第八話 怪物が生まれる方程式

 俺が見た預言書でのカチーナという女は常にフルプレートを身にまとい、冷たい瞳で見下すか、もしくは上から目線で嘲笑するかだけだった。

 なのに今目の前で無防備に寝息を立てている姿は……ただの美しい女性でしかなかった。


「く~~、く~~~」


 ゴクリ……神々しさすら感じる美しさなのに可愛らしい寝息が聞えてくる。

 男物の服を着ていて、その状態で女性の姿になったせいか服自体はブカブカ……なのにその引き締まった見事な肢体と決して小さくはない胸が呼吸に合わせて上下する。

 そして男物の服では寸足らずになった袖口からチョコンと除く指先が……手の届かない美女に愛らしさのエッセンスを加えてよりインモラルな雰囲気が……。


 何だかんだ言ったところで俺だって年ごろの男子……女性に興味が無いワケがない。

 身近な女性として師匠やミリアさんがいたけど、あの人たちも冒険者稼業のお陰で見事な体をしていて……その……ムラムラしたのは一度や二度ではない。

 初めて覗きに誘ってくれたケルトさんの事を未だに兄貴と呼ぶくらいには……。

 バレた後に二人ともボコられたのも良い思い出である…………死にかけたけど。


 ただ手を出そうとか思った事は一度もない。

 それは良心というよりは、多分恩人であり師であるという心理的なブレーキが俺の中にかかったせいだとは思う。

 しかし……目の前の女性は………………。


「ふう…………んん……」


 ビクウウ!! 不意に彼(彼女?)から漏れ出た寝言が俺の理性を瞬間的に呼び戻した。


「な、なななな……何をしようとしていた? 俺は?? 俺の右手は……」


 身内じゃないから手を出しても問題はないのでは?

 一瞬そんな自分にのみ都合の良い事を考えていた事に自己嫌悪に陥りそうになり、そして同時に戻って来た冷静さが現状の緊急性を自覚させる。

 このロケットがどういう魔道具なのか詳細は分からないけど、どう考えたって『本当の性別を偽る為』に使われているのは必至。

 それを他人に知られるのがどういうことなのか…………俺は命の危機すら覚えて朝から滝の如き冷や汗を流す。


「むう……んん…………」

「やややややヤバイ……どうすれば……こういう時ってどうすればいいんだっけ? この手の魔道具って何かのトリガーがあったはずだけど……」


 今まさに目を覚ますんじゃないかとヒヤヒヤさせる彼(彼女?)の寝顔の前でロケットをパカパカと開閉してみるけど変化は無い。

 何だ、何がトリガーになっているんだ? 簡単な発動方法だったらこんな機密事項に使われるワケは無いし、それこそ特定の人物にしか知られるはずのないキーになる呪文とかパスワード…………あ。


「カチーナ・ファークス!!」


 本来なら絶対に知られるはずの無い“預言書”なんてものを見ている俺だったからこそ知っていた悪女の名前。

 その名を国にした瞬間、再びベッドの人物の全身が光を放って……納まった時には昨晩酒を酌み交わした騎士様、カルロス・ファークスのイケメン面が横たわっていた。

 あどけない寝顔は変わらず、しかし確かに男性の顔で。

 ……どうやら正解を引いたらしい。

 俺は男性の寝顔に戻った騎士様に、ホッとすると同時に腰が抜けてヘナヘナと床に崩れ落ちた。





「ではまたな、今度は潰れないように加減して飲もうじゃないか」

「……俺はしばらくはアルコール控えようかな。ペース配分も分からずに飲むと碌な事にならない気がするよ」

「はは、そいつは私もだな。ヤレヤレ、コレは帰ったら寄宿舎のオバさんにどやされるな……外泊なら先に連絡入れろってね」


 あの後しばらくしてから目を覚ましたカルロス様……どうやら昨晩この宿に来て以降は彼(彼女)も覚えていないようで、俺がとんでもない秘密を知ってしまった事すら気が付いていないようだった。

