28 正体



「いま、何か音がしなかった?」

「音?」


 シェリルには聞こえていなかったようだ。

 辺りを見回してみるも、特に変わったことはない。


 不思議に思い首を傾げていると、先ほどより少し大きく、同じ音が耳に届いた。


「何かしら……窓?」


 そう言えば、天井の近くに小さめの窓があったことを思い出す。

 そちらに目を向けてみると、何やら獣の肉球のようなものが、ぺたりと張り付いていた。


「ん!?……ってまさか――」


 曇りガラスのせいでぼんやりとしか分からないが、窓の外にうっすらと黒い影が見える。

 まさかとは思うが、思い当たった答えに高速で思考が巡った。


 よく見るとあの窓は内鍵になっているようで、外側からはあけられないようだ。

 内側から鍵のかかる部屋に閉じ込めるだなんて、さすがにあの高さからは出られないだろうと思ったのだろうか。それ以前に縄を切られるとすら、予想していなかったのだろうが。


 しかし、スーリアが手を伸ばしても、あと少し鍵の位置まで届かない。

 ジャンプをして、やっと触れるかという所だった。


「スーちゃん、私に乗って!」


 言うなり、シェリルは窓の前で、両手と両膝を地面についた。


「シェリル!?」

「いいから! これなら届くでしょ?」


 確かに届くだろうが、さすがに女子の上に乗るのは気が引ける。

 逆の立場になることも考えたが、シェリルの方がスーリアよりだいぶ背が低いのだ。たぶんシェリルに乗ってもらったところで、鍵には届かないだろう。


 そう判断して、彼女の言うとおりに背中を借りることにした。


「ありがとう、シェリル。いくわよ」

「うん」


 靴を脱いでシェリルの背中に乗ると、余裕で鍵に手が届いた。

 窓を開けると、そこに予想していた存在が顔を覗かせる。


「――やっぱり、アルだったのね」


 庭園で何度か見かけた、大きな黒ヒョウがそこにいた。

 どうやらスーリアたちが捕らわれているこの場所は、半地下になっている部屋のようで、地上の地面と同じ高さに窓が取り付けられているようだ。


「ご主人様に言われて、きてくれたの?」


 そっと鼻先を撫でると、黒ヒョウはぺろりとスーリアの手を舐める。

 それから、ゆっくりと首を横に振った。


「アル……?」


 否定されたのだろうか。

 でもアルがここにいるということは、ロイアルドが何らかの指示を出したはず。


 首を傾げていると、黒ヒョウがスーリアを見つめながら顔を近づけてきた。

 銀色の瞳に吸い込まれそうな距離に、アルの顔がある。夜の闇の中でも銀河のように光る、その瞳から目が離せない。


 その時、ふっとある香りがスーリアの鼻腔を擽った。だいぶ慣れ親しんだ、彼の香水の香りだ。


 スーリアの頭の中に、ひとつの答えが導き出される。

 この香り、瞳の色、そして何よりアルがまとう雰囲気。

 そのどれもが、信じがたい答えを肯定していた。


「ロイ……なの?」


 黒ヒョウが大きく瞳を見開く。

 少しして、小さく首を縦に振った。


 そんな現実あるわけないと頭が否定するも、本能では分かってしまう。


 そうだ。この黒ヒョウは、アルは――ロイアルドだ。


「助けに来てくれたのね……」


 スーリアが微笑むと、黒ヒョウが鼻先を頬に摺り寄せてくる。

 その可愛さに思わず頭を撫でようとしたとき、足元から声がかかった。


「スーちゃんっ、そろそろ限界……!」

「あ! ごめんなさい、シェリル!」


 うっかりシェリルの背中の上にいることを忘れていた。

 窓をあけたらすぐに降りようと思っていたのだが、たった今判明した事実に、少し前の状況をすっかり忘れていた。


 慌てて地面に降り、思考を現実に引き戻す。

