Dear K

水瀬 由良

Dear K

 吾輩はKである。

 

 吾輩について少し疑問があるのだろう。舶来の文字を使用するのであれば、吾輩というのは少しおかしいのではないか。


 しかしながら、それは間違った指摘である。

 かの有名な『吾輩は猫である』の冒頭の訳は「I am a cat」と聞き及んでいる。すなわち、『I』の代用に『吾輩』はなんら不思議ではなく、吾輩は吾輩であって、『私』は、やはり吾輩たりえない。

 

 貴殿もKと聞く。

 人づてに貴殿からの悩みを聞き、同じKとして捨て置くことは甚だ不正義であり、吾輩でよければと筆をとる次第である。


 貴殿のような悩みを吾輩如きが回答するのもおこがましいことではあるが、わずかでも貴殿の助けにならんと思うことには嘘偽りはなく、どうか煩わしくは思わないでもらいたいと願うところである。


 さて、貴殿の悩みというのは、つまるところ、レゾンデートルと言うところと聞いている。

 貴殿はもしや、そのような悩みは自らのみがもつ悩みだと思い、ますます、レゾンデートルについて思い悩んでいるかもしれぬが、まず、そのような悩みは世間一般において、多くの者が有するものであり、貴殿が特別というわけでもない。


 ゆえに、そのことをもって、貴殿が他と比べ役に立たぬということではない。

 

 次に、貴殿はその特質が故に、自らがおらずとも同じではないかと想い悩んでいるとも聞いている。しかし、それは場面を限ってのことであり、ある場面では役に立つものが違う場面においては役に立たぬこともよくあることである。

 

 ゆえに、役に立たぬ場面があることをもって、貴殿が役に立たぬということもない。


 同輩と自己を比し、その違いにうちひしがれているとも聞く。しかし、同輩は同輩にて、その役割について全ての満足をえているかとの問いにおいて、どのような回答を用意しているかはその同輩のみが答えることができるのみであり、同輩の心情は不明としか言い様のないものである。


 ゆえに、同輩と比することに意味はなく、貴殿において卑下することもない。


 もしや、貴殿は昔において、明確にその存在により違った結果がもたらされていたことをもって、過去と現在を比較しているのかもしれない。この点については、人づてにも聞いておらず、吾輩の杞憂かもしれぬ。

 だが、既に、つらつらとここまで述べてきたのであり、貴殿が今思い悩んでおらずとも、この点についてもやはり触れておかねばなるまいと思う次第であり、蛇足ながら付け加える。


 過去と現在とを比較し、仮に過去が輝かしいものであったとして、それをもって現在において輝かしいものではないとすることは早計にすぎるというものである。また、現在において輝かしいものであることが未来永劫そのまま輝かしいものであるとすることも盲信というべきである。

 万物流転と言った言葉をひくまでもなく、貴殿も世の移り変わりの激しさはよく存じているところであるからして、過去における役割と違うものであることは時代の移り代わりに応じ、よくあることであり、過去との比較、また、未来における予測は意味をなさないであろう。


 さらに、貴殿と同じ立場にあるものは他にも多く、例をあげるのであれば、BやT、Nといったものがおるが、万が一、彼らが役に立っていないとの言説があったとして、貴殿はやはり賛同を示すだろうか。


 貴殿ほどのものが、まさかそのような意見を持つはずがないものと吾輩は信じておるし、実際に貴殿は彼らに対して敬意をもって接してるものと思料する。


 そうであれば、貴殿は彼らを貶める必要がないことと同じく、貴殿は貴殿を貶める必要がないものと懸命な貴殿であれば、気づくであろう。


 ゆえに、貴殿は自らのレゾンデートルについて思い悩む必要はなく、自らを誇ってよいものと吾輩は考える。

 すなわち、存在にもかかわらず、音として発せられないことに対する劣等感なるものは貴殿において有する必要はないものである。


 貴殿におかれては、誤った考えを持つことのないように節にお祈りする次第である。


 騎士長殿へ。


 膝頭より。

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