 何とかポーカーフェイスを保ちつつ朝飯まで共にした俺は、颯爽と王国軍の寄宿舎へと戻って行く後ろ姿を複雑な想いで見つめるしか無かった。



「さて……と……」



 そして一人になった俺は逸る気持ちを押さえつつ、部屋に戻ってここ数日でまとめた『カルロス・ファークス』の調査結果を洗いなおす事にした。

 妙な物だ……調査していた本人から『答えだけじゃなく公式を理解しろ』とヒントを貰っただけじゃ無く、明確な公式ヒミツすら知れてしまうとは……。

 調査して分かったのは『カルロス・ファークス』という人物が一見すると品行方正、文武両道な好青年であるという事だけだった。

 しかしもしも彼が女性『カチーナ・ファークス』であるとするなら、その前提が大きく覆る事になる。


 思い返してみると預言書で見たカチーナという人物は度を越した潔癖症だった気がする。

 敵味方を問わず根本的にあらゆる接触を嫌っていて……かと言ってそれは行き過ぎた清潔観念からじゃない。

 何というか全ての情、愛でも友でも何でもいいが人と人が繋がりを持つ『絆』という物を真っ向から否定し、嫌悪していた。

 それは家族だろうと友人だろうと恋人だろうと……あらゆる『絆』を穢れと称して破壊と殺戮を唯一の正義とする邪神に心酔し、浄化と称して卑劣な手段すら平気で用いる鬼畜を体現した聖騎士。

 ……昨晩気さくに平民の冒険者なんぞと晩酌してくれた騎士様と同一人物と思えないのは今もって同じだけど。


「自分が持っていないのに他人が持っている物を否定したい気分…………か」


 俺はその感情を良く知っている。

 自分が奪われて手に出来ない他人の幸せを心底許せない自分勝手な嫉妬心。

 だったら全てを殺し、壊し、全てを奪ってなかった事にしてしまおうというどこまでも自分勝手な思想。

 悪事の規模はともかく、それは神様に会わなければ確実になっていたハズの自分と同じ姿だ。

 調査資料を黙読しながら俺は『答え《よげんしょ》』を『公式』に当てハメて、憶測のはずなのに自分でも驚くほど確証を持ってこれから起こる事が見え始める。


「つまりあの人はこれから『絆』の全てを否定される何かに遭遇するって事になる」


 自分と照らし合わせるのが正しいとは思わないけど、俺にとっては“家族を殺され村を滅ぼされた”くらいの深い絶望……侯爵家と考えるならお家の断絶とかだろうか?

 そんな事を考えていると調査結果の項目、自分で調べたと言うのに“特別問題ない”とスルーしていた一文に目が留まった。


「……カルロス・ファークスはファークス家にとって唯一の長男、後に生まれたのは全員女性である」


 その情報が意味する事は明白、未だに長男が家を継ぐのが常識とされる王国において侯爵家に男子が生まれなかったとすればどうなるか……。

 普通なら別の家から婿を取るなどが一般的ではあるが、財産や血族の派閥争いなどから他家の婿を家長に任命する事を嫌う風潮も確かに存在する……らしい。


「カチーナはファークス家で男子として育てられたって事か? ファークス家の威光を守る為の生贄として……」


 調査結果はそれだけで終わらない……現在ファークス家では第二婦人が妊娠中で、数か月後には出産予定。

 もしも……もしもだ、数か月後に生まれて来る赤ん坊が男子だったとしたら?


 俺は息を飲み、自分の想像だと言うのに冷や汗が止まらなくなってきた。

 つい昨日まで疑いすら持ち始めていた預言書の内容……それが公式ヒントを得ただけで真実味が増していく。

 すべての情を、絆を穢れと切り捨てるカチーナという未来……あの悪女には例外など欠片も無かった。

 むしろ他者の情を利用し、壊し、殺し事を平然と当然の事のように振舞っていた。

 何故そんな化物が未来で生まれる事になったのか……“自分の経験”に照らし合わせて出た答えに吐き気がしてくる。


「カチーナ・ファークスは『情』を『絆』を利用されて殺されかけた事があるって事?」


 思わず出た言葉に自分自身でしっくりと来た……来てしまった!

 御家存続の為に一人の女性の人生を男として強制する……そんな人間を道具として見ている価値観であるなら、邪魔になったらどういう行動に出るのか……。

 ここまで来れば想像するのは簡単……何せ答えは預言書が教えてくれている。


「カチーナ・ファークスという怪物が生まれる要因の全てじゃないかもしれないけど、始まりがそこなのは……ほぼ間違いないな」



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