い・た・だ・き、まぁああああああああああすッッッ!!!!
邪神は、刃を突きつけたまま、オメガに誘惑の言葉を口にする。
「そなたも目にしたはずだ。我が身可愛さに、そなたを排除しようとしたこの世界の民衆。あれこそが、人間の本性だ」
「そんな者どもを、なぜ守ろうとする? 魂があると言うのなら、欠陥品ではない、というのなら……そろそろ、創造主の呪縛からも、逃れたらどうだ?」
アーレンハイトは、邪神の言葉に奥歯を噛み締める。
肉体的な敗北を与えた後は、その精神までも叩き折ろうというのか。
人を救うという、彼の行動原理までも奪い去り、仲間に引き入れようとするかのような言動。
それとも、そうと見せかけて、希望を与えて殺そうとしているのか。
どこまでも虚無そのものにしか感じられない敵の言葉に、アーレンハイトは怒りを覚える。
それは、オメガも同様だったようだった。
「奴らが王城に押しかけたのは、貴様が操ったからだろうが」
「心外だな。我は術式で、連中の本音を引き出していたに過ぎん。誰かの、何かのせいにしなければ、己の不幸を受け入れることすら出来ぬ愚か者どもをな」
ーーー勝手なことを!
アーレンハイトが毒づくが、邪神はよそ風とも感じていないようだった。
「そんな事はない、とでも言うのかね? エルフの巫女。ならば問おう。結局は、ゼロ・イクスを作り出した者達も、自らが救われる為に、彼を孤独に追いやったのではないのか?」
―――!!
オメガは、人々の魂を救うために、人類を滅ぼしたと言った。
その過程で、共に《救済機甲》だった仲間たちをも。
そうして一人、放浪したと……確かに、彼はそう言っていた。
寄り添ったオメガの魂も、アーレンハイト同様に揺らぐのを感じ取る。
しかしその揺らぎに、かすかに違和感を覚えた。
その間に、邪神は言葉を続ける。
「人どもは、ただそなたを利用する事しか考えていないのだ、ゼロ・イクス。そんな連中に、そなたのように強大な者が見返りもなく守ってやる価値が、本当にあるのか?」
邪神のささやきに、オメガは両脇に垂らした拳を握り締めた。
先ほど、アーレンハイトが感じたオメガの魂の揺らぎ。
それは邪神の吐いた言葉に対する、怒りや衝撃ではなく……許容の意識だった。
ーーーオメガ様……?
邪神の言葉を受け入れる理由がわからず、アーレンハイトは戸惑ったが。
彼の口から出たのは、予想を上回る答えだった。
「人の愚かさ? ……そんな程度の事を、俺サマが理解していない、とでも思っているのか? ナメられたもんだな」
「何……?」
オメガの静かな言葉に、イクス・アビスが初めて不審そうな声を上げる。
「俺サマは、人を信仰しているわけじゃねぇ。その愚かさまで含めて、守るべき対象だと、俺サマ自身が定めているんだ。それに」
オメガは、小さく笑ったようだった。
「人が愚かでちっぽけな存在なら、俺サマだって愚かでちっぽけな存在だよ。強大な者なんかじゃねぇ」
彼の言葉は、今までになく静かだ。
絶望しているわけでもなく、ただ、事実を述べているだけとでも言いたげな様子で、邪神に対して言葉を重ねる。
「人が俺サマを利用するなら、幾らでも利用すればいいさ。それで正解なんだからな」
「ほう……?」
「やっぱり、貴様は偽物だ」
イクス・アビスよりもなお黒く感じられる声音で、オメガは深淵から呼び掛ける虚無を、嘲笑う。
「俺サマが、人間達に伝えた言葉を聞いてたんだろうが? 俺サマはな、『人を救いたい』という俺サマ自身の願いの為に……」
彼は喉元に突きつけられた剣の切っ先に重ねるように、拳を解いた自分自身の親指を突きつける。
「〝苦しみに喘ぐ〟人々の存在を、望んだんだ。救うってのは、そういうことだろ。……それが理解出来てなかったと思ってるなら、貴様はやっぱり、俺サマじゃねぇ」
オメガは喉元に向けた指先を、今度は人指し指を立ててイクス・アビスへと振り向けた。
「俺サマの人を救いたいって願いはな、少しも、高潔でも崇高でもねぇ、自分勝手で、浅ましい願いなんだよ。ーーーそれは、人間が苦しむ事を望んでいるのと同じなんだ」
ーーーオメガ様、それは!
