こいつは、ゼリーってヤツだ。


「よう」

「!?」


 深夜。


 ひょい、と寝室に現れたオメガに、エーデルは声すら出せないほど驚いたようだった。


「別に何もしねーよ。俺サマの中にいる、アヒムの魂がお前と話したいって言うから、来ただけだ」

「……アヒム、様が?」


 天蓋のついたベッドで身を起こした寝巻き姿のエーデルは、胸元まで布団をたくし上げて猜疑心に満ちた目でこちらを睨みつける。


 だが、大声を出して人を呼ぶようなことをしなかったのは、おそらくアヒムの名が出たからだろう。


「俺サマも、アヒムの声を聞いて気づいた。……この国で、アヒムの死に一番心を痛めてるのは、多分お前だろうってな」


 オメガには、人間と違って伴侶などは存在しないし、そうした感情が自分にあるのかも分からない。


 だが、マスターが死んだ後、心に穴がぽっかり空いたような虚しさを感じたのと、多分、似た感情をエーデルは抱いているだろうと思った。


「アヒム様は……死んでいません」


 こちらを睨んでいるエーデルは、アーレンハイトやカルミナ同様に、シャルダークを疑うという可能性に、意識が向いていないようだった。


 ーーーこれ、本当にどうしたら良いんだろうな?


 そんな風に思いつつ、心の中でアヒムに語りかけると、彼の気配が強まった。


 オメガの背の少し上に浮かんだ彼は、エーデルを見下ろす。


『エーデル……』

「……アヒム様。本当に、死んでしまったのですか」


 アヒムがうなずく気配を見せる。

 生きていて欲しい、と願っていたのだろう、アヒムの魂を見つめるエーデルの頬を、涙が伝った。


「では、生きているアヒム様は、一体、何なのですか……」

「多分、シャルダークだよ」


 オメガが答えると、彼女がゆっくりとこちらに目を向ける。


「で、あれば。貴方も、シャルダークを殺せていない、のでは、ないのですか」

「奴は、俺サマが黒焦げにしたはずだ。そいつは間違いない。……だが、復活してる可能性はある」

「では、貴方が嘘をついている可能性も……その、アヒム様の魂が偽物で、生きているアヒム様が本物である、可能性も……あるはずです……!」


 エーデルの言葉に、オメガはかすかに希望を覚えた。


 彼女は、アヒムが死んでいない可能性を、考慮している。

 それはつまり、死んでいないことを信じたい、という……アヒムの『死』を認めながら、受け入れるのを拒否しているのと同じだ。


 ーーーエーデルは、敵の影響下にないのか。それとも……お前か、アヒム?


 少し影響が薄そうに見えるのは、彼がエーデルに何らかの加護を与えているのかもしれない。


 、という意識が返ってくると同時に、エーデルの胸元でペンダントが光った。

 それは、アヒムが旅立つ前に贈ったものであり、勇者の力を、少しだけ秘めたアイテムらしい。


 ーーーなるほどな。それでか。


 魔王と勇者は相反する存在だという。

 それはおそらく、肉体的な要素ではなく、魂的な相反なのだろう。


 だから遺体は操れるし、アヒムの魂にシャルダークは手を出せないのではないのだろうか。

 そして、彼が一番大切に想う女性に対しては、敵の影響が緩和されている。


 魂の繋がりが、それを為しているのだ。


 だからオメガは、エーデルの問いかけに対して、微笑みと共に答えた。


「お前には、分かるんじゃないのか? このアヒムの魂が、俺サマの作り出した偽物なんかじゃないって」

「……」

「愛しているから、生きていて欲しかったんだよな。……俺サマには、救えなかった。それは、俺サマの落ち度だよなぁ……」


 たとえ、アヒムの召喚が瀕死の状態で行われたのだとしても。

 あの空中で、外に出たアーレンハイトの反応ではなく、魔王城に屋根を貫いて着地していれば、もしかしたら間に合ったかもしれない。


 何も知らなかったとはいえ、オメガの選択が明暗を分けたのだ。


 アヒムの魂が、それは違う、と伝えてくるが、オメガは無視した。


「だから、エーデル。お前が俺サマにその責任を取って死ね、と言うなら、喜んで死のう。……だけど俺サマはその前に『お前に会いたい』ってアヒムの願いを、叶えてやりたかった」

 

 エーデルは、唇を噛む。

 大きな緑の瞳が、揺れていた。


「知らない場所で、別れの言葉も交わせないよりは……ちゃんとお別れをした方が、自分の心に折り合いをつけられるだろうと思ってな。俺サマも、そうだったからな」


 マスターとの別れは、ちゃんと言葉を交わしての別れだった。

 だから決別の直後に辛くても、耐えられたのだと、今なら思っている。


「……お嫁さんにしてくれるって……言ったのに……!!」


 エーデルは、ボロボロと涙をこぼしながら、アヒムの魂を見つめて、布団を強く両手の指で掴んでいる。


「魔王を倒して、帰ってくるって……言ったのに……!!!」


 近づいてくれ、とアヒムが言うので、オメガは彼女のベッドの脇で膝をついた。


 すまない、と。

 アヒムはただ、謝ることしか出来ない様子だったが。


 責めるような言葉を口にするエーデルは、きっと、今、心の折り合いをつけている最中なのだ。

 アヒムはきっと、それを分かっている。


 どのくらい経っただろう。


 心で会話を交わしている様子を見せていたアヒムが、もういい、とオメガに告げるので、立ち上がった。


 エーデルは泣き止んでいた。

 目は真っ赤に腫れているが、しっかりと意思を込めた瞳をしている。


「……あのアヒム様は、偽物なのですね……」

「ああ」


 彼女がそう呟き、オメガがうなずいたところで、不思議なことが起こった。


 両手を広げたアヒムの魂が青く輝き、頭の中に言葉が浮かぶ。

 それを、オメガはそのまま口にした。


「スキル・アヒム……〝バタフラム・ブレス〟」


 青い光がアヒムの魂を離れ、球体となってエーデルに吸い込まれる。

 するとオメガの意識も、同時にエーデルの中に引き込まれた。


 ーーー!?


