4  りんごが繋ぐ縁 ①



 広い王城の敷地内を進むと、ようやく温室が見えてきた。

 扉に鍵はかけられていないので、そのまま中へと進む。


 入口付近には色とりどりの花々が咲き並んでおり、少し先の方にはちょうど今が旬のいちごが植えられていた。さらにその奥には大きめの果実が実る樹があり、かなり規模の大きい温室だと分かる。


「あるのは知っていたが、初めて入ったな」


 青年は物珍しそうに辺りを見回している。


「ここは第二王妃様が所有している温室で、基本的には誰でも入れます」

「第二王妃……」


 このアレストリアには現在二人の王妃がいる。

 第一王妃と第二王妃はとても仲が良いことで知られており、この温室は第二王妃の趣味で造らせたものらしい。

 王妃二人は頻繁にお茶会を開くのだが、そこで提供する花や果実を育てているのだとか。


 また全てを食べきれはしないので、温室の管理を担っている庭師やガーデナーは、余った果物の持ち帰りを許可されていた。

 昼食を失ったスーリアには、とてもありがたいことである。


「やたら花が多いようだが」

「もうすぐ第三王子殿下の結婚式があるので、それに向けていろいろと育てているようです」

「ああ……なるほど」


 花壇を見た青年は、どこか遠い目をして納得した様子だった。


 この国には三人の王子がおり、20歳を過ぎてなお全員独身であったが、そのうちの第三王子が三週間後に結婚式を控えている。

 上の二人の王子――王太子と第二王子は浮ついた話すら聞かないが、それは仕方のないことだろう。


 それというのも、王子たちにはそれぞれに悪い噂があるのだ。特に第二王子は冷酷な性格をしており、他人を寄せ付けないらしい。

 噂の内容から、彼らに婚姻を申し込む女性が現れないという現状があるようだった。


 スーリアは着飾るのが苦手で、派手な様式の王族主催の夜会には参加していない。そのため王子たちを直接見たことがなかったので、あくまでもそうらしいと聞いた程度だが。


「で、ここにきて何を――」


 スーリアに視線を向けた青年の声が、途中で途切れる。

 どうしたのかと首を傾げたスーリアを見て、彼は慌てた様子で言った。


「顔が赤いが大丈夫か?」

「え……あっ!」


 それを聞いて、勢いよく己の頬を両手で押さえた。


「具合でも悪いのか?」

「み、見ないでください!」


 青年が心配そうに顔を覗き込んでくる。

 その顔の近さにスーリアの心臓は再び飛び跳ね、今度は恥ずかしさから全身が熱を持ち始めた。


「こっこれはその、体質的なもので……気温差のあるところにいると、顔が赤くなってしまうんです」

「体調が悪いわけじゃないんだな?」

「はい……」


 青年は安心したのか、胸を上下させて息を吐いた。本気で心配させてしまったようで、なんだか申し訳ない気持ちになる。


 これはスーリアの幼い頃からの体質で、特に寒い場所から暖かいところに移動すると、頬がりんごのように真っ赤に染まってしまうのだ。ちょうど温室に入ったことで気温が上がり、症状が出てしまったのだろう。

 始めは気にしていなかったのだが、ヒューゴが馬鹿にしたように笑ってくるので、今ではこの赤く染まった顔を見られるのが苦手になってしまった。


「21歳にもなって、恥ずかしいですよね」

「いや? 俺はかわいくて良いと思うけど」

「……かわいい?」

「え、あ、いや……その」


 なんとなく気まずい雰囲気になり、お互いに視線を逸らす。

 横目で青年を見ると、彼は頭を掻きながら、恥ずかしそうにかすかに頬を染めていた。


 この顔をかわいいと言われたのは、両親以外では初めてかもしれない。

 もともと地味な顔立ちの上にこの体質だ。スーリアは自身の容姿の悪さを自覚していた。

 特に親戚のシェリルとは会うたびに比べられており、スーリア本人はそこまで気にしていなかったのだが、周りがうるさかった。元婚約者のヒューゴはその典型で、スーリアと会うたびに容姿をなじってきたのだ。

 悲観するほどではないが、今ではりんごのようなこの頬にコンプレックスを感じていることは事実である。


 スーリアは微妙な空気を断ち切るように、そうだ!と思い出したように言った。


「騎士さまは、りんごはお好きですか?」

「りんご? 嫌いではないが」

「ならちょうどよかった!」


 赤い顔を隠すようにして、スーリアは温室の奥へと走り出す。


 最奥のその場所には、赤く色づいた食べごろのりんごのなる樹があった。時期的には少し遅いのだが、味に問題がないことは庭師であるスーリアがよく知っている。

 温室にきた目的は、このりんごだった。これならば腹を満たすのにはちょうどいいだろう。


 りんごを手に取ろうとしたスーリアだったが、そこで脚立を用意していなかったことに気づく。彼女の身長では手を伸ばしても届きそうもなかったのだ。


 どうしようかと首を捻って、結局樹に登って取ることにした。幼い頃はよく屋敷の庭に生えている樹に登って遊んでいたので、なんとかなるだろう。

 そう考えて幹に手を添え、足をかけたところで声がかかる。


「待て、登る気か?」

「そうですけど?」


 追いついた青年が驚いたように聞いてくる。スーリアはそれ以外に何があるのかと、不思議そうに聞き返した。

 青年は大きな溜め息をついて、スーリアを止める。


「危ないからやめておけ」

「でも、私の昼食が」

「ほら」


 言葉と同時に彼は低めの枝に手を伸ばすとそれを手繰り寄せ、りんごをひとつもぎ取った。そのままスーリアへと手渡してくる。


「あ、ありがとうございます」


 動揺しながらも礼を述べる。

 青年の身長はスーリアより頭一つ分以上高く、手を伸ばせば軽々と枝に届くほどだった。


 受け取ったりんごの表面を、ポケットから取り出したハンカチで拭う。

 その間に彼はもうひとつりんごを手に取り、嚙り付こうとしていた。


「あ、待ってください。こっちを」

「ん?」


 ハンカチできれいにしたりんごを手渡す。やらなくても問題はないが、もしかしたら表面が汚れている可能性もある。さすがに身分の高い騎士に、それを食べさせるのは気が引けた。


 彼は代わりにもうひとつのりんごをスーリアに渡し、受け取った磨かれた方のりんごをまじまじと見つめた。

 そして、ふっと笑って言う。


「君は優しいな」


 本日二度目の眩しい笑顔に、スーリアの心臓はまたしても大きな鼓動を刻んだ。

 体質とは関係なく頬が熱を持つのを感じる。

 この時ばかりは、体質のおかげで顔のほてりを悟られなくてよかったと思った。


 恥ずかしさを隠すように、両手でりんごを持って嚙り付く。程よい甘さとみずみずしさが口の中に広がり、空腹の胃が満たされていくのを感じた。


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