エピローグ

34 太陽とひまわり



 正式に婚約を交わしてから五日が過ぎ、スーリアは今すぐ王城に来て欲しいと、ロイアルドから呼び出しを受けていた。

 何事かと、用意された馬車に乗り込む。

 王城に到着すると、いつもの隊服ではなく、少しだけかしこまった服装をしたロイアルドが出迎えてくれた。


 五日ぶりに再会した彼は、突然呼び出したことを詫びてから、スーリアを城の奥へと案内する。


 そうして辿り着いた先は、謁見の間に続く厳かな扉の前だった。


「…………どう言うことかしら?」

「すまない。君に会いたいと愚痴をこぼしたら、弟が余計なことをしてくれて……」


 どうやら五日間もお預けをくらっていたロイアルドに、弟である第三王子殿下が気を利かせたようだ。国王陛下に挨拶をすると言う名目で、スーリアを呼び出したらしい。


 まったくもって余計なお世話である。

 そのうち挨拶に伺わなくてはと思っていたが、こうも突然その機会がやってくるとは。


 普段着で来なくてよかった。

 せっかくだから彼からもらった髪留めを使いたくて、少しだけおしゃれをしてきたのだ。危うく一国の王の前で醜態を晒すところだった。


「悪いが、少しだけ我慢してくれ。別にかしこまった話をするわけじゃないから」

「……いいわ。どうせいつかは、しなくてはいけないことだし」


 彼は申し訳なさそうな顔をしながらも、ありがとうと礼を言った。




   *




「あー! 緊張した」


 無事に国王との面会を済ませ、二人はいつもの木陰を訪れていた。


 だいぶ気温が高くなってきたこともあり、日差しが肌に痛い。

 それでも、時より涼しさを乗せた風が通り過ぎ、熱をもった肌を撫でていくのが心地よかった。


「そうは見えなかったが」

「追いつめられると、逆に冷静になるのよ」

「……なるほど」


 彼は神妙に頷いてみせた。


「急に呼び出してしまったのは申し訳なかったが、助かったよ」

「ロイ、あなた謝ってはいるけど、本当は私を呼び出す口実ができて喜んでるでしょう?」

「……なぜそう思う?」

「顔がにやけているわ」


 はっとして、彼が片手で口元を押さえる。

 鎌をかけてみたのだが、どうやら図星だったようだ。

 本当はにやけてなどいなかったが、これは言わないでおこう。


「仕方がないだろっ、やっと君と結ばれたと思ったのに、五日も会えないなんて……」

「結ばれたって言っても、まだ仮だけれどね」


 婚約を交わしただけで、結婚したわけではない。

 それを指摘すると、ロイアルドは大きく息を吐いてから、一歩距離を詰めた。


「スーリア。あまりからかうと、俺も遠慮しないぞ?」


 少し低い声で言って、彼は両手でスーリアの頬を包み込んだ。

 そのままゆっくりと顔を近づける。


 これでは後ろにも下がれないし、顔を背けることもできない。


「ちょっとまっ――」


 どんどん己の顔が赤くなっていくのが分かった。

 唇が触れ合いそうな距離まで彼の顔が目前に迫り、反射的にぎゅっと目を閉じる。

 これから起こるだろうことを想像して、身体を強張らせた。


「ふっ」


 待ち構えていたスーリアに聞こえてきたのは、苦笑交じりの吐息だった。

 恐る恐る目を開けると、彼がくすくすと笑いながら、何もせずに離れていく。


「期待したか?」

「してない!」


 思わず勢いで否定する。

 否定はしたが、触れ合わなかった熱に少しだけ寂しさを感じたのも事実で。

 そんな自分に恥ずかしさを覚え、さらに顔の赤みが増したような気がした。


 一連のやり取りで、ひとつ思い出したことがある。

 スーリアはこの五日間、ずっともやもやと心の内で感じていた疑問を口に出す。


「――気になっていたのだけど、あなたはどうしたら黒ヒョウになるの?」

「それは……言いたくない」


 彼が表情を曇らせる。よほど聞かれたくないことなのだろうか。


「それじゃあ、人の姿に戻る時は?」


 誘拐事件の際、スーリアが口付けをした直後に彼は人の姿に戻った。

 まさかとは思うが、あれが要因だったのかとずっと気になっていたのだ。


「戻る時は、簡単に言えば行動欲だな。何かをしたいと、強く思えば戻れる」

