第二十三話 ギラル氏、人生最大の危機

「ロンメルさん! リリー!!」


 混乱して騒ぐだけの侯爵夫妻を他所に聖女エリシエルはいち早く冷静さを取り戻して歩哨に立っていた仲間を室内に呼び入れる。

 二人の仲間たちは聖女の緊迫した声色だけで異常事態を瞬時に理解し、各々が警戒を最大限に戦闘態勢へ移行……部屋の中央に密集して死角を無くす。


「一手先を行かれたようですなエリシエル様。今回はどっちの弱点を突かれたのですかな?」

「昨日から展開していた結界に破られた感覚は一度もありませんでした……つまりは」

「もう侵入していた方向か……」

「どういう事だ! 既に侵入されていただと!? それは結界が破られたという事では無いのか!? あれ程高い金を払わせておきながら……」


 警戒しつつもどこか賊を褒めるような教会の使徒たちに侯爵は怒鳴りつける。 

 そんな何にも分かっていない当主に3人とも溜息を吐きそうになるが、エリシエルは周囲を警戒したまま無表情に説明する。


「ご当主……我が光の結界は上空お呼び地面にまで達する、全体では球形に張り巡らされた壁、そして魔力の感知は発動した私にフィードバックされ破られれば確実に分かります。いきなり殴られるような感覚を味わうと言えば良いでしょうか? その感覚は昨日から一度もありませんでした」

「だから、それがどう……」

「賊は我らが屋敷に訪れる遥か前から侵入して気配を殺していたのですよ。貴方にも、ファークス家の人々も……私たちにすら気付かれない程の高度な隠形技術によって」

「!?」


 エリシエルの説明でようやく理解できたらしい侯爵は、ようやくここに至るまでの危機的状況に気が付けたようで青くなった。


「ずっと……いただと? 屋敷内に?」

「……言いたくは無いですが向こうがその気であれば数日前にご子息は攫われていた事でしょう。今になり事を起こす理由はただ一つ……予告を忠実に厳守しようとする意味不明な矜持のためでしょうね」


ドン!!


 しっかり護衛を雇い、魔導具でセキュリティーも完璧であるとタカを括っていた自慢の屋敷が穴だらけであった事を指摘され侯爵は言葉を失うが、そんな彼を嘲笑うかのように屋外から爆発音が鳴り響いた。


「な、なんだ今のは!?」


 侯爵は慌ててベランダから音のした方向に目を向けるとそこは一階のエントランス……つまりは玄関先だが、そこから白い煙がもうもうと立ち上がっていた。

 異常事態に歩哨に立っていた護衛の連中も集まり出しているのが見える。

 そんな光景に聖女エリシエルはおおよその意図を分かった上で当主夫婦に指示を飛ばす。


「ご当主! あの爆発が賊の仕業である事は明白ですが、まず間違いなく陽動の類……歩哨に立っていた方々がエントランスに集まってしまうのは宜しくありません! すぐに逃走経路の封鎖を指示を願います!」


 エリシエルの言葉に侯爵はハッとする。


「そ、そうだな! しかし聖女殿の話では奴らは賊の侵入を許していた烏合の衆……そんな連中が役に立つのか? 下手をすれば取り逃がす事に……」

「……私の結界は外部からの侵入は元より、内部からとなれば牢獄にもなります。それこそ結界を解くには膨大な力で破るか、私自身の魔力供給を断つしかありません。我らは独自に賊を追います故、敷地内の防衛体制の構築を優先して下さい」


