第11話 ロータス

アロマの効いた部屋の匂いに思わず酔ってしまいそうになる。

言われるがままに僕は相沢さんとホテルの中に入ってしまった。


「佐藤君⋯⋯私たち、このままお付き合いしない?」


部屋の予約をして、部屋に向かうエレベーターの中で相沢さんが僕に甘い声で囁いた。僕は完全に相沢さんの虜になり、心を奪われていたんだ。


「今日はすっごく楽しかったわ。彼のことが頭に浮かばなかったのは、佐藤君と一緒にいた時が初めてよ。もう彼のことなんかいいわ、貴方さえいてくれれば⋯⋯」


催眠術にでもかかったみたいに、相沢さんの声が僕の頭に染み込んでいく。

もう幸せ過ぎて、何が何なのか分からなくなりそうだった。


「私は幸せよ」

「僕も、相沢さんとずっとこれからも一緒に⋯⋯」

「フフッ、夜は楽しみましょう」


部屋に入ると、そこにはベッドが二つある。

すると相沢さんは着ていたダウンジャケットを脱いでハンガーにかけた。

続いて下に着ていた肌色のカーディガンを脱ぐと、赤い下着の相沢さんのすらりとした肢体と豊満なバスト、膨らんだヒップが露になる。


「少し待ってて⋯⋯シャワーを浴びてくるから」


バスルームに入る相沢さん。すぐに水の流れる音が聞こえてきた。

決して初めてじゃないはずなのに、何でこんなに緊張するのか分からない。相沢さんと夜の時間を過ごすと想像するだけで、鼓動が高まっていく。

こんなに誰かに対して夢中になったのは初めてだ。まるで見えない何かの力に操られているみたいに心が全て彼女の物にされたような、そんな気がした。


コンコンコン


部屋の扉を叩く音がする。

ホテルの人かな? 僕はそう思ってインターホンに出た。


『ルームサービスでーす』


サービスは頼んでいないんだけどなあ⋯⋯

けど、僕は深く考えず表に出ることにした。


ガチャリと扉のノブに手をかけ、鍵を開けたその時だった。


「邪魔するぜ」


突然扉が乱暴に外から開けられた。

身構えていなかった僕は扉が開いた反動でその場で尻もちをついてしまう。


「コイツがオメガの犬か。名前は看破超人、ケイだったな」

「間違いないぜ兄貴。裏で俺達シグマをかぎまわってた奴だ」


現れたのは大柄で、モヒカンの瓜二つの顔をした男。

顔の至る所にピアスをして、凶悪そうな面構えだ。


突然のことに僕の頭が追いつかない。

誰だ? この人たちは誰なんだ?


「コイツ、俺達が清掃員か何かと勘違いしてやがるぜ」


その瞬間、息が止まった。

現れた男の一人が、突然僕の下腹部を強烈に蹴り上げ、顔をグーで思いきり殴って来た。しかもその一発一発が意識が飛ぶほどの力で。


「俺達はシグマ超人、シグマランキング53位の『喧嘩超人』ナックル兄弟だ。俺の名前がジャブで、弟のコイツがブロー。ま、覚えて帰ってくれや。つっても⋯⋯」


男はまた僕の顔面にパンチを叩きこんだ。

頬骨が折れる強い痛みと、自分の奥歯が飛ぶのが見える。


「お前はもう生きて帰さねえけどな」


最悪だ。こんな時にシグマ超人と出くわすなんて。

僕は超人だけど、戦闘能力は皆無だ。喧嘩慣れした男二人、それも超人をまとめて相手にするような力なんてない。流れ出る血で顔が赤く染まっていくのが、血でベタベタになった手の感触で分かる。


