、最初から我が子とはせずに家臣の貴族家に養子に出すとか幾らでも手はあったはずなのに……中途半端な状況で王宮内にヴァリスは監禁されているようなモノなのだ。

 普通に親兄弟たちと育ってきたアンジェラにとって陰ながらとかそんな屁理屈を捏ねて、必要な時に必要な愛情を注ぐ事もしないと言うのは、何もしていないと同義でしかない。


「結局……自分が悪者になりたくないからってだけの八方美人ってことじゃない。中途半端な事をして“自分はやる事はやった”って安心が欲しいだけでしょ! 全く……あんなの国王としても親としても……」

「お~っと、いけませんよ~アンジェラ殿……それ以上は不敬に当たりますよ?」


 しかし更なる口がこぼれかけた時……不意にかけられた声にアンジェリアはハッとする。

 ヴァリスも王子と認められていない身とはいえ国王の子供……当然教養は必要と教師が宛がわれている。


「あ! しし失礼しました!! いや別に今のは不敬的な事では無くてデスネ……」


 いつの間にか目の前に立っていた彼を前にアンジェラは慌てふためいた。

 そんな彼女の姿に男性の教師はメガネをクイっと持ち上げて苦笑する。


「ご心配なさらずとも大丈夫ですよ。気持ちは私も同じようなモノです。彼のお方の優柔不断振りは今に始まった事ではありませんからね。ただ、私以外に聞かれないように注意してくださいという事ですよ」

「あ……あはは……」


 この宮で唯一の侍女である彼女は他の同業者たちとの交流は少なく、また信頼関係も築けてはいなかったが……この教師である男性には少なからず好感を持っていた。

 何しろ“母親ではない証明”というただそれだけの理由で、当時最弱年であったアンジェラがヴァリスの笑顔を見るまでに一年以上の苦労があったが、彼はその笑顔をたった数週で生み出す事に成功しているからだった。

 彼曰く『先に貴女が彼の心に寄り添っていたからです』と言っていた事もアンジェラにとってポイントが高かった。


「ヴァリス様は中ですか?」

「あ、はい……そうです。お部屋にいらっしゃいますが……何やら昨晩から作業をなさっているようで……」

「作業?」

「ちょっと意味は分かりませんが“最強の戦士にしてやる”とかおっしゃってまして……何やら工具とかも持ち込んでいましたから模型か何かかも……」


 アンジェラは言いにくそうに頬を掻いて答えるが、彼は柔らかく微笑む。

 それは正に生徒の成長を喜ぶ教師のように。


「あの方は想像力が豊かでいらっしゃいますから、物語を読解するのは勿論作成する才もおありです。知らない事を吸収し、新たなモノを創造する。私のような古い人間にはマネの出来ない力ですよ」

「古いって……充分まだ若いではないですか」

「若作りであるのは認めますが……おそらく貴女が思うよりも一回りは上ですよ?」

「うそ!?」


 アンジェラは思わず叫んでしまった事がとんでもなく失礼である事に気が付いて、慌てて「すみません!」と頭を下げる。

 そんな彼女に気を悪くした様子もなく、彼はただ微笑んでいた。


「そう……私は先頭に立つべきではない。真実を伝え、時代を担う若者たちの礎となれれば……それで良いのです」

「……難しい事をおっしゃいますね。私はヴァリス様に年相応の喜びを感じていただければとしか思えませんが」

「……そうやって自然と他者の幸せを願える貴女はヴァリス様にとって誰よりも立派な指導者ですよ」

「揶揄わないで下さい……“ホロウ先生”」


 専属侍女に見送られ、教師として訪れたホロウは『廃棄宮』と呼ばれる宮へと足を踏み入れ、人知れず溜息を吐いた。


「他者の幸せを願える尊き精神…………若者に指標を投げようとする私などよりも遥かに素晴らしい教師であり指導者です。こんな事……怪盗殿が聞けば何と答えるのか」


 調査兵団団長にして大図書館司書、並びにヴァリスの教師を担うホロウは静かにだが急速に滅びに向かっている王国を前に……知っている事で悩んでいた。

 古い時代の自分がどこまで、どのように動くべきなのか……。


「数年前にあの少年さえ現れなければ……迷いは無かったハズですが……」




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