23 雨ときどき ②
黒く染まった空を見て、ロイアルドが溜め息を吐く。
その横顔を見ながらスーリアが首を傾げると、彼は独り言のように呟いた。
「……雨は嫌いなんだ。太陽を隠すから」
どこか切なく憂いを帯びたその横顔に、心臓が震える。
少しして、彼は自分の体を見下ろすと苦笑した。
「思ったより濡れたな」
髪や衣服についた水滴をはらいながら、ロイアルドは椅子に腰かけた。
ここなら多少の雨であれば防げる。
空の様子からして通り雨だと思われるので、落ち着くまではこのガゼボで雨宿りするしかなさそうだ。
「使ってください」
ロイアルドの隣に腰かけながら、先ほどポケットにしまったスカーフを取り出す。
彼はスーリアの方を向いて、急に動きをとめた。
「……それは、君が使ったほうが……」
彼の視線が下がる。
スーリアの胸元を一瞥して、慌てたように目を逸らした。
どうしたのかと己の体を見下ろすと、雨に濡れたせいで中に着ていた服が透けている。
「っ――!」
思わず両手で隠した。
そういえば今日は気温が高めだったので、いつもの作業着ではなく、薄手のブラウスを着ていたことを思い出す。
こんな日に限って雨に打たれるとは……
彼の言葉に甘えて、スカーフで胸元を覆って隠した。
「失礼しました……」
「……いや、城に戻ればよかったな。つい君と二人になれる方を選んでしまった、すまない」
そんな風に言われたら責められるはずがない。
スーリアだって、ロイアルドと会えたことは嬉しかったのだ。
あのまま城に戻っていたら、人目の関係もありすぐに別れていただろう。
「いえ、私もこっちの方がよかったので」
本心をこぼすと、彼は驚いたようにスーリアを見た。
「君は……俺が嫌いなんじゃないのか?」
「嫌いだなんて一言も言ってません」
「では、なぜ俺を拒絶する?」
銀灰色の瞳が不安そうに揺れている。
問題は彼ではない、スーリア自身だ。
「それは……あなたと結婚したら、この仕事は続けられないので……」
「続ければいいだろ?」
「…………え?」
予想外の返事に、思わずぽかんと口を開けたまま隣を見る。
彼は何を言っているのだろうか。
庭仕事をする王子妃など、普通は考えられない。
「王子妃が庭師をしていたらおかしいじゃないですか」
「まあ少し変わってはいるが、別におかしくはない。好きなら続ければいい。なんならこの庭園の一画に、君専用の庭を作ってもらうか?」
「私専用の!?」
ごくりと唾をのみ込む。
彼と結婚すれば王城の庭がついてくるというのか。
一番悩ましかった件があっさり解決してしまった。
むしろ悩んでいたのが馬鹿馬鹿しいくらいだ。
「さすがに公務がないとは言えないが、空いた時間で好きに庭をいじればいい。王太子妃というわけでもないし、ひっぱり出されることも少ないだろ」
さらに追い打ちをかけられる。
しかし、公務ともなると人前に出ることも多くなるわけで。
「こ、こんな地味な顔の女が隣にいたら、殿下が笑われますっ……」
彼の目に触れないように俯く。
見目のよくない自分のせいで、ロイアルドが悪く言われるのはさすがに耐えられない。遠くから見守っているくらいがちょうどいい。
本心を伝えようとすると、隣から小さな溜め息が聞こえた。
「……容姿に関して、君を卑屈にさせたやつが心底憎い」
「え……?」
少し怒気を含んだ声に驚いて隣を見る。
不機嫌を滲ませた整った顔が思ったりより近くにあって、スーリアはびくりと肩を震わせた。
「言わせてもらうが、君は別に見目は悪くない。俺は可愛いと思う」
「かっ可愛くはないと思うんですけど!?」
「そうだな、どちらかというと綺麗な部類だな」
「もっと遠ざかった気がするんですけど!?」
身を乗り出して詰め寄るように言う彼の勢いに、思わず体を引いてしまう。
「前の婚約者が言ったことは気にするな。もっと自信を持て」
なぜ彼が、ヒューゴから受けた扱いを知っているのだろうか。
そう言えば、おととい父が登城すると言っていたことを思い出す。もしかしたら父が何か言ったのかもしれない。
幼い頃から散々容姿のことを悪く言われてきたので、今さら自信を持つなど難しい。
それでも彼が認めてくれるのなら、甘えてもいいのだろうか。
「……努力します」
言われ慣れない言葉を掛けられたからか、いつも以上に顔が熱い。きっと体質のせいもあり、頬が真っ赤に染まっているだろう。
上目遣いで銀灰色の瞳を覗き込むと、彼は大きく喉を上下させた。
「スーリア……頼む、俺を受け入れてくれ。好きなんだ」
真っすぐな言葉で伝えてくる彼が眩しく見える。
ここで『私も』と言ってしまえば、楽になれるのだろうか。
仕事のことも容姿のことも、ロイアルドは誠実に向き合ってくれる。
足りないものはあとひとつ、スーリアの覚悟だけだ。
「もう少し……時間をください」
すでに自分の意思はほとんど決まっているのかもしれない。
それでも、心の整理をつける時間がほしかった。
素直に笑って、彼の手を取れるように。
「分かった。待つから……今だけ許してほしい」
懇願するように言いながら、ロイアルドはスーリアの身体を抱き寄せた。雨に濡れて冷えてきた身体に、じんわりと体温が伝わってくる。
突然のことに頭が追いつかないでいると、熱を含んだ吐息が耳にかかるのを感じた。
「返事をもらえるまで、会いには行かないから」
「え……」
伝わる熱とは反対に、彼の言葉は冷たい。
真意を確かめるために顔を上げようとしたが、スーリアを拘束する腕の力が強まり叶わなかった。
「……これ以上君を前にして、何もしないでいられる自信がない」
艶を含んだ声音に背筋が粟立つ。
これほど切実に求められ、想いをぶつけられるなんて思ってもみなかった。
彼の言葉に、今すぐ応えられない自分が情けない。
少しして、ロイアルドはスーリアを解放した。
今度は控えめに手を握ってくる。
それから雨が止むまで、彼が繋いだ手を離してくれることはなかった。
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