 そこで、オメガは見る。

 

 映像のようにエーデルとアヒムが共に過ごした記憶が周りを流れていき、その記憶を包んでいる黒い何かが、パキンパキンと砕けるように弾けていく。


 その記憶の最奥に、小さな、ブラックホールのような塊があった。


 近づくと、それがシャルダークの姿を取り……オメガの意識との衝突寸前になって、それも弾け飛び。



 嗤う誰かの姿が見えた瞬間に、現実に引き戻された。


 

 ーーー今のは。


 オメガは、今の現象の意味を、アヒムの言霊のごとく唐突に理解した。


 ーーーアヒムの体に入ってるのは、シャルダークじゃねぇ。


 やはり魔王シャルダークは、あの時に死んでいたのだ。

 そして同時に、思い出した。


 シャルダークが、姿を変えた時に『邪神の力を得た』と言っていたのを。

  

 虚無の力というのは、おそらくその邪神の力なのだ。

 つまり、あの奥に見えた誰かが、この件の元凶であり。



 ーーー邪神とかいう奴で、最優先殲滅対象か。

 


 敵の姿と、状況が見えた。

 そして敵が、何をしているのかも。


 今の〝バタフラム・ブレス〟が、解決の鍵になる。


「私、は、一体……?」


 まるで夢から覚めたような様子を見せたエーデルに、オメガは笑いかける。


「アヒムの体を使ってる野郎の、呪縛が解けたんだよ。それと、ここからは俺サマの勝手な要件なんだが」


 エーデルには、これ以上の不安を押し付けなくていい。

 彼女の心は、アヒムとの対話によって救われたのだから。


 オメガは左手にずっと持っていた、スプーンを差した一つのグラスを彼女に差し出した。


「これ、は?」

「うん。こいつは、ゼリーってヤツだ」


 スライムで作ったものである。

 王都に近づくとどんどんその数が増えていったので、羊羹以外に何か作れるもんがないか、と試行錯誤して作ったものだった。


 グラスの中身は、小さな四角に切られてお洒落に盛り付けられた青いサイコロ状のゼリーと、グラスに刺さった薄いレモン、そしてスプーンだ。

 

「食べてみろよ」

「え、はい……」


 エーデルは恐る恐るスプーンで一つすくって口に運び、驚いた顔をした。


「美味しい……」

「そうだろ? ……それを食って美味いと思えるのは、お前が生きてるからだ」


 こちらの言葉に、エーデルは伏せていた顔をハッと顔を上げる。

 オメガは笑顔のまま、親指を立てた。


「アヒムが魔王に立ち向かい、魔王を倒せる俺サマをこの世界に来させたから、お前が味わえたものだ。……だからそれは、アヒムの望んだ平和な世界に在るべきデザートだ」

「平和な……世界」

「そうだよ。アヒムが救った世界で生きるのは、お前だ、エーデル」


 オメガは、彼女が食べ終えるのを待って、グラスを受け取った。


「アヒム様の……?」

「そうだ。生きて美味いものを食えるのは、幸せだろ? アヒムは死んだが、救った世界は残る。その死んだ者の想いを受け継いで、笑顔で生きていくことが出来るのは、お前たち生きてる人間だけなんだ」


 せっかく救ったって、誰もいない世界に意味などないのだ。


「アヒムとの別れの傷が癒えたら、前を向いてくれ、エーデル。お前まで死んじまったら、アヒムの生きた過去を守る奴がいなくなる。アヒムが、平和な未来を生きて欲しいと望んだ人がいなくなる。アヒムは、そのために、俺サマを呼んだんだ」


 エーデルは、黙ってオメガの言葉を聞いていた。


「人を救うのが俺サマの使命であるように、アヒムを想う奴の使命は、生きる事そのものだ。尊敬に値する人間を想い、勇者の作り出した平和を継ぐのも、お前らの、そして俺サマの役割だ」


 オメガは、あくまでもアヒムを……死した勇者こそが、誉れ高き者であると思う。


「俺サマは救う者だが、そうなれるだけの力を与えられ、作り出された存在に過ぎない。だから、救うのは当たり前だ。だが、その当たり前を、俺サマ自身のものとしたのは、ここにある魂だ」


 オメガは自分の胸に、それを誇るように手を当てる。


「平和は与えられて当たり前だ。だがその平和を悲嘆に暮れて生きるのは、アヒムの望みじゃねぇ。心の底から、魂のど真ん中から、与えられた平和に感謝して、楽しんで生きる事が、平和を自分のものにするって事だ」

「アヒム様と……同じことをおっしゃるのですね、貴方は」


 オメガの頭に、ふと、アヒムのものだろう記憶の言葉が浮かんだ。


 『エーデル。私は、平和を望む。平和を、当たり前として生きられる世界を、貴女に与えたいと思う』


 アヒムと、オメガはやはり同じことを望んでいた。

 それが、嬉しいと、思えた。


「アヒムの心は、俺サマが継ぐ。あの偽物野郎は、必ず俺サマが始末して、アヒムの代わりに、お前らに救済を与えてやるよ!」

 

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