後編
・・・
私は静かに夢想する。
彼女の真意とか、私のこととか、くだんない昔話とか。つまらない講義の片手間で、意味のない時間をただただ浪費しながら私は自問自答する。
私は自問自答が嫌いだ、最終的に突き詰めれば自己矛盾と自己嫌悪の無限ループに陥って動けなくなる。泥みたいな自意識を肺いっぱいに取り込むのが息苦しくて苦しくって仕方ない。
きっと彼女と再会したあの夜は夢や奇跡なんてもんじゃ無い、あれはきっと彼女が仕組んだ必然なのだ。
彼女は今まで一度たりとも私の前に現れなかった、彼女はたったの一度もあの展望台に来ることはなかった。何度待ってもたったの一度も来なかったのだ。
なぜ、彼女は私の前に突然姿を表したのか。
なぜ、彼女には月が二つに見えるのか。
なぜだけが山のように積もっていく。
考えたところで答えなんて見えてはこない、胸には疑問だけが高く高く積まれていく。私は主人公でもなければ名探偵でもない、今まで張り巡らされた伏線なんて回収のしようもない。
つまりはお手上げだ。
授業を終える鐘がなった、鈍い音で似たような音が耳の奥で往復する、うるさいな、分かってるよ。
私にはその音がゲームオーバを知らせる音に聞こえたのだ。
・・・
結局のところ考えても仕方がないなんて口では言いながら一日中彼女のことを考えていた、これでは恋する乙女ではないか、恥を知れなんて自分に罵詈雑言を飛ばしてもなんだか虚しくなっちまうだけだった。
心ここに在らずの状態だったバイトも終わり、終電に乗って静まり返った街を眺める。この時間は嫌いじゃない、誰もいないような車両の隅でひっそりと静かな街を見ながら夜を駆ける。そうしてまた彼女に想いを馳せては、自分の無力さに打ちひしがれる。
「なに、暗い顔してんの」
静かで綺麗なこの夜が、世界一似合わない女が片手を上げて笑ってた。
「なんでいるんだ」
「遊んでたの」
「そうか」
彼女がドカッと椅子に座り込み、楽しそうに私の顔を見つめる。どうにもその目が苦手で視線を再び窓の向こうに反らして逃げる。
「どうしたのかね青少年」
「なにが」
「なんか思いつめてたような顔してたけど」
「事実だよ、どうしようもなく思いつめてる」
「なんかあったの? 話してみれば?」
煽りかと思いイラっとしたけれど、どうやら彼女の顔を見る限りは純粋な善意のようだ。それがまた、私を静かにイラつかせた。
「お前のこと考えてた」
私がそういうと、彼女は楽しそうに笑いながら「告白?」と茶化しを入れた。
「告白ならとっくの昔に済ませてる」
いつもなら簡単に撤退する私が噛み付いて来たのが意外だったのか、彼女は突然マネキンみたいに固まった。
「分かってんだろ、薄々」
「なにが」
彼女の纏う雰囲気が静かに切り替わる、先ほどまでのチャラけた様子はなかった。静かで薄暗い、まるでそこの見えない穴みたいな双眸が私は恐ろしくて仕方がなかった。
「お前、何がしたいんだ?」
私がそういうと、彼女は真顔ではぐらかす。
「なにそれ、どうしたの急に」
「……」
「今まで一度だって俺の前に姿を現さなかったお前が、最近じゃよく会うようになった」
「偶然だよ」
「いや、お前は俺に会いにきてんだよ」
「やだ、恥ずかしいこと言ってる」
「黙って聞けよ。まだ、俺が喋ってる」
「……」
私が強くそういうと、彼女は逃げられないことを悟ったのか押し黙り、窓の向こうに目線を向ける。
「なぁ、お前は何がしたいんだ?」
彼女は黙りこくって動かない、電車が停止して、我々の終着駅にたどり着く。彼女は静かに立ち上がると「行こう」と短く促した。私は静かに頷いた。
「ねぇ、もし私が消えちゃうとしたら、君はどうする」
「それは……」
電車から降りて、人混みを抜けてから改札口の前で彼女はそう言った。