 聖女の言葉にまるで役立たずを知らずに雇っていた風に慌てて部屋を出て行く侯爵夫婦を3人は醒めた目で見送る。

 おそらく侯爵を始めとしたファークス家の者たちはエリシエルの言葉通りに防衛を敷いても、何にも役に立たない事まで予想した上で。

 ならば何故そのような事をエリシエルが言ったのかと言えば……。


「さて、うるさい邪魔ものには出て行っていただきましたが……お二人とも、いかが思われますでしょうか?」


 出て行った途端に本音で口を開く同僚に二人は口元をわずかに上げる。


「行儀の良い方のようですな……我らが屋敷に居座っているにも関わらず予告状の通り夜空に満月が浮かぶ時間まで待機するとは」

「……自己主張の強いバカか、承認欲求の強いバカか……ただモノじゃない事だけは確かね。数日前から潜んでいて私たちの目すら欺くって事は、少なくともカタギじゃないよ」

「ええ……おそらく出所は違えどプロですね。私たちと同じような……」


 王国軍や冒険者と同じように教会にも戦闘に関わる組織は古来より存在する。

 その中でも異端審問などを担当する者たちは、荒事に長けていなければいつ命を狙われるか分からないまさに教会組織の武闘派とも言えた。

 そんな戦闘組織たる異端審問官として教会に従事する力ある者、特に聖なる力と目されやすい光の魔術を行使できる女性は『聖女』とされる。

 だからこそ彼女たちには分かるのだ。

 敵は手ごわい……と。


「扉の前で異常は無かったですな。護衛やメイド、風の動きまで警戒していたつもりなのですが……」

「アタシの魔力感知も同じ、セクハラして来た奴らも含めて数の増減は無いわ。まず間違いなく賊は私らが訪問してから微動だにしていなかったはずよ」

「…………そうですか。私もロンメルさんの『気配察知』やリリーの『魔力感知』ほど特化した察知能力は無いですが、さすがに目の前でご子息が攫われる瞬間を見逃す程未熟であるつもりはありません」


 エリシエルの言葉で三人ともチラリと同じ方向を見る。

 音も出さず姿も見せず、瞬時に赤子を攫う…………扉から侵入しての犯行というのはいささか現実感が無い。

 だったら最初から入って来る作業を省略してしまえば良い。

 そっちの方角は何もない……異常など何も無いように見えるが……。


「この際攫った方法などは置いておきましょう。問題はハーフデッドなる盗賊がどうやって手に余る赤子を抱えたまま逃走するか……ですが」

「……我らに気取られぬ見事な隠形とはいえ逃走時の物音、風の音すら消すのは困難。というよりもその時点で隠形に気を配る意味はないか」



 そして3人は部屋から出る事無く、揃ってただ一点……寝室の高い天井を見つめていた。


「爆発が陽動なのは明らか……そして逃亡の気配がまだ感知できないなら、まだ逃げていないという事なのでしょうね」


               *


 拝啓、皆さまいかがお過ごしでしょうか?

 私冒険者独り立ち一年目の盗賊シーフギラルと申します。

 今私は窮地に立たされております。

 ファークス家に潜入して予告した時間に行動を起こす手はずではありましたが、決行前日になり侯爵が教会から使者を招いた事が現在の窮地を招いております。

 潜伏と言うのは盗賊にとって必須スキルの一つ、人間であれ魔物であれ気取られずに潜んでいられると言うのは情報収集または攪乱などにも重要で、大げさではなくこの技法のお陰で命を繋いだ経験も多いです。

 この分野ではスレイヤ師匠にも未だ遠く及ばない私でありますが、動かない事を前提にするならば達人でも見破れない程の気配も魔力も消し去る術を身に着けております。


 そう、あくまでも動かなければ…………。


 ハッキリ言えば昨日までは余裕がありました。

 ファークス家の皆々様は私の『猫歩』と『気配断ち』に気付く事も無く余裕で過ごせていたのですが、明らかな手練れである3人……特にロンメル、リリーと呼ばれた二人は明らかに各々『気配察知』と『魔力感知』という別々の技能を持っていて連中が来てから私は微動だにするワケにも行かなくなりました。

