閑話 光と炎の聖女
王都ザッカールの中心部に存在するエレメンタル教会は国内では最大の精霊神教の大聖堂を持つ最高機関である。
毎日多くの信者が精霊神に祈りを捧げる為に訪れその厳粛な雰囲気に心現れ信仰心を新たにするという。
そんな場所で神に仕える聖職者の中でも特に精霊に寵愛を受けた者として『聖女』という称号は、それ相応の人格と言動が求められる地位であると言っても過言では無い。
そんなエレメンタル教会の中でも『聖女』の称号を得た者は数名であり、その聖女たちを統括する人物は『大聖女』と言われる……御年68歳のジャンダルムであった。
彼女は今日も『炎の聖女』と呼ばれるに相応しいが派手さの無い赤を基調にした法衣に身を包み、教会の私室で雑務をこなしていた。
そんな聖職者たちの居場所として相応しい厳粛な空気の流れるエレメンタル教会に相応しい場所に……豪快なノックが響き渡った。
ドゴオオオオオオオオ!!
その瞬間に重厚な造りだった扉は粉々に砕け散り、粉塵の向こう側から“見た目だけなら”清楚な微笑みを浮かべているように見える一人の聖女が姿を現した。
「お忙しいところ大変失礼いたします大聖女ジャンダルム様。本日は少々お話がございますが……お時間いただきますよ?」
丁寧にニッコリと言っているようだが『お時間大丈夫ですか?』などと相手を慮る事は無い有無を言わさない態度に彼女の怒りが如実に現れていた。
たまたま別件で大聖女を訪ねていたシスターは、うっかりその“笑顔に満ちた怒りの表情”を目にしてしまい「ひいいいい!!」と悲鳴を上げて逃げ出してしまった。
そんな歴戦の戦士すらビビりそうな聖女エルシエルの眼光を、大聖女ジャンダルムは表情を変える事も無く座ったまま真正面から見据えていた。
「はあ……ノックで扉を開けるなと言ってるだろうに。相変わらず見た目と口調に反して激しい女だね……」
「気に入らない事があるならジックリ拳で語り合えと叩き込んで下さったのは貴女であると記憶しておりますが?」
「口の減らない小娘め…………で? 何の用だい?」
「言わずとも察しておられるのでしょう? 何ゆえにリリーが教会を追われねばならなかったのです? 上層部からは貴女の決定であるとお聞きしましたが? 納得の行くご説明を伺っても?」
静かな口調だが有無を言わさない迫力に大聖女ジャンダルムもウソや誤魔化しが通じる状況で無い事を確信し……少し椅子から腰を上げた。
ただ立っているようだが、聖女エルシエルはこっちの視界に入らないように棍を既に構えていて、更に射程圏内である事も分かっていたから。
「ああ確かにリリーは私が追い出した。大聖女の名のもとに……!?」
ガギイイイイイイイ!!
次の瞬間、ジャンダルムの着いていた机が真っ二つになって吹っ飛び、聖女エルシエルの棍と大聖女ジャンダルムが手にした大振のメイスが鈍い音を立てて激突した。
「……鈍ってはおりませんね。さすがは『炎の聖女』にして『撲殺の餓狼』……我が武の師の志に曇りは無いようです」
「抜かしよる……私は弟子をここまで凶悪に育てた覚えはないがな……光の聖女エルシエル……」
その一撃、そのやり取りでエルシエルは大聖女がリリーを不当に解雇したワケでは無い事を察した。
気に入らなければ拳で語る……この二人の場合は比喩でも何でもなくそのままの意味だったりするのだ。
「ふん、最近はこっちを老人だと勝手に労わる奴らが多いから……ちっとはやり合いたい気分ではあるがね」
「それは恐らく貴女に目を付けられたくないだけかと……まあ返答次第ではお望みのようになるかもしれませんけど?」
「……ったく、激情家が多いはずの炎を冠するアタシよりも喧嘩っ早いのは感心しないね。世の信者共はコイツのどこを見て清純、清楚だなんて評価してんだか……」
聖女の称号を得た者たちは教会の威光を保つために表向きは取り繕う癖が身に付けられている。
喩え本質が武闘派であろうとも、知られなければ表立つ事はない。
そんなワケでシエルが実は脳筋であるとか、日常的に『大聖女』と殴り合いのケンカをするような仲であるのを知っているのは関係者のみ。
この二人がやり合い始めたら近付かないと言うのはエレメンタル教会の聖職者の間では共通の認識であった。
大聖女ジャンダルムはメイスを肩に担いで、溜息を漏らす。
「アタシも『光の聖女』の相棒を追い出したかなかったけどね……これに関しては急がないとあの娘が危険だったからな……」
「危険……ですか?」
それが親友のリリーの事であるのは明らか、シエルはジャンダルムの言葉に息を飲んだ。
「お前らがこの前報告した“トロイメアの虐殺入れ替わり事件”だが……異常なほど対応が早かったとは思わないかい?
