第十九話 理解できる悪意と理解不能な悪意
「ようやく来たかカルロス……いやカチーナ。貴様の役目は終わった、もう女に戻って良いぞ」
「…………」
激烈に嫌な予感がして、俺は立ち去る彼女の後を付けてそのままファークス家へと侵入……そのまま侯爵家夫人がベッドで赤子を抱きかかえる寝室まで付いて行った。
無論バレないように途中から天井裏に侵入して……だ。
その場所では侯爵や妹たちが夫人と赤子を囲んでにこやかにしているのに、たった今到着した彼女はまるで蚊帳の外のような対応をする一種異様な雰囲気……明らかにワザとだろうが。
そしてこちらからの祝いの言葉を口にする間もなく、生れた弟の顔も見ていないと言うのに……実の父バルロス・ファークスの言葉はそれだけだった。
それはまるで着なくなった古着を投げ捨てるような気安さ、どうでも良さで……俺は効いた瞬間に湧き上がりそうになった殺気を押さえつけるのに必死になる。
……こいつ、自分が何を言ったのか分かっているのか?
カルロス、いやカチーナはこれまでファークス家の存続の為に男性であると偽らざるを得なくされ、しかもファークス家の評価を下げない為に文武両道である事を強要されてきた。
直接手合わせした事のある俺には心から分かる……女性の身で男性の戦い方、しかも真正面から戦う事が正道とされる騎士の戦い方で強者であり続ける事がどれほど険しい道筋なのか。
たった数回の鍛錬で自分より高い膂力を得る周囲に負けない為にその何倍もの鍛錬を続け、それでも及ばない力に対抗する為に光の魔力を鍛え、そして成績でも上位を維持する為にどれほどの苦労があった事か……。
それを……彼女の血の滲む年月の全てを……この男は『ごくろうだった』の一言の労いも無く切り捨てたのだ。
「元よりそのように決めておっただろう? まあ今まで栄えあるファークス家長兄、次期当主の座を埋めていた事は評価してやるが、やはり女の身の上で当主は荷が重かろう。ファークス家長男が誕生した事に感謝するがよい」
……殺して良いかな? コイツ。
俺は思わずダガーに手が伸びそうになるのを必死に押し止める。
まるで今まで誇りある役職に就けていてやったとでも言いたげだが彼女は、カチーナと言う人は望んでそんな事をしたい輩ではない。
母親の日記を見るまでも無く、たった一月ばかり共に冒険者をしていただけの俺でも分かる。男性である事を強要されていたとは言え、彼女は普通に女性らしい感覚を持った女性であると言う当たり前の事が……。
そんな人に苦渋の日々をやらせておいてこの言い草……俺が彼女の立場だったら速攻で切れてぶん殴っていただろう。
だが……カルロスは、いやカチーナは表情を変えなかった。
不満も切望も表情に現す事は無く、平民の俺が見ても完璧で美しいと思える所作で頭を下げたのだった。
「……委細承知いたしました。私は本日をもってファークス家当主の座を降ろさせていただきます。 失礼ですがご子息のお名前をお聞きしても?」
「……バルログである」
今になって誕生した男児の名すら伝えていなかったという無作法を思い出したのか、それとも向こうが礼節を持って返してきた事が気に喰わないのか侯爵はふてくされた口調でいう。
「ではバルログ様…………バルログ様を次期当主とし、ファークス家が益々の発展を遂げる未来をお祈りし……わたくしはカルロスの名を返上致したいと思います」
対するカルロス=カチーナさんはどこまでも礼儀正しく、寝室にいた意図的に無視していた輩全てが息を詰まらせる程であった。
*
今後の詳細は後日という事だけを告げてカチーナさんは部屋を出て行き、一度も振り返らずにファークス家の屋敷を後にした。
未練など欠片程も持っていないとばかりに……。
「ふん、つまらん……もっと未練がましく次期当主の座に執着を見せ、恩着せがましく多少の苦労を口にするか、さもなければ己が人生が否定されたと絶望に瀕する顔でお拝めるかと思っておったのに」
「……良いじゃありませんか旦那様。元々自分が次期当主足り得ない事を理解していたという事でしょう? そう考えれば殊勝な心掛けではありませんか」
自分では絶対に出来ない事を成した者を嘲笑し下に見る……俺にはその感覚が全く理解できない。
怒り、殺意を通り越していっそ哀れにすら思えて来た。
カチーナさんが部屋から出て行って少し、俺は苛立ちを何とか鎮めつつここから立ち去って彼女をやけ酒にでも誘おうかと思い始めた矢先……
「しかし折角お前が男児を生んでくれたと言うのに、待ちに待ったこの瞬間に長年仕込んでいたバダイン男爵がヘマをしていなくなっているとはな……長年の親友、長兄役を終えた後に婚約者となる筋書きは上手く行っていたと言うのに……」
「それは私も見たかったですわね~。ファークス家を追われたあの者が親友であり婚約者である男に裏切られた瞬間の顔は」
…………は? こいつら今何て言った?
