5章

27 薄暗い部屋で



 青く茂った葉の隙間から光が差す。

 キラキラと輝く日差しが、地面に模様を描いていく。

 遠くの方には、黄色い花畑が見えた。


 懐かしい。

 これは幼少の頃に、王城の庭園にある樹の上から見た景色。

 現在はもうあのひまわり畑はないので、今見ている光景は夢だろうか。


 ふと手のひらに温かさを感じ、膝の上に視線を落とす。

 これまた記憶の中で眠っていた、懐かしい存在がいた。


 黒い毛をそっと撫でる。

 膝の上にいた黒猫が、スーリアを見上げた。


 黒の中で光る、銀河を閉じ込めたような銀色の瞳が、まっすぐスーリアを見つめてくる。


 この感覚は懐かしい――いや、違う。

 つい最近にもあったような……


 そうだ、この瞳はあの黒ヒョウと――



「……――ちゃんっ」


 突如耳に入ってきた声に、意識が覚醒するのを感じた。


「――スーちゃん! 起きて!」


 聞き覚えのある声に呼ばれて、目を開けた。

 ぼんやりとした視界が徐々に定まっていく。

 身体を起こそうとしたけれど、なぜか手が動かせなかった。


「スーちゃん、大丈夫?」

「……シェリル?」


 ふわふわとした、キャメルブロンドの巻き毛が目に入る。見知った少女が、上から覗き込むようにスーリアを見ていた。


 いまいち状況がのみ込めない。

 辺りを確認すると、薄暗い部屋の中にいるようだ。


「わたしたち、誘拐されたみたいなの……」

「……誘拐?」


 記憶を思い起こしてみる。

 ジャックと二人で買い出しに出てきたはずだ。買い物を済ませ、路地裏に荷馬車を停めたところまでは覚えている。

 そのあとは、確か――


 そうだ、誰かに拘束された気がする。

 それからの記憶が全くないが、シェリルの言っていることが事実だとしたら、あのあと意識を失いここに連れてこられたのだろう。

 手が動かなかったのは、後ろで縛られていたからのようだ。


 壁を使いながら、なんとか起き上がる。

 天井の近くには小さな窓があり、光が差し込んでいないことからして、もう日が暮れているのだろうと判断した。


「シェリル、あなたはどうやってここに?」


 彼女を見ると同じく後ろ手に縛られ、不安そうに身体を丸めていた。


「わたしはヒューゴ様のお屋敷にお邪魔して……途中から記憶がないの」

「ヒューゴの?」

「気づいたら知らない部屋にいたんだけど、さっきここに連れてこられて……そしたらスーちゃんがいたからびっくりした」


 どうやらシェリルも似たような状況で攫われたらしい。

 ヒューゴの屋敷に行ったあとから記憶がない、というのが引っかかるが。


「わたしたち、どうなるのかな……」


 小さく震えるシェリルを勇気づけるように、隣に寄り添う。

 妹のように接してきたからか、ヒューゴのことではいろいろあったが、やはりこの親戚を嫌いにはなれなかった。


「大丈夫よ、きっと必死で捜索してくれているはず」


 ジャックが荷馬車に戻れば、スーリアがいないことを訝しんで、必ず通報してくれるだろう。

 今頃は、騎士団が捜索を始めているはずだ。


 一人ではパニックになっていたかもしれないが、シェリルがいたことにより、冷静さを保つことができた。スーリアは頼られると弱いのだ。


 幸いなことに足は縛られていなかったので、なんとか立ち上がり、部屋の入り口の方へ行ってみる。

 扉に耳を当ててみたが、外からは何も聞こえず人の気配も感じなかった。


 見張りもおかないとは、随分とずさんな誘拐犯である。貴族の娘だと思って甘く見ているのか。

 もしかしたら、今頃は身代金の要求で忙しいのかもしれない。


 貴族を誘拐するということは、金銭が目的という可能性が一番高い。

 このまま大人しくしていれば、身代金と引き換えに解放されるかもしれないが、別の目的で誘拐された可能性もある。


 見張りが居ないうちに、脱出する方法を探した方がよさそうだ。


