甘露な魂だ。

 

 ーーーその日の野営。


 深夜に、カルミナは目を覚ました。


 魔の森を抜ける辺りまではテントの中でも鎧を着込んでいたが、魔物もさほど強くなくオメガもいるという事で、今は肌着のみを身に付けている。


 ーーーなんだ?


 体の中でざわざわとした感覚を感じたカルミナは、起き上がろうとして……体が動かない事に気付く。


「……!?」


 声を出したつもりが、声も出ない。


 すると、視界の先……テントの屋根との間に横たわる闇の中に、不意に男の姿が浮かんだ。

 ゆらり、と現れたそれは、捻れたツノと、退廃的な美貌を備えている。


 ーーーシャルダーク、だと……!?


 オメガが倒したはずの魔王であり、カルミナと幼馴染みである男。

 それが、なぜここに。


 ーーー生きていたのか!?


 カルミナの動揺に反応したのか、シャルダークが薄く笑う。


「流石にレヴィアタン如きでは、奴の相手にはならなかったな……」


 ーーーあれも、貴様の仕業か!!


 普段深い海に住むはずの魔物が襲ってきたのは、コイツの策略だったのだ。

 カルミナは、グググ、と体に力を込めるが、全く動かない。


 ーーーくそっ!


 相変わらず声を出せぬままに内心で吼えると、シャルダークはおかしげに笑った。


「無駄だ、カルミナ。可愛らしい力しか持たぬお前では、その呪縛は解けん……」


 魔王はゆっくりと、闇から這い出るように腕を伸ばしてきた。


 ーーーく、さ、触るな……!!


 カルミナの頬に、軽く指を這わせるシャルダークに、思わず顔を歪める。


「あの異空の勇者の力は、厄介なものだ……ゆえに、絡め手を使わせてもらう」


 その指先のひどく冷たい感触と共に、ゾクリと背筋が怖気だった。

 シャルダークは楽しそうに身を屈めてこちらに顔を寄せると、耳元でささやく。


『「甘露な魂だ。……ククク、貴様のと秘めたる力を、解放してやろう……」』


 どこか、普通とは違う声の響きと共に、耳から冷たい何かが入り込んできたように、カルミナは思えた。


 ーーーやめろ、何をし……!


 冷たいモノが体の内側を這い、胸の内に到達すると同時に……全身を、凄まじい灼熱感が包む。


「ッ!!!」


 痛みにも似た熱に、視界が白く染まる。

 

 ーーーーがぁあああああああっっ!!!


『喜ぶがいい。我が駒となれることを……』


 遠いシャルダークの声とともに、今度は白い視界の中に、先日見たカルミナにとっての神……ドラグォラの姿が浮かび上がり、凶悪に吼える。


 咆哮した闇の精霊がこちらを見ると、カルミナは、魂を鷲掴みにされたような形容し難い痛みを覚えた。


 ゆっくりと、何かが魂に食い込み、侵食されていくのが分かる。


 ーーーお、おやめ下さい、ドラグォラ様……うが、ァ……!


 そうして、プツン、と何かが切れたような音が聞こえると、カルミナは不意に体から力を抜いた。


『クク、ククククク……さぁ、行け』


 笑い声とともに、シャルダークの気配が消える。

 しばらく呆然としてから、カルミナはむくりと起き上がった。


 心の奥底から、憎しみが湧き上がって来る。

 そして、どす黒いその衝動に突き動かされるままに、動き出した。


「……オメガ」


 カルミナは、ベッドの脇に置いてあった鎧と衣服を身に付けると、剣を手にテントを出た。

 

※※※


「お? カルミナか? どうした?」


 アーレンハイトは、テントの外でそう問いかけるオメガの声を聞いて、記録をつけていた羽ペンの動きを止めた。


 ーーー……カルミナ?


 今は深夜だ。

 アーレンハイトは何故か眠れず、テントの中で書き物をしていたのである。


 確か、オメガは一夜干しをする、と言って夕方からせっせと作業をしており、なぜか作業が終わっても、干し終えたものを見たまま動こうとしなかったのだ。


 ワクワクと目を輝かせていたところを見ると、本当に食事や料理が……それを振る舞うのが好きなのだろう。


 だから、先に寝ますね、とその場を辞したのだが。


 ーーーもしかして、まだ見ていたの? それに、なんでこんな時間にカルミナが……?


 アーレンハイトは、夜着……と言っても新しく着替えただけの冒険者服だが……の上に、外套を羽織った。


 外に顔を覗かせると、武装したカルミナがオメガの前に立ち。


 何故か、殺気を放っていた。

 

「オメガ……貴様を殺す」

「あん?」


 オメガは、カルミナの言葉に眉を上げた。

 チラリと、一夜干ししている海産物に目を向けた後、一歩そこから離れて腰に手を当てながら首を傾げる。


「何でだよ?」


 オメガの問いかけに、カルミナは応えた。

 

「貴様が……私の、シャルダークを、殺したからだ……!」


 剣を引き抜いたカルミナの中に虚無の力を感じて、アーレンハイトは息を呑んだ。


「オメガ様! カルミナが操られています!」

「誰にだ?」


 オメガは全く動じていなかった。

 表情こそ引き締まっているが、動揺した様子はない。


 カルミナの技量では、オメガは殺せない。


 焦っていたが、アーレンハイトもその事実に気づき、少し冷静になった。


「分かりません。しかし、カルミナの中に虚無の力を感じます!」

「ふーん。で、カルミナ」


 オメガは彼女に目を向けて、ピッと指を向ける。


「俺サマがシャルダークを倒すのを、お前も望んでたと思ってたんだが。違ったのか?」


 カルミナは、どことなく焦点が合わない目で、オメガの問いに答えた。

 彼女の体から放たれる虚無の気配が、さらに強まって行く。


「シャルダークは私の許嫁……それを殺した貴様が……憎い……!!」

「許嫁……!?」


 アーレンハイトは、その話を今、初めて聞いた。

 ダークエルフの里で共に育った、とは知っていたが……カルミナがシャルダーク退治に熱意を燃やしていたのは、それだけが理由ではなかったのだ。


 しかしオメガは、彼女を冷静に観察した後、


「会話が通じてねーな」

「一つの思いに凝り固まっているのです」

「オメガァ……! 私は、貴様を殺すッ!!!」


 ズォ、と、カルミナの体を、闇の精霊力が包み込んだ。


 黒き光……ドラグォラの力が圧縮されて、彼女の纏う鎧の上に幾重にも折り重なって行く。

 そうしてカルミナは、刃を払い、神言を口にした。


 

「ーーー〝クムイ・オン・ドラグォラ〟!」


 

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