第二十二話 月下の絶叫
俺は体は休ませつつ五感は常に警戒し続けるように脱力、リラックスしつつ警戒を続ける潜伏を再び使う。
回復師だったミリアさんは『瞑想』と言っていたがあながち間違いでもない。
『気と言うものすべてに気を配れ』、それはスレイヤ師匠に重点的に叩きこまれた盗賊としての心得だった。
自身の気配、他人の気配、魔物の気配、自然の気配、ワナの気配……そう聞くと一見オカルトめいて聞こえるけど師匠の言葉の意味は違う。
五感の全て、音を匂いを動きを触覚で感じ取り、気……すべての事象に対する気、すなわち事象に残る“気持ち”を感じ取れというもの。
例えば罠の発見などは仕掛けた人間の意図、“ここなら油断するだろう”とか“こう誘い込んでやろう”といった裏の考えを通路の構造などから見破る技能が必要になって来る。
ダンジョンなどでその技能が備わっていない盗賊が斥候を務めて、犠牲になるのが自分だけならまだしも仲間も巻き込んでパーティ全滅~なんて話は星の数ほどある。
そんな技能を叩き込まれた俺だから集中して五感、特に聴覚を研ぎ澄ますと徐々にファークス家全体の音が聞こえだす。
……最初はここから一番近い侯爵やら夫人やらの声と赤子の寝息、それから廊下で待機するメイドたちの話し声……歩哨に立っているハズの護衛達の聖女たちに対する下世話な値踏み話まで聞こえてきて、こいつ等本当に仕事する気があるのか? と疑ってしまう。
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「
「だな~~全くお堅いご子息を追い返してくださったバルロス様には感謝だな。こんな強力な結界を張る聖女まで雇ってくれたんだからよ~本気で警備体制何かいらねぇんじゃないの? お陰で俺たちはいつも通りに仕事をこなす事が出来る」
「おいおい、それじゃ俺達がいつもサボってるように聞こえるじゃねぇか~」
「お、そういや教会からの聖女様。中々いい女じゃね~か?」
「いや、俺は一緒に来た小柄なシスターの方が好みだけど?」
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・
『……………………ゆるいな』
……本当に緊張感がないと気が抜けそうになる…………が、恐らく一階奥の待機部屋の話し声を拾った瞬間俺は緊張感を取り戻した。
この屋敷内で間違いなく一番緊張感を持っているのはこの部屋にいる三人の人物。
「信じられません……ここのご当主は防衛に関して認識が甘いとは聞いてましたが、まさか即戦力たるご子息をこんな時に遠ざけるとは……」
一人は言うまでもなく聖女エリシエル、侯爵の手前我慢していたようだが同僚の前では彼女の真面目な声色に不愉快さが浮かびまくっていた。
そしてまあ……その感想は当事者である俺が思うのも何だがご尤も。
折角エレメンタル教会から強力な助っ人を呼び込むファインプレーをしているのに、それを自らぶち壊し徐々に俺に有利な展開に持って行かれるのだからな。
「聖女様の結界が強力だからと油断する輩は今までもおったが、ここの連中は当主も護衛共もまとめて油断が過ぎる。命のやり取りなどした事が無いのではないか?」
「アタシも同感だわ……雇われの連中に何度か声かけられてさ~気持ち悪いったらないよ。こっちはシスターだからって大人しくしてれば……」
そして聖女の憤りに同調する二人。
昨日から聖女エリシエルと共にファークス家に滞在する教会関係者のようだが、この二人もおそらく只モノじゃない。
あまり動き回るとこいつ等に察知される危険が高いから今のところ姿を目に出来たのは聖女のみなのだが、音だけでもある程度の事は分析できる。
この辺はスレイヤ師匠の修行の他、神様に教わった算数の知識も役に立っていて特定の人物が踏み込んだわずかな音や歩き方で、おおよその体格や技能を計る事が出来るのだ。
そして俺は今回、絶対にこの3人とは正面から向き合わない事を決めていた。
見なくても分かる……絶対に勝てない!!
