第二話 神様と出会った日

扉をくぐった先は……光に満ちたどこかであった。

 あまりの強烈な光に安直な表現だが“自分は死んだんじゃないか?”と思ってしまうくらい闇夜からだと目に刺さるほど眩しい光。

 しかし……眩しいとか死んだんじゃないかとか、そんな事よりも重要な物が俺の目の前にあった。

 地べたに座って使うタイプの低いテーブルの上に、今まで見た事も無いような豪華な食べ物が無造作に置かれていたのだ。


「う……うそ……だろ?」


 それは大きなパンにも見えたけど少し違う、俺にとってパンとは硬く水気の無い“何も乗っていない物”だったのだから。

 あり得ない程贅沢にふんだんにチーズとベーコンを乗せて、しかも色とりどりの野菜を乗せて焼くなど……村の祭りでも見た事も無いご馳走であった。


「あ……あああ…………」


 ギュウウ、と腹が悲鳴を上げる。

 こんな贅沢なご馳走、絶対に貴族やら商人やらの夕飯に決まっている。

 俺みたいな浮浪児が手を出せば多分良くて袋叩き、悪けりゃそのまま始末されて土の中って事になるかもしれない。

 だけどもう……俺はこの時“死んでもいい”とすら思っていたのだ。

 死ぬ前に目の前のご馳走を食えるのだったらどうなっても……と。


 俺は我を忘れてそのご馳走に食らいついた。

 数週間、数カ月ぶりに口にしたまともな食事に、俺は涙が止まらなくなる。

 美味いとかそんな問題じゃない……食い物を口に出来た事でほんの少し、もう少しだけ生きる事が出来るのだ……そう思って。


 だけど……やはり豪華なご馳走に対して喰らおうとしていた者がいないワケはない。

 目の前のご馳走に食らいつく事に必死な俺は“隣の部屋”から侵入して来た“清潔で高そうな服”を着た“恰幅の良い男”の存在に呼ばれるまで気が付けなかった。


「うわ!? なんだこの子汚いガキは!?」



 空腹は正常な判断を鈍らせる。

 ついさっきまでは自分が生きる為に通行する他人を殺そうとまで考えていたと言うのに……腹を満たした今となってはそんな考えは頭からスッポリと抜け落ちていた。

 代わりに襲い掛かってくるのは圧倒的な恐怖……自分よりも体格の良い男が現れて、間違いなくその男の食事だったはずの贅沢な食べ物を俺は食い散らかしてしまったのだ。

 慌てて手にしていた錆びたナイフを構えようとするけど、何故か握っていたハズのナイフはどこにも見当たらなかった。

 殺される!! そう考えた俺は慌ててその場に土下座していた。


「ごご、ごめんなさい!! 勝手に食っちゃって……ずっと何も食ってなくてひもじくて……我慢できなくて…………」

「あ?」

「つ、つぐないは……なんでも……は、働いて……」

「…………」


 震えながらそう口走るが、俺は言いながら許されるはずがないと思っていた。

 冬も近いこの季節で食料は貴重、それを食い散らかした見知らぬ浮浪児に慈悲を掛ける者などいるはずもない。

 ましてや働いて返すと言っても年端も行かないガキにまともな仕事があるワケがない。

 奴隷として価値があればまだしも、村を滅ぼされて身元のしっかりしていない俺など二束三文にもならないはずだ。

 折角命を繋げたと思ったのに…………。


 しかし、震える俺の耳に聞こえて来たのは予想外の言葉だった。


「ふん……そんな食い残し、幾らでも食えば良いけど?」

「……え?」


 まるでそんな些末な事はどうでも良いとばかりに目の前の男は言った。

 あんな豪華な食事を食い散らかしたと言うのに……?

 パンの一切れで命を失う事が普通なのに……そんな事を言える人がこの世界にいるはずは…………だが俺の驚愕はそれだけじゃ終わらなかった。


「ま、何でもって言うなら部屋のかたづけでもしてくれよ。簡単な飯くらい出してやるからよ」

「……え? 仕事をくれる……んですか? それに飯も??」



 それから数日の間、俺は彼から言い渡された仕事をこなしていた。

 仕事と言ってもそんな難しい事ではない、俺のような子供でもこなせるような簡単な部屋の片づけ程度でしかない。

 それなのにその人は毎日見た事も無い食事を魔法のように瞬時に作り出し、俺に喰わせてくれた。

 村での農業の手伝いに比べて労力にもならない作業なのに……それが俺に対して“施し”ではなく“労働の対価”なのだという彼の建前である事を感じ、泣きそうに……いや何度か泣いてしまい、何度か彼を困らせる事になってしまった。


