閑話 カルロス死す

 血塗れで誰がどう見ても瀕死の重傷……にも拘らず己が任務を遂行する為に、そして弟の為に鬼気迫る表情で賊を追い駆けて行くカルロス。

 大勢の人々が見守る中、驚異的な身体能力で上空を走り去る二つの影を慌てて王国軍のカルロス隊の面々が追いかけ始めたが、反射的について来ようとしていたバルロス侯爵を始めとしたファークス家ゆかりの雇われ兵士連中は「足手まといだ!」と一喝され、そのまま屋敷へと戻っていた。

 さすがに彼らも徒競走ですら数分で息切れして立ち止まるような体たらくで、屋根から屋根を渡り歩くスピードの連中を前に足手まといと言われて不平を述べれる程恥知らずでは無かったのだった。

 しかし、それが功を奏したのか否か……怪盗ハーフデッドとカルロスの最後の決闘場所がファークス家であった事で、バルロス侯爵は誰よりも早く追いつく事が出来たのだった。


 屋敷に戻ってみれば庭先から血の跡が続いていて、背筋が凍る嫌な予感に恐る恐る血の跡を辿ってみれば……そこは寝室。

 今夜の事件が起こった場所……そこにいたのはどちらも自分の“息子”であった。


 先日生れたばかりの弟を賊から“奪い返し”ベビーベッドで笑うさまを優しく見つめるカルロスの姿……バルロスたちファークス家の面々はその姿を前に息を飲んでしまう。

 その全身は血に塗れていた。

 しかし血の穢れを一切感じさせない神々しさがそこにはあった。

 頭部からの出血は悲壮感と死の恐怖を彷彿させるのに、赤子を怖がらせないように優しく微笑む剣士の姿にファークス家の面々はただただ見つめる事しか出来なかった。

 そして……自分の“最後の”仕事は終わったとばかりに……ふら付きつつ寝室からカルロスが出て行こうとした時になり、ようやくバルロスの口から声が絞り出された。


「な……何故だ……何故貴様は……そこまでする?」


 その言葉は侯爵も義母も妹たちも共通した疑問だった。

 彼らにとってファークス家は、爵位というものは自分たちの全てとも言えた。

 それを失えば自分たちには何もない……義母である現侯爵夫人は本当は女性でありながら長男として育ったカルロスは邪魔でしか無かったし、妹たちもそんな母の教えからカルロスが万が一にも当主になったらと考えれば、立場的にもファークス家から排除したかった……だから冷遇を続けていたと言うのに……。

 バルロス侯爵などもっとタチ悪く、家を守る為に自分が押し付けた男性の役割であるのに逆恨みをしていたと言うのに…………受けた張本人であるカルロスは恨み言一つ吐かず、自らが傷つく事も厭わず、口先だけでなく命を懸けて弟を救い出したのだ。

 自分たちがどれほどの外道をしていたのか……本当のところは良く分かっていたファークス家の面々にとって、カルロスの行動は理解できない事だった。

 しかしカルロスは……溜息を一つ吐いて悲痛な覚悟も決意も何もない、何でも無いように言った。


「何故って…………弟を助けるのに理由が必要なのですか?」

「あ…………」


 それだけ……その言葉だけを残してカルロスはふらつく足取りのままファークス家から、自分の実家だった屋敷から出て行った。

 言葉を失った侯爵はどうしようもない敗北感と罪悪感に……膝から崩れ落ちた。

 押し付けた役割を、自分ではできなかった偉業を遂げるカルロスに嫉妬し、あらゆる妨害、誹謗、冷遇をして……最終的には泣き言を言って欲しかった、父として頼って欲しかったというクズの如き自分に対してカルロスは一つも求めなかった。

 求めず押し付けず、ただ兄であり……姉であり続けたのだ。

 碌に面会すらさせなかった、数日前に生まれたばかりの弟に対して……。



 その敗北感と罪悪感を伴い、ファークス家の面々は心の整理も付かずに翌日を迎える事になった。

 しかし複雑な心境の面々に翌朝告げられた現実は……自分たちの行いの愚かさを決定付ける酷く残酷な結果だった。


「……え? 今……何と言ったのだ?」


 早朝、朝日も昇り切らない時間にファークス家に訪れたのはカルロス隊の副長を名乗る一人の兵士だった。

 その兵士が告げた昨夜の顛末に、バルロス侯爵は奈落の底へと叩き落とされた。


「隊長は……我らカルロス隊隊長、カルロス・ファークス隊長は昨日亡くなりました。賊との戦闘で受けた傷による出血多量が原因で……」

「そ、そんな馬鹿な!?」


 昨夜からファークス家の連中はあれ程の冷遇をしておきながら次期当主バルログを救出してくれたカルロスに……罪悪感に苛まれて、とにかく謝罪をしようと、許しを請おうと考えていた。

