3  思いがけない出会い



 スーリアは混乱する頭で必死に考えていた。

 今、これはどういう状況だろう。

 昼食をとりにきたはずなのに、気づいたら喉元に剣を突きつけられ、あげようとした悲鳴は飲み込まされた。


 剣の切っ先はすでに地面へと向けられていたが、口元にあてられた手はそのままで。

 どうしたものかと視線だけで上を向くと、間近に男性的な凹凸のある首筋が見えた。


 ――まさか侵入者?


 一瞬よぎった思考は、男性の言葉によって掻き消される。


「……気づかれてないか」


 その人は安心したように、小さく息を吐いた。

 よく分からないが、今まで漂っていた緊張した空気が解れたのを感じ、スーリアはいまだ離れていかない手の下でもごもごと喋る。


「あの、そろそろ離してもらえませんか」


 その言葉に目の前の人物は慌てたように手を離し、一歩後ろに下がった。


「すまん、忘れてた」


 距離が空いたことで視界が開ける。

 やっと確認できたその姿を見て、スーリアは目を見はった。

 そこには、見慣れない黒い隊服を着た青年がいた。耳にかかるくらいの長さの黒髪はとても艶やかで、その顔立ちは男性的だが品がある。

 間違いなく、女であるスーリアよりも整った顔だ。


「近衛……騎士」


 アレストリアの王宮騎士団の隊服は白色だが、目の前の人物が着ている隊服はそれと形は似ているが、黒を基調としたものになっている。普段はあまり目にすることはないが、確か王家直轄の近衛騎士にのみ着用が許されている隊服のはずだ。


 剣を鞘に納めながら、青年がスーリアを見た。その灰色の瞳が見開かれる。


「君は――」

「?」


 何かを言いかけて、青年は言葉をのみ込んだ。


「……いや、なんでもない。俺がここにいたことは、誰にも言わないでほしい」


 言うなと言われると言いたくなるものだが、それよりも何故このような庭園の端に近衛騎士が?と思ったスーリアは、そのまま疑問を口にした。


「ここで何を?」

「……昼寝をしていた」

「昼寝」

「昼寝だ」

「……サボりですか?」

「そうとも言うな」


 まるで当たり前のことのように、青年は悪びれた様子もなく言う。


「先ほど私に剣を向けたのは?」

「あれは……すまなかった。急に人の気配を感じたから、身体が勝手に動いたんだ」


 納得した。

 確かに騎士たるもの、寝込みを襲われることもあるだろう。睡眠中の無防備な状態で襲われた際に、咄嗟に動けるように訓練されていてもおかしくはない。


 誰にも言うなというのは、ここでサボっていたことを秘密にしろという意味だろうか。

 誰かに告げ口したところでスーリアに利があるわけではないし、そこは彼の願いを聞いてあげることにした。


「なるほど、分かりました。私が急に近づいたのも悪かったですし、騎士さまがここで気持ちよくお昼寝をしていたことは、秘密にしておきます」

「騎士さま……」

「……?」


 嫌みを込めた言葉を口にしたつもりだったが、青年は別のところが気になったようだ。

 眉根を寄せて、訝し気な様子でスーリアを見ている。


「何か?」

「……いや、分からないならそれでいい」


 歯切れの悪い返事に、腑に落ちないものを感じる。

 近衛騎士といえば元の身分もそれなりに高いだろう。『騎士さま』という言い方が気に入らなかったのだろうか。

 確かに今のスーリアは平民に扮しているし、そう易々と声をかけていい存在ではないのかもしれない。しかし、この邂逅は事故のようなものであるし、それは大目に見てほしいところだ。


 灰色の視線を受け流したスーリアは、そこで本来の目的を思い出す。


「そうだ、おべん……と、う!?」


 ああーっ!!と、続けて叫びそうになった口を、またしても青年の手が塞いだ。


「大声を出すな。人が来る」

「んんんん~~~!」

「どうし――」


 地面に向けられたスーリアの視線の先を青年が辿る。

 そこにあったのはスーリアのバッグから零れ落ちた、地面に散乱する無残な昼食の成れの果てだった。きっと先ほどバッグを落とした拍子に、中身が飛び出してしまったのだろう。これはさすがに食べられるような状態ではない。


 がっくりと肩を落としたスーリアに、青年は手を離すと申し訳なさそうに言った。


「その、すまん……」


 散々な昼下がりである。

 作業に夢中ですぐに休憩に入らなかったため、時刻はすでに正午をだいぶ過ぎており、従業員の食堂も閉まっているだろう。

 仕事に没頭していれば空腹は忘れられるのだが、思い出してしまった今のスーリアには、昼食を抜くというのはつらい選択だった。


「せっかく作ったお弁当がぁあ……」


 弁当は毎朝手作りしている。

 伯爵令嬢でありながら、スーリアは料理も好きだった。自宅の屋敷にある花壇で野菜を育て、自分で収穫したものを調理するのも趣味のひとつなのだ。


 スーリアは地面に座り込むと、大切に育て一生懸命調理した無残な弁当の中身を、残念そうに手で拾い箱に戻す。


 それを見ていた青年が目の前にしゃがみ込み、拾うのを手伝ってくれた。


「そこまでしていただかなくとも……」

「これは俺のせいだ。すまなかった」


 素直に謝るその態度には好感が持てる。これが元婚約者のヒューゴであったら、落としたおまえが悪いと言ってなじってくるだろうな、と想像してしまった。


 そうしてある程度片付け、鳴り続ける腹の虫をどうするかと考えたところで、あることを思い出す。


「そうだ、温室!」

「温室?」


 このアレストリアの王城には、敷地内の裏手側に温室がある。

 そこにはさまざまな花や果樹が育っており、中には季節外れのものまであるのだ。

 それを思い出し、いくつか果実を拝借しようと考えたスーリアは、温室へと歩き出した。

 その後ろを、なぜか騎士の青年もついてくる。


「お昼寝を再開されては?」

「もう十分だ」

「そうですか……、どうしてついてくるんです?」

「俺のせいだし、放っておけん」


 なんというか、律義な性格である。

 スーリアは後ろを歩く彼に気付かれないように、小さく笑った。


「見たところ君は庭師のようだが、なぜ女性がその職業を?」


 歩きながら青年が尋ねる。

 スーリアの服装から推測したのだろう。確かにこの国では、庭師と言えば通常は男性の職業である。生花専門のガーデナーなどは女性も多いのだが。


「好きなんです。木に触れるのが」

「なるほど」

「納得したんですか?」

「好きなことをするのが一番だろう。俺も好きで騎士をしている」


 青年は自分も同じだと言い、共感してくれた。

 距離を詰め、隣に並んだ青年を見る。


「私たち、気が合いそうですね?」

「そうだな」


 冗談まじりに言ったスーリアの言葉に、彼はその整った顔にきれいな微笑みを浮かべて頷いた。

 その眩しい顔を見てしまったスーリアの心臓が、一瞬跳ねる。


「っ……」


 どきり、と震えた鼓動に気付かないふりをして、スーリアは温室へと急いだ。


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