003

『申し出は有難いのですが、五月七日君の助けは要りません。これは私自身の問題で、私が解決しなければならない問題だからです』


 とまあ一世一代の大決心とまではいかないまでも、中々の覚悟を決めて送ったメールがこんな感じでかなり冷たくあしらわれた訳だが、そこで引き下がる僕ではない。母さんの性格が遺伝したのかもしれないが片足を突っ込んでしまった以上、手助けすると言ってしまった手前、何もしないわけにはいかなかった。


 勿論彼女には何も言っていない。僕が嗅ぎまわっていると知られては透明人間にはならずとも、それに準じる何か別のものになるのは避けられないからだ。流石にフルフェイスのヘルメットを被って学校に通う度胸は僕にはない。


 それからというもの僕は学校の図書室に足しげく通い、それらしき文献を読み漁った。便利な検索機能を駆使して、『銀』『妖怪』『透明』等々思いつく限り全てのワードで検索をかけてみたものの、ヒットした文献は全てこの状況を何か好転させるような要素を生憎持ち合わせてはいなかった。


 そもそも現実世界ではまず起こりえない現象を、現実のものしか書いていない書物に頼ったところで意味はないし、かといって、あくまで現実として起こっているこの現象にフィクションが介入できる余地は存在しなかった。とどのつまり自分でなんとかしろということだろう。僕が本漁りから得た結論はこれぐらいのものだった。


 ネットも勿論使った。しかし、『透明 妖怪』と検索してもなしの礫。奇を衒てらって『髪の毛 銀髪 妖怪』と調べても半妖の某有名キャラが出てくるばかりで何の手掛かりも得られない。ならばと『髪の毛 銀髪 理由』と調べてみたがやれ美容院だのブリーチ剤だのしかヒットはしなかった。どうやら人類の叡智の結集であるところのネットの世界でも何かこの状況を打破できるものは存在しないようだった。


 二週間ほど日中は学校の図書館に、夜は深夜までネットの世界の生活を続けた。が、僕の頑張りをあざ笑うことかのように何の情報も出てこない。出てくるのは僕のこの行為が無意味であるという非情な現実のみだった。


 とは言え、何の成果もなかった訳ではない。僕の予想が正しければこの現象は彼女によるものだという結論は出た。第三者的なものが関わっている可能性は低いという結論は出ることには出た。

 がしかし、これで事態の解決を図れるはずもない。


 八方塞がり、手詰まって、僕の両手が僅かながら色を取り戻しつつあった頃、次なる手段に出た。それは実地調査だ。本来最初に取るべき手段はこれなのだろうが、生憎僕の野次馬精神をあけっぴろげにできるだけの友達がいなかったのだ。そこは目をつぶってほしい。

 と言うか、誰も僕を知らない状況の中で、たった一月二月という恐らく短いだろう時間で腹を割って話せる友達を作るなんて僕でなくとも不可能だろう。もしそれができるというなら是非そのhow to動画をネットにでもアップして欲しいものだ。


 冗談はさておいて、幸い彼女はどこぞのお嬢様学校出身でもなく、この高校も県外から人が多く集まる高校でもなかった。つまるところ普通の公立高校である僕が通う学校には彼女と同じ中学の生徒は少なからずいて、そのうちの数名は僕のクラスメイトでもあった。


 もっともこれは事後的に明らかになったことだが。


 ◇


「なあ、不知火愛のことなんだけど」


 午前の授業が終わり、不知火愛その人物が居なくなったタイミングを見計らって、僕は目の前の席の四十崎あいさきにそう話しかけた。僕の記憶が正しければ彼は、不知火と同じ中学のはずだ。自己紹介でそう言っていた気がする。僕が言うことでもないが珍しい苗字だし記憶には残っている。もっとも名前の方はからっきしだが。


「なんだ?あいつに惚れでもしたか?」

「いや、別にそういう訳じゃない。しかし君は彼女のことを知ってる風だね」

「そりゃ当たり前だぜ?なんて言ったって同じ中学出身だからな。自己紹介で出身中学も言ったはずだが、って流石に覚えてるやつはいないか。この話は忘れてくれ」

「っておい、勝手に自己完結しないでくれないか?」


 弁当を取り出し食べ始めようとする四十崎を押しとどめ、必死に懇願する。


 しかしまあ大きな弁当箱だ。普通サイズの二回りは大きい。しかも二段重ねだ。


 いやいや、そんなどうでも良い情報で撹乱されるような僕ではない。僕の調べによると、彼女が教室で昼食をとることはまずないが、十分かそこらでいつも帰ってくるのだ。これ以上ダラダラとする時間は僕にはないのだ。