 帰ってきたら……そんな“都合の良い事”を考えていたと言うのに……亡くなったと……もう帰ってこないと告げられたのだ。


「カルロスは……あやつは今どこに!?」


 せめて遺体だけでも……普通に埋葬を考える家族なら当然の言葉なのだが、その言葉を聞いた副長を名乗る男は露骨に苛立たし気に顔を歪めた。

 今更何言ってんだコイツ……とでも言うように。


「……あの人の遺言です。もし自分に何かあった時、その時は自分の遺体を決して人の目に触れないようにライシネルの大河へ流して欲しいと……後に自分が何者であったのか調べられるような事が無いように……と」

「な、何だと!? ライシネル大河!?」


 ライシネル大河はザッカール王国の南部に流れる年間通して流れの強い大河で、そこには肉食の魔物も多く生息している。

 実際に王国内部でも所属不明やワケありの人物の遺体処理に使われる事も多く、王国でも問題視されている曰くがあるのだが……。

 そこに流したとなれば……。

 共に聞いていた侯爵夫人も使用人たちであっても、その結果については考えるまでも無く……顔を蒼白にして崩れ落ちる。


「き、貴様……貴様は何という事を! あんな場所に流されたとすれば遺体は骨も残さず……何故そのような鬼畜の所業を!?」

「鬼畜の所業……だと?」

「く……いたた!? 貴様何をす……」


 焦り、怒りの表情で胸倉をつかんで来たバルロス侯爵だったが、その腕をへし折らんばかりの力で副長は握り返す。


「てめぇ~には……てめぇ~だけには言われる筋合いはねぇ……クソジジイ!! あの人が、どんな想いで俺に自分の死体の後始末何て託したと思ってやがる!!」

「な、なにを……」


 分隊の副長であるなら侯爵よりも爵位は下……どころか平民でもおかしくはない。

 だというのに、バルロスはその本気の怒りの咆哮を前に不敬だのという感情は湧き上がらなかった。

 それ程の“本気”がそこにはあった。


「あの人は常に実家の事を考えていた。こんなクソ下らねぇ家と自分を冷遇するようなクソ共を守る事だけを考えて、それこそ自分の人生をかけてだ!! それに引き換え、てめぇは、てめぇらは一体あの人に何をしてやった? 何をしやがった? 言ってみろ!!」

「そ……それは……」

「クソみてぇな家では得られなかったモノを……それ以外であの人が頑張って頑張ってようやく得て来た掛け替えのない信頼を、絆を……てめぇは一体どうしようとしてやがった!? ちっちぇえそのプライドを満たしたいが為に、そんなくだらねえ事の為に、どんな地獄に突き落とそうとしていやがった!?」


 男の怒りの咆哮は易々とバルロス侯爵の、ファークス家の面々の心を打ち砕いて行く。

 その言葉に反論できる者は誰一人としていない。

 絶望の果てにカルロスが、カチーナがどうなるか何て考えた事も無かったのだから。


 そんなショックを受けている様ですら腹立たしいとばかりに、副長を名乗った兵士は侯爵に対して一つの首飾りを渡した。


「……こいつが隊長の……ただ一つの形見だ。父から貰った唯一のアクセサリーなんだとよ……」

「こ、れは……」


 最早憤怒を隠そうともせずに投げ渡されたのはロケットの付いた首飾り。

 女性であったカチーナがカルロスである為に幼い時に付けさせた、ロケットの肖像と姿を『入れ替える』事の出来る魔道具……。

 震える手でロケットを開いた時……目に入ったのは男性の姿、カルロスの肖像で……バルロスは娘が最後には女性の姿で逝った事、そして自分が長男ではなく娘として、カチーナとしての姿を知らない事に思い至って……更なる絶望を味わう事になった。

 最早どうあがいても……喩え死後であっても自分は謝罪する事すら敵わないのだと……。


「恥を知れ…………今更遅いんだよ」


 膝を付いて嗚咽を漏らし始める侯爵に、副長を名乗った兵士は哀れみの瞳など一切含めず……より不快なモノを見たと吐き捨てるように一瞥して呟いた。


 一枚の金貨を片手で弾きながら…………。


                 *


 数日後……殉職した王国軍分隊長カルロスの葬儀はひっそりと行われたのだが、そんな彼を慕う人々は多く……隊の同僚は勿論、学園での同級生や日常から交流のあった商店街や労働者たち……市民も多く訪れたという。

 騎士として、そして兄として命がけで弟を救う為に奮闘する様は大勢の人々が目撃していて、カルロスの所業を皆が英雄の所業と誉め称え、涙したのだった。


 葬儀の後……ファークス家当主バルロスは王国に対して自らの罪、裏組織へつながる数々の証言をし、王国へ自らの厳罰を願い出たという……。

 しかし『まだ裏組織を自ら利用していなかった』事と今回の証言のお陰で数多くの恩赦が認められて……バルロスはむしろ王国から評価される事になる。

 多くの貴族は侯爵の立ち回り方に“うまい事やった”と羨み、尊敬する者すらいたのに……当の本人は落胆したように「王国も私を裁いてくれないのか……」と呟いたとか。


 罪を自覚した時、罪悪感を覚えた時、許しも裁きも与えられない地獄……ファークス家の者はこれから生涯かけて味わう事になるのだった。

 ただ一人、長男バルログを除いて……。

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