29 魔法の解きかた ①
二人がいなくなってどれくらいが経っただろうか。
たぶん時間にすると10分も経っていないだろうが、一人になるとやたら長く感じる。
壁に寄りかかって膝を抱えた。
考えなくちゃいけないことはたくさんある。
ロイのこと、アルのこと、そしてここに連れてこられた理由。
しかし、静けさに不安が押し寄せ、なかなか思考がまとまらなかった。考えれば考えるほど、悪いことばかり浮かんでしまう。
シェリルの存在は、思っていた以上にスーリアの原動力になっていたらしい。
「ロイ……早く迎えに来て」
小さいナイフを握りしめ、ぽつりと呟く。
いま、自分の身を守れるものはこれしかない。
膝の間に顔を埋め目を閉じていると、扉の先から物音が聞こえだした。
ガタガタと椅子を引くような音がし、続いてドカッと大きな音が響く。
「ふ~~、食った食った」
「久しぶりにうまい飯が食えたな」
犯人とおぼしき、二人分の男の声が聞こえる。椅子に座って談笑を始めたようだ。
「しかし見張ってなくてよかったのか?」
「大丈夫だろ。あんなほそっこいお嬢様、何もできねーって」
やはり随分となめられていたようだ。
実際、ここに連れてこられたのがスーリアでなければ、きっと大人しくしていただろう。
「せっかく金ももらったし、早く女と遊びてぇな」
「すぐそこに、ちょうどいいのが二人いるぞ」
びくりと身体を震わせる。
恐らくスーリアたちのことを言っているのだろう。
「おいおい、さすがにそれはまずいだろ」
「でもよ、純潔じゃないとだめとは言ってなかったよな?」
下品な会話に吐き気がする。
このまま扉を開けられて、二人がかりで押さえつけられたら、さすがにどうにもならない。
小さく震えだした身体を励ますように、両手で己の腕を強く抱いた。
「そうは言っても限度があるだろ。それに、もうすぐ引き取り人がやってくるはずだしな」
「あ~、もうそんな時間か。残念だ」
どうやら一難は去ったらしい。
しかし引き取り人とは、スーリアたちを誰かに受け渡すのだろうか。どちらにしろ、時間がないことは確かだ。
「ところでよ、おまえはどっちが好みだ?」
「あの二人のお嬢様か? 俺は金髪の方だな」
「おまえはほんと、小動物系の顔が好きだよなぁ」
「いいだろ、そういうおまえはどっちだよ」
「俺はもちろん、背の高い方のお嬢様だな。金髪の方に比べたら地味だが、きれいな顔をしてる」
「そうだと思ったぜ。まあ、あぁいう清楚な感じも悪くねえな」
最後の言葉に疑問符が頭に浮かぶ。
金髪というのはシェリルのことだろう。それはわかる。
だが、きれいで清楚……?
ここにいるのは地味で華のない顔立ちをした女だ。間違ってもきれいな顔ではないはず。
ましてや清楚だなんて、スーリアには程遠い。
あの二人の男の目は曇っているのだろうか。
そう言えば、ロイアルドもそんなことを言っていた。
彼はスーリアのことが好きなので、きっと贔屓目で見ているんだろうと思っていたのだが……
もしかして、スーリアに自身を卑下させるために、ヒューゴはわざと言っていたのだろうか。単純にスーリアの顔が好みではなかったのかもしれないが、幼い頃から会うたびに言われていては、スーリアが思い込んでしまうのも仕方がない。
今までずっと勘違いしていたかもしれないという事実に、頭まで痛くなってきた。
深く大きく溜め息を吐いた時、窓の外から再びコツリと音が聞こえる。
見上げると、少しだけ開けておいた窓の隙間から、黒い獣の手が滑り込んでくるのが見えた。
「ろっ――」
スーリアが名前を言い終わる前に、黒ヒョウが窓を開け室内へと飛び降りる。
彼は音も立てずに優雅に着地して、くるりと方向を変えた。
そのまま壁に寄りかかって座るスーリアの元まで行くと、顔に鼻先を摺り寄せる。愛おしそうに、何度も何度もスーリアの頬や額に顔を摺り寄せ、首筋を控えめに舐めた。
前回会った時は、この黒ヒョウがロイアルドだとは知らなかった。
そのため、アルに舐められても獣のじゃれ合いとしか思っていなかったが、知ってしまった今となっては、彼の行為に顔が熱をもつ。
舌でなぞられたところが熱い。きっと頬も真っ赤に染まっているだろう。こんな状況で不謹慎だなどと、思う余裕もなかった。
「っ……ろ、ろい……」
小さな吐息とともに名前を呼ぶ。
今の状況は非常にまずいと思う。扉を隔てた向こう側には、二人の犯人がいるのだ。変な音を立てたら不審がられるだろう。
こんな時に獣の姿だと、意思の疎通ができなくて困る。むしろ今が黒ヒョウだからこそ、大胆なことをしてくるのかもしれないが。
まだ彼を受け入れるとは伝えていないのだが、積極的な行動に、スーリアは心の内を読まれているような気分になった。
人に戻ってもらうには、どうしたらいいのだろう。
「ロイ、あなた……人に戻れないの?」
小さな声で問いかけると、黒ヒョウは視線を彷徨わせる。
この反応は何なのだろう。戻れないのか、それとも戻りたくないのか。
こういう時に、乙女のキスで野獣を人の姿に戻す、そんなおとぎ話を思い出した。
まさかとは思うが、やってみる価値はあるかもしれない。
彼がどういう原理で黒ヒョウの姿になっているのか分からない限り、思いついたものを試してみるしかないのだ。
どんどん早くなる鼓動を無視して、黒ヒョウの顔に両手を添えた。
大丈夫、大きな黒い猫と唇を触れ合わせるだけだ。
これはキスではない。そう、ただちょっと触れるだけ。
そのまま顔を近づける。
触れる直前に、黒ヒョウが大きく目を見開いたのが見えた。
目を閉じ、そっと口先を重ねる。
ひげが頬に当たって、少し擽ったかった。
それはほんの一瞬の時間で。
顔を離してみるも、変わらず目の前には黒ヒョウがいる。
やっぱり意味はなかったか……と落胆した時、黒ヒョウが身震いした。
視界が光の粒子に包まれる。
眩しさに、反射的に目を閉じた。
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