 それだけでは恩返しにもならないと俺は別の仕事も無いか尋ねれば、部屋の掃除と洗濯を任せられることになった。

 でも掃除は床を撫でるだけで吸い込む魔法の車と、洗濯は川辺で凍えながらではなく入れておくだけで勝手に洗ってくれる魔法の箱のお陰で大した苦労もなく終わってしまう。

 だけど完全とは言えず、洗濯など何度か上等な服に皺を作ってしまったりの失敗もしてしまうのに、彼は「着れれば上等だから」とアッサリと許してくれたのだ。


 更に俺に学が無い事を知ると、商人でしか知り得ない高度な計算の仕方も教えてくれ……俺は思わず尊敬の念を抑えきれずに聞いていた。


「貴方は…………神様……なんですか?」

「神様~~~~? 俺はまだやった事ね~な~」


 まだやった事が無い……つまりは神に準ずる者である。

 彼の発言で俺はそう判断したのだが、命を救って貰って尚且つここまで面倒を見てくれるその方は、最早俺にとっては神様以外の何者でも無かった。

 でも、彼は俺が神様と呼ぶ事を許してくれなかった。

 自分はそんな器ではないと……そんな事は無いと思うのだが。



 それからしばらくして……神様は何やら黒く平たい額縁にも似た板状の物に“光る絵”を映し出したのだ。

 そしてそれはただの絵では無く動き、話し、まるで演劇でもするかのように物語を紡いで行くのだ。

 俺が驚きのあまり呆然としていると神様が「興味あるなら座れよ。一緒に見るか?」と勧めてくれたのだった。


 そして…………俺が見たのは、知ってしまったのは24節にも及ぶ世界の未来。

 世界が破滅に危機に陥った時、異界の地より勇者が現れ救いをもたらすという、昔から言い伝えられている教会の伝承と同じ英雄譚。

 自分を含めた世界の、不吉すぎる“恥じ入るべき”最低な未来の預言書であった。


 神様は何も言わずにただ預言書を見つめていた。

 今見たのが“無様すぎる俺の最期の姿”であるなど一言も言わずに……。

 だけど、俺については何も言わなかった神様が一言だけ寂し気に呟いたのだけは覚えている。

 それは………………。


                *


 ……気が付くと俺は薄暗い見覚えのある森の中で突っ立っていた。

 そして眼下を見下ろすとそれも見覚えのある商人の馬車、父親と息子が楽し気に話しながら町を目指している至って普通の家族風景。


 時間が……経っていない!?


 それは俺が『神ノ国』へと迷い込む直前と全く同じ風景だった。

 俺が理不尽に全てを奪われ野垂れ死にしそうな想いで森の中を這いずっていると言うのに、目の前の商人親子は奪われる事も無く幸せそうに笑っている。

 それが妬ましくて、憎たらしくて仕方が無かったあの瞬間だった。


 夢……だったんだろうか?


 直感的にそんな事を思ってしまうが、今の自分と前の自分……決定的に何かが違う事に気が付くと、アレが只の夢だったとはとても思えなかった。

 同じ場所、同じ時、そして同じ光景を目の当たりにしていると言うのに……あれ程憎くて憎くて仕方が無かったハズなのに…………今は目のまえの他人が不幸になる事を想像する事すら嫌な気分になってしまう。


『不幸な人を想像して食う飯はどんな高級でも最悪にマズイ』


 それは預言書の中で『勇者』って呼ばれたヤツが言っていた言葉。

 前なら、神様に会う前なら絶対に理解できなかったはずなのに、今はハッキリと理解できる。

 前の俺と同じように憎しみに任せてあの商人親子から食料、命、そして何でもない幸せを奪い去ったとしたら……多分俺は生涯本当に旨い物は食えないんだろうな……。


 俺はその日、山道を行く商人の親子をただただ見送り……手にしていたさび付いた一振りのナイフを土へと埋めた。

 それは俺にとってただ一つの武器であり命綱のはずだった物なのに……そうせざるを得ない何かを感じていた。

 そして俺は神様が呟いた一言を、俺なりに解釈していた。

 あの時、神様は何も言わなかった。

 本当の神は『神の意志』だの『神の御心』などと信仰を盾に村で金を払えと言っていた神官とは違い、強要する事なんかなくただ言っていたのだ。

 このままではこの世界に生きる者は未来永劫恥を知る事になるのだ……と。


「勇者にケガレを、伝説をナキモノに…………俺もそう思います……神様!」





 勇者の英雄譚において、主人公の強さと勇敢さを象徴する為だけに派手にみっともなく殺されるはずだった一人の雑魚盗賊ギラル。

 地位も才能も何もない男が経験した一夜の出来事……それがこの世界にとってどんな意味を持っているのかを知る者はこの時点では誰もいなかった。

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