今更だ、そんな軽口を叩けるような状況じゃない。
「もう何にもできないでしょ?」
「……」
「もし、綺麗にさようならができるならそれがよかった」
彼女がいう。
「跡形もなく私がこの世界からいなくなって、私の痕跡が全て綺麗に消えるならよかった」
駅の蛍光灯がチカチカと点滅する。
「君も玲奈も私を忘れてくれてれば良かった」
「……」
「でもね、そうはならないの。だから会いにきた」
私はただおし黙る、それしかできない。
「だからさよならなの。玲奈とも君とも、さよならなんだよ」
「なんで……?」
子供のようだと思う。
情けない声だと自分でもわかる。
「初恋はね、叶わないの。私は夢が見れないから」
彼女が言葉を紡ぐ。
「眠れない人間に夢は見れないの」
静かに確かに強い意志を宿して言う。
「大当たりだよ、名探偵。君とあったのは偶然じゃなかった」
彼女が改札を出る、私はその場から動けずにいた。
「サヨウナラ、君のことはね。心の底から大っ嫌い」
小さくなる彼女の背中を見つめるしかできない。
なんと無力で臆病なのだろうと思う。
「なんで……」
手でも取って引き寄せればよかった、でも私はそうしなかった。拒絶されるのが怖かったから? 引き寄せたところでなにもできないから?
「なぁ、だったら……だったらなんでお前は」
彼女の見せたあの表情は、私の告白を断った時の表情に似ていた、重くて悲しそうで泣き出しそうだった。
彼女から笑顔を奪ったのはきっと私だ、彼女から夜を奪い取ったのもきっと私だ。
あぁ、なんとも無様で哀れな一人芝居なのだろう。玲奈が言っていた意味をたった今理解した、全部が全部取り返しが効かなくなってから理解した。
寒空が凍えそうな風を吹かせる。
改札の向こうに躍り出て、吐いた息が白いのを認識する。
白い息は空中を漂って、ずっと向こうに登って消えて、代わりに雨を連れてきた。
「主人公にはなれはしない」
私にはなにもできない。
私では主人公にもなれやしない。
一瞬で強くなる雨足が、私の体を痛いぐらいに叩き続ける。寒さに体が芯から震えてきて、まぶたが自然と熱くなる。
雨か涙かもよくわからない、なんで自分が泣いているのかもわかっていない。
私に分かることがあるとするなら、初恋はきっと叶わないなんて馬鹿げたことだけだ。
・・・
嫌な夢ばかり見る。
あれからもう何日経っただろう、重くて怠い体はいうことを聞かないし、ハンマーで殴られてるみたいにガンガンする頭では時間すら正確に認識できない。
あの日ずぶ濡れで帰った私は、厄介な子病気をこじらせた。
「あ、起きた」
「……移るぞ」
「移して貰おうとしてんの、学校休めるし」
「薄情者め」
スマホをいじってた妹が顔を上げて、体温計を渡してくる。
「熱は?」
「ちょーこうねつだ」
「はは、兄貴がいつも以上にバカっぽい」
この妹はどうやら体調不良の兄にですら容赦がないらしい。スタスタとドアの方に歩いて行って、一階のリビングに向かって「おかーさん、兄ちゃん起きたー」と叫んでる。
「なぁ……」
重くて仕方ない体を起こして、妹を呼び止める。
「あー、まだ体調悪いんだから起き上がっちゃダメだって」
「アイツにあったんだ」
「うん」
「なぁ、なんでおれ、アイツにふられたんだとおもう?」
自分でも話があちらこちらに行ってるのが分かる、なんの脈略もないのに、妹は優しい顔で私を見てた。
「きっと、兄ちゃんを傷つけないためだったんじゃないかな。あの人、優しかったし」
「話して欲しかったんだ……おれ」
呟くと涙が溢れて止まらなくなった。
取り返しがつかないことが分かってるから、今は彼女の気持ちがわかるから。
頑張って起こしてた体にも限界がきて枕に頭を埋めながらうわ言みたいに何かを呟いて泣きじゃくる。
