004

『分かった。まあ月並みな言葉しか言えないけど頑張ってくれ。まあ、ないとは思うけど何か僕に手伝ってほしいことがあったらな何でも言って欲しい。力になるから』


 暗闇の中にポツンとメールの画面が光る。それを不知火愛はため息混じりにただ眺めていた。それ以上もそれ以下でもなくただその画面に焦点を合わせているのみ。とは言うものの、彼女の中に何か思うことはないでもない。認識してしまえば意識するのは当然のことだろう。事実、彼女は僕から送られてきたメールの内容を把握している。


(ふん。何が『力になるから』よ。普通そこは『多分力になれる』とか『力になれるはず』だとかいうべきところなのじゃないかしら。まあ自信があるというのは好印象だけど)


 そうは思うものの、決して声は出さない。声を出してしまえば何が起こるかわからないからだ。確証があるわけではないが、耳から余計な情報が入っていつ意識が乱されるか分かったもんじゃない。もしかしたら自分の声が消えてしまうかもと考えてしまうと、とても言葉を発するわけにはいかなかった。


 それ程までに彼女の足に繋がれた鎖は重く、振り払うことができないのだ。今まで幾度となくこの呪縛から解き放たれようともがいたけれども、成果はゼロと言ってよかった。得られたのはもがいたところでどうしようもないということだけ。頼みの綱であるはずの両親もこの家にはいない。

 もっとも彼女によって消されたのではなく、単純にこの家に住んでいないということだけなのだが。もっといえば日本の外で生活をしている。因みに連絡はとっていない。彼女からそう願ったのだ。


(だけど、なんで私は彼に手紙を送って連絡先まで教えたのかしら。多分、動揺していたのよね。誰かを消したなんて数年ぶりのことだったし。ここは、完全に消さずに済んだことを喜ぶべきなのよね。うん。きっとそうだわ。私凄い)


 彼女に許された休息といえば、こんな自己完結のみ。そもそも課題解決に際して、彼女には自己完結しか許されていない。普通の人間なら地獄でしかない話だが、彼女にとっては唯一感情を出せる時間で、唯一人間らしい活動を許される瞬間なのだ。


 さてここで問題。ヒトを人間たらしめる最大の要因はなんでしょう。


 答えは単純で、恐らく『コミュニケーション』と答える人が殆どでは無いだろうか。

 その答えを根底に据えるならば、少なくとも僕は会話もまともにできない赤ん坊を人間と認めることはできない。

 たしかに、法律的には赤ん坊を殺せば殺人罪が適用されるし、法のもとでは人間として捉えられているのかも知れない。

 しかし、社会ではどうだ。会話がちゃんとできて、自分で判断を下せるはずの高校生ですら社会からは子供として、言うなれば誰かが保護しなければならない『動物』として扱われている。


 話は逸れたが、ここで言いたいのは、コミュニケーション、もっといえば会話を交わすことができる、或いは言葉を使ってやりとりができる事がヒトを人間たらしめる最大の要因と言えるだろうという事だ。

 とするならばだ。仮に人の本質をコミュニケーションとするならば、彼女は果たして人間と言えるだろうか。自分自身としか会話ができない彼女は、果たして人間と呼んで良いのだろうか。

 こうなってくると、住む次元が違うといった表現も案外的を外していないのかもしれない。彼女が人間なのはあくまで彼女の中だけで、僕たちからして見れば彼女は言わば雲の上のような存在なのだから。


 誰と触れ合うこともせず、誰に頼ることもできず、過ごすことはそれまで普通に他人と会話してきた人間にとっては到底受け入れられないことだろう。

 だが、この少女は中学二年生からおよそ二年間。人間の人生で恐らく一番多感であろう時期をその状況で過ごしてきたのだ。


 しかしそれももう限界である。もしかすると彼の家をわざわざ調べ、わざわざ手紙を書き、わざわざ自分の手で僕の家に投函したことはそれの現れなのかもしれない。


(誰でもいいから助けてよ、ねえ誰か、私を助けてくれる人はいないの?)


 布団を被り声を目を固く閉じ溢れてくる涙を押し留め、枕で不意に出そうになる嗚咽を押し殺す。彼女の異変を察知できる人間はこの場にはいないが、しかしそれでも押し留め、押し殺す。

 勿論、先に言った理由もあるのだろうが、それ以上に自分に負けるという事が彼女には許せないことなのだ。


 だというのに、誰かに助けを求めてしまう圧倒的な自己矛盾。彼女もそれを理解していた。決して目を背けている訳では無い。しかし、それでもまだ見ぬ誰かに、自分を救ってくれる誰かに、縋らずにはいられなかった。


 彼女は夢見る少女というわけではない。現実を嫌というほど思い知り、これでもかと言うほど理解している。悲劇のヒロインなどと思い上がりもしていない。

 しかしそれでも希望は抱くもので、高校に入れば、環境が変われば、何かが変わると漠然と信じていた。だが、その希望の灯火も今や風前。二年という月日にしてみれば、高校入学してから一ヶ月という時間は数字にすると、24分の1でしかない。だが、彼女にしてみれば、その時間は彼女の希望を打ち砕くのには十分な時間。


 因みに、彼女の敗北は其れすなわち世界の消失を意味する。完全には消失はしないかも知れないが、少なくとも僕たちが住むこの街一帯は軽く消し飛ぶだろう。


 彼女の手に握りしめられた青いスマートフォンは水色となり、やがては完全に透明となって、その人生を終えた。

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多分、ラブコメ マグロ @maguroTUNA

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