番外編

35 黒豹王子の手なずけ方 ①



「やってしまったわ……」


 自室のベッドに突っ伏しながら、スーリアは頭を抱えていた。


「……あれは言いすぎたわよね」


 ロイアルドと正式に婚約を交わしてから、一カ月近くが経つ。

 庭師の仕事にも復帰して、以前のように王城の庭園で働く日々が続いていた。


 仕事仲間には、スーリアが第二王子の婚約者であることはすでに周知済みだ。

 父が手を回してくれたことと、ロイアルドの図らいで、今も変わらず仕事ができている。多少周りの態度がよそよそしくなったが、気にするほどではない。


 特にジャックはスーリアを気にかけてくれており、彼が今までと同じ態度で接してくれることで、他の者も気兼ねなく話しかけてくれるようになった。

 ジャックの気遣いには、本当に感謝している。


 ……のだが、いま頭を悩ませている原因は、そのジャックに関係していた。



 昼間の出来事を思い出す。


 だいぶ気温が高くなってきたこともあり、最近は王城内で昼食をとるようにしていた。

 以前、執務棟に訪れた時に使用した休憩室を、ロイアルドが用意してくれるので、彼と予定の合う日はそこで昼食をともにしている。


 今日も執務棟の休憩室を訪れたのだが、彼の様子がいつもと違った。


『スーリア、あれはさすがにどうかと思う』


 部屋に入るなり、眉間に深くしわを刻みながら、ロイアルドが言う。

 お弁当を広げようとしていた手を止め、何のことかと首を傾げると、彼は不満を滲ませた声で続けた。


『近すぎる』

『近い?』

『ジャックとの距離だ』


 スーリアは少し考えて、思い当たるものを見つけた。


 本日から新しく、トピアリーの制作を始めている。スーリアがもっともやりたかった仕事のうちのひとつだ。

 トピアリーとは低木を刈り込んでさまざまな形をかたどるのだが、これには熟練の技術が必要で、初心者には難しい。


 今回初めて挑戦するため、ジャックに一から手取り足取り教えてもらっていたのだ。

 思い返せば、確かに肩が触れるくらいの距離で作業をしていた記憶はある。だが、これはあくまでも仕事だ。


『仕方がないでしょう? 近くで見ないとわからないもの』


 理由を話すが、彼は納得していない様子で、さらに眉間のしわを深くした。


『限度があるだろ?』

『限度って……別に触れていたわけじゃないわ』


 作業を教わる上で必要な距離感だっただけなのだが、それすらも気に入らないらしい。


 最近は、こういうやり取りが増えてきた。

 仕事を続けることは問題ないが、ジャックには必要以上に近づくなと言われている。彼はただの同僚なのに、ロイアルドはやたら気にするのだ。


『君はもう少し自覚した方がいい』

『あなたの婚約者だと言うことは、自覚しているわ』

『そうじゃない。ジャックがどんな目で君を見ているか、だ』

『……どういう意味?』


 彼が言うには、どう見てもジャックはスーリアを同僚ではなく、ひとりの女性として見ているのだと言う。毎日のように同じ庭園で働いていても、そういう気配を感じたことがなかったので、すぐには信じられない。


『ロイ、私がジャックと同じ職場だからって嫉妬しているの? 彼の名誉のために言わせてもらうけど、私のことなんて生意気な妹くらいにしか思ってないわよ』

『…………』


 ロイアルドは黙り込む。

 反論がないのであれば、この機会にと、日頃から胸の内に留めていた不満を口にすることにした。


『あなたこそ、そうやっていつも私のことをどこからか見ているようだけど、監視されているみたいでいい気分じゃないわ』

『っ……』


 彼は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、スーリアを見る。

 その視線を受け流して、追撃とばかりに続けて言った。


『あなたと婚約したけれど、束縛されるのはいやよ。特に仕事に関しては、自由にさせてくれるって約束でしょ? それが無理なら――』


 言葉の途中で、彼は手の甲を額にあて、俯いた。心なしか、その右手が震えているように見える。


 さすがに言いすぎたかもしれない。

 ついいつもの調子で、不満を口にしてしまった。

 彼はずっとスーリアを探し求めていた。その内心を思えば、仕方のないことだってわかるのに。


『ロイ――』


 思わず伸ばした手は、触れる寸前で彼の右手にはらわれた。


『……君の、言う通りだ』


 床を見つめたまま、小さな声でぽつりと呟く。

 その顔に表情はなく、いつもはきらきらと輝いている銀灰色の瞳も、どこか濁って見えた。


『少し、頭を冷やしてくる』


 そのままスーリアを見ることもなく、ロイアルドは休憩室から出て行った。

 いつもより小さく見えた彼の背中を、ただ茫然と見送ることしかできなかった。



 枕に顔を埋めながら、盛大に溜め息を吐く。

 あんな様子のロイアルドは初めて見た。

 怒りを抑え込むようにして、震えていた手を思い出す。完全に怒らせてしまったに違いない。


 あの後、一人になった休憩室でずっと考えていた。

 スーリア自身の言い分も、間違いではなかったと思っている。

 しかし、自分に置き換えて考えてみたら、彼の言動も納得できるのだ。


 もし金髪の美女が彼の執務室で、毎日一緒に至近距離で働いていたら、スーリアだって黙ってはいられないだろう。不安に駆られて、どうにかしてほしいと縋ったかもしれない。

 彼にあんなことを言っておきながら、本当に身勝手だ。


「最低ね……わたし」


 ロイアルドが怒るのも無理はない。

 自らあの状況を招いておきながら、嫌われたらどうしよう、なんて思っている自分が滑稽すぎる。


「明日、謝りにいこう……」


 そう決意して、スーリアは目を閉じた。


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