「相沢さん逃げて!! 今すぐに逃げるんだ!」


でも僕は、せめて相沢さんだけでも守らなきゃいけないと声を張り上げた。

彼女は今シャワー室にいる。せめて、せめて相沢さんだけでも⋯⋯

そして音を立てて開くシャワールーム、そして中から白い湯煙と共に白い肌をした相沢さんが現れた。


相沢さんはさっきの赤い下着じゃなく黒の下着を着て立っている。


「今すぐ逃げて! 相沢さん」


なのに、相沢さんは逃げる気配がない。

すると相沢さんは、僕を襲った二人に言った。


「ご苦労様。ゴミ掃除なんか頼んで悪かったわね」

「とんでもねえぜ、ロータスの姉御。お安い御用ッスよ」


すると煙草を相沢さんに差し出すジャブ、それを相沢さんは当たり前のように受け取るとブローが差し出したライターで火を点けた。

ど、どうなっているんだ!? 何が起こっているのか理解できない。


「ゴメンね佐藤君。彼らを呼んだのは私なの」

「な、何を言ってるの相沢さん!!」

「だから、君にここで死んでほしいってことよ」

「言っている意味が分からない!! この人たちは悪いシグマ超人なんだよ!? 彼らを呼んだのが相沢さんって⋯⋯」

「私は彼らと同じシグマ超人なのよ」


パーンッ!!と鳴り響く音と共に頬が焼けるように痛み、僕の上体が飛ぶ。

それが相沢さんのビンタだということに気付くまで時間がかかった。


「私はシグマ所属、魅惑超人ロータス。プロテア様に忠誠を誓い、貴方達オメガの超人をこの世から全員消すためにずっと動いていたのよ」

「あい、ざわ、さん⋯⋯!!」


地面に転がる僕を見る相沢さんの目は悪魔のようだった。

今までの優しくて、魅力的な相沢さんとはまるで違う。痛めつけた獲物をこれから丸のみにする蛇のような、残酷な目だった。


「何も知らずに、私を見て鼻を下を伸ばしてた貴方を見てるのは最高に面白かったわよ。オメガの超人も私の魅力にかかればこの程度なのかしらってね」


ゲラゲラと僕を見て大笑いするナックル兄弟。

期待を裏切られた失望感と、尊敬していた相沢さんが敵だった絶望、そして何よりオメガの超人としての僕の誇りが砕ける音が聞こえた気がした。


「やってしまいなさい、ナックル兄弟」

「おうよ姉御!!」


そこからは地獄のようなリンチの時間だった。

四方八方から飛んでくるパンチと蹴り。顔がみるみる熱く、そして腫れあがっていく。もう体のどこが痛いのかも分からない、自分が今どうなっているのかも何も分からない⋯⋯


僕はここで無様に死ぬんだな。

流れる大量の血を見ながら、僕は最後にそう思って瞼を閉じた。


「オイお前ら。ウチの可愛い後輩を虐めてんじゃねえよ」


その時、僕の血に染まった頬を風が撫でた。

部屋の中で風なんて通らないはずなのに、どこから風が吹いているんだろう。


「貴方は!!」

「よお相沢さん。随分エロイ体してんな、俺と一発ヤらねえか?」


驚きがこもった相沢さんの声。

僕は声のする方に、首を傾けて視線を送った。

するとそこには、夜空をバックに窓枠に立っている誰かの姿。


「ケイ! 助けに来たよ!」

「そ、その声はトーン!?」


まさか、何でここにトーンがいるんだ!?

彼女に尾行されていた? しかもここは地上10メートル以上ある部屋なのに、まさかトーンはここまで自力で上って来たのか!?


「誰だお前! 素人が下手に手出してんじゃねえよ!!」


人影に飛び掛かるナックル兄弟の弟、ブロー。

危ないと僕が言おうとしたその時だった。


「グ⋯⋯グハッ!!」

「ウチの佐藤をボコってたのはテメエだな?」


目にも止まらない速さで、気が付くとブローは足首から宙づりにされていた。

しかも音もなくパンチを数発入れられ、いつの間に顔面がボコボコになっている。


「お前は、紐無しバンジーの刑に処す。グッバイ」


パリーン!と窓を突き破って外に投げ捨てられるブロー。

「アヒャ―!」という断末魔と共に、グシャッと下で何かが潰れるような音がした。


「ブ、ブローに何しやがる! 死ねや!!」


と、言って飛び掛かったジャブが同じく一瞬で羽交い絞めにされた。

とんでもない強さだ! この人、まさか噂の⋯⋯!!


