4
「へぇ。あの人がねぇ」
昼食を終えて、時計の針が午後の一時をまわったころ。
私が部屋に戻っていると、サチエ夫人に捕まった。
彼女は私を空いた客間へと引き連れ、流れのままお茶会をすることとなった。
通された部屋は、談話室のような広い空間だった。
壁際には暖炉があり、暖炉を囲うように赤いソファが円形に並んでいる。
ソファのすぐ手前には背の引くテーブルがあった。
その上には小さな網籠があって、中にはのど飴やらキャラメルやら。
軽くつまめる菓子が詰め込まれている。
サチエ夫人は暖炉の正面のソファに。
私は左側のソファに座った。
炎のない暖炉には、わずか煤が残っているだけで、がらんとしている。
黒々とした中を覗いていると、メイドがコーヒーを運んできた。
サチエ夫人はブラックで。
私には砂糖とミルクを用意してくれた。
テーブルにコーヒーを置くと、彼女たちはトレーを腹のところで抱え、頭を下げる。
早足で出入り口へと向かうと、ドアを開閉して出て行った。
砂糖とミルクを溶いたり、直接飲んだり。
それぞれの飲み方をしながら、私たちはコーヒーを楽しんだ。
最初に飲んだ時より、私の舌はクドウ家のコーヒーの味に慣れつつある。
だが、それでもこの苦味を堪えるまでにはいかない。
砂糖とミルクでごまかす。もといマイルドにしないと、私はどうも飲み切れる自信はなかった。
会話は当然のように、クドウ氏のことについてに集約される。
そしてぼろりと、先ほどのクドウ氏の変貌を、ついつい口にしてしまった。
それからはサチエ夫人の目の色が変わった。
興味薄だったはずが、爛々と好奇の気色を孕むようになった。
「珍しいわね。あの人が取り乱すなんて」
「取り乱すとは、少し印象が違うかもしれませんけど」
「取り乱してる方よ。動揺しても面に出すことなんて滅多にないし、バツが悪くなって紅茶で間を繋ぐなんて下手なこと、絶対にしないもの」
そう言って、サチエ夫人はまたコーヒーを啜った。
「魔が差したのか。あるいはちょろっと口が滑ってしまったか。面白いことがあるもんだわ」
感慨深げに呟き、波紋の浮かんだコーヒーの湖面に目を向ける。
数秒はそうしてじっと何かを考えていたようだったが、次に顔を上げた時には、すっかり好奇の色は消えていた。
「絵の方は順調に進んでいるのかしら」
「今日下書きが終わったところです。本番は明日からになるかと」
「そうなの。……で、例の件はどんな感じ?」
なるほど。本題はそれか。
「一応、似顔絵はこっちに描いてみましたよ」
ソファの横に置いたスケッチブック。
そのページをめくって、今日描いたクドウ氏の似顔絵を見せた。
本当は彼女に見せるつもりはなかった。
部屋に持って帰って、もう何度か。クドウ氏の顔を書いてみるつもりで、スケッチブックを持参していたのだ。
「どれどれ」
サチエ夫人はスケッチブックを手に取り、端に書かれたクドウ氏を見た。
遺影の下書きも彼女に見られてしまうが、実物を見られるようかはマシだろう。
クドウ氏が彼女に秘密にしているかどうかは、私の知るところではない。
「よく描けてるわね。さすが絵描きだわ」
本当に褒めているのか、それとも社交辞令で言ったに過ぎないのか。
サチエ夫人の発言からでは、どうも判断がつかなかった。
彼女はクドウ氏の顔に飽き足らず、ぺらぺらとスケッチブックをめくった。
一枚目の遺影の下書き。ヨシノさん、さらにはサチエ夫人本人の姿。
それにクドウ家にほとほと関係ない、他の依頼者に関係する下書きまで。
私が止める間も無く、彼女はしっかりとスケッチブックの全てを見られてしまった。
「やっぱり絵描きってすごいわね。どうやって書いてるのかしら」
全てを見た結果。感想自体そこまで変わらなかった。
パンと勢いよくスケッチブックを閉じる。
そして私に差し出してくる。
私は半ばひったくるように(一応の加減はしたが)スケッチブックを受け取った。
「勝手に他のページを見ないでください」
「何よ。別に減るもんじゃないでしょ」
「私の気が滅入るんです。秘密を暴かれたみたいで、ほんと恥ずかしいんですから」
「ふーん、そうなの。ごめんなさいね」
言葉だけの謝罪で、ちっとも反省なんかしてはいない。
言葉の響きもそうだが、言いながら自分の爪を見てるのが、その証拠だ。
