蟻の夏

班猫嘉

こんにちはセミ君、今日も暑いね。太陽とビルと電気のせいで今日も東京はヒートアイランドだ。灼熱のアスファルトにつま先を焼かれながら、僕は君へ送る手紙の挨拶を考えていた。“暑さ厳しき折にも君は恋歌う日々でしょう”ほら、僕だって素敵に詠える。


意気揚々と君の近くに行った。でも君が留まるケヤキを登り始めたら、僕は急に弱虫になってしまった。ごめんね、嘘をつきました。目の前の君が大声でラブソングを歌っていることが羨ましくて、燃え上がる対抗心で詠えるなんておしゃれな言葉を使いたくなった。数歩で手も届く君に手紙なんて馬鹿げている。でも勘違いしないで、詠えなくても鳴けるよ。アゴを横に合わせてがちがちと言葉が放てる。ほら、がちがち聞こえるかな。


―がちがち、ぼくはありです、がちがち―


対抗心で鳴いてみたけど、君の歌に比べて僕の声は随分小さな音だった。分かっていたことなのに落ち込んだ。すると君は一際大きな声で歌う、びっくりした僕が思わず触角の手入れを始めたら、君は意趣返しだよと笑った。


「どうせ、僕には勇気がないよ、君のようにお腹を空っぽにすることなんてできやしないさ」


君の武器であり弱点でもある空洞のお腹を指摘しても、相変わらず君は余裕の笑みをたたえていた。だから僕はむきになった。そうして僕が出来るのに君が出来ない事を思いつくままに喋った。けれども君は悔しがるどころか気紛れに歌うばかりで、ろくな返事すらくれない。僕より大きいからってあんまりだ。腹立たしいままに君のまわりをぐるぐる回っていたら目が回ってしまった。くらくらしてケヤキを見上げたら、青く茂る葉っぱが茜色に染まっていた。ふと自分の仕事を思い出した僕はためしに君の足を一本持ってみる。ケヤキに張り付いていると思った足はあっさり外れて、両手で持てるほど軽くて驚いた。


「ねえ、君の体は七日目を過ぎているの?」

「日を数えるのは土の中までと決めているのさ」

「なんだよそれ、カッコいいな」


土の中で暮らしを終える僕には一生放てない言葉じゃないか。意趣返しに後ろ足を一本ひっぱった。すると君の足が六本全てケヤキから外れてしまった。瞬く間に君は僕ともども地面に落ちてしまった。僕はおろおろとさまよい君を探した。

見つけた君はすっかりひっくり返ってしまっていて、二度と起き上がれそうになかった。


「ごめんよ、ごめん。落とすつもりなんてなかったんだ!」


弱虫の僕は君に駆け寄ることすらできなくて、すこし離れた所から叫んだ。君は二度ほど翅をはばたかせて六本の足を動かしたけど、全てが弱々しくて起き上がる事はできなかった。


「なあに、もう一度日が昇ったら八日目だ」


だから良いってことにはならない。出かかった言葉を飲み込んだ。


「日にちなんて数えていないっていっていたのに」


近づいて君の腹を押し上げてみた。空っぽの割には重い腹で僕一匹だけじゃひっくり返せそうになかった。触角を動かして仲間の匂いを辿ってみようかと思ったけれど、仲間は君を家に持って帰ってしまうだけだと思いついてやめた。

途方に暮れて空を見上げれば、茜色と群青色がない交ぜになっていた。日が暮れようとしているのだと分かった。でも僕は今日が暮れて終わってしまうことなんて認めたくなかった。君の七日目が終わってしまう。


「もうすぐ日が暮れるな」


六本の足をゆっくりと縮めながら君が言った。後悔が諦めに変わっていた僕は、君が僕を罵倒すればいいのにと思った。そうじゃないと僕は君にとって取るに足らない虫じゃないか。理不尽にいらいらして、つい僕の本能が口をついて出た。


「ねえ、食べられてみる?」


出ていった言葉をぼんやり見つめて、今日はまだ何も食べていない事を思い出した。さっきのいらいらの半分は食欲だったことに気が付いたけど、言葉は戻らないしいらいらは収まらない、八方塞がりだ。


「腹は空っぽだが、多分食えるところはあるさ」


そのセリフも意趣返しなのかな、僕はアゴで前足の手入れをしながら君の真意を聞きたかった。でもいよいよ君の体が小さく収まりだしたから何も言えなくなった。

触角で君の薄翅をつついて、君が完全に止まったことを確認したらひどく安心した。


「馬鹿だなぁ、いやだって言えばいいのに」


食欲のままに君の腹を噛んだら、やっぱり空っぽだった。


冬が来た。

僕は君の腹を食べたけど相変わらず小さな音しか出せない。もちろん歌だって歌えない。でも君が僕の栄養になってくれたから秋には精一杯働いた。おかげで多くを蓄えられた。今年も冬を越せそうだ。

日がなうっとりと貯蔵庫の中身を確認していたけど、さすがに飽きた。巣穴から頭を出して夕暮れを見つめていた。君と過ごした夕日はもっと色が濃かった気がする。ぼんやりしていたら後ろから声をかけられた。


「やあアリ君、君の巣穴は暖かそうだね」


振り返ればキリギリスがいた。そういえば秋に会っていた気がする。触角を左右バラバラに動かしたら思い出せた。仲間と一緒に真面目に働いていた僕を小ばかにしたヤツだ。日が落ちても、夜が明けても歌を歌い続けて、腹が減れば近くに茂る葉をかじって悠々自適に暮らしていただ。

翅をすり合わせて凍えているキリギリスが何のために僕に話しかけているのかわかった。少し迷ったけれど、キリギリスが君にはなかった中身のある腹を持っていることを知っている僕は言ってやった。


「仕方がないね。君が動かなくなったら食べるけど、それでもいいなら」

「ありがとう! 冬に凍えさせられるよりマシさ」


いそいそと巣穴をくぐるキリギリスとすれ違いざまに、ふと思いついて言う。


「あと歌をやめたら食べるよ」

「歌が私の全てなんだ!」


キリギリスは軽薄でまったく君に似ていないのに、その言葉は君が言っているように思えた。早く夏が来ればいい、僕は君の歌が聞きたい。


 おわり

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