「お前はスカイダイビング、パラシュート無しコースの刑に処す。アディオス」


そして、ジャブを思いきり外にぶん投げる。

まるでミサイルみたいにジャブは飛んでいき、「ギャア!!」という断末魔を残してあっと言う間に空の彼方へと消えていった。


「あ、あ、貴方は⋯⋯!」

「ナイトメアっていうモンだ。どうせ知ってんだろ?」

「し、し、しかもその声は⋯⋯!!」

「ああ、夜内だよ。マスクしてちゃ分かんねえか?」


マスクを剥ぎ取るナイトメア。

するとその下から、僕の知る会社の同僚が現れた。

夜内京一、まさにその人が。


「よ、夜内くん⋯⋯!!」

「ウチのマドンナがまさか野郎を連れて人をリンチするような外道だったとはな⋯⋯がっかりだぜ」


ナイトメア、いや夜内さんは相沢さんに迫る。

するとここで、相沢さんは突然夜内さんに擦り寄った。


「ねえ⋯⋯私と遊ばない?」


すると相沢さんは、着ていた黒のブラジャーを外す。

そして豊満なバストを僕らに見せつけ始めた。それは凶悪なほどに官能的で、さっきまで殺されかけていたはずの僕ですらその色香に思わず息を呑んでしまった。

そして相沢さんはピッタリと夜内さんに身を寄せる。


「どう? 今まで見た誰よりも私はセクシーなはずよ? こんなにいい女を一晩好きに出来るなんて最高のチャンスだと思わない?」


けど、ここで僕は気づいた。

そんな相沢さんを見る夜内さんの目は⋯⋯


「お前さ、ダサいよ」


まるで汚らわしい汚物でも見るような侮蔑的な目をしていた。

相沢さん、いや魅惑超人ロータスの色香は夜内さんにまるで効いていなかった。


「生憎、俺は昔から上っ面だけの女に全く魅力を感じなくてな。俺のクソみたいな力のせいかもしれねえけど、俺はお前みたいな中身が真っ黒な女よりも⋯⋯」


すると夜内さんは突然トーンを呼びさして言った。


「あの子の方が好きだぜ」

「わ、わ、わ、私!?」


顔を真っ赤にしているトーン。

多分夜内さんは深い意味で言っていないような気がするけど、それはトーンには言わないでおこう。


「ようは相沢さん、アンタとは夜だけの付き合いだけでもゴメンだってことだ」

「⋯⋯そう。なら、別にいいわ」


その時だった。

キラリと薄暗い光の中を金属の光を反射する光が瞬いた。


「男なんて、いくらでも代わりはいるんだから!!」


それがロータスがパンツの中に隠していたナイフの光だと気づいたのは、夜内さんにそのナイフが突き立てられていたのを見た瞬間だった。


「夜内さん!!」

「アッハハハハハハハハ!!」


狂気的なロータスの笑い声と、崩れ落ちる夜内さんの姿。

ロータスは夜内さんからナイフを抜いて、今度は僕とトーンにその刃を向けた。

でも僕はここで、ナイフに起きた異変に気付いた。


「そんなナイフで人を殺せんのか?」


夜内さんに突き立てられたナイフはまるでプレスされたかのようにペチャンコになって、刃が完全に潰れていたんだ。


「そんな⋯⋯嘘!!」

「嘘も何もあるか。俺の体を貫けるナイフなんかこの世にあるわけないだろ」


グニャグニャに曲がったナイフ。もう人に使えるような状態じゃない。

夜内さんのボディが固すぎて、ナイフが負けてしまったんだ。


「俺は男女平等主義者でな。普段はジェントルメンだが、やる時はやるぜ」


グッと握り締められる夜内さんの拳。

それはロータスに向けられた拳だ。


「⋯⋯が、俺は女を殴るのは性に合わねえ。てことでやり方を変えるぜ」


すると夜内さんは突然ズボンを脱いだ。

そして僕の目の前に、今まで見たことがないような夜内さんのマグナムが現れた。


「キャーーーッ!!」

「おい佐藤。トーンには刺激が強すぎるから、目を覆ってやれ」


顔が真っ赤を通り越して茹でダコみたいになっているトーン。

僕が覆わずとも自分の手で顔を覆っているけど、心なしかトーンの指の間隔がちょっとだけ広い気がする。目が完全に隠しきれてない。


「お望み通り、夜のフィールドで勝負してやる。来い相沢」


するとロータスは余裕の様子でパンツを脱いだ。

そして一糸纏わぬロータスの肢体が露になる。


「後悔しないでね。夜内君」


⋯⋯これって、つまり僕が相沢さんを夜内さんに寝取られたってことなんだろうか。

いや、でも相沢さんはロータスで悪いシグマ超人だし、一度僕を殺そうとしてるんだから未練なんかあるわけないし、当然夜のイベントも今更したいとは⋯⋯


「もうダメッ! 私、帰る!」

「ちょ、ちょっとトーン!!」


ここでもう我慢できなくなったらしいトーンが部屋を出ようとした。

