閑話 2つの恩人 (聖女side)

 万が一生まれたばかりの赤ちゃんが私の広域結界に触れたら……その可能性を考えると聖女として、そして一人の人間として私にはそうするしか無かった。

 結界を通過するには方法は二つ、私の結界よりも強い力で突き破るか、源である私からの魔力を断つか……私が想定したのは後者、おそらく私の意識を断ち結界を消す算段なのだろうと。

 まさか私自身に解かざるを得ない状況に陥らせるとは……。


「おのれ! 卑怯な……」


 放り投げた小さいおくるみを空中でキャッチした黒い衣装の賊は、そのまま隣家の3階建ての貴族宅の外壁を一息で登り切り向こう側へと姿を消してしまった。

 ……しかし悔しさとは裏腹に確信した事もあった。

 

「シエル~無事~?」

「ケガは無いか? 聖女エルシエル」


 恐らくアレが件の怪盗ハーフデッドだろう。

 私がそんな想いで夜空を見上げていると教会の仕事仲間、異端審問実働部隊の二人が駆け寄って来た。

 私のところまで来たという事はこの二人の攻防を抜けて来たという事なる……そう考えると、ますます単なる窃盗や誘拐犯とは考えられない。

 明確な目的を抱えたプロの殉ずる何か……。


「何故結界を解きおったのだ! 賊を捕らえる為の牢獄であると言ったのは貴殿本人であろう!! おめおめと逃がすような真似を……」


 ……が、思索しようかと思った矢先に当主バルロス侯爵が怒りの表情で詰め寄って来た。

 私は内心、思わずため息を吐く。

 結界を解かざるを得なかった理由はあるが、館から賊を逃がした事実は変わらない。

 その事については言い訳の仕様も無く、この場の罵倒は甘んじて受けるべきであるな……と、私は反論する事を諦める。


「……申し訳ありませんバルロス侯爵」

「高いお布施をせびっておきながら何が聖女か!? とんだ役立たずでは無いか!! もしも大事な我が家の跡継ぎに万が一の事があれば……」




「ハハハハ、ハハハハハ、ハ~~~~~ハハハハハハハハ!!」




 しかし尚も繰り返そうとする侯爵の罵倒は唐突に響き渡った笑い声にかき消される。

 侯爵も護衛の兵士たちもギョッとして声のする方角を見上げた。


「な、なんだこの声……」

「な!? あれは…………」


 闇夜の中、月光に照らされる自分の姿を誇示する為に、ワザワザ集まった兵士たちの感情を逆なでるかのように……赤いマフラーを靡かせた黒装束の男が、さっき姿を消したはずの隣の屋敷の屋根からこちらを見下ろしていた。

 考えるまでも無くその男はついさっき私に結界を解かせた賊と同一人物……のはず。


「今宵闇夜の舞台を盛り上げる美しき月光の元、我に今生に置いての恩人が二つある事は幸運の至り……。我が心の内は既に凪……こうして心置きなく自己紹介が出来るのも恩人が存在していたからである!! 我は怪盗ハーフデッド! まずは一つの恩人である聖女殿にお礼の儀を申し上げたい……」


 ……しかしたった数分間の間に何があったのか、さっきまでの鬼気迫る雰囲気が鳴りを顰めて余裕すら感じられる。

 まるで別人のよう……私はそんな奇妙な不気味さを覚えた。


「大の大人でもショック死しかねない高度な広域結界、さすがの私もコレを突破する事は不可能であったが……赤子の安全と引き換えに捕縛を優先は出来ぬよなぁ~」

「……………………」

「…………なに?」


 コレ見ようがしに小さなおくるみを見せつける賊を苛立ちながら睨みつける私の隣で、結界を解かざるを得なかった理由をようやく理解したのか侯爵の間の抜けた声が漏れた。


「教会の威信、犯人捕縛の名誉、そんな事を意にも介さず幼子に危機が及ぶ可能性があるなら迷わず些事と投げ捨てる。さすがは教会が誇る聖女……その名は伊達ではないようだな!!」

「……その矜持を利用されては世話が無いですけどね」

「まさしく……な。本当は利用しちゃいけないんだけどよ……」


 ……ん? つい私は賊に皮肉めいた言葉で返してしまいましたが………………なんでしょう今の反応は。

 まるで何か不本意な事があるような、それについて罪悪感がこもっているような?


