即興小説で書ききれなかったもの置き場

深知識乃

Dバロック

 古ぼけた旧時代金属のカップに注がれた不純物混りのアルコール飲料をちびちびとやりながら、Dバロックは隣りに座った男の話を聞いていた。退屈しのぎにしかならない益体もない話だが、そういう話を聞くために彼はこの酒場を訪れる。

「つまり、神話というのは、我々がどこからきたのか、そしてどう生きるべきかを、すなわち起源と結末を説明しようとする試みなんだよ。あるいは、営みと言っても良い。旧時代は神話を作るのが一種の流行だったんだ。そしてそれは、インターネットの登場によって加速した。無数の神話が生まれたんだ」

 神話という言葉そのものを、Dバロックは知らない。初めて耳にする言葉だった。だから男の説明の妥当性を判断することはできない。し、判断するつもりもない。旧時代のことを確かめるすべだってないんだ。

 肥大化したデータベースはインデックスアルゴリズムの限界を超え、物理アドレスの細分化とシーク時間の極大化を招いた。旧時代のインターネットのように、情報を簡単に探し出すことはできなくなった。単一企業により恣意的な検索結果の改ざんが露呈して以来、インターネットの分断は加速し、物理的にも情報的にも人類はバラバラになった。その後、第三次世界大戦によって核汚染が起こり、珪素生物による情報侵略によって電子情報技術の上に成り立っていた無数の情報システムが破綻し、最終的にメガボットの乗っ取りによって地表にカーボンプレートが建造された。これによって人類は地表を失い、カーボンプレートによって取り囲まれた迷宮の中に取り込まれることになった。らしい。もう数百年前の話だ。

 Dバロックは渡り人だ。無数のセグメントを渡り歩いて、その日暮らしを続けている。旅の道連れはいない。一つのところに長く滞在することもあれば、そうしないこともある。今回はこの酒場が気に入って、もう二週間もこのあたりをウロウロしていた。カーボンプレートの下層にはゴミと地表からの浮遊物が蓄積したレイヤーがあって、そで金目のものを探すのが日課だ。それで安酒を買う。そんな生活をもう何年も続けている。

 この男と会ったのは今日が初めてだった。

「神話が統合されたんだ」

 男は言う。頭部を機械式に置き換えた、どでかい単眼赤外線カメラの目立つ男だ。一度見れば忘れない。

「それまで存在した神話は、自然がどのように生まれたのか、世界がどのように生まれたのかを規定していた。しかし、旧時代の終わりに生まれたその神話は違った。定義を変えたんだ。世界が始まったことを語ったのではなく、世界が何になろうとしているのかを語ったんだ」

「違いがわからないな。さっきあんたは、世界の終末を語るのも神話だと言った」

「似ているが異なる。神話によって語られる世界の終末は、つまり、世界の始まりと結びついたものだ。例えば神々による争いが一時休戦している間が現在で、いずれ再び戦いの時が訪れる――その時が世界の終わりだ、とかな。あるいはこの宇宙は巨大な存在の夢に過ぎず、彼が目覚めれば宇宙は泡沫のように消え去る、とか。宇宙の始まりを理由に終わりが定義されている」

 なるほど。男の説明にDバロックは一応納得した。

「しかしその神話は違った。世界の終わりを先に定義したんだ。そして、世界はどのような経路をたどるにせよ、その終わりに向かって収束すると説明した」

「その終わりとはなんだ?」

「あらゆるものがバラバラになって、世界はどんどん薄くなっていく。建造物は散り散りになり、分子は切り離され、生物は孤独に離れ離れになって、やがて全てが遠く広く薄く、そして広大な無になる。世界はそうして終わるんだ」

「それは科学的事実ではないのか?」Dバロックは思ったよりこの話に興味が湧いている自分に気づいた。珍しいこともある。「そういう事実はなく、神話なのか。つまり、誰かが考えたシナリオだと?」

「そうらしい。面白いことだが、この神話にも更に古い原型がある。バベルの塔というそうだ。人々がかつて統一されたグループだった時代、神に近づこうとして塔を立てた。空に向かう塔だ。神は怒った。そうして、塔はバラバラにされ、人々は散り散りになり、その時、神は人の言語をもバラバラ似してしまった。こうして人は異なる言語を扱うグループに分かたれ、それが元になって戦争を始めたというわけだ」