ぼ、僕も後を追いたいけどリンチされてて体が⋯⋯


「ほら掴まってケイ!!」

「あ、ありがとう⋯⋯」


と思ったら、トーンが僕に肩を貸してくれた。

振り向かないけど、僕の後ろからはズッコンバッコンと凄い音が聞こえてくる。でも相沢さんの魅惑から解放されたからか、不思議とそれにジェラシーは感じなかった。

⋯⋯それとも、あの夜内さんのブツを見せられて、男として完全敗北したのを内心理解したからかもしれない。悔しいけど、それくらい凄かった。


「もうヤダ⋯⋯最悪⋯⋯」


ラブホテルを出ると、トーンはその場で蹲ってしまった。

彼女は涙目で、心なしか息が荒い。


「私、帰る⋯⋯」


見ると、もう時刻は深夜だ。

女子高生をこの時間に出歩かせるのはいけないと、トーンの家まで送ろうとしたけど『こっちにこないで』と強い拒否反応を示されてしまった。

もしかしたら、僕は彼女を奪われたヘタレだと思われたのかもしれない。


そしてトーンと別れると、一気に疲れが押し寄せてくる。


「少し⋯⋯休もう」


そして僕は、ホテルの横の電柱の影に身を預けて眠ることにした。



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「起きろ。佐藤、起きろってば」

「よ、夜内さん?」

「終わったよ。何もかも全部な」


目を開けると、そこには夜内さんがいた。

部屋に残されていた僕の荷物を持ってきてくれたらしい。


「あいざ、いや、ロータスはどうなったんですか?」


すると夜内さんは手に持っていたスマホを僕に見せた。

そこには白目を剥いて、体中が謎の液体で湿ったアへ顔のロータスの姿がある。


「アイツは暫くダメだろうな。アソコの穴だけならまだしも、体中の全部の穴がガバガバのユルユルになっちまった。やり過ぎたつもりは無かったんだが気絶しちまったよ。あと相沢さんは、お前が寝ている間にオメガの超人を名乗る奴が来てそいつらが連れて行ったよ。」

「きっと、オメガの処理班だと思います。トーンがここの場所を教えたんでしょう」


ロータスは、夜内さんのビッグマグナムの前に撃沈してしまったらしい。

すると夜内さんは僕の目の前でロータスの写真を消した。


夜内さんと僕の間で気まずい沈黙が流れる。

予想してなかったわけじゃないけど、夜内さんがあのナイトメアだっただなんて、きっと今頃マリア様や四天超人たちは夜内さんの素性も完全に把握しただろう。

そうなればきっと、夜内さんを倒す計画を立てるに違いない。


「オメガの連中、お前にメチャメチャ怒ってたぞ。報告会をサボって敵勢力の罠にかかるだなんてオメガの恥だってな」


それも覚悟していたことだ。

きっと僕は次の報告会で糾弾されて、下手したらオメガを追放されるかもしれない。


「⋯⋯もう、失うものなんてありません。だったら、残りの全てを何に使うかは決めてます」


夜内さんが来てくれなかったら、今頃僕は死んでいた。

夜内さんは大切な会社の同僚で、そして僕の命の恩人だ。


「このままじゃいつかオメガと夜内さんの全面戦争になってしまうでしょう。でもそれは絶対に避けないといけない。だから次の報告会で僕はナイトメアがいかに有益な存在かを、出来る限りオメガの人たちに理解してもらえるよう説得します!」


ナイトメアは、超人能力を私利私欲のためにつかうシグマ超人とは違う。

それを分かってもらえれば状況も変わるかもしれない!


「そして分かってもらうんです! ナイトメアは倒すべき存在じゃないってことを!」


体の痛みももう気にならない。

何より僕は夜内さんを守らないといけないという使命感に駆られていた。


「⋯⋯よく分かんねえけど、よろしく頼むよ」


そして夜内さんは去っていった。

見送る僕、そして僕は夜内さんが消えたところでスマホを取り出した。

勇気を振り絞るために深く深呼吸をする。そして、電話をかけた。


「もしもし、マリア様ですか。ケイです」


僕は先方からの言葉を待たずに二の句を告げた。


「ナイトメアについてお話があります。直接お会いできませんでしょうか?」


オメガの最高指導者であるマリア様。

僕はイチかバチか、彼女との直接面談を仕掛けることを決めた。

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ナイトメアの騎行 名無しの男 @Windows

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