佐野さんの契機

2月14日

決戦は月曜日。

この澄み渡った青空に比べ、我々男子の顔はポツリポツリと

雨が降り出してしまうほどに曇っているのだ!


それもそのはず。


《長期的な交流を冷凍保存の如くいつまでも》

略してチョコレートが学園中に飛び交う一大イベントの当日なのだ。


太古では、下駄箱やロッカーにこっそりと。

現代では、人目を忍んで、放課後や登校前に渡してしまうらしい。


しかし人の世は儚き事かな、実に半分以上のオスは獲得総数0個のまま

その生涯を終えると言う。


僕はいつもと変わらぬ足取りで、戦場と化した学園に入る。

女子生徒同士の渡し合いで、ひっちゃかめっちゃかになる教室内を華麗に泳ぎ、

コロンブスの様に自らの席へと上陸する。

ふうっ、もう慣れたものだ。


そんなひと息ついたその背後に、鼻息荒く近づく男の影。


「して、ダーハス殿。今年のポイントは如何に。」


「おぅ...君か、イーヨリ。悪いが私には当てがあるのでね。

いつまでも、こんな帝国にいる訳にはいかんのだよ。」


「...なんと...!裏切ったな...我々は、同盟を結んでいたではないか!」


「ははっ、甘いな。もっとビターになれ。母親からのお情けをリュックに

入れてる時点で敗者なのだ。帰れ!君は負けたんだ!」


「くっ、なんたる屈辱...」


「ハッ!ハッ!ハッ!」


肩を落とし、残り2名しかいない帝国民の元に慰めてもらいに帰った。


寄居くん a.k.a イーヨリ

業界用語的に名前を呼ぶのが、我々帝国での決まりだ。


この呼び方、帝国民間では気に入っているが、女子勢には不評である。

特に最近、学年全体で幅を利かせている、向井グループは露骨だ。

キモいの消えろだのって、あんまりだ。

肥満且つオイリーな髪のイーヨリの見た目も手伝い、笑えないくらいには

気持ち悪がられ…嫌われてしまっている。

自分の見た目を気にしていない、あのままじゃ一生帝国生活だ。


そんな状況をブヒブヒ、と言葉に出して喜んでいる者が1名、

国民にはいるので早期滅亡を願うばかりだ。

ちなみに向井さんは「ちゃんむか」として親しまれている。

愛称としては、そこまで我々と差異は無いように感じるが。


さて、そんな彼らは置いておこう。

先ほどの当てというのは、もちろん佐野さんだ。


昨日はわざわざ板チョコを買い込み、見せつけてきたのだ。


〈今からこれを細かく砕いて、湯煎していきま〜す。〉


ピンクのエプロンを着込み、調理を施していく彼女のそんな声が聞こえた。


〈美味しく食べて貰える様に頑張ります!〉


そんな嬉しい意気込みも聞こえた。

いや、言っていた。


この哀れな男の、チョコレート戦争に終止符を打ってくれ。

ポケットにいっぱいの愛を恵んでおくれ。


なお新鮮なリアクションを楽しみたいので、制作過程はあえて見ていない。

もし、詳しく作り方も見せていてくれていたのであればそれは大変申し訳ない。

やはり作り手としては、サプライズ感を大切にしたいはずだ。

そう…ガチャが楽しいのは、中身が何か分からないからなのだ。


「...おや?」


他の生徒同様、佐野さんも数少ない仲のいい友達には配っている。

同じ図書委員会の方達だろうか。

特段、表情は変わってないみたいだが。

あまり凝視もできないので、教室後方へチラチラ目を泳がせまくる。


「あっ、あれはまさか...!」


距離が遠く、確証は持てないがなんとなく判明した。


「おガトーのショコラ御仁ではないか!」


思わず声が出てしまう。

しまった、帝国民に聞かれて無いよな。

複数人に渡すからか、それぞれ一口サイズの食べやすい大きさになっている。

見た目もさることながら、名前がやたらにうんまそうである。

ガトーで既にうまい。続け様にショコラ、なんて官能的な響き。


板チョコからあんな罪なものが生まれるとは。

これは実食が楽しみだぞ。



「…ふっ。」


日中はやはり恥ずかしいのだろう。

全ての授業が終わるチャイムが鳴り、胸の鼓動も高鳴る。

いつもより低速で机の上を片付けるとしよう。


やがて運動部の人間も出ていき、室内の人口密度がグッと下がった。


