第四十八話 血文字の日記帳
ドアのノックはそれから数分も立たない内に聞こえた。
今は間違いなく俺の『気配察知』にもドア向こうにいる人物が細く出来ているが、さっきは全くと言って良いほど索敵に引っかからなかった。
そう考えると今もドア向こうにいる存在が本当にいるのかすら疑わしく思えてしまう。
恐る恐る扉を開けた時、予想通りに修道服に身を包んだリリーさんがいた事にホッとするべきか警戒するべきか分からなくなってしまう。
……警戒すべきに決まってるけどな。
「入っても宜しいでしょうか? “怪盗さん”」
「……どうぞ」
顔を顰める俺とは対照的に笑顔を崩さず……感情の読めない笑顔のまま俺の正体についてハッキリと口にする。
それはこの場において、カチーナさんの前で話す事に問題はないと判断したという事なのだろう。
「ああ、そっち方面の心配はいらないよ? 腐っても私も聖職者でね、賞金首には興味ないからさ~」
そしてこっちの警戒を察したかのようなこの言葉……その内容なさっきの俺たちの会話を知らなければ出てこない内容であり……。
「……あんた、聞いてたのか?」
俺は冷や汗を流しつつ思わず聞いてしまう。
索敵範囲は師匠よりも狭いとはいえ俺だって『気配察知』の使い手だ。
さすがに人の話が聞える範囲内にいたとしたら探知できない方がマレな事……それが出来るとしたらリリーさんは盗賊である俺や師匠よりも遥かに優れた隠形を身に着けているという事に……。
しかしリリーさんはキョトンとしたかと思うと、唐突に噴き出した。
「ん~なワケ無いでしょ? 君の索敵範囲は多分アタシと同じくらい……半径300~400ってとこでしょ? 本職じゃあるまいし、アタシにそんな聴力はないな~」
「…………」
その言葉で俺は自分の索敵範囲が坑道での共闘で把握されていた事を知らされる。
共に別の方法で索敵を行った事でリリーさんの索敵範囲は把握していたのだが、当たり前だが向こうもそれは同じ事だったらしい。
「私はその君の索敵に引っかからない距離から見ていただけよ~。深夜のお部屋で男女が二人っきりってシチュエーションを興奮しながらこの子でじっくりとね~」
「見ていた…………!?」
得意げに『狙撃杖』を掲げて見せるリリーさんの言葉で察する。
つまりこの人はこの時間のランタンしかない薄明かりの中、窓から見えた俺たちの会話を“見て”いたのだ。
「読唇術……ってヤツかい?」
「ご名答~!」
パチパチと夜中である事に配慮した控えめな拍手をするシスター……その表情はどこまでも読めない空虚で不気味な笑顔で彩られている。
「私としてはこんな時間に二人っきりなんだから色々と期待していたんですけどね~」
「……よく言う」
ワザワザ俺の索敵範囲外から会話内容すら覗き見るようなシスターがデバガメ根性だけで監視していたと言われても、さすがに頷けない。
ましてや接触を図る理由を考えるのすらバカらしい。
俺達が“とある人物”の事を話さなければ今夜のリリーさんは俺達に気が付かれる事もなかったんだろうけど……。
「ま……私としてもシエルの話なんか出て来なきゃ、覗きだけして今日はお布団でグッスリ~のつもりだったんだけどね~」
チャ……
その瞬間俺のこめかみに突きつけられたのは、いつもの『狙撃杖』ではなく反対の手に持たれた『
リリーさんが持っている以上こいつも魔力を発射する類の武器なんだろうが、いつものヤツよりも近距離向きに見える。
そんな物騒なモノを突きつけたまま……リリーさんは笑顔を変えずに言う。
「お教え願えますかギラルさん? 貴方は一体何を知っていて私の親友が虐殺を行うなど侮辱するような事をおっしゃるのでしょう? 場合によっては貴方の頭部が無くなるかもしれませんが……」
「この状況でそんな事を言えるのは凄ェな……」
「ええ、少なくとも敵であったら一人は減らせますから……」
短杖を俺に突きつけたリリーさんは、俺に逆手に持ったダガーで心臓を、背後からカトラスを抜いたカチーナさんに既に刃を首元に押し付けられていた。
この状況下においても表情を変える事が無い……脳筋聖女も相当だったが、このシスターも一体どんな修羅場を潜って来たのやら。
……ただそう考えると疑問も浮かんでくる……何でこの場に姿を現した?