「まあそれはそれとして……侯爵殿、今宵私は貴殿のファークス家より予告の通り『小さき魂』を頂きに参った。ゲストが豪華すぎでいささか予定とは違ったが、これで我が舞台は整った!」


 高らかにそんな事を言いつつ黒装束の男『ハーフデッド』は小さなおくるみをコレ見ようがしに見せつけて来る。


「貴様!! 我がファークス家の大切な跡取りを返すのだ!! 即刻返さねば捕らえたのち一族郎党地獄を見せてくれる!!」


 そのあからさまに相手を煽る物言いにバルロス侯爵は顔面を真っ赤にして怒鳴り散らす。

 それに合わせてファークス家に雇われた兵士たちもゾロゾロと集まり出し、さっきだった目で屋根の上の男を睨みつける。


「おお怖い怖い……しかしまだまだ私の舞台には君たちでは主役は務まらない。主役が登場するまでしばしの前座ならば君らでも務まるであろうが……」

「ぜ、前座だと!?」

「な、舐めやがって! 降りてきやがれこのクソ野郎!!」

「フハハハハ怒ったかな? こいつは失礼した……私もまだ目的を達成してはいない。貴殿らが主役として相応しいのであれば、この私を地獄へ叩き落した者こそ今宵の舞台の主役にふさわしい……」


 殺気立ち品の無い罵声を浴びせる眼下の男たちに黒装束の男はしっかりと顔を隠しているにも関わらず、楽し気に笑っている事だけは万人に理解できる。


「さあ追って来るが良い! 狭い館が舞台では主役は何時までも現れない!! 盛り上がって行こうではないか!!」


 そう言った瞬間、『ハーフデッド』は踵を返して隣家の屋根から屋根に飛び移って走り出し、今度こそ本当に逃亡を開始した。


「ああ逃げやがった!!」

「まてえええ! 息子を返すのだ!!」

「くそ、追ええええええ! 絶対に逃がすなああああああ!!」


                 ・

                 ・

                 ・


 一連の演説……というか茶番に惑わされてファークス家のお歴々は当主を含めて逃走するハーフデッドを怒りの表情で必死に追いかけ始めた。

 その様子を眺めつつ……我らエレメンタル教会の3人の口から同時に溜息が漏れた。

 

「コレで完全に確証が持てました……私は完璧に出し抜かれたようですね。ワザワザあのように『結界を解いた聖女に罪は無い』などと公言する必要なんて無いでしょうに……」

「妙な所で律儀な悪党ですな~」

「あれは“悪役”の類じゃないの~? 逆に私たちはどうやら舞台のゲスト扱いだったみたいね……」


 カラカラと笑うロンメルさんに比べてリリーは若干不満げでもある。

 その気持ちも分からなくは無いけど……私個人としてはいつも目にする教会組織のしがらみや貴族たちの腹の探り合いのような場に比べれば、幾分かやりがいのある役柄にも感じていた。


「想定外のゲストである私たちに気遣える御仁です。生後数日で首も座らない新生児を乱暴に扱ったり、ましてや放りなげるなど無体をする事は無いでしょう」

「あ~~~~つまり……」


 リリーがチラリと後を振り返り呟こうとした言葉を、私は彼女の唇に人差し指を当てて押しとどめた。


「リリー? その先は無粋というものです。主役を盛り立てる為に悪役が活躍するなら、ゲスト参加の我々は舞台を邪魔しない事が重要ですよ?」

「某は是非とも主役の配役を賜りたいところですがな! あの若者、中々の身体能力……パワーとスピードがどちらが優秀かなど願っても無い対戦相手なのですが……」


 ロンメルさんは自分の頭をペタペタ叩きながらそんな事を言いだす……好敵手と相対したらこの人はいつもこれです。

 実績だけなら私たちよりも遥かに異端審問部隊として貢献しているのに、上の地位とかには一切興味を持たず40を超えて尚現場の、危険を伴う仕事ばかり請け負っている。

 ……困ったものです。


「今晩は抑えてくださいロンメルさん、我々は正面からぶつかるべきではありません。それに……彼の御仁との付き合いが今回のみとは思えませんし」

「……だね。今後の為にも今回は顔合わせって事で、適当に追跡した感を出して神殿に戻りましょうか。ゲストが本編に絡むのはマズいでしょ」


 そういうリリーの口調は今度は若干嬉しそうにも聞こえた。

 それはロンメルさんの好敵手を見つけたというモノじゃなく、しいて言うなれば共に孤児院で過ごした幼少期にシスターに悪戯を仕掛けた時の共犯めいた楽し気な笑顔にも見えて…………思えばこんな顔をしたこの娘と色々やらかし、何度シスターに大目玉を喰らった事か……。

 実働部隊として共に活動する事が多くなった最近はあまり見る事は無くなった類のソレに、背筋がゾクッとする。

 

「リリー……程々にね?」

「分かってるってシエル~。今日のところはね?」


 妙な感じですが……怪盗ハーフデッドが厄介な人物に気に入られた事に、軽く同情せざるを得ませんでした。


「…………しかしあのような一人語りをする前に数分間姿を消していたのは何だったのでしょう? 2つの恩人とかも良く分かりませんでしたし……」


                *


 ファークス家のお隣は、とある伯爵家のお屋敷なのだが……その屋敷の一角に存在するトイレに一枚の金貨が置かれていた理由は……残念ながら全てを見ていた満月しか知り得ないトップシークレットなのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る