フライング社創立四十周年

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 フライング社は二〇四七年十月に創立四十周年を迎えた。

 十二月に行われた記念パーティーの席上で、木村健一社長は画期的なCSS計画を発表した。CSSとはCasual Sky Suitの略で、従来のスポーツタイプのスカイスーツを一新して、普段の服装に飛ぶという機能を持たせようというものだ。

「この計画により、日常のあらゆる服がFLY-Gをベースにつくられることになるでしょう。スカイスーツを通勤に利用している人はわざわざ会社で着替える必要はなくなります。ビジネススーツでも飛べるのですから。子供たちが学校へ着ていく普段着にも、お母さんの買物着にも、若い人がデートをするときのおしゃれな服にも、総べて飛ぶという機能が備わるのです。これにより、人間は裸や下着姿でない限り、いつでも、気軽に、自由に飛べるようになります。飛ぶという行為は私たちの生活の中で、もう決して特別なことではなくなるのです」


 この挨拶の後、健一社長はCSS計画の試作品を発表している。ジーンズにタートルネック姿の男女のモデルが壇上から飛び立ち、パーティー会場の高い天井空間を飛行してみせた。健一社長の若い時代を思い起こさせるような光景だった。

 その上下の装いはFLY-Gを入れ込んでいるせいかややだぶだぶで、履いているバスケットシューズもビッグサイズだったが、先端性という点においては、街のブティックに置いてあるどの服よりもはるかに進んでいた。

 木村健一社長はCSS計画の商品が社会に出回る時期を聞かれて、

「八年以内には必ず」と答えている。「社会はいま未来の様々な夢を見ています。その夢を口に出したり未来がどういう形になるのか予測したりするのは非常に簡単なことですが、我々は夢の実現が遥か先にあるものに興味はありません。フライング社創設者の松本幸介は私によく言っていました。企業は企業が抱いた夢をそのまま人々に与えてはいけない。企業は企業が抱いた夢を現実に変えて、今の人々に与えなければいけないと。その言葉通り、我々は常に現在生活している人が体験できるということを第一の条件に、その範囲で夢を見て、実現していこうと考えています。人生の十パーセントの時間の積み重ねにより、気が遠くなるほど高い位置にある未来へも着実に近づいていけるものと思います」

 

 今、「人間は鳥になろうとしているのか」というタイトルの人類の警告書がベストセラーになっている。著者名は明らかにされておらず、「黒カラス団編」となっている。その本は、飛ぶという行為に走る最近の風潮を痛烈に批判し、未来の人類に起こりうることを予測している。まず、十年以内に足腰が極端に弱い幼児たちの出現が社会問題化し、その問題はトビーをはじめとする浮き玩具の発売を禁止しない限り、永遠に解決できないと断言している。何の策もないまま赤ん坊の発育期に浮き玩具を与え続けると、五十年後には「初めての立っち」の時期は二歳前後まで遅れると推測している。その頃から生涯歩くことを拒否する人間が増えてくる。百年後に、空中ビルやスカイハウスが出現し、体重百キログラム以下の人間は地上を離れ、空で暮らし始める。三百年後には地上はごみ捨て場と太った低額所得者の棲み処となる。太った高額所得者は地下で暮らす。五百年後には空中の人間は「下の者」と呼んで地上の人間を差別し、「上の者」と「下の者」の間で大戦争が始まる。七百年後に太った「下の者」は滅びる。同時に「上の者」が南極の氷を融かし、「下の者」の棲み処は海中に沈み、勝ち残った人類は空中都市で暮らすようになる。千年後あたりから、飛ぶという行為に適した体を持つ赤ん坊が生まれるようになる。そして人類がかつて地上で歩いていたことすら忘れ去られていく・・・。人類のこの悲惨な未来の根源は、松本幸介と木村春彦の出会いにあり、本書では二人を有史以来の大悪人に仕立てている。