バダイン……どっかで聞いた事がある気がする名前の貴族だが……。
いや、そうだ思い出した。
俺がゴブリンの生息を利用した山賊の類を通報した時、芋蔓的に捕まった人身売買組織の貴族にそんな名前のヤツがいた。
そんな輩がカチーナさんの親友であり婚約者だった? しかしその情報は知らなかった事ではあるが別に不思議な事じゃ無い。
長年男児役を担っていたカチーナさんが女性に戻ったとするなら、普通の貴族連中が考えるのは家同士のつながりに婚姻を結ばせる政略結婚だろう。
なのに……何だ今の不穏当な会話は?
俺が理解不能になっていると、クソババアと本当によく似た笑顔を浮かべる令嬢がクスクス笑いながら言った。
「でもお父様、あの者はこれから犯罪者に堕ちるのでしょう? 長年ファークス家次期当主を偽っていた偽物として……」
「……そうだな。そちらの楽しみが残っておったな」
高貴な身の上とは到底思えない、下品な笑いが部屋中にこだまする。
「聞けばあの者は貴族であるのも関わらず平民と随分懇意であるとか……。それに女性の身の上で野蛮にも戦いに身を投じて戦友と呼べる殿方も多くいらっしゃるとか」
「あらあらオホホ……そんな方々がカルロスが実はファークス家を陥れる悪女、犯罪者であると知れはどのような反応をなさるのでしょうねぇ~」
俺は自分が何を聞いているのか全く理解できなかった。
コレは何が何を話しているんだ?
コイツ等、カチーナの苦労、血を吐くような努力の日々、培ってきた人間関係や心のよりどころ……その全てを知った上でさっきの発言もしていたと言うのか?
「そちらの準備はすでに終えているが……口惜しいのはやはりバダインの倅関係であるな。上手く行けば人身売買の罪を全て上乗せし、親しくしていた平民や王国軍の連中の恨みの目を向ける事が出来たと言うのにのう」
「人身売買を隠れ蓑にその手の関係者を攫う予定では無かったのです?」
「それがなぁ~カザラニア候の計らいで一度は捕らえたのだが……どうも王国軍の動きが早すぎて上手く行かなかったのだ」
「もう~何なんですかそれ! アイツの心のよりどころだった連中に恨まれ石を投げられ絶望に歪む顔を拝めると楽しみにしてましたのに!!」
「まったくだ。まあ上手く行けば犯罪奴隷には堕とせるだろうから、それを楽しみにしておこうではないか」
俺は正直今まで疑問だった。
実際のカチーナさんとパーティーを組んで一月も経てば気心も知れるし情も湧く。
だからこそ神様に見せて貰った預言書の外道聖騎士カチーナにどうなったら至れるのかどうしてもシミュレート出来なかった。
それは彼女の母の日記を読んでからも変わらず、知れば知るほどにカチーナさんという人間が“実の父に殺されそうになった程度”で人の絆をすべて否定するほどに壊れる場面が想像出来なかったのだ。
だけど俺も、そしてマリーナさんも甘く見ていた。
あのクソジジイの陰湿さ、そして心の狭さを……。
妬みから自分よりも優秀であった娘を殺す……そうとしか思っていなかったがコイツが、いやファークス家の輩はカチーナと言う優秀で妬ましい人間が堕ちて絶望するところが見たいのだ。
信じていた者に裏切られ、親しいと思っていた者に恨まれ、絶望のどん底に落ちるその様を特等席で見たい……ただそれだけなのだ。
……俺は極悪人になる予定だった。
無論もうそんな外道になるつもりはない。
だけど、それでも神様に見せて貰った未来の自分がやろうとしていた犯罪行為の目的は理解できる。
楽をして金が欲しい、都合よく性欲を満たしたい……クソみたいな自分勝手な動機なのにやりたい動機は理解できる。
なのにコイツ等のクソみたいな動機は全く理解が出来なかった。
優れたヤツ、自分よりも幸福なヤツが憎い、殺したいと言うなら分からなくもない。
今後のファークス家にとって都合が悪いから始末したいというのも……分かりたいとは思わないが、自分の利益しか考えないと言うなら……まだ分かる。
が……『自分たちファークス家の為に人生かけて尽力した者が裏切りに絶望する様がみたい』など最早理解不能だ。
だけど……だからこそ分かった。
家族に、親友に、仲間に、国に、民に……カチーナは最悪な裏切りを実の父の策略で受け、そして全ての絆を否定され、憎悪と絶望に堕ちたカチーナは最後の瞬間に『邪神』に通ずる何かに救われる事になるのだ。
「…………預言書もその辺の事を伝えてくれれば良いのに。これも試練っスか? 神様」
俺は最早聞く価値も無い連中の会話を背に『猫足』でファークス家の屋敷から脱出した。
今度こそカチーナさんをやけ酒に誘う為に……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます