第九話 贖罪の証

 ファークス侯爵の屋敷は王都の中央区から少し外れた西部に存在していた。

 王室や侯爵家なんかと比べれば小規模なのだろうけど、俺のような平民には生涯縁がないくらいには立派な庭付きのお屋敷。

 門にはちゃんとハルバードを手にした門番が控えていて、警備体制もそれなり。

 俺は通行人を装いながら神経を集中させて屋敷の気配を察知し、大まかにだけど屋敷にどれくらいの人員がいるのかを把握していく。


『15……いや18名はいるな……』


 本来冒険者としては森やダンジョンなど魔物を早期発見する事が主だった使用方法の盗賊の技能『気配察知』はこういう応用が利くから悪用される事も多い。

 まあ今もこれから屋敷に不法侵入するために使っているから偉そうな事は言えないけど。

 ここ数日俺はカルロスの事は調べていたが、実家については余り詳細には調べてはいなかった。

 しかし侯爵家の屋敷に侵入するリスクを考えると最終手段と考えていたけど、最早真相が斜め上過ぎてファークス家自体を知らなければどうにもならないと俺は結論付け……今日実行と相成ったワケだ。


 門番の様子をうかがっていると中から現れた白髭をたくわえた老齢の男性が門番へと話しかけて来た。


「ご苦労様です。異常は無いですかね?」

「ハ、現在まで無用に尋ねる者は無く異常なしであります。本日は来客の予定も無かったと記憶しておりますが……」

「結構、その通りです。来客の予定をしっかり把握しているのは大したものです。前任の門番などその辺がいい加減で、客人を装った狼藉者を招き入れた事もありましたからな」

「その辺りは聞き及んでおります。何でもその時はご子息様の活躍で事なきを得たとか……武功に優れたファークス家に侵入するなど無謀か無知のどちらかでしょうが……」

「言いたい事は分かりますが、油断するなという事ですよ。奥様のご出産も控えております、揉め事は事前に処理するのが我々の責務ですから」

「お任せ下さい! ネズミ一匹侵入を許さないつもりですから」

「………………」


 業務に忠実な男たちの会話……そのワキを俺は無言で通り抜ける。

 自らの気配を極限まで封じる事で存在をまるで羽虫か石ころの如く意識できなく、気にならなくなってしまう盗賊技能、隠形の極意『透化』と地面と空気の摩擦すら体重移動で0にして物音の一切を消し去る『猫歩』を駆使して。


 完全に目の前を通り過ぎて行く俺に全く二人は気が付けないが……コレは二人が鈍いワケではないく、俺の扱っている『盗賊の技能』が異常なせいだ。

 スレイヤ師匠に仕込まれた『盗賊』としての技能は、彼女自身師匠に口伝で伝えられたものらしいが、一般的な『盗賊』に比べてその能力の有用性は圧倒的に高い。

 師匠曰く『シノビ』という技術らしけど、一子相伝ってワケでも無いのに物好きなヤツが気に入った人物にしか伝えなかったらしく、彼女が“何らかの不幸”にでも見舞われていたらこの技能も失われていた可能性があるんだよな……。

 俺は“運よく”師匠に気に入られて教えて貰えたけど。


 屋敷の潜入に成功したが、当然気は抜けない。

 むしろここからが本番……こっちとしてはあまりよろしくない事に察知した人数のほとんどが屋敷内にいるのだから。

 俺はすれ違うメイドやコックなど使用人たちを警戒しつつ『盗賊の嗅覚』を駆使して屋敷内部を虱潰しに探索していく。

 これは『シノビ』の口伝には関係ないお宝を探す典型的な盗賊の技能だがネーミングが嗅覚とうたってはいるものの、本当に嗅覚で探しているワケじゃない。

 その者にとって何が宝なのかは違う……例えば金銀財宝ってのもいるだろうし、我が子が最大の宝と豪語する親御もいるだろう

 この技能は“今”自分が求めている物を感じ取るものだが分かりやすく光って見えるとか音がするとかじゃ無く“感じ取る”だけなので嗅覚と命名されたのだが。


 ……で、俺が今望んでいるお宝の気配は……上の階から感じる。

 今現在いるのは2階だから、目的の物は必然的に3階にあるという事……最上階、大抵見栄とプライドの生き物である貴族は自室を最上階に持って来たがる傾向があるが……。

 ビンゴだ……俺の感覚は『家主の書斎』から目的のモノがある事を示していた。

 無論屋敷の主人の書斎となればカギはかかっている。

 しかもそれは魔術によって特定の者にしか開錠出来ない『魔錠マジックロック』無理に開けようとしたり破壊すると途端に警報が鳴り響くカラクリ。

 だが師匠に叩き込まれた盗賊の技能は伊達ではない……『罠解除同様、魔術式の錠であっても何事も無く外せてこそ一流』俺は師匠の言葉を思い出しながら『鍵外しのピック』を取り出す。

 そして、鍵穴を覗きつつ繊細な魔術回路に開錠の正解を繋ぎ、錠前を外して行くと…………“カチリ”……子気味良い音が聞えた。

 警報が鳴る様子もない…………開いたみたいだな。


「ふう、魔術回路の上にしっかりと機械式の錠前になっているし……二つの技術の併用って、どんだけ知られたくない秘密があるのやら……」


 俺は更に入室時にも罠や結界なども疑っていたのだが、どうやらそこまでの防衛設備は無かったようで……音を立てないように書斎へと侵入する。

 無人の書斎は高そうな机に威張り散らしたオッサンの肖像画が飾ってあったりと……一言で言うと趣味の悪い内装だった。


「コイツがファークス家の現当主のバルロス・ファークス子爵か?」


 黒ひげを蓄えた力強さを前面に押し出そうとする意志が肖像画だと言うのに感じられて……俺がその肖像を見た率直な感想は。


「燃やしてぇ~~このえっらそうな面…………」


 特に理由があるワケでも無いのにただただムカツク……。

 当然そんな物が俺の『盗賊の嗅覚』に反応したワケもなく、俺は部屋を大まかに見まわして、部屋の一面を塞いでいる本棚の一番端の方へと視線を投げた。


「……日記か?」


 それは一冊の日記……長年放置されていた事が分かるくらい日記はホコリ塗れであったが、日記の氏名欄を見て俺は納得が行った。

 マリーナ・ファークス、それは調査時に知った故人の氏名。

 ファークス家の元正室でありカルロス……いやカチーナの実母の名前だった。


「母親の……日記か……」


 故人のモノとは言え他人の日記を勝手に見るのは気が引けると、俺は読むのを一瞬躊躇してしまう。

 しかし次の瞬間、手にした日記が勝手に開かれて行く……まるで強風にあおられたように勢い良く。

 魔法具の類だったのか!? 俺は先に確認もせずに日記を手に取ったのが不注意だった事を嘆き、もしもコレが防犯の一環だったらと不安になったが……日記が特定のページで止まる。

 あからさまに……“読め”とばかりに…………。

 元々あらゆる真相を調べる目的で俺はここに来た……何やら魔道具に強要されているようで薄気味悪くもあるが……俺は促されるままに日記を読む事にする。


                ・

                ・

                ・


 日記に延々と綴られていたのは実母マリーナ氏による娘に対する懺悔。

 本来背負う必要も無かった重責……ファークス家に男子が生まれなかった事で男性として振舞わなくてはならなくなった娘に対する贖罪の言葉だった。

 家長は長男が継ぐと言うのはザッカール王国では当たり前であるが、継承する男児がいない場合は御取り潰しになる。

 何よりも御家の存続を優先する夫バルロス・ファークスは長女カチーナを男子として、カルロス・ファークスとして育てるという暴挙に及んだ。


 成長に従い男女の差、特に単純な武力や筋力で付いていけなくなり苦しみ足掻いた末、血反吐を吐く鍛錬に次ぐ鍛錬を繰り返して自身の『光の魔力』で身体強化を習得する姿。


 本当は可愛らしい物、綺麗な物が大好きだったのに男子として生きる為にそれらを捨てねばならず、陰で泣いている姿。


 どれほどの苦労をして学業で首位を取ろうと、武術で優勝しようとも、『ファークス家の者なら当然である』とだけ言い一度として褒める事も労う事もしない当主に悔しい表情を浮かべる姿。


 読んだ結果思ったのは悲惨の一言。

 そして俺は今後起こりうる確かな事を確信せざるを得なくなった。

 ムカついて良いのか、怒って良いのか、憐れんでいいのか……自分でどうするのが正解なのか分からなくなる。

 だが……俺は入室直後よりもはるかに気分の悪くなった肖像画に、全ての事が終わったら靴底を顔面に押し当ててやる決心をした。

 いや、肖像画でなくて本人の方がいい……出来れば犬のクソを踏んだ後の靴底で。


 実母マリーナは常々娘の苦しみと悲しみを目にしては激しい罪悪感に際悩まれていたようで……所々が涙でふやけていた。

 そして最後のページに差し掛かると文章は途切れて白紙であった。

 しかし“コレで終わりか”と思った途端、白紙だったページが薄く輝いた。


「まだ何かあるのかよ……」


 思わず愚痴ると、白紙のページに新たな文字が浮かび上がって来る。


『この文章は後世に見つけて下さる方が現れる事を切に願って残します。

 見つけて下さった方、直接お目通りは叶いませんが誠に、誠にありがとうございます。


 この文面は魔道具『忘れざる詩』に封じた特定の条件に当てはまる方のみに読む事が出来る細工になっております』


「特定の……条件?」


 順次浮かび上がってくるカチーナの実母マリーナの文章に俺は思わず口に出してしまう。

 返事が無い事だってわかり切っていると言うのに。

 だが、浮かび上がって来た特定の条件と言うヤツはまるで今の独り言の答えのようでもあり……俺は思わず苦笑してしまう。


『我が娘カチーナの事を心から憂い、彼女の行く末を心配してくださる方にのみこの文章を読めるよう残します』


「確かに……俺はヤツの行く末を大いに心配しているけどなぁ……そういう心配をしているワケじゃないんだよお母さん」


 カチーナという人物が将来最悪の悪女として大量虐殺の大罪を犯す未来を憂いているのだから、カチーナ本人を心配していると言われると何か違うと言うか……。

 この文章は明らかに友達や仲間、恋人などカチーナと親しい仲であろう人物に当てているのだろうに……。

 場合によっては早めに始末もやむを得ないとか考えていたから、何というか……罪悪感が湧いてくる。



『この日記をお読みくださったなら、ファークス家長男カルロスが本当は女性である事は知った事でしょう。我が娘の真の名は『カチーナ・ファークス』、現状の男子の姿は『入れ替え』の魔道具により偽られた幻術です。真の姿を現すには他者には知り得ない娘の名前がカギとなっております』


 知ってる……それはもう知ってるんですおっかさん。

 本人も気が付かない内に正体を暴いてしまった事にまたもや罪悪感が湧いてくるが……続く文章には衝撃的な告白が綴られていた。


『我が夫、ファークス家当主のバルロスは冷酷で自尊心が肥大した男です。夫は常々“我が家に男児が生まれたあかつきには女に戻る事を許す”などと口にしておりましたが、おそらくその約束は守られる事はありません。

 男児が生まれる事があれば、おそらくカチーナは始末されるでしょう』

「!?」


 く…………ハッキリ言えばその可能性を薄々疑ってはいた。

 貴族連中のお家騒動の残酷さ加減はここ数年、何度か耳にした事もあった。

 親が子を、子が親を何て話は耳にタコができるほど聞いた……未だに聞きなれる事も聞き流す事も出来ない嫌な話だけど。


 ただ疑問もあった。

 貴族は何だかんだ言ったところで権威主義、カルロスとしてだが学業で首位を維持し武術でも優れていた“使える人物”を始末するという意図が分からなかった。

 嫌な言い方だが当主としなくても使える方法なんて幾らでもあっただろうに……。

 な~んて思ったりもしたのだけど、その答えはまたもや見透かしていたように日記が答えてくれた。



『カチーナは優秀でした……それこそ男性優位の学園で最優秀とされるほど。しかしあの男にとってそれは自分よりも娘の方が優秀であるという証明にもなり、その事を常に苦々しく思っていたのです。自分でそのように生きるよう強要しておきながら、実際に優秀さを見せれば嫉妬する……どこまでも身勝手な男、それがバルロスという人物なのです』


『学業、武術、人望、友人……あの男は自分が得られなかったモノを持っている自分の娘に嫉妬し、そしてその全てを奪う機会を虎視眈々と待っています。

 念を押してもう一度記します。

 ファークス家に男子が生れた時、男子としての生を強要されたカチーナは現当主バルロスにより、彼が得る事の出来なかった全てを壊した上で始末しようとするでしょう』


『お願い致します……この文面を読めた貴方様は最後の希望。私の命が尽きた後に娘を絶望から救い出してくださる唯一の方…………ファークス家正室などではなく、カチーナの母として……切に、切にお願い申し上げます』


『娘には幸多き人生を…………』



 マジか…………俺は自分の事を度量が広いとか偉大であるとか思った事は一度もない。

 だけど思う……心の底からコイツに比べれば遥かにマシであると……。

 そして預言書けっかを知る俺には日記で実母マリーナ氏が心配していた事が、今後実行されるであろうと確信する。

 未来で彼女が自分の努力と苦難の末に手にした全てを、あろう事か『手に入れろ』と言い渡した実の父親に最悪の形で否定される事を……。



『情? そんなモノ、穢れた者たちが振りかざす戯言に過ぎん』



 預言書で見た悪女カチーナの見下しながら吐いたあの言葉……それがこれから実の父親の嫉妬により壊された結果であるとすらなら……。


「さあ……どう立ち回れば予言を覆せますかね……神様」

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