「お客さん」二本角のマスターがDバロックに声をかけた。「酒、飲み終わったんなら出てってもらえますかね」

 Dバロックは後ろ髪を引かれる思いで酒場をあとにした。「また明日、この時間で」と、男に声をかけることを忘れなかった。


 Dバロックに睡眠は必要ない。その機能は3ドルで売った。そのため、今からやることは下のレイヤーに降りて金目の物を探すことだ。Dバロックは地表からの浮遊物を吟味した。プラスチックの塊よりも金属の塊のほうがいい。一番いいのは硬い管が四つあるやつだ。シリンダーがついていて、おそらく管からなにか液体を流し入れて圧縮する仕組みだったのだろうと予測できる。次に良いのは、蜂の巣状になった金属のセルプレートだ。専門の業者曰く、電気自動車に使われていたリチウムイオンバッテリーセルなのだという。それがなにかということは、Dバロックには関係ないことだが。

 と、珍しいものを見た。地表まで伸びているケーブルだ。いや、地表まで実際に伸びているかどうかはわからない。不安定なカーボンプレートの梁を歩きながら、落下しないよう慎重に近づいていく。そのケーブルの先端には金属が取り付けてあるが、ケーブルそのものは有機質繊維で編まれており、旧時代の人間の毛髪のようにも見える。(Dバロックはそれを古い映像記録で見た)

 これはなんだろうか?

 地表まで続いているかどうかはともかく、地表に向かって真っ直ぐに伸びている。緑色のガスの先までは見えない。しかし、緑色のガスの先まで続いているのは確かだ。ここからガスの不可視域までは、少なく見積もっても34kmはある。地表は170km先だったか。およそ20%までは達している計算だ。

 更に観察していると、見つけた。それは有機質繊維を編んで作られたケーブルの上を渡る、小さな生物だった。とっさにソフトウェアズームをかけ、リアルタイムフィルタで鮮明化する。鈍いDバロックの脳では1/5フレームごとの更新になってしまうが、それでも構わなかった。

 生物は六つ、三対の足を持っていた。体が節によって三つに分かれていて、足はその真ん中に付いている。前面部(仮に進行方向を前面として)には二対の突起があり、片方は硬質で鋭く、もう片方は折れそうなほどに細く小刻みに動いていた。セル上に分割されたなにかの組織が前面部に形成されている。おそらく、眼だろう。後部には目立った特徴はないが、先端部に細長い突起があった。足の先には鉤爪のような構造があり、体全体は甲殻で覆われていた。色は赤黒い。そんな生物が数十体のグループを形成して登ってきている。あとからあとから。もうすぐ先端の金属に到達しそうだった。

 ふとDバロックは男の話を思い出した。これはもしかすると、バベルの塔だろうか。この生物は地表でなにかの文明を生み出し、そして神話を生み出し、バベルの塔を生み出し、こうしてカーボンプレートまで登ってきたのだろうか。地表はすでに人類のものではなく、この生物のものになっているのだろうか。だとしたら、彼らにとってDバロックこそが、初めて遭遇する神なのかもしれない。

 Dバロックはケーブルを切断した。反動で吹き飛ばされて空中に散らばる赤黒い生物たちを眺めながら、こうして神話は継承されていくのだろうかと益体もないことを考えていた。しかしやがて考えるのをやめた。

 世界は結末に向かって収束する。だとしたら、彼らの文明もやがて我々と同じ形に収束するのだろう。なにも、それを早めることはない。地表で暮せばいい。高度な情報構造に依存して生きる文明は、その主体となった人類を食い尽くした。単純な話だ。生物とはなにか。人にとって細胞がそうであるように、珪素生物にとって人類がそうだったというだけだ。

 カーボンプレートは神話を必要としない。なぜなら、単一の生物だからだ。カーボンで形成された肉体に珪素で形成された神経組織ネットワークを持つ、地球を覆う球状の巨大生物。その体内で、Dバロックは暮らしていた。

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