 そしてその結果、現在の窮地なのであります。

 無論潜伏を前提にしておりましたので先日より飲食は最低限にしており、節穴おやさしいのファークス家の要所を何度か拝借させてはいただいておりましたのですが……。


『トイレに行きたい………………』


 第一目標、寝室から赤子を消し去り時限式爆弾で陽動して寝室から侯爵を含めた人間を外に追い出す……俺は腕の中におくるみに包まれた小さいモノを抱えつつ、そんな事を考えていた。

 早く目的を達成して脱出したらトイレに……切実にその事だけが頭を巡る。

 しかし計算外の事態はまだまだ続く。

 予定通りに侯爵は陽動にかかってくれたようだが、教会の3人は出て行くどころか戦闘態勢を取っているようで…………ま……まさか……。

 今は奥歯を噛み締めて気付かれない事を祈るしか無いのだが…………その声はまるで自分に向けて話しかけられているかのように聞こえて来た。


「爆発が陽動なのは明らか……そして逃亡の気配がまだ感知できないなら、まだ逃げていないという事なのでしょうね」


 バレた!! 早えよチクショウ!!

 聖女エルシエルの声は完全に上に向いている、つまり俺が現場を離れずに天井裏にまだ潜んでいる事をほぼ確信しての言葉だ。

 そうなれば最早潜伏は無意味、俺は瞬時に完全に気配を断つ事を諦めて意識を逃走に移行する。

 一歩踏み出した瞬間に下から確信に満ちた声が響く。


「動いた! やはりな!!」

「魔力も感知したよ! 賊は天井裏を南方向に移動してるわ!!」

「ロンメルさんは追って! リリー、辺りを付けたら狙撃を! ただし手足を狙うのですよ、赤ちゃんには絶対に当てないように……」

「承知!」

「分かってるよ、目的はあくまで捕縛でしょ!」


 連携も早え! 瞬時に俺の逃走方向を割り出して役割分担している。


ボゴオオオ!!


 そして感心している間もなく、俺が今まで立っていた部分の天井が木っ端みじんに砕け散り、予想通り2メートルはありそうな身長の、予想よりも遥かにマッチョ見えるスキンヘッドのオッサンがそのガタイでは想像も付かない程身軽に姿を現した。


「フハハハハハ、お初にお目にかかるハーフデッド殿! 拙僧はエレメンタル教会に属する拳闘修行僧が一人ロンメルである!! これまで我らの目を欺いた隠形は見事の一言。だが貴殿の目的『小さき魂』を渡すわけには行かぬのだ!!」


 教会関係者なのだから清廉なイメージが勝手にあったけど、このオッサンはどう見ても好戦的に笑っているように見え……俺は逃走速度を速めた。


「行くぞ盗賊め!!」


 そして掛け声とともにロンメルは狭い天井裏を走り俺の事を追いかけ始めた。

 …………直接目にして更に確信する。

 それは『酒盛り』時代に師匠たちに抱き続けた感覚に酷似した、今の俺には絶対に勝つ事の出来ないという“何かそんな生き物”という実に理不尽だが的確な危機的感覚。

 巨漢では狭いはずの屋根裏部屋をものともせず、バキバキと梁を破壊しつつも速度を落とすことなく追いかけ始めたスキンヘッドのマッチョは純粋に恐ろしい!!

 しかし、そんな恐ろしい化け物の登場よりも俺には切実な問題があった。


 攻撃を受けたら、捕まったら漏れる……その事の方がむしろ切実な恐怖として俺にのしかかる。

 計画の為とはいえ都市部全土に予告状をバラまいたせいで、もしもここで醜態を晒したとすれば末代までの羞恥にしかならん!!


「ほう! 我が追撃でも追い付けないとは、中々研鑚を積んで折るようではないか貴殿!!」

『うおおおおおおおおトイレ行きてええええええええええええ!!』


 別の意味で切羽詰まった俺の逃走速度は、不本意にもこれまでの人生でも最高速度を叩き出す事になった。


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