4章
22 雨ときどき ①
薄暗い室内で男が三人、小さな机を囲んでいた。
一人は身なりの良い服装に、あとの二人は商人風の出で立ちをしている。
「なあ、侯爵様。そろそろ返してもらわねぇと困るんだよ」
ドスのきいた低い声で、商人風の男が言う。
言葉を投げられた身なりの良い男性は、慌てた声で縋った。
「も、もう少しだけ待ってくれ……!」
「もう少し、もう少しって、もうどれだけ経ってると思ってるんだ? すぐに返すって約束だろ」
あきれた声音で返され、身なりの良い男性は項垂れるように肩を落とす。
その様子を見た男は、にやりと汚い笑みを浮かべて言った。
「金に困ってるならいい仕事を紹介してやるぜ?」
「仕事……?」
顔を上げた男性が商人風の男を見る。
「ああ、ちっと手間はかかるがその分見返りも大きい。侯爵様の立場なら、そこまで難しいことじゃないだろうしな。おすすめだぜ?」
その言葉に身なりの良い男性は、ごくりと喉を上下させて唾をのみ込んだ。
「どうだ、やってみるか?」
「……や、やる! 紹介してくれ!」
了承の返事に、商人風の男は下卑た笑みを浮かべながら頷いた。
それから一通りの説明を終え、男性は帰っていった。
部屋にはだるそうに椅子に座る、二人の商人風の男が残されている。
「よかったんですかい?教えちまって」
「ああ、人攫いなんて危険な仕事、自分じゃやろうとは思わねえからな」
「それは確かに」
「あちらさんもアジトが使えなくなって困ってるみてえだから、ちょうどいいだろ」
グラスに注いだ酒を一気にあおる。
二人の談笑は、夜が更けるまで続いた。
*
「ジャック、剪定ばさみ取ってくれる?」
夜会から数日、スーリアは相変わらずスカーフで顔を隠しながら仕事をこなしていた。
あれから結局、まだ一度もロイアルドとは会っていない。
昼食時にはいつもの木陰に赴いていたが、彼が訪れることはなかった。
スーリアに会いたくないのか、仕事が忙しいのか。どちらにせよ、そろそろこちらから出向いてでも、話し合いをしなければと思い始めていたところだ。
視線は植木に向けたまま、手を差し出すとそこにハサミが置かれる。
「違うわ。これじゃなくて剪定ばさみよ」
渡されたはさみを手に取ったが、目的のものではなかったので突き返した。
ジャックにしては珍しいミスだ。
彼が道具を間違えることなどないのに。
「すまん、こっちか?」
もう一度渡されたハサミを手に取るが、そこで違和感に気付く。
「これでもなくて――って、ロイ!?……っアルドでん、か?」
声の違いに気づき、勢いよく振り返る。
そこにいたのは同僚ではなく、全く予想外の人物だった。今までずっと木陰にこなかったのに、まさか彼の方から出向いてくるなんて。
不意打ちに、言葉がしどろもどろになる。
「どっどうして、ここに……それにその格好――」
ロイアルドはいつもの黒い隊服ではなく、白いシャツに黒いズボンという身軽な服装をしていた。
先日の夜会の時もそうだったが、隊服以外の彼の姿は見たことがなかったので、だいぶ印象が違って見える。
今日は特に私服のような出で立ちで、襟の隙間からのぞく肌が目に痛い。
「今日は非番なんだ」
なるほど。休日であればその格好も納得できる。
「で、どれが正解だ?」
「こ、こっちが正解よ……じゃなくて正解です」
思わず言い直してしまった。
一度慣れてしまうと、敬語に直すのはなかなか難しい。
仮の婚約者といえども、さすがに彼の立場を知ってしまったら、前のように話すことは気が引ける。
彼は眉を寄せながらも、正解のハサミを見て納得した様子だ。
しかしいつもの木陰ならともかく、こんな人目につく庭園の真ん中で彼と話していたら、あきらかに不審がられるだろう。
そう思い、抗議の言葉を発した。
「こんなところに来られたら困るんですけど」
「人払いしたから大丈夫だろ」
「えぇ……」
まさか仕事中の庭師を追い払ったのか。なんて強引な。
そこまでしてスーリアと二人になりたかったということは、大事な話をする気なのかもしれない。
気まずさはあったが、彼から会いに来てくれたことは素直に嬉しい。無意識に口元が緩んでしまい、スカーフで隠していてよかったと密かに思った。
お互いに切り出しづらいのか沈黙が続く。
このままでは埒が明かないと、思い切って口を開いた。
「あの」
「その」
声が重なる。
常々感じていたが、彼とはこういうところで妙に気が合ってしまう。
「ど、どうぞ」
「いや、君からで……」
またしても互いに譲り合う。
スーリアが視線で先を促すと、小さく息を吐いてからロイアルドが口を開いた。
「すまなかった……君の意見を聞かず、強引に決めてしまって」
さすがに、申し訳ないと思う気持ちはあったらしい。
ロイアルドがあの場で宣言したせいで、スーリアは逃げ道を失った。
控え室に移動してから想いを伝えられたが、あの様なことをしてまでスーリアを手に入れたかったのだろうか。
「そんなに私が欲しかったんですか?」
内心を探るように、銀灰色の瞳を見つめた。
彼は一度瞬きをしてから、スーリアの瞳を見つめ返す。
それから徐に右手をスーリアの首裏に回すと、顔を近づけて言った。
「欲しい」
きらきらと光る星屑を集めたような、銀の瞳が揺れる。
その奥に見つけてしまった熱に危険を感じ、体を引こうとしたが、首に回されたロイアルドの腕によって阻まれた。
「君じゃなきゃ、だめなんだ」
吐息を感じそうなほどの距離で彼が言う。
「俺の……太陽」
そのまま布越しに、唇同士が触れ合った。
感触はあるのに伝わらない熱が、ひどくもどかしく感じる。
あの時木陰で触れ合った熱を、無意識に思い出した。
「まっまだ、あなたの妻になるって決めてないんですけど!?」
唇が離れた瞬間に、彼の胸を両手で押し返して距離をとる。
なんだが夜会の日に、最後に会った時とだいぶ雰囲気が違う気がする。
「強情だな」
彼は離れた距離を一気に詰めて、不敵に笑った。
「君が俺を拒絶しても、もう手放す気はない」
「――っ勝手に決めないでください!」
この数日間で彼に何があったのか。
ここまで強引なことをするような人ではなかったと思うのだが。
ロイアルドは再び右手を伸ばすと、スーリアの顔に巻かれたスカーフに手をかける。
「邪魔だな、これ」
「あっ!」
そのまま下に引っ張り、スカーフを外された。
先ほどの行為で頬が赤くなっていると思い、慌てて両手で顔を覆う。
彼がくすりと笑う息遣いが聞こえた。
「俺の前で隠すな」
故意に隠していたわけではないのだが、気に入らなかったらしい。
外したスカーフを手渡され、渋々受け取りポケットへとしまった。
その時、ロイアルドが何かに気付いたのか空を見上げる。
「……太陽が、隠れる」
つられて彼の視線の先を追うと、ぽつりと大粒のしずくがスーリアの頬を濡らした。
先ほどまで日が差していたというのに、いつの間にか灰色の雲が頭上を覆っている。
これは一雨来そうだな、そう思ったスーリアの腕をロイアルドが掴んだ。
「こっちだ」
腕を引かれるまま、彼について行く。
途中で本格的に降り出した雨が二人を濡らす。
慌てて駆け込んだ先は、庭園にある少し広めのガゼボだった。
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