第参拾話 呪詛



 磐見が元の気難しい顔に更に難しい表情を重ねて廊下を歩いているところに、ふと声を掛ける者があった。



「磐見さま……」



 背後から聞こえた声に振り返ると、曲がり角の影から半身でこちらを伺う小柄な姿

が見えた。



「ヨミか」


「はい……ひひ、ヨミでございます……」



 何処か陰鬱な空気を纏った、隈の酷い女であった。長い黒髪から覗く双眸は何を考えているか分からない不気味さで、いつも引き攣ったような笑みを浮かべている。夜、厠に行こうとして彼女と鉢合わせた若い衆が腰を抜かした事がある程だ。


 普段魔物を相手にするマガリの者が身内の人間相手に、磐見に怒鳴られること以外で腰を抜かすなど、とんだ間抜けだと今でも笑い草である。



「何用だ」



 そんなヨミにも磐見は眉一つ動かさずに問いかけた。このヨミに普段他の人間と変わらず接することの出来る人間と言えば、磐見を除いては翁しかおるまい。


 いや、かつてはそこに九郎丸もいた。

 また九郎丸か、と磐見は嘆息する。



「あの……? 磐見さま……?」


「あぁいや、こちらの事だ、気にするな。それより用件を聞こう」



 小柄故にただでさえ巨体の磐見を見上げるようにして小首を傾げていたヨミを、磐見は促した。



「あぁ、はい……。例の魔物の件ですが……、少々ご報告に入れておきたいことがございまして……」



 これでもマガリの腑分け班の頭を務めるヨミは、自身の両手を組んだり解いたりしながら、ぼそぼそと聞き取りにくい声量で話し出した。



「あの魔物、やはり魔物ではなくてですねぇ……、では何だというと難しいのですが……」


「ええい、はっきりせんか」



 ヨミのその面倒な話し方に少し苛立った磐見が、強めの声を出す。



「はい……、率直に申し上げますと……、あれは呪詛です」


「何?」



 ヨミの言葉に、思わず磐見は詰め寄った。ここで他の者であれば肩を震わせ怯えそうなものだが、ヨミの気味悪い薄ら笑いに変化はない。



「呪いです……、正しくは呪いの産物……。魔物の死肉にその痕跡がありました……」



 ヨミは薄ら笑いを崩さぬまま、淡々と続ける。



「あの魔物……、いえ、白狗は、呪詛をかけられていた……、若しくは、宿していた……、封じていた……?」



 ぶつぶつと独り言を唱え始め、思考が自分の内側に籠ってしまいそうになるヨミの肩を、磐見は乱暴に揺すぶってこちらに引き戻す。



「その呪詛とやら、誰が何故施した? どのような呪詛だ?」



 揺すぶられて若干しおれたヨミは乱れた髪を整えながら答える。



「それが……、呪詛の痕跡は見つかったのですが……、肝心の呪詛本体はもう……」


「依り代が死んで呪詛が消えたか……」


「或いは……、、ですねぇ……」



 視線を横に流しながら、ヨミがぼそりと呟く。



「あの……、わたし気になることが……。九郎丸さまは……例の魔物に足に怪我を負わされたのです、よね……?」


「それが、何だというのだ」


「えへへ……、わたし医術班にも属しておりまして……、何分、皆さまのお怪我は魔物によるところが大半なので……、わたしの魔物の知識が必要な時がありまして……」



 やけに迂遠なヨミの言い方に、磐見は眉間に皺を作る。



「何が言いたい?」


「いえ……、あくまで推測でしかないのですが……、九郎丸さまの足、怪我だけで動かなくなるとは、考えにくいと言いますか……、えぇ、九郎丸さまの足が悪くなったのは……、怪我以外に何か原因があったのでは、と……」



 その推測に、磐見は押し黙った。



「例えば、その……、呪詛、とか……」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

三ツ足の九郎丸 木々暦 @kigireki818

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