少しだけ妹は目を伏せて、静かにドアノブに手をかけた。
「兄貴、あの人にあったって話が本当ならさ、お別れは言いなね」
「うん」
優しい妹の言葉に短く返事を返して、私は静かに目を瞑る。
・・・
今でもあの日を思い出す。
なんで、あの日、彼女は私からの告白を断った時に、あんなに泣き出しそうな顔をしていたのだろう。
なんで私よりも彼女の方が苦しそうなのだろう。
あの日、あの時はそれが不思議位で仕方なかった。
あの日のことを思い出すと胸の奥が酷く鈍く痛む。
彼女は一体、あの時何を思っていたのだろう、彼女は一体、あの時どれほどの苦しみを抱え込んでいたのだろう。
「ごめんね」
彼女が言う。
「私、好きな人がいるの」
泣きそうな顔で彼女が言う。
あの時は、彼女が泣きそうなのが理解できなかった。
あの時は、泣きたいのはこっちだって思ってた。
今にして思えば、理解できる。
今にして思えば、泣きたいのは彼女だっただろう。
「ごめんね……ごめんね」
彼女が言った。
「あぁ、うん」
私が言った。
それ以降は覚えていない、いかにショックだったのかが分かる。
それから私はあまりのショックで今みたいに高熱を出し、一週間ほど学校を休んだ。
それから少しずつ、私は彼女を避けるようになった。
そっけない私の態度を見て、彼女は少し悲しそうに笑ってた、思い出すと胸がえぐられそうになる。
彼なんかは「しゃーねー」なんて笑ってた。
玲奈には少し怒られて、お願いねと言われた。
私は彼女に想いを告げたのを酷く酷く後悔して、自分自身に嫌気がさした。
こんなことになるならと、枕を抱えて嘆いた。
こんなことになるなら、今まで通り彼女の隣で笑っていたかった、何度もそう思った。
彼女とろくに言葉も交わさぬまま時間だけが経って。
そうして、次にまともに彼女の目を見て会話したのはベットの上で横たわって力なく笑っている彼女とだった。
だからおかしいのだ、全てがおかしいのだ。
彼女がこの世にいることが、彼女が私に見えることが。
だって、彼女はもう死んでいるのだから。
・・・
ひどい悪夢で目がさめる。
窓の外を見ると、世界はまだ夜だった。
「丸一日寝てたのか」
妹と会話してから丸一日経っていた、我ながら悪夢にうなされながらよく眠っていたと思う。
額に手を当てると、多分だけど熱は下がっていた。
大きく伸びをして、汗臭いにも程がある自分の体に眉をひそめる。
「くっせぇなー」
ひとまずは風呂に入ることにする、これだけ臭いのでは生活に支障をきたしてしまう。熱がぶり返せばまた眠ればいい。
眠りすぎて鈍い体を動かしながら、風呂場に向かい熱い熱いシャワーを浴びるとぼやけていた思考が少しずつ元に戻っていく。
色々、夢を見た。見たくないものまで見てしまった。辛いことや苦しいことだけではない、楽しかったことや笑ったことを思い出して余計に苦しくなる。
体を拭いて、ドライヤーで髪を乾かしながらそんなことを考える、今まで考えてなかった分ただただ私は考える。過去が、後悔が、肌にこびり付いて剥がれない、まるで刺青のように、きっと一生私から離れてくれることはないのだろう。
「あぁ、そうか」
全ての物事に合点が行く。
死んでしまった彼女が私の前に現れたのではなく、私が彼女を見つけてしまったのだ、彼女の言う通り。あぁ、多分、彼女はずっとそこに居た、初めからどこにも行ってなんかなかった。
首に巻いたタオルの柔軟剤の匂いを嗅ぎながら自室に戻るとスマホがガタガタと震えていた。こんな真夜中に一体誰かと画面を見れば『玲奈』と表示されていた。
恐る恐る着信に出る。
「……どうした
」
『いたのッ!』
開口一番、涙ぐんだ様な叫びが電話口から轟いた。
『いたの……本当に、本当に! あの子がいたの!』
「……」
『ごめんねって、さよならって! あの子』