「何度か奴らに殺気を放ってみたのだが……誰一人気付きもせなんだ。練度が足らんにも程がある」
「……ロンメルさん、少しも……ですか?」
「ああ……結界外にいた通行人が気が付いたくらいだと言うのに」
まず声色で男と判断できる方だが、コイツの推定体重は100キロオーバー。
ただし歩方に乱れなどは一切なく、体重移動によりそんな重量なのに足音も最小限……呼吸の高さから頭の位置は2メートルはありそう。
ロンメルと呼ばれているコイツはおそらく筋骨隆々で武具を使わない教会の
「いざとなったら役に立たないでしょうね~。雇われの傭兵だって盾として働けるだけ何倍もマシね……。下品さ具合はどっこいだけど」
「リリー……口が過ぎますよ。間違っているとは言い難いですが」
「アンタもウソ付けないね~シエル~」
もう一人は聖女よりも幼い声だが、女性なのは間違いない。
歩行時の物音から考えても推定体重40キロ前後……ロンメルに比べると格闘に重きを置いた体重移動ではないが決して素人の歩みではない。
むしろ移動速度、走り距離を取る事に関してはロンメルより遥かに速そうで……そして常に杖を持っているのは分かる。
それは遠距離から狙撃する者には必須の技能……リリーと呼ばれる“シスター”はまず間違いなく魔術師、それもかなりの腕の……。
回復支援の聖女、近接戦闘の格闘家、そして遠距離攻撃の魔術師……冒険者だったら物 魔力の属性、総量とかはさすがに盗賊の俺には判断できないが、張り巡らされた結界を基準に考えるならBクラスは固いだろう。
……未だにCクラス相当の俺が戦っていい相手ではない。
『……ある意味
俺が控室から聞こえてくる音で教会関係者たちの戦力分析をしていると、聖女エリシエルは溜息を一つ吐いた。
「はあ……詳細は不明ですが、ファークス家は何らかの御家事情からカルロス隊長を次期当主に据えたくないようで、今回大っぴらになってしまった予告状騒動の解決に手を出させたくないようですからね。王国軍との共同作戦は見込めそうにないです」
「赤ちゃんよりも貴族のプライド優先~? バッカみたい……」
「然り……前途ある幼子、しかも我が子の安全が最優先であろうに……コレだから貴族と言う輩は……」
あからさまに不満を述べる3人に、俺はエレメンタル教会に対する認識をちょっとだけ改めていた。
正直ゴブリンの生態の曲解した教義を利用した人身売買の事もあって、教会関係者にはあまりいい印象が無かったんだが……お布施云々の話は別にしても今この屋敷に派遣された三人の聖職者は一人の赤子を守るという大義の為に動いている。
「少なくとも我々は結界が破られる、侵入される前提で警戒をいたしましょう……。賊が我々よりも弱いなどと希望的観測は持つべきではありませんから」
「「了解です」」
まただ…………神様に見せて貰った預言書の極悪人であるはずの人物は、実際に目にしてみると嫌いじゃない雰囲気がある。
実際に話してみないと何も分からない事だけど……それでも聖女と呼ばれているエルシエルも、その仲間も“今のところは”悪人の影も形も見受けられない。
『しかしまずは
*
そして時間は過ぎて行き……太陽が西の山へと沈み行き、夜の帳がおる頃には闇夜を優しく照らす満月が煌々とその姿を露にする。
幾ら不真面目な雇われの兵士たちでも、さすがに予告状にハッキリと満月と明記されていたからには、上空に満月の浮かぶこの時間帯に緊張感は拭えないようで……昼間よりも真面目に屋敷全体を守る配置に付いていた。
そして、当然当初から油断など欠片もしていないエレメンタル教会からの3人の使者たちも各々が嫡男バルログが守られている2階の寝室を囲むように陣地を形成していた。
ロンメルは寝室の扉前、リリーは2階寝室のベランダ、そして聖女エリシエルはバルログの傍……つまりは寝室内にて警戒をしている。
同室内には赤子のほかにも当主バルロスや夫人も控えていて、緊張の面持ちで何度も何度も我が子が眠るベビーベットへ視線を彷徨わせている。
「聖女エリシエル殿……これ程の防衛をしていればバルログの身は万全であろう? あのような強固な結界を突破できるとすれば、それこそ上位種のドラゴンでも襲ってこない限りは……」
そんな緊張感に耐えかねたのかバルロス侯爵はそんな楽観的な事を言い始めるが、エリシエルは表情を変えずに首を左右に振る。
「よくご存じで……光魔法の上位とされるこの結界ですが、上位種のドラゴンやそれ程のレベルの手練れが現れれば突破される事はあり得ます。相手がそれ程の力を備えていなければ良いですね」
「……ぐ!?」
暗に油断するなと説教された侯爵は言葉に詰まるが、エリシエルにとって自分の言った言葉が自分に対する戒めでもあった。
そう……油断するつもりなど無かった。
もしも、仮にもしも……既にこの屋敷に内に侵入されていたとしても、赤子をターゲットにするにはこの部屋に入らなくてはならない。
さすがにそれを見逃す事は無いはずである……聖女エリシエルはそう考えて警戒心を最大に、喩え小物が動いても埃一つが舞っても知覚するようにしていたのだ。
だと言うのに……エリシエルは不意に視線をベビーベッドに向けると、不意に気になった事を口にした。
「…………ファークス夫人? ご子息はどちらに?」
この時エリシエルは夫人が我が子を抱き上げているのだと思っていた。
何しろ自分がベビーベッドから視線を切ったのは高々コンマ数秒、こんな短時間で何かが起こるワケも無い。
“ベビーベッドに赤ん坊がいない”という事態に彼女はそれしか思い浮かばなかったのだ。
「…………え?」
しかし夫人が漏らした声は寝耳に水とばかりの間の抜けたモノ……。
その瞬間、聖女エリシエルの背中にゾッと冷たい物が走り抜ける。
慌てて寝室を見渡しても件の赤子はどこにもいない……当主も夫人も事態を理解していない間の抜けた顔を晒すのみ。
「バ、バカな!? ほんの数秒前まで確かにいたのを見ていたのに!?」
「お……おい!? 何だ一体!? バルログは一体どこに!?」
「い、いやああああああああ! 赤ちゃんが! 私のバルログちゃんが!!」
唐突に次期当主候補、真の長男であるバルログが目の前から消え失せた。
我が子が目の前からいなくなった衝撃と恐怖に彩られたファークス家夫人の悲痛な叫び。
後に王都ザッカールを騒がせることになる怪盗ハーフデッドの初仕事は、夫人の悲鳴にて火ぶたが切られたのだった。
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