「ねぇ…」


「!?」


心臓に悪い。

真後ろから聞き覚えのある声、佐野さんである。

しかし自分という人間は、後ろへの警戒心が皆無の様だ。

全く気配がしなかった。


「こっ、この僕の背後を取るとは…」


実に不要な言葉が、細く小さく喉から漏れる。

いや、それよりもこの学年で彼女から喋りかけた男子第一号では無いだろうか。

かなり珍しい出来事のため、少々他の生徒からの目線が気になる。

それほど、他人と関わろうとしないのだ。


「これ。」


ガコンッと大きな音が鳴る、びっくりした。

タッパーをそんな高い位置から投げ落とすからだ。


「ん、タッパー?」


ずっしりと重みがある。


そうか、帰宅部といえども成長期の男子なのだ。

お腹いっぱいガトーショコラを、という事だな。

相変わらず無愛想なのは、恥ずかしい気持ちもあるかもしれない。

なんて可愛いんだ、佐野さんは。


気が早いかもしれないが、この場で内容物の正解発表といこうじゃないか!


「ありがとう。もしかして…中身チョコ?」


「いえ、ぬか漬けよ」


「…」


ぬか漬け。


ガトーショコラではなく、ぬか漬け。

あれ、ぬか漬けってなんだっけ?

本日はバレンタインデー也。


混乱しております隊長、この後のご支持を。

夢か幻を見ているのか。

あまりの嬉しさで僕の頭がどうにかなっちまったんじゃないか。


世間で言う、本命チョコ・義理チョコ・友チョコの次元にはいない。

よもや、甘くもない。

漬けてしまっているのだから。

今年もラブゲームで負けた。


ぬか漬け。


匂いが外部に漏れないよう、2重のサランラップできゅうりや大根らが

ガッチリと封印されている。


「人参は入れてないから安心して。」


「...は、はい。」


そこじゃない。

間違ってもそんな些細なことを気にしている顔なのでは無い。

そしてどこでその情報を入手したのかも不明だ。

これは食生活を正せ、という遠回しのメッセージだろうか。

嫌がらせの可能性もあり得る。


いや一旦立ち止まれ、ファッションや音楽のトレンドはコロコロ変わる。

であればここ数年は、異性には野菜を送り合うのがよいとされているのかも。

うん、そうに違いない。

帰り道は大声で歌って、自分を励まそう。

とびきり熱い風呂に入ろう。


佐野さんのガトーショコラを貰えると、ぬか喜びしていた自分に一発

ヘッドロックをかけたくなった。


「帰るわ。じゃあね蓮田くん。」


「え、あっ...また明日。」


行ってしまった。



夕飯のおかずは、麻婆豆腐とジャガイモの細切り炒めだ。

手の甲くらいな大きさの皿には、ぬか漬けが鎮座。

佐野家のどこかには、茶色い壺が埋まっているのだろう。


どちらも炊きたて白米の上に乗せて、かっ喰らうのに適している。

それにしても細切り炒めは優秀だ。

出来立てがうまいのは当たり前だが、むしろ冷めた方がイケるのは珍しい。

米のおかわりは避けられないのだ。



食べ終わった食器を、流し台に置き自室に戻ろうとする佐野さんを、

母親が呼び止める。


「ちょっと待ちなさい。」


「何?」


「作ったケーキ、小さくてもいいからお父さんにもあげなさいよ。

去年貰えなくて、しばらく拗ねてめんどくさかったでしょ。」


「...あぁ、はいはい。じゃあ残ったやつ、ここ置いとくから。」


「ふふっ、ありがとね。」


なんて会話でもしているのだろうか。

想像しながら、ぬか漬けをバリボリ頬張り画面を眺める。

うむ、なんだか懐かしい味だ。



そして風呂に入り、就寝。


「...コンビニ行くか。」


無性に味噌汁と米をかきこみたくなった。

玄関から一歩出れば、顔の中心に皺を寄せてしまうほど寒い。

ポケットの中で何とか両手を守りつつ猫背で歩く。



自分は、暖かい家庭が羨ましいだけなのかもしれない。

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さのさんの ヅケ @Dzke

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