涙ぐんだ声は次第に湿気が増して泣きじゃくる声に変わった、まるで子供の様に。
「そうか、やっぱいたか」
『うん……いた、泣いてた。すぐに消えちゃったけど、いたの! 本当に、そこにあの子が! 私……私!』
「わかったから落ち着けよ。気持ちはわかるけど」
本当は、あの夜。展望台で彼女と会ったあの夜、私の泣き出してしまいそうだった、泣いて喚いて縋って、彼女に謝りたかったのだ。
でも、それをしてしまうと優しい幻想が崩れ落ちてしまいそうで、淡い夢が壊れてしまう気がして、いつも通りに振る舞ったのだ。
だから、玲奈の気持ちが痛いほどにわかる。
「玲奈、あいつなんて言ってた?」
『約束破ってごめんねって……きちんとサヨナラしたかったって』
「……そうか」
『ねぇ……夢じゃないよねこれ』
「夢だったら覚めなきゃいいのにって思うよ」
『ずっと、ずっと、後悔してた。あの子とサヨナラできなかったことも、また三人で遊ぼうって約束が守れなかったことも』
玲奈が想いを吐き出すのを、私は静かに聞いていた。
あぁ、それはお前やアイツが謝る必要のないことなんだ、それは全部、私が悪いのだから。
「なぁ、玲奈」
『なに?』
「アイツ、どんな顔してた」
『泣きそうだった』
「そうか」
『うん』
「なぁ、玲奈」
『なに?』
「アイツ、サヨナラって言ったんだよな?」
『……うん』
「そっか……そっか」
私は静かにスマホを握る。
「玲奈、またゆっくり話そう。今度はちゃんと話をしよう、アイツの話を。もう、俺は逃げないから」
『うん』
「じゃあ、電話切るな。行くとこができたから」
『行くの? あの子のところに』
「俺だけサヨナラしてないからな」
『そう、どこにいるかわかるの?』
「あぁ」
鼻をすする不細工な音が聞こえる。
『気をつけなさいよ、夜なんだから』
「あぁ、大丈夫だ」
電話を切って、私は一呼吸置いた。
部屋の隅にある上着を掴み取って、転がる様に部屋を飛び出した。
急げ、急げと身体が騒ぐ、時計の針はすでにもう夜明け前だ。もうすぐで朝が来てしまう、あと少しでこの夜が終わってしまう。
「なにぃ……兄貴、うっさい」
私のドタバタで目を覚ました妹が、不機嫌そうに目をこすりながら問いかける。懇切丁寧に説明してやりたいところだが、そんなことをすればこの夜を使い果たすことになる。
私は急がねばならない、早くしないと朝が来てしまう、速くしなければ夜が終わってしまう。
「チャリ! 貸してくれッ!」
「……なんで。てか、病み上がりでしょ、大人しくしてなって」
「アイツに! アイツに今度こそ、サヨナラって言わなきゃなんねぇんだよ!」
私が支離滅裂にそう叫ぶと、首をかしげた後、不機嫌そうに部屋に引っ込んで可愛いストラップのついた鍵を投げた。
「朝までには返してね」
「心配すんな、夜が明けるまでには返してやる」
鍵を握りしめ、玄関を飛び出して寒空の下に踊り出した。
趣味の悪いピンクのママチャリに跨って、立ち漕ぎでペダルを力一杯踏み込んだ。病み上がりのせいで体力ゲージは走り出したばかりなのにゼロに近い、それでも、私は一瞬たりとも足を止めることはなかった。
このままでは終われない。
このままで、終わっていいはずがない
こんな、こんな驚くぐらいに美しくて寂しい夜に、彼女を一人で取り残すなどあってはならない。
それに……
「彼女に想いも伝えられないままなんて!」
坂道を登りながら、誰にでもなく私は静かに一人叫ぶ。
胸の内に燻っていたこの想いを、叫ばずには居られなかった。
「あっていいわけがないだろ!」
だから、私は叫ぶ。
言うなればこれは数年越しのリベンジマッチ。
この夜だけは、終われない。
この夜だけは、終わらない。
・・・