腹が立つばかりで、なにもいいことがない。
「それじゃ、試しに子供の顔を描いてみてよ」
「は?」
思わず語気が強くなる。
でも、サチエ夫人はちっとも聞かなかった。
「私の顔も描いたんだし、あの人の顔を描いた。だったら、試しに描いてみてもいいと思わない」
「いや、貴女が思っても私が思うわけじゃ……」
「いいから、描いてみてよ」
でないとあんたをここから出さないから。
言外の脅しを視線を通して伝えてくる。
本当にそうするつもりはないだろうが、実際なんて見ないことにはわからないから恐ろしい。
「……あんまり期待はしないでくださいよ」
私は渋々鉛筆をとって、白紙のページをひらいた。
クドウ氏とサチエ夫人を描いたページを指で挟みながら、何度も参考にして鉛筆を走らせる。
骨格はどちらに似せるか。
目元は、髪色は。
唇の形。それに瞳の大きさ。
2人の違う人間の顔を参考にしながら、1人の子供の顔を作る。
こんなへんてこりんなこともない。
出来上がる顔は自分でもよくわからないし、それが本当に子供の顔なのかもわからない。
先があるかもわからない道を、手探りに進んでいるようだ。
頼りとなる地図も、参考になりそうでならない。
想像と現実の間で格闘しながら、小一時間。
どうにかそれらしい顔が仕上がった。
「どうですか」
肩を落として、私はその絵をサチエ夫人に見せる。
「……ふーん」
赤子らしきその顔を見て、鼻から息を漏らした。
明らかに不満な顔だ。
もちろんその不満はよくわかる。
結局どっちつかずで、2人の顔のパーツから拝借しただけの顔。
福笑いを少しだけマシにした程度の顔なのだから。
むしろ福笑いほどばかばかしいものなら、彼女の態度ももっと違ったのかもしれない。
「これじゃだめね」
予想通りの答え。
しかし、落胆はなかった。
「そうですか」
返されたスケッチブックを、私は大人しく受け取る。
「まだ最初だし、うまくいくわけがないわよね」
そうその通り。
しかし、いもしない子供の顔を、大人2人の顔から想像して、どうやって描けばいいのだろうか。
残念なことに、彼女からそれついてのアドバイスはなかった。
早いところ彼女の前から姿を消そう。
そう思って、すっかり緩くなったコーヒーをすする。
「ねぇ、どうして絵描きになろうと思ったの」
先にコーヒーを飲み終えたサチエ夫人から、そんなことを尋ね聞かれる。
「どうしてって。そんなことを聞いてどうするんです」
「別にどうもしないわ。ただ気になるから、聞いてるだけ。いけないことかしら」
「いや、いけないってわけではないですけど」
いけない、サチエ夫人の口車に乗せられてきている。
余計なことを喋り出す前に、残り少ないコーヒーで口を塞ぐ。
「何かの理由がなければ絵描きになろうなんて思わないじゃない。絵が好きとか、絵を書いていると現実を忘れられるとか。そういう理由があってこそ、始めたんでしょう」
「まあ、そりゃそうですけど。別に、大して面白い話でもないですから」
「面白いか面白くないかは、あなたが判断することじゃないわ」
パンパンと手を二回叩く。
何の合図かと思っていると、ドアが開きメイドが入ってきた。
「おかわりのコーヒーをお願い。彼女の分もね」
「いや、あたしはもう……」
「かしこまりました」
メイドは頭を下げて、スタスタと部屋を出ていく。
私はみすみす、部屋から出る機会を失ったわけだ。
「さて、腰を落ち着けて聞かせて見なさいよ。じっくり聞くわよ」
なんだか、サチエ夫人のおもちゃになった気分だった。
最初の印象こそ、彼女を美しい人だと思っていた。
だが、皮の下に隠されていたのは、美人でもなんでもない。
他人の事情を知りたがる、下世話な覗き魔だなんて。
私の体がソファに沈む。
ソファには座っていたが、錯覚と逃れられないという絶望から、よりそう感じてしまったのかもしれない。
「で、どうして絵描きになったのよ」
結局、手っ取り早く彼女から解放されるには、話す他になかった。
ため息をつきつつ、私は観念して、これまでのつまらぬ人生について、彼女に言って聞かせることにした。
K.M.富豪の9枚の遺影 小宮山 写勒 @koko8181
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