「はあ、そこまで言うなら教えてやるけどよ。ゴールデンウィークの恩もあるしな。だが、俺は忠告したからな?」

「恩に着るよ」

「それじゃあ場所を変えるか。流石に人一人の身の上話をおおっぴろげにする趣味はないからな」

「そりゃ助かる」


 どうやら僕の心配は杞憂に終わりそうだ。これなら時間の許す限り事細かに聞けそうだ。


 僕はペンとメモ帳を片手に教室を後にする。勿論弁当も忘れない。メモすらもスマートフォンで済ませる人が多くなりつつはあるが僕は依然としてアナログ派である。紙は良い。この手触りはどう頑張ってもスマートフォンじゃあ再現できないだろう。


「よし、ここなら近くに人もいないし丁度いい。人通りはそこそこあるけどな」


 そう言って連れていかれたのは、使われていない物理準備室とか、裏口からじゃないと入れない屋上でもなく、非常にありふれた、何故か竹が数本生えているだけの中庭と呼ぶにはやや狭すぎる吹き抜けの空間だった。確かに、ここなら近くで聞き耳をたてられる心配はないだろう。四方全て見渡しが良い。


「飯食いながらでもいいか?流石に飯抜きじゃ部活なんてやってられないからな」

「どうぞお気になさらず」


 そう言って彼が広げたのは三段弁当。確か二段だったはずだが?しかも一段一段がおせちレベルでぎっしり詰められている。埋めるだけでも大変だろうに一品一品が料亭レベルの出来栄えである。


「君、これ全部食べるの?」

「それ以外に何があるってんだよ」

「そう言われればそうだけど」


(ほんとにこれ全部食うのか?それもたった30分で?)


「それじゃあ、何でも聞いてくれて構わねえぞ?もっともご期待に沿えるかどうかは知らんがな」


「いただきまーす!」と僕そっちのけで食べ始める姿に圧倒しながらも、負けじと質問をする。幸い僕は部活動に入っていないし、昼飯を抜いたところで午後の活動に支障が出るわけでもない。流石に残せば母さんに怒られるだろうから放課後にでも食べはするが。


 が、しかし。


「すまんな。それぐらいしか俺も知らないんだ。不知火と同じクラスになったことはないんでな」


 結局僕が得たのは不知火が初めの頃はあそこまで冷徹ではなく、今のようになったのは二年生の頃ぐらいだということだけだった。これだけなら既に得ているのだが、本当に彼はこれだけの情報しか知らないのだろうか?まあ、切羽詰まってるというわけではないし、明日にでも聞くとしよう。


「いやいや、そんなことはないよ。すごくためになったよ。少なくとも僕じゃ知り得ない情報だったんだし、今度何か奢らせてくれよ」

「おっ、ホントか?なら、駅前に新しくできたカフェがあるんだけどよォ、一緒に行ってくれねえか?むしろ俺が奢るからさぁ。な?着いてきてくれるだけでいいんだ」

「まあそれぐらいなら構わないけど」

「イよっしゃあ!」


 途端に叫び声をあげる四十崎あいさき。つい一分前にあの大量の弁当を完食したとは思えないほどの声量だ。


「それじゃあ戻ろうか。次の授業は体育だったよね?」

「いけねえ、忘れてた。そういや体操服部室においてたんだった。おい五月七日つゆりさっさと行くぞ!」

はじめでいいよ。わざわざ呼ぶの面倒でしょ?」

「そうか?おんなじ三文字だけどな」


 呼ぶだけならな。


「まあお前がそういうならはじめって呼ぶがよ」

「名前呼びの方が君も楽でしょ?」

「それはそうだけどよォ。なんか言い方に棘があるんだよなぁ」

「チッ」

「ん?今舌打ちしなかったか?」

「いやいや、そんなことする訳ないじゃないか。それよりもほら時間大丈夫?部室棟って確か遠かったよね?」

「あっ、いけね。一も気づいてたんなら早く言ってくれればよかったのに」


 だから言ったんじゃないか。


「だからこうやって教えてあげてるんじゃないか。僕もそろそろ着替えないといけないし、それじゃあまた後で。ためになる話をありがとね」

「おう!気にするな!」


 そう元気な返事をしたと思いきや、重箱片手に一目散に走りだした。


(あいつの胃の中はブラックホールにでも繋がってるのか?)


 そんなことを思うほどに、四十崎あいさきの身体能力―ほとんど胃袋による―には驚かされるばかりだ。普通の昼飯ですらすぐに運動すれば腹痛なり吐き気なりを訴えるというのに、彼の胃袋は中々どうして強靭なようだ。苛立ちも何処へやら、不思議なことに一抹の彼への興味が沸き起こった。


 その日、僕のメモ帳には『一年生の頃は普通の女子生徒だった』という言葉の隣に『四十崎あいさきかける。大喰らい。バケモノの胃袋を持つ』が新たに書き加えられたのは言うまでもない。


 そして忘れない。『普通のブリーチは銀髪にはならない』というメモを書き加えて僕の1日は終わった。


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