展望台の階段を登る、古ぼけてギイギイ言うせいで少し心もとない気分になる、まるで吊り橋みたいだ、そんなことを考えながら息を切らして、額から溢れる汗を手の甲で拭った。
一歩、また一歩踏み出すたびに身体が重くなる。
彼女がここにいる確証なんてない、それでも彼女はここにいるだろうと断言できる。
結局のところ私も彼女もここに帰り着く。
そうしてこの物語は彼女に帰結する。
ゆっくりと階段を上ると、そこには大きな月があった、大きな、大きな月が二つもあった。
「は、いよいよ俺も脳味噌がいかれたな」
展望台の頂上はあいも変わらず見渡しが良くて、星が綺麗に見える。
木製のボロっちい柵に頭を預けた見覚えのある頭とマフラーが見えた。寝ているのか、いやきっと瞑想しているのだろう。
思いっきり後頭部をひっぱたく。
「いったぁー」
気の抜けた声が響く。
「約束どうりは叩起こしてやったぞ」
「覚えてたんだ」
「玲奈が口うるさくいってたからな」
「いい友達を持った」
「つーかそれ俺のマフラーだろ返せよ」
「寒いんだけど」
「死人が生意気言ってんじゃねぇ」
彼女の隣に腰掛ける。
「何しに来たの」
「お別れを言いに来たんだ」
私がそういうと、彼女が嬉しそうに笑う。
「今度はキチンと、後悔しないように。お別れをしに来たんだ」
「うん」
「あぁ、あと玲奈がよろしくってよ」
そこまで言って、不意に手が震えるのがわかった。
あぁ、私はきっと恐れてる、また彼女を失うことを。
「お前、ずっと見てたんだろ」
逃げずに、本題を切り出した。
「バレてたか」
「お前が、あの夜に死んじまってからずっとずっと、俺や玲奈を見てたんだろ」
「うん」
それを私が……私たちが見つけ出してしまったのだ。
私や玲奈が少しずつ貯め続けていたチリが積もりに積もって形を成した、山になって、願いを叶えた。
死んでしまった彼女に、もう一度会いたいなんて馬鹿げた思いがなんの冗談か形になってしまった。
「正直、少し驚いたの、あの夜に君がここに来たことも、私を見つけ出したことも」
「……」
彼女は唄うように饒舌に滑らかに言葉を紡ぐ。
「ずっと見てたよ君の瞳の中から、それ以外にすることもなかったし」
「そうか」
「だからね、彷徨ってた私を見つけ出してくれた時ね、本当に嬉しかったんだ」
彼女が笑う。
「だからきっとお別れなんだって思うの。私は君に見つかって幻じゃなくなったから、ここにいるって君が証明したから。それに、私の願いは叶っちゃったか
ら」
「……」
「私はもう死んじゃってるから、見つけられたらここにはいられない」
「……」
「でもね、私は後悔してないの。君が見つけてくれたから、私はお父さんやお母
さんに少しだけ再会できた、玲奈にちゃんとお別れが言えた」
まぶたの裏側に涙で水たまりを作る私を見て笑いながら、彼女がいう。
「また君と、こうやって馬鹿話ができたから」
夜の闇が少しずつ、明けていく。
隣の誰かが少しずつ淡くなっていく。
「私を見つけてくれてありがとう、さようなら」
数分で世界は色を変えていく、待ってくれと喚いても、頼むからと縋っても、世界は顔色の一つも変えずに朝を運んでくる。
「だから、泣かないで。私は十分に幸せだったから」
「あぁ……泣かないよ」
「泣いてるじゃん」
泣きながら彼女が笑う。
笑いながら私が涙を流す。
「さようなら、ずっとお前が好きだった」
私がいうと、彼女は少しばかり驚いた顔をして照れ臭そうに顔を背ける。
また明日もこうやって彼女と笑っていたかった、それだけだった。
彼女が次第に解けて薄れる。
夜の闇が少しずつ薄れて解ける。
淡い色の日の明かりが、雨に濡れてた街に反射して綺麗に光る。
気付いた時には全部終わってて、冷たい冬の風が頬を撫でた、泣きじゃくりながら君は私を指差して笑って、少しずつその形を失っていく。