「軍は財源確保の為、教会は下手に責任を寄越されないために関係を断つ為に動いたとしか聞いてませんでしたが……」
「まあ“そっちも”間違いじゃないからな。だけども軍隊を動かすのが翌日で、教会が動いたのは深夜とは言え報告の当日だぞ? あまりに早すぎるだろ……まるで前もって準備でもされていたみたいに……」
「!?」
静かに語る大聖女にシエルは凍り付く。
あの事件の当事者は間違いなく信仰を曲解した狂信者たちによる暴走……それは間違いない事実だが、その裏に何者かが糸を引いていると言うのだ。
それも……
「あの事件の黒幕は教会内部にいると? 不測の事態に即時動けるように準備が出来るなど教会内部でも……」
「ついでに言えば軍の方もだ。まるで聖騎士団と競い合う感じで出動してるが、裏でやり取りをして無いとは私には思えんね……」
シエルは寒気と吐き気を覚える。
国も教会も腐敗しているのは彼女自身知っていた事だったが、ここまでとは思っていなかったのだ。
「狂信者たちが勝手に手を汚して稼いでくれた金を献金してくれれば、“うまく行けば”その金を受け取った連中はどういう金かも考える事もなく受け取れる。逆に“うまく行かなかったら”奴らを背信者、犯罪者に貶めて接収、まともな稼ぎ口としてそこそこの利益を得る事が出来る。自分達の手を汚さない実に腐り切ったギャンブルであるな」
確かに報告は切っ掛けになったが、それは黒幕たちに引き際を伝える結果にもなり……そいつらは即時動く事で証明した事になるのだ。
『自分たちはこの件に何の関りもありません』……と。
「ハッキリ言やあお前らも危うかったんだよ。今回はたまたまお前らの報告が先だったから良かったが、万が一“向こう”に発覚するのが先だったらどうなっていた事か……」
「ではリリーは……」
「これ以上奴らに優秀“過ぎる”異端審問官として目を付けられるのは危険だ。自分たちの腹を探られる危険があると判断されると……な」
「そう……ですね」
その態度は純粋に仲間を、弟子を心配する先輩聖女のモノ……危険はトロイメアの中だけじゃなくそれ以降も続いていた事をシエルは知る事になった。
事件が表に露見する方が早かったから、今回はたまたま助かった……そうでなかったらどうなっていたのか見当も付かない。
偶然風変わりな冒険者と同行した事で『黒幕ごと教会組織を壊滅する聖魔女』になっていたかもしれないなど、知る由も無いのだから。
「すまないね……私も本当なら表立って聖職者のまま守ってやると言ってやりたいところだが……所詮大聖女何て名乗っていても上層部にとっちゃお飾り。せいぜい逃がしてやるくらいしかしてやれん」
「いえ、理解しました。認めたくは無いですがリリーは魔導僧……聖女よりは上層部にとっては始末しやすいのでしょうね……心情的に」
派閥がどうの言っているが精霊神教にとって精霊の寵愛を受ける『聖女』は貴重なプロパガンダ……実質的に名があり精霊を直接敵に回しかねないからと躊躇があるのだ。
そんな考えだからこそ『預言書』では教会にとって最悪の結果を迎えるのだが……。
大聖女ジャンダルムは己の力不足を嘆くように溜息を吐いた。
「はあ……思えば10年前にも似たような感じで追い出すしか無かった魔導僧がいたね。冒険者になったとは聞いてるが……」
「以前にもリリーのような方が?」
「ああ、聖女とまでは行かなかったが優秀な光属性の回復魔法の使い手だった。あたしゃ10年たっても何にも変えられてないんだよ……不甲斐ない」
「回復魔法の……」
その瞬間シエルの脳裏に浮かんだのは冒険者から最近ギルド職員へ転職した先輩に当たる人物だった。
同一の人物かは今のところは定かではないが、何故かシエルは間違いなくその人物がギラルの元冒険者仲間にして母代わりでもあったミリアであると思った。
運が良かった……そう言ってしまえば簡単ではあるが、その運を引き込んだのが大聖女が過去に遺恨を残す魔導僧と所縁の深いギラルという盗賊であるなら……。
そう思うとシエルは国や教会の腐敗具合にどす黒くなりかけていた心が少しだけ軽くなった気がした。
もしかしたらまだ……信仰に絶望するには早いのかもしれない……と。
「大聖女……いえ、炎の聖女ジャンダルム様。久方ぶりに一手御指南いただけますでしょうか? これから訓練場で……」
それはシエルなりの励まし……大聖女自身が最もリリーの追放を納得していないうっ憤が溜まっているのを見抜いてのお誘いだった。
無論その気遣いはジャンダルムにも伝わっていて……落ち込みかけていた瞳を吊り上げてニヤリと笑った。
「いいのかいそんな事を言って……伊達に私も『撲殺の餓狼』と言われていたワケでは無いぞ?」
「誰よりも存じてますよ……私が誰の弟子だと思っているんですか?」
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その日は一日、エレメンタル教会にある訓練場は使用禁止になった。
普段は多くのモンクたちによる鍛錬が行われているハズだったが、当のモンクたちが「猛獣同士のじゃれ合いに巻き込まれるのはゴメンだ」と本日の鍛錬はランニングに切り替えたとか何とか……。
爆発音とも取れる何かがぶつかり合う轟音が響き続ける鍛錬場を覗き見る勇者はおらず、真相を知る者はだれもいなかったらしい。
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