002

「はじめ―?あんた宛に手紙が届いてるわよー?」


 そんな母親の声で目が覚める。いつものように体から布団を剥がし支度を整えようとしたところで、自分の手首から先がないことに気が付いた。


(そういやそうだったな)


 しかしそれでも、身についた感覚というのは中々精度が高いようで、手首から先が見えなくてもあらかたのことはできそうだ。


「はーい」


 そういつものように返事を返し、いそいそと支度を始める。自慢じゃないが寝起きは良い方で母さんの声一つで完全に目覚めることができる。噂に聞く二度寝という惰眠を貪ることができないのは玉に瑕だが、今回は幸いした。この僕の様子を見れば流石の母さんも悲鳴を上げる可能性大だ。


 僕はクローゼットから季節外れの手袋を取り出し、両手にはめる。違和感はありまくりだが、薄手のものだし、ピアノをやっているとでも言えば乗り越えられないこともないだろう。

 昨日までは素手だったじゃないかと言われれば、言葉に窮するかもしれないがそれぐらいは昨日ピアノに目覚めたんだとか何とか言えば強引に突破できるだろう。いや、しなくてはならない。


「はじめに手紙をくれる人がいたなんてねー。それでどういう関係?差出人を見る感じ女の子みたいだけど、もしかして彼女さんかしら?」

「なんでもないよ。タダのクラスメイトさ。まだ連絡先を交換してないから仕方なくなんじゃない?」

「ふーん。お母さんの頃ならともかく、今の時代連絡先よりも先に住所を知るってことはないんじゃないの?」


 階段を降り、リビングに入った所でそう言葉を投げかけられる。

 ふむ、言われてみればそうだな。まあそれはこの手紙を見ればすぐわかることだろう。見たところ封は切られてない。お節介焼きな母さんもそこはわきまえているようだ。


「別にいいじゃん。それが絶対という訳でもないでしょ?」

「確かにそうなんだけどねー。ただお母さん気になっちゃうんだよね、昨日までそんな手袋してなかったでしょ?まだ手袋を出すには早いんじゃない?」


 僕は動揺をおくびにも出さない。まあこの手をことを飲み込めている時点で僕が動揺するわけもないのだが、僕は素知らぬ顔で朝食の席に着く。食器と箸が持ちづらいことは織り込み済みだ。何事もなく手を合わせ、僕は卵焼きに手を伸ばす。


「まあいっか。取り敢えず紹介ぐらいはしてよね?未来のお嫁さんかもしれないんだから」

「はいはい。気が向いたらね」

「それじゃあお母さんはもう出るから。戸締りはよろしくね?」

「はいはい。行ってらっしゃい」

「行ってきまーす!」


 まったく切り替えの早いこと。時間に縛られている社会人なのだからしょうがないことではあるのだが。ああ、世知辛い世知辛い。


 とは言え僕も時間に縛られている人間の一人だ。家を出るにはまだ時間はあるが、この手紙を読む時間を考えると早いこと朝食を食べなければ。


 ご飯をかき込み、みそ汁で流し込む。母さんが見ていれば怒られること間違いなしだが、生憎僕はこの家に一人だ。誰に憚られるでもなく掃除機の如く腹に流し込んでいく。


「ご馳走様でした」


 ものの数分で朝ごはんを終え、流しに食器を持っていく。食器洗いは僕の役割だ。ただ、今回は裏技を使わせてもらうがな。


「少量、三十分と。よしスタート!」


 一家に一台食洗器。十年選手の我が家の食洗器はたまーに洗い残しが出てしまうが、油ものもないし大丈夫だろう。茶碗も水にちゃんとつけている。


 一仕事を終え、ソファーで早速例の手紙の封を切る。勿論差出人は不知火愛その人で、ご丁寧に時候の挨拶まで添えていた。取り敢えずそこは流し僕は本文に目を落とす。


 以下本文。


『何故、私が五月七日つゆり一君のおうちを知っているか疑問に思っているでしょうから、まず初めに言っておきます。先生に聞いたらすぐ教えてくれました。セキュリティ管理に呆れたものですが、まあそれは良しとしておきましょう。それでは本題に入ります。透明になってしまったあなたの手のことです。

 私がこんなことになってしまったのは、中学二年生の時でした。ある日、家で飼っている柴犬のノブナガが透明になってしまったのが始まりです。母親も父親も、私が使っていた文房具も同様の症状―いや現象と言った方が正しいでしょう―が起こりました。幸い三名はもとに戻りましたが、私が愛用していた文房具類がもとに戻ることはありませんでした。私が銀髪なのもその現象の一つです。ほんの少し意識するだけでこの通りです。

 さて、何故前者がもとに戻り、後者がもとに戻らなかったと言いますと、それが成長するか否かによると私はそう結論を出しました。もっと言うと細胞が入れ替わるかどうかということでしょうか。無機物か有機物かと言った方が分かりやすいかもしれません。

 そう言えば、いつその現象が起こるのかを話していませんでしたね。その現象は触れれば確かに起こるのですが、私が触れていないものにもそれは起こりました。恐らく私が意識したものがそうなるんじゃないかと思います。その程度は意識の度合いによって変わりました。触れればより意識しますし、触れなければそこまで意識することはありません。クラスメイトの数名は確かに色―色素と言った方がいいかもしれません―が薄くなっていましたが、支障をきたすほどではありませんでした。むしろ『肌が白くなったかも』なんて言って呑気に喜んでいたぐらいです。

 長々と書いてしまいましたが、五月七日君のその両手はその細胞が完全に入れ替われば元の状態に戻るはずです。


 末筆ながら、五月七日君の益々のご健勝をお祈りしています。


 P.S.主犯格の私が言うことではないとは思いますが一応私の連絡先を記載しております。何か不明なところがあったら連絡ください。間違っても直接会話はしないようにだけお願いします』


 以上本文。


 封筒を見れば消印も押されていない。考えれば当たり前の話だが、不知火愛は昨日のうちにこの手紙を書き上げ、夜寝静まった頃にこの手紙を直接投函したことになる。


 僕が彼女に抱いていた印象とはまるで違う、焦りもあったのだろう、お世辞にも理路整然とは言い難い文章ではあったが、ことの次第は全て掴むことができた。


(この時代にメールか。まあそれもそれでアリだな)


 取り敢えず、僕の腕が戻るならば何の問題もない。むしろ貴重な体験をさせてくれてありがとうと言ったぐらいだ。一周遅れの中二病を発症したとクラスメイトから思われようが、もとの生活が戻るならば問題ない。ちょっと手痛い出費が発生するかもしれないがそこはプライスレスと割り切ることにしよう。


『連絡ありがとう。それで話は何だけど、何か僕にできることはないかな?全部不知火さんが悪いってわけじゃないしさ』


 それは、五月七日一16歳。初めて女子のメールアドレスをゲットし、初めて女子にメールを送った瞬間だった。


(しかし、柴犬にノブナガねぇ。中々どうして本当は面白い女の子かもしれないな)


 戸締りをして、改めてドアが開かないことを確認して学校を目指す。

 道行く通行人から後ろ指をさされようが気にしない。僕は確かに久しぶりに新鮮な体験に心が踊る感触を感じていた。

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