「シェリル、私のスカートをめくって」

「えっ!?」

「いいから早く」


 促すと、シェリルはスーリアに背を向けて、縛られた手を少しずつ動かしながらスカートの裾を引き上げていった。

 スーリアの白い脚があらわになる。

 その女性らしい太腿に似つかわしくないものが、そこにあった。


「……ナイフ?」

「ええ」


 シェリルが目を丸くさせて聞いてくる。

 スーリアの太股に革ベルトで括り付けられたこの小さいナイフは、数カ月前に父が護身用にと持たせてくれたものだ。

 貴族の娘が誘拐される事件が発生しているらしく、念のためにと外出時は持ち歩くように言われていた。

 まさか、これが本当に役に立つ時がくるなんて。


 使う機会がない方が良かったのは確かだが、今は素直に父に感謝をするしかない。

 

「引き抜けるかしら?」

「……やってみる。動かないでね、スーちゃん」


 シェリルはおずおずとナイフを握り、ゆっくり引き抜いた。


「そのまま強く握っていて」


 銀色に煌く刃先をスーリアへと向けながら、シェリルは柄をぎゅっと握りしめる。

 刃が肌に当たらないように慎重に角度を調整して、腕を縛る縄を少しずつ切り裂いていった。


 何度か繰り返したところで、ふっと腕の拘束が緩む。

 思ったより時間はかかったが、なんとか縄を切り離せたようだ。

 続いてナイフを受け取り、同じようにシェリルの腕を縛る縄を切り裂いた。


「あとは、ここからどうやって抜け出すかね……」


 それが一番の問題だった。

 人の気配は感じないが、いつ誰が戻ってくるとも限らない。

 扉に手をかけてみたが、さすがに鍵が掛けられているようで開くことはなかった。


 どうしたものかと思考を巡らせていると、地面に座り込んだシェリルが、ぽつりと言葉をこぼした。


「スーちゃんはすごいね、こんな時でも前向きで。私だったら、もうあきらめてるのに」

「あきらめるも何も、まだ何もしてないわよ?」

「普通の女の子は、こんな状況になったら何かしようなんて思わないよ」


 それはスーリアが普通じゃないと言いたいのか。確かにその辺の令嬢よりは、ちょっとばかりおてんばな自覚はあるが。


「ねぇ、スーちゃん。気になってたんだけど、本当に第二王子様と婚約したの?」

「そ、それはっ――」


 シェリルはあの夜会の時、ロイアルドに抱えられて退場するスーリアを、目の前で見ていたはずだ。

 否定することはできないが、素直に頷くのもためらわれた。


「……そういうことになるわね」

「どうして婚約したの?」

「い、いろいろとあったのよ。そう、いろいろと……」

「ふうん。第二王子様のこと、好きなの?」

「えっ!?」


 純粋なまなざしでシェリルが問いかけてくる。

 緊急事態の最中に、なぜこんな色恋話をしているのか。今じゃなくてもいいだろうという思いはあったが、この質問には嘘をつきたくなかった。


「――えぇ、好きよ。ロイアルド殿下のことが」

「……そっか」


 どこか切ない微妙を浮かべて、シェリルは頷いた。彼女のこんな顔は、初めて見たかもしれない。


「でも、スーちゃんが王子妃かぁ~、ぜんぜん想像できない」


 今度は雰囲気を変えて、くすくすと笑う。

 酷いことを言われているような気もするが、悪い気はしない。

 縛られた腕の縄を自分で切る、そんな王子妃などいないだろうなと考えて、つられてスーリアも笑った。

 

「私もそう思うわ。でも、もう決めたから」

「何を?」

「あの人の――ロイアルド殿下の、妃になるって」


 あの雨の日に、心などすでに決まっていたのだ。

 あとはスーリアが一歩を踏み出すだけ。

 彼はいつでも、待っていてくれるのだから。


「だから、早くここから出なくちゃ!」


 そう意気込んだ時、コツンッと窓を叩くような音が聞こえた。


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