度胸もあるし腕もある、おまけに自分の射程範囲何て人に言われるまでもなく熟知しているだろうに、ワザワザ俺たちの射程に入る必要なんて……。
さっきの俺たちの会話など付き合いの短い他人が口にした与太話……気に入らないのであれば今回限りの依頼者など今後無視すれば良いし、悪い言い方すれば彼女であれば秘密裏に始末を考えてもおかしくない。
……そこまで考えて俺は“形だけの”ダガーをリリーさんの急所から下ろした。
「……リリーさん、アンタ何を知った? 親友が俺が言うような侮辱的な予想をしかねない何かを見つけたのか?」
「…………」
「さっきの俺たちの会話で何が引っかかったのかは知らないけど、何かしらの補足になる情報があったんじゃないのか?」
細切れ状態で繋がらない情報だったのに、それを一本に結ぶ何かを知ってしまったから……その情報に自身の親友の名が出て来たからリリーさんは……。
そう思った時にはリリーさんは溜息を一つ吐いて短杖を下ろし、同時にカチーナさんもカトラスを鞘に納める。
「いいの? たった今相棒を殺そうとした不審者に……」
「全員が殺気を込めない牽制など只の茶番でしょう?」
「……ま、ね」
何気に疲れ切ったような表情になったリリーさんは、促されるままに椅子に腰をかけると、テーブルに一冊のボロボロだが紅い表紙の本を置いた。
「これを……この日記を読んで貰えないかな? 君がさっき言っていたミスリル鉱山の話を踏まえて……」
「……日記? これって誰の?」
俺が何の気なしに当たり前の事を聞いたつもりだったのだが、その瞬間にリリーさんは唇を噛み締めて俯いてしまう。
「……坑道内で彷徨ってたゾンビ……アンデッド化した子供が最後まで持っていた物よ」
「子供が……」
何だろうかリリーさんのこの反応は……そんなに痛々しい内容が?
俺は言い知れぬ嫌な予感を感じつつも其の日記帳を開いてみる。
それはお世辞にも綺麗な字とは言えないものの、初めて貰った日記帳に覚えたての文字を一生懸命に書いていた子供の愛らしくも微笑ましい……何気ない幸せだった家族の日常が綴られた物だった。
……途中までは。
〇月✕日
お父さんが「山で石炭よりも高い石が出た」って大喜びしていた。
町のみんなも「これで少しは生活が楽になる」って言ってた。
私が「お肉食べれる?」って言ったらお父さんが「毎日でも食わせてやれるぞ」って言ってたけど、毎日はちょっとぜいたくじゃないかな?
△月◇日
知らないおじさんたちが家に来るようになった。
何かお父さんたちはその人たちが嫌いみたい……いっつもケンカしてるもん。
でも私も嫌い……あのおじさんたちが来るとお父さんもお母さんもお家から出ちゃダメって言うんだもん。
早く帰ってほしいな~。
✕月△日
昨日からお父さんが山から帰ってこない。
何でなのかお母さんが泣いているのに、イヤなおじさんたちが笑っている。
やっぱりあのおじさんたちは嫌い。
それに……怖い。
お父さん……早く帰ってきて。
「な……何だよこれ……」
「ギ……ラル君…………これってまさか……」
読み進める度に俺は足元から急激に冷えて来るのを感じる。
横から見ていたカチーナさんはこの日記がどういう代物なのか、察しはしていても認めたく無いのか……吐き気を堪えている。
正直俺も似たような心境だった。
俺たちは一体……何を読まされていると言うのだ?
……そう言えば俺達がこの町『トロイメア』に到着してから、町中で子供の姿を見ていない事に、今更気が付いた。
アンデッドですら年齢はバラバラであったのに、この町に到着してから見かけた人間は全て“物心ついた大人”しか見ていないのだ。
そして……日記は途中で途切れ白いページが続くが……最期のページに書かれた文字に俺もカチーナさんも戦慄を覚える。
それはまるで“真っ暗な場所で、指で血を使って書いたような”赤黒い文字……。
さむいよ……くらいよ……こわいよ……
たすけて…………おとうさん……おかあさん…………
「ひでぇ……あんまりだろコレ……」
「この娘は生きたまま……あの暗黒の坑道に閉じ込められたと…………そう言う事なのですか!?」
その普通に、幸せに暮らしていたハズの少女の“最後の言葉”を目にした俺もカチーナさんも……その悲劇的な最期にいつの間にか涙を流していた。
そんな俺達をリリーさんは少しだけ安堵したように見ていた。
「……安心しました。どうやら貴方たちはまともな側の人間のようです」
「褒められてんの? それ?」
「無論です……このような日記を年端も行かない少女に書かせた外道に比べるまでも無く尊敬に値します」
書かせた外道……俺達の反応に信用に値すると見たのか、敬語で話し始めるリリーさんはもうある程度の予想が出来ているようだった。
なるほど……確かに“この予想”が立つならこの町で虐殺行為をすると言われても真っ向から否定する気にはならないだろうな。
昨年までは幸せにくらいしていた『トロイメアの一家』の日記を見てしまった後だったなら……。
「坑道に入る前にギラルさんが言った疑問が、コレで説明が付いてしまいますね。外部から来たならばゾンビが多いのが不自然である……と」
リリーさんの言葉で俺は自分が思った疑問の答えが……考えにも及ばないクソみたいに安直で外道な事であった事に、奥歯を噛み締める。
「……一番近くにいる“トロイメアの住人”が殺された後アンデッド化したってんなら納得だよ。そりゃ~損傷も少ないだろうさ……なにせ坑道の内部は“さむい”んだからな」
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