 状況を掴めていなかったシェリルが、顔を上げて小さな悲鳴をあげた。


「なに!? 黒いライオン!?」

「違うわ、黒ヒョウよ。私たちを助けに来てくれたの」

「ヒョウ? 助けにってどこから……」

「あのこは……えぇと、ロイアルド殿下が飼っているこで、私の友達なの」

「あんな怖そうな動物が……?」


 確かに見た目だけは獰猛な獣だ。誰だって、あの姿を目の前にしたら恐怖が先立つだろう。


「大丈夫よ。彼は絶対に、私たちを襲ったりしないから」


 今なら確信をもって言える。

 あの黒ヒョウがロイアルドならば、スーリアたちを襲うことなどありえないからだ。


 彼が来てくれたということは、じきに騎士団もやってくるのだろうか。

 いかんせんあの姿では言葉を紡げないようなので、意思疎通に困る。


 ここでじっと待っていても、犯人が戻ってきたら何をされるか分からない。

 とりあえず、シェリルだけでも先に逃がすべきかと、結論を出した。


「シェリル、私が踏み台になるから、あの窓から逃げて」

「え、スーちゃんはどうするの?」

「私は騎士団がくるのを待つわ。あなたは先に逃げて、助けを呼んできてちょうだい」

「でも……」

「大丈夫。護身術なら少しは使えるから」


 父が元騎士をしていたおかげで、子供のころから簡単な護身術は身に着けていた。

 女性の力では限界があるが、時間稼ぎくらいはできるかもしれない。


「ロ……じゃなくて、アル。聞こえてた? 今からシェリルを持ち上げるから、あなたがひっぱり上げて」


 窓の外に声をかける。さすがに、シェリルの前で本名をいうのはまずいだろうと思い、言い直した。

 しかし、窓から部屋を覗き込んだ黒ヒョウは、首を横に振る。

 その銀色の瞳が、不安そうにスーリアを見ていた。


「私は大丈夫。騎士団が来てくれるのを待っているわ」


 強い意志を宿しながら、まっすぐに瞳を見つめ返す。

 少しだけ迷うそぶりを見せながらも、黒ヒョウは頷いた。


「シェリル、よく聞いて。まずは私の背中に足をかけて、それから肩に乗るの。私が立ち上がったら窓に届くはずだから、そこからアル――あの黒ヒョウが引っ張ってくれるわ」

「わ、わかった。やってみる」


 躊躇いながらも頷くと、シェリルは先ほど使ったナイフで、長いスカートの裾を切り裂いた。

 スーリアが驚いていると、彼女は苦笑しながら言う。


「邪魔だから」


 シェリルの準備が整ったことを確認して、窓のある壁の方を向いてしゃがむ。

 背中に足がかけられ、続いて肩にシェリルの足が乗ると、彼女の体重がスーリアに圧しかかった。

 よろけながらも、壁に手をついてなんとか立ち上がる。


 庭師として、ある程度の力仕事をこなしてきた甲斐があった。一般的な女性よりは、筋肉がついてる自信はある。シェリルがもともと小柄だったのも幸いした。


「ひっ」


 小さな悲鳴が聞こえた。

 恐らく立ち上がったことで、シェリルの目の前に黒ヒョウの顔があったのだろう。


「シェリル、早くして! わたしがもたないわ」

「ご、ごめん!」


 急かすと、シェリルは窓枠に手をかけて上半身を外へ乗り出す。

 そのドレスの背中の部分を黒ヒョウが咥え、一気に引っ張った。


 急に軽くなり、脚の力が抜けて床に尻もちをつく。

 そのままの態勢で窓を見上げると、シェリルの足が窓の外へと消えていくところだった。


「アル、シェリルを安全なところに連れて行って!」


 窓から再び覗き込んできた黒ヒョウに言葉を投げる。

 彼は目を細めてスーリアを見つめ、それから背を向けた。

 聞き分けがよかったことに拍子抜けしながらも、ほっと息を吐き出す。


「ロイ、頼んだわよ……」


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