ーーーそれは違うだろう、オメガ!
アーレンハイトとカルミナがたまらず声を上げるが、彼は首を横に振る。
「違わねぇよ。俺サマは人々を救いたい、と。俺サマの為に苦しんでいて欲しい、と、そう望んでたんだからな」
違う。
それでも、アーレンハイトはオメガの言葉を拒絶する。
だって彼は、人々の笑顔を見ることを、あんなに喜んでいたのに。
苦しむことを望んでいた、なんて事は、絶対にないはずなのに。
「でもな、ファーザー。俺サマは同時に、お前の言う人間の愚かさとやらが、大好きなんだ」
オメガの言葉には、続きがあった。
「ちっぽけな俺サマの料理に喜び、つまらない事で怒り、苦しみの中にあってなお、生きたいと願う人間達の強さが、俺サマは好きだ」
そしてその言葉には、はっきりと、力が籠っていた。
「その苦しみが終われば希望がある、と、そう信じて未来へ向かう人類が、大好きなんだ! そんな風に、生き抜いていく人々が幸福になれるなら、俺サマは、全員に憎まれてもでも構わない。俺サマ自身が孤独に喘ぐくらい、なんて事はねぇ。人が生きていてくれるなら!」
オメガの体の奥底から湧き上がってくる、根源的な力が。
魂から放たれる圧倒的な輝きが、アーレンハイトとカルミナにも力を与えて活力を取り戻させてくれた。
同時に、オメガの意思と……彼のしたい事が、伝わってくる。
「……『苦し過ぎて死にたい』と『殺してくれ』と! そう願われる絶望に比べれば、憎まれて孤独になる事くらい、何だってんだ!!!」
ーーーオメガ様……オメガ様はもう、決して、この世界で一人にはなりません!!
アーレンハイトは、我慢出来なかった。
ーーーわたくしがいます! カルミナだって! オメガ様がご自身を否定して、それでも人類を救うと言うのなら……それを望む心が、自分の罪であると言うのなら! わたくしが肯定します!! オメガ様の行いを! わたくしが許します! その魂を!!
アーレンハイトは、生まれて初めて、魂の奥底から吼えた。
ーーーだって、苦しみの絶望からわたくしを救って下さったのは、まぎれも無く、貴方なのです! オメガ様!
「アーレンハイト……!」
彼女の心からの言葉に、オメガは名前を呼んでくれる。
アーレンハイトの事を、人ではない、と言いながら、彼は決して、アーレンハイトらエルフを無下に扱おうとはしなかった。
ゼロ・イクスは、優しく、明るく、気高く、強い、まぎれもなく彼女にとっての英雄だ。
ーーーアーレンハイト様の仰る通りだ!
カルミナも、言葉を尽くしてゼロ・イクスに想いを伝える。
ーーーいかに絶望が襲おうと、そこから這い上がるのもまた、人間だ! 人類や亜人の全てが、貴様の言うような浅ましく他人に責をなすりつけて嘆くだけの存在ではない! 我々に希望をもたらした勇者アヒムと、オメガは……そして私もアーレンハイト様も! 愚かさを恥じ、己を改めることが出来るのだ! 人は、変われるのだ!!
「……だってよ、アヒム」
どこか
「そうか。……それが、そなたの選択か」
しかしイクス・アビスは心を動かされた様子も無くぽつりと呟き、オメガの喉に突きつけたのと逆の手に握った剣を、刺突の形に構えて無造作に突き抜いた。
「ならば、このまま死ぬが良い」
しかし、イクス・アビスの剣は……彼の胸を貫く直前でピタリと止まった。
「む、体が……!?」
ーーー既に命を失った器であろうとも……我が肉体を、絶望を振り撒く道具にはさせぬ……!