 フライング社の新広報室長の進藤正志は、この本の内容について、

「大変面白い本であると思います。その本は当社の地下の売店にも置いてありまして、当社でもベストセラーになっています。むろん抗議などはいたしません」と答えている。

 松本幸介はこの手の予測書を全く好まなかったので、生きていたとしても目を通すことはなかっただろう。

「未来というのは何も一つの道しかないわけではないのです」と松本幸介はかつて桜井誠のインタビューの中で答えている。「例え現在に一つの道しかなくても、時間というものが流れていけば、その途中で幾つもの支流が生れるのは当然のことです。ですから、せいぜい十年以内のことについてなら関心を持つでしょうが、遠い先のことについて書いてある本は胡散臭くて見る気にはなれないのです。もっとも見てしまったら影響されるのが怖いということもありますがね。それからよく未来を悲観的に捉えるものがいますが、そういう人は今ある一つの道からしか発想できない人で、そんな人に未来について語って欲しくありませんね。飛び袋にしても、未来を変えた商品と言われていますが、飛び袋にだけ未来を背負わせるのは酷です。頭の中でさっと考えただけでも、この先ロボットというものが登場するでしょうし、宇宙ステーションでの生活もあるし、漫画の世界でも人の頭でも想像できないような素晴らしい遊び道具や生活用品もきっと出てくるでしょう。更にビジネス、娯楽、ファッション、教育などもどんどん新しくなります。飛び袋は社会を形成するそれらの一要素に過ぎないのです。縦に流れていく時間の中では二十一世紀に生れたちょろっとした泉です。飛び袋は確かに今の生活をそれまでとは変えたかもしれませんし、総べての人々を飛べるようにしたいという夢も込められています。しかし、このちょろっとしたものに人類の未来を預けるというのはどうでしょう。いささかオーバーではないでしょうか」

 未来の人に笑われますよと言って、松本幸介は微笑んだそうだが、当時はまだ松本幸介自身も今日のスカイスーツの進化と普及を見ていなかった。


 松本幸介が言うように、トビーもスカイスーツも日常の生活を形成する様々な現象や道具や行動の一要素に過ぎない。しかし、それは他のどれよりも魅力的で、未来の希望に満ち溢れている。それは二十世紀に策定されたジオフロント計画の見直しが余儀なくされ、スカイフロント計画が立案されたことから見ても明らかだ。

 ジェット社の未来研究室では、フライング社のCSS計画により、官民一体の大プロジェクトとして、スカイフロント計画が加速的に推進されるであろうと予測している。

 飛ぶということが人々の暮らしの中でより日常化してくると、空というスペースの有効利用を考えるのは当然のことだ。東西南北の進路方向による高度規制、道路沿いのドライブ・インのような休息室と食事施設を兼ね備えたフライ・インの設置も必要になるだろう。ジェット社では「百年プラン」と称して、幾つかのゼネコンと共同で、自社のジェットガスの浮力をもとにした、空中ビルやスカイハウスの研究に取り組み始めた。


 競合会社の未来感溢れる開発計画の感想を問われて、フライング社の広報室長は、

「いつも言っていますように、当社では一世紀も先のことには、まったく興味はないのです」と答えている。「興味があるのは今であり、今の生活者に奉仕することをモットーにしているのです。ですから、当社は未来のための空中ビルの研究開発に参加することはないでしょう。百年後当社でも空中ビルをつくっているかもしれませんが、それはあくまで十パーセントタイムの積み重ねです。今発売している『空に浮かぶ鳥小屋』のようなものが、やがて空に浮かぶ家やビルになっていくのだろうと思います」


 松本幸介はコレクターではないし、趣味がある人間ではなかったから、彼に縁りのある遺品は残っていない。残っていないところに、プライベートな生活においては、人生の後半を孤独に過ごしていたことが伺える。遺産は遺言により赤十字に寄付をしているし、松本幸介が住んでいた石狩のマンションも赤井川の別荘もフライング社の所有物である。むろん銅像やレリーフ、勲章の類もない。松本幸介は個人としては何も残さなかった。

 しかし、松本幸介はそれまでの時代にはなかった素晴らしいものを、この二十一世紀に残した。もしも松本幸介が飛びたいという夢を持たなかったら、木村親子の才能も埋もれていただろうし、現代の社会は機械の味しかしない、ひどく味気ないものになっていただろう。会社で、学校で、家庭で、みんながみんな機械と向き合いながら一日の時間を費やし、空を快い気持ちで見上げることもなかっただろう。太陽や雲や風の動きに誰もが関心を持つことなく、地下の世界に夢を見るようなモグラ人間ばかりが増えていただろう。


 空を飛ぶこと。それは二十世紀に子供時代を過ごした松本幸介の夢だった。二十一世紀にそれは現実になったが、松本幸介自身は生涯空を飛ぶことはできなかった。


                               了

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フライング社四十年史 MIYA尾 @miya-g

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