「ということは……あの時のキスは関係ないのね」


 彼の言葉を聞いて胸を撫で下ろす。

 もしキスで人に戻るのであれば、今まで黒ヒョウになった時、どうしていたのかと気になったのだ。

 黒ヒョウになる度に、誰かと口付けしていたのかと考えたら、胸がざわざわして落ち着かなかった。


「……もしかして、妬いてくれたのか?」


 スーリアの言葉の意図を見抜いたのか、彼が期待を込めた瞳で覗いてくる。


「そうね、もしそうだったら妬いたわ。でも違うなら、あの時はどうして戻ったの?」

「あれは……君からしてくれるなんて思っても見なくて、その……続きがしたいと……」


 微かに頬を染めて、彼は視線を逸らしながら答えた。

 要するに、スーリアともっとキスをしたいと思ったら、人の姿に戻ったというわけか。

 あの時の行動はある意味正解だったようだ。まあ、そのおかげでえらい目にも合ったのだが。


「俺は君のことになると、どうしても抑えがきかなくなる。本当にずっと昔から、君が好きだったんだ」

「昔?」

「ここで、ひまわりを見たことを覚えていないか?」


 記憶を辿る。

 頭に浮かんだのは、幼いころに樹の上から眺めた、黄色いひまわり畑だった。

 あのとき、自分の膝の上にいた存在を思い出す。


「――まさか、あの黒猫はあなただったの!?」


 ロイアルドが、こくりと頷いた。


 スーリアは幼少の頃、父に連れられて王城にきていた。

 庭園の広さに驚き、楽しくて毎日遊びに行きたいと強請って、連れてきてもらっていたのだ。

 その時庭園の端にあるこの場所で出会ったのが、一匹の黒猫だった。

 いま思い返せば、たしかに猫というには、体つきががっしりしていた気がする。


「あの時、俺は黒ヒョウの姿で毎日君を探していた。それくらい、君が好きだった」


 銀灰色の瞳をまっすぐスーリアに向けて、彼が言う。


「幼い俺にとって、君は明るくて優しくて、まるで太陽のような存在だった。10年以上探していたんだ。スーリアがあの時の少女だと知ったら、もう自分を抑えることができなかった」


 再び彼の右手が伸びてきて、スーリアの頬に触れた。


 彼があの時の黒猫だったことも驚きだが、それ以上に、そんなにも長い間想われていたことが信じられない。

 でも、彼がスーリアを欲しいといった理由が、あの樹の上の出会いにあるのだとしたら、納得もできる。


「もう絶対に放さないから、覚悟しておけよ」


 今度はためらいなく、彼の唇がスーリアのそれに重なった。

 ロイアルドの想いを聞いてしまったら、触れた場所がいつも以上に熱く感じる。


「ん……」


 吐息を漏らすと、名残惜しそうに彼は離れていった。

 それから、長い腕が背中にまわされる。

 スーリアを抱きしめながら、前髪に頬を寄せ、髪を梳くように撫でられた。


「結婚するまで君に必要以上に触れるなと、フロッドに言われているんだが――」


 大きく息を吐いて、彼は続けて言った。


「我慢できそうにない」

「がっがまんして!」

「無理だ……もっとキスしたい」

「ちょっと……!」


 腕を緩めて顔を近づけてくるので、スーリアは両手で彼の口元を覆った。

 吐息が手のひらにあたり、擽ったさにびくりと肩を揺らす。


「身の危険を感じたら、そうやって自衛してくれ」


 他人事のように笑いながら、彼が離れていく。


 今まで、ヒューゴには触れられたことすらなかった。

 こんなにも強く求められたのは初めてで、慣れないことに戸惑いを感じる。

 どくどくと大きく刻む、己の鼓動がうるさい。


 このままでは心臓がもたないと、無理やり話題を変えた。


「そ、そう言えば、今年の夏はひまわりを植えてもらおうと思うの」

「ひまわりを?」

「ええ。あの頃みたいな大きなひまわり畑は無理だけれど、花壇の一部を使わせてもらう予定よ」

「それは楽しみだな」


 銀灰色の瞳を細めて、彼が微笑む。


「咲いたら、また一緒に見にいきましょう」


 今度はふたり、手をつないで――


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