胸に宿った燐光から、アヒムが姿を見せてその剣先の前に浮かんでいた。
イクス・アビスの腕を握る、光の精霊力によるアヒムの幻影が、彼自身の死したる肉体を支配する虚無と拮抗しているのが、アーレンハイトの目に映る。
「そうだよな、アヒム」
アヒムの幻影の腕に、自分の腕を重ねたオメガは、イクス・アビスの腕ごと、切っ先を自分からずらした。
「俺サマ達の心は同じだ。……俺サマ達にとって大切なのは、人にどう思われるかじゃねぇ。自らの魂に科した誓いを、守りたいものを守る為に、自分に何が出来るのか、だ!」
オメガはイクス・アビスの逆の腕も掴んで全身に力を込め、根源力を解き放つ。
「アヒムの肉体よ……人に害を為すことを望まねぇんなら、俺サマと一つになれ!!」
ーーー人に仇なす者に、報いを。
オメガとアヒムが宣告すると同時に。
根源力によって実体化していたイクス・アビスの深淵の鎧ごと、虚無が排されていく。
『バカな……我が、引き剥がされ……!?』
弾き出された邪神の声と共に、人間の姿に戻ったイクス・アビスの……アヒムの肉体が純粋な根源力に還元されて、オメガの中に、吸い込まれていった。
『馬鹿な……その還元吸収能力を……何故、雛に過ぎぬ貴様が扱える!?」
「なんだ、この力のことを知ってるのか、お前」
空間を形成する深淵そのものであるファーザーは、イクス・アビスを失った事と、オメガの為した事に狼狽えた声を上げた。
「さっき、お前が俺サマを仲間に引き入れようとしてた時に、思いついてよ。こういう事が出来るんじゃねーかって。なぁ、アーレンハイト、カルミナ?」
それに答えたのは、アーレンハイトとカルミナだった。
ーーー霊装したオメガ様には、バタフラム様の浄化の力と……!
ーーードラグォラ様の吸収能力が、備わっているのだ!
先ほどオメガから伝わってきた意識は、それだった。
彼はアーレンハイトらの力を受けて、周囲を包む空間そのものに、自身の纏う根源力を広げて行く。
遠くへ弾かれていた神剣と魔刀が浮き上がって再びオメガの両腕に収まり、彼はさらに光の精霊力と闇の精霊力を広げた領域に重ねて行った。
「還元と吸収……二つの力を備えた俺サマは、虚無と化した根源力すら吸収する機能を新たに自分自身へと生み出した! まぁ、今の今まで作ってたからちっと時間が掛かっちまったがなッ!」
『こんな、こんな事が!』
「さぁ……てめーを存在ごと喰い尽くしてやるぜ、ファーザー!
自らの用いうる全てのエネルギーで、空間を埋め尽くしたオメガは。
両手の神魔の刃を柄尻で連結し、双頭剣として両手で握ったまま、風車のように回転させ始めた。
「《
その乱流に、オメガが何らかの術式を乗せると、周囲の虚無によって形成された空間がオメガ自身が展開した根源力によって剥がされ、引き寄せられて凝縮されてゆく。
『お……ォオオ……!!』
ぎゅるるるる、と音を立てて、空間に偏在していたファーザーが引き寄せられ、封印された。
姿を見せる事を強要されて、オメガの前に浮かび上がった真っ黒な『核』。
ファーザーの本体とも言えるそれを前に、剣を足場に突き刺したゼロ・イクスは、ばちぃん! と両掌を打ち合わせて。
高々と、宣言した。
「必ぃ殺ッ! ーーー〝い・た・だ・き、まぁああああああああああす〟ッッッ!!!!」
同時に、オメガの鉄仮面の口元に、黒い球体が吸い寄せられ……。
『ぐぁあああ! やめろォ! こ、この我が! 我の体がぁァあアアァァーーー……!!』
……ちゅぽん! とゼリーを吸うような音を立てて、一気に吸い込んだ黒い球体をもぐもぐごくん、と呑み込んだオメガは腕を組んだ。
「……なんか、ローヤルゼリーみてーな味と舌触りだな。美味いが胃もたれしそうだ…ま、『不幸の味は蜜の味』って言うしな!」
ーーーオメガ様……それは何か違うような。
ーーー全く、お前は全然変わらんな。
いつも通りのオメガに、アーレンハイトとカルミナは苦笑する。
「ま、何でもいいだろ!」
彼は床から引き抜いた双頭剣を無意味に振り回した後に、腰だめに完璧な角度で構えて宣言した。
「とりあえず、救済完了だ! ごちそうさまでした!!」
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