「さようなら、ずっと君が大嫌いでした」
世界から夜が消え去って、私の前から君が消えた。
あまりに寒くて強い風が吹いて、私は思わず目を背けた、再び目を開けたら目の前には彼女はどこにもいなくて、初めから存在してないような気さえした。ただ、足元にはマフラーがポツンと落ちている。
「ほんと、お前は」
ほんのりと暖かさの残るマフラーを拾い上げて、私は裏返った声で少し笑いながら呟いた。
「やっぱし嘘が下手くそなんだよ」
・・・
エピローグ
あれから少しばかり時間が流れた。
私はというと、似つかわしくないオシャレなカフェでコーヒーを啜っている。
「アンタ、その仏頂ズラどうにかしなさいよ」
「いや、コーヒー苦いなぁと思って」
「なんで飲めないのに頼んだのよ……ほら、私のミルクティーと取替えてあげるからそのブサイクな顔やめて」
え、ミルクティーってこんなに美味しんですか、ペットボトルのやつと全然味が違う。私がお高いミルクティーに度肝を抜かしていると、玲奈がいきなり右ストレートを放ってきた。
「あの子と、どんな会話したの」
「べつに、いつも通りの馬鹿話だよ」
私はてっきり彼女にまた「御茶を濁すな」と怒られるかと思ったが、彼女は楽しそうに笑っているだけで何だか肩透かしを食らった。
「他には」
「あとは、まぁ、なんだ。告白した」
「返事は?」
「大っ嫌いだってさ」
そういうと、彼女は本当に楽しそうに、幸せそうに笑うものだから私のペースが乱される。
「嘘が下手ね、最後まであの子」
「あぁ、全くだ」
「というか、二つの月ってなんだったの」
「あ、アレか。いや、性格には俺も分かってないんだけどさ」
「でも、何か心当たりはあるんでしょ」
玲奈がニヤリと笑って私を虐める、こういう解決編みたいな真似は正直小っ恥ずかしくてやりたくないが、ついこの間これ以上に小っ恥ずかしいことをやっているので諦めて仮説を口にする。
「言ったんだよアイツ、最後の時に『ずっと君の瞳の中で見てた』とかなんとか」
もしかしたら、死んでしまった彼女は私の瞳を介して私達を見ていたのではなかろうか、私の瞳の中に住んでいたと言ってもいい。憶測だけれど、きっと月が二つに見えたのは彼女の瞳と私の瞳がダブって描いた光景なのではなかろうか。
「うーん、微妙。なんか他に理由ありそうじゃない? というかあのこの嘘の可能性もあるし」
「いや、嘘じゃないんだソレが」
「は?」
「あったんだよ、月が二つ」
「……薬でもやってる?」
「お前、はっ倒すぞ」
「まぁ、アンタの自分の中にアイツがいたーなんて気持ちの悪い妄言を信じるとしてもさ、ありがとね」
「……なんだ急に改まって」
「あの子をアンタが見つけてくれたから、言えなかったサヨナラを私は言えたの」
「俺のお陰なわけねぇーよ、たまたまだそんなの」
「あ、照れてる気持ち悪い」
「何お前、俺のこと嫌いなの?」
私が呟くと彼女が笑う、ぎこちなかった関係が少しずつ正常化して行っているのが分かった。彼が同棲すること含めたくだらない世間話や馬鹿話を昔みたいに繰り広げていると、思い出したように彼女が言う。
「他人の恋路はいいとして、結局アンタはどうなのよ」
「なんだいきなり」
「あの子と、最後話したんでしょ」
一回振られて、一回はまぁ、アレはオーケーみたいなもんだろ。
「一勝一敗で引き分け、持ち越しだな」
「なによ、それ。どこに持ち越すの」
玲奈が吹き出した、私もつられて吹き出して笑う。
初恋は叶わないと誰かが言った。
きっと私は適当なことを嘯いて笑うのだろう。彼女と笑った日々を思い出して。
了
瞳の中 檜木 海月 @karin22
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