第24話 帰還

 坂を下りながら、前田はうわの空になっていた。シャーッというタイヤが斜面を滑る音だけが、耳にはいってくる。


 ――ごめん、俺のせいだ。ごめん。


 陸のむせび泣く光景が、脳裏に浮かんだ。前田は、胸のあたりに、濃い紫色のスモッグが渦巻いているのを感じた。思わず右手をハンドルから離し、Tシャツの胸部をぐっと掴む。しかし、その渦は、身体のもっと奥に、しずかに渦巻いているような気がした。


 ライトをつけた二台の自転車が、団地の敷地にならんで入っていく。


 前田は狭苦しい駐輪場に自転車を入れ、カギを抜いた。


「自転車、ありがとう」


 啓太が、前田に手を差し出した。その手の上には、緑色の鈴のキーホルダーがついた小さなカギが、置かれていた。

 うん、と頷いて受け取ろうとしたとき、前田は、啓太の手がこまかく震えているのに気がついた。

 啓太の顔を見上げると、その目は潤んでいて、わずかに充血していた。


「うん」


 今度は声に出して頷き、前田は啓太の手からカギをとった。

 

 階段をのぼりながら、前田は、陸のむせび泣く姿、そしてさきほど見た啓太の涙の意味を、考えていた。それから、あの二人と楽しそうに話す牧野の顔が浮かぶ。


 ――くそ、くそ、くそ。


 前田は、胸の中で毒づいた。悔しくて、握った手が震えた。


 ――もとはといえば、あいつが俺を・・・・・・。

「くそ!」


 家のドアの前で、今度は声に出して叫んだ。夜の空間に、声はあとかたもなく吸い込まれていく。秋の虫たちの声が、さっきよりも大きく聞こえてきた。

 前田は、一つ深呼吸をし、ドアを開けた。靴を脱ぎながら、玄関の灯りをつけたとき、

 スパァン!

 と、前田の頬を何かが殴った。その勢いに、前田は尻餅をついて倒れこんだ。


「外出禁止って言われてるのに、あんた何やってんの!」


 見上げると、母が目をつり上げて前田を見下ろしてた。久しぶりだった。母にこんなに叱られるのは。

 母の顔を黙ってうかがっていると、そのつり上げられた目に、わずかに涙が浮かんでいるのがわかった。


「なによ」


 まじまじと顔を見つめていると、母はぶっきらぼうに言った。


「いや、なんでも」


 前田は、視線を落とす。


「さっさと、お風呂入りなさいよ」


 母は、ふんっと鼻を鳴らして、居間に戻っていった。

 その母の後ろ姿を見ながら、前田は、今日の二人の涙を思い出した。そして最後に、今さっき見た母の涙が、頭に浮かぶ。


 ――みんな、大切な人を。


 その瞬間、前田の頭に、あの公園の光景が浮かんだ。なんの前触れもなく、まるで電撃が走ったみたいに、突然あの老人と会った公園の光景が、脳内に飛び込んできたのだ。


「まきの」


 前田は家を飛び出して、階段を駆け下りた。その途中、公園の方で、細い光の柱が空高くのびているのが見えた。


 ――あれは。


 前田はさらに足をはやめ、公園に駆け込んだ。光の柱は消えていたが、まだ小さな光の粒子が、そこらじゅうに舞っていた。

 その粒子の舞う真ん中に、人が、むこうを向いて立っていた。西洋風の服を身にまとい、背中には大きな剣を背負っている。


「牧野か」


 前田の発した小さな声に、その人は振り向いた。その顔は、間違いなく、牧野だった。

 牧野は、前田を認めると、前田に向かって駆け出した。途中で重たい剣を投げ捨て、前田にダイブするように、抱きついた。


「ごめんな、前田、ごめん」


 前田が言葉を発するより先に、牧野は、涙ぐんだ声で謝りはじめた。その涙に、前田も目頭が熱くなった。


「俺も、ごめん」


 そう言うと同時に、前田の目からぼろぼろと涙がこぼれはじめた。二人は硬く抱き合ったまま、しばらくそこを動かなかった。

 

 老人は、その二人の顔を見ると、満足そうに頷いて、公園を出て行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異世界転生の異世界じゃない方のお話。